七章 ウィングクロス 1
翼は自由を
十字は剣を、交差する道を示さん
剣を手に、己が道をゆけ!
されど決して忘れるな
その心の自由を!
――ウィングクロス創設者 ハルメン・ブルックスの言葉より
* * *
傭兵・冒険者・旅人を支援するギルド「ウィングクロス」のシンボルは、十字とその右斜め上と左斜め下から翼が生えた形の紋章だ。ギルド創設者のハルメンが考案した図形らしい。
創設者と呼ばれているだけあって、ウィングクロスの歴史は古い。もうかれこれ五百年にはなるはずだ。
このギルドは、主に仕事の斡旋と依頼主との中継を業務としている。ただし、戦力が必要になってくる仕事のみを取り扱っている。ギルド登録者は、町ごとのギルドの壁に張り出されているクエストボードから仕事を選び、それが成功すれば報酬が貰える、というシステムだ。
ギルドに登録する利点は、ギルド内の鍛錬場や食堂が安くで利用可能となり、ギルド保管の蔵書の閲覧も出来る。また、ギルドのシンボルが書かれた提携先の宿でも安い値段で利用することが出来る。そして何よりありがたいのが、銀行があることと、連絡先として郵便物を預かってくれ、旅先のギルドで魔法使いの転移魔法により受け取ることが可能なこと、だそうだ。
以上が、カザエ村に来る前に、一時期ウィングクロスに登録していたリドの説明だった。
「登録してたのに、何で登録消したの?」
宿で朝食を摂りながらの話に、流衣はなにげない疑問を口にする。それにリドは少し考えた風で黙り込み、やがて周りに聞こえない程度の声でレッディエータ盗賊団にいたという話と、逃げてきてカザエ村に住み着いたのだという話をした。
「ええっ、そうだったの!?」
流衣は目を皿のように丸くして、思わず声を張り上げてしまう。
ああ、びっくりした。
それで盗賊団を追い払った後、やけに嬉しそうに笑っていたのか。
「昔は王国の西の方に住んでてな、東の辺境まで逃げる資金を稼ぐのに利用してたんだ。ギルドのことは、団内でも有名だったし」
基本的に、戦えれば十三歳から登録可能なんだとか。
故郷がどこかも、自分がどの家の人間なのかも覚えていないので、故郷に逃げることが出来なくてそうしたのらしい。
「それを十三歳で思いつくってのがすごいなあ。リドは頭良いんだね」
自分なら思いつかないのではないだろうか。そもそも、思いついたとして、そんな状況で逃げる勇気が自分にあるとは思えない。ということは、リドには思い切りの良さも備わっていることになる。
しかしそんな事情があるなら、リドが流衣より二歳年上にも関わらず、そこらの大人並みに大人びている理由もすんなり飲み込める。
リドは曖昧に笑ってそれには答えず、肩をすくめた。彼からすれば、必死に考えたことであって、頭が良いと賞賛されることではないのだ。必要だから考えただけで。
昔の話はここで切り、気を取り直してさっきの話の続きに戻す。
「ともかく、基礎的な戦闘能力さえあれば、誰でも入れるから便利だぜ」
遠回しに登録をすすめるリドを見て、流衣はうーんと首をひねる。
「その基礎的な戦闘能力が僕にあるとは到底思えないんだけど……」
ドーリスの町に来るまでだって、中型犬くらいの大きさのネズミの魔物に対しても遅れをとっていたのだ。ちなみにそのネズミの魔物、名前をウシネズミといい、低級も低級、雑魚もいいところの魔物らしい。農作物を荒らす害獣程度。ただし、幾ら丸々と太っているからといって、その肉には人間にとっての毒が貯えられているので食用には向かない。
「あれがあるだろ、ほら、爆発させた魔法……」
リドは盗賊の頭を倒した魔法を思い浮かべながら言う。
「あれ、何ていうんだ? 爆発魔法のドーガか?」
「ど、どーが? 鳥みたいな魔法だね……。あ、いや、違うよ。あれ、点火の術だよ」
「点火!?」
リドは驚きのあまり、スープの中にスプーンを落とした。中身が半分程に減っていたから良かったが、スープがバシャッと器の中ではねる。
「点火って、ランプに火をつける程度のすっげー初歩の魔法だろ? 爆発が起きるなんて初めて聞いたぞ?」
「だから、初歩しか使えないって言ってるでしょ。僕が使えるのはその魔法だけだよ……」
そんなにおかしいことだったのかと、流衣は身を縮める。
「はあ、妙な奴だとは思ってたがここまでとはな! まあその一芸見せりゃ多分平気だよ。クエスト受ける場合は俺もいるんだし。一人だったら多分却下されるだろうけど」
「一芸って……」
一芸入試みたいだなと思いつつ、一人だったらの台詞に情けなくなりながら、しっかり頭を下げた。
「ほんと、よろしくお願いします」
ウィングクロスの建物は、一見すると良家のお屋敷のようだった。
ドーリスの町のあちこちに見られる生成り色っぽい白、言い方を変えれば薄いクリームイエローをした煉瓦造りの四階建てで、屋根瓦は青色だ。正面に見えるその建物の奥にも、二階建ての建物などが幾つか並んでいるし、なにより敷地を煉瓦塀が囲っているのでますますお屋敷じみて見えた。
別に秘密主義を通しているのではなく、鍛錬場から物が飛んでも大丈夫なように壁で囲っているだけだとリドに言われたが、なんとなく圧迫感を覚えて緊張し、流衣はますます萎縮していた。一般人には気が重い。心なしか胃がキリキリしてきた気もする。
正面に見えた四階建ての建物に入ると、中は左手に受付らしきカウンターと、右手に雑談スペースなのか食堂みたいにテーブルと椅子が並んでいた。壁にメモ用紙のような紙が貼られた掲示板があり、その前で張り紙を見ている屈強そうな男が数人見られた。奥には階段もある。
ざっと見た感じ、内装はシンプルで、きちんと清掃されていて小奇麗な印象だ。
ウエスタンの酒場をイメージしていた流衣は、それで一気に緊張が減った。
「登録したいんすけど、いいですか?」
しかしリドは流衣には気にも止めず、さっさと受付に向かってしまっている。入口で立ち止まっていた流衣は、慌ててリドの横に駆けていく。
受付は暗い赤色の髪と桃灰色の目をした神秘的な色合いの女性だった。見たところ、二十代半ばくらいだろうか。襟元に深紅のリボンのついた青色の制服を身に纏っている。神秘的といっても目つきは鋭いので柔らかそうな印象はなく、視線だけで敵を射殺せそうな殺伐とした空気を背負っている。
「そちらの小僧もか」
女性がぞんざいに口を開く。
ハスキーな声に、歴戦の猛者かとびびる流衣。こくこくと激しく頷く。
一方のリドは気圧された様子はなく、爽やかに言う。
「そうだ。あと、俺は前に登録してたから、再登録になるけど平気?」
「名前は?」
「リド。サザエナの町で登録してた」
「ちょっと待ってくれ」
女性は束ねた書類をペラペラとめくり始め、該当箇所を見て頷く。
「ああ、一ヶ月ほど登録してたのか。自己申請登録削除だから、再登録は平気だ。だが、ランクはEに戻るが構わんか?」
「ああ、構わないよ」
リドの返答に、女性は頷く。
「一応、簡単なテストもする。そっちの小僧もだ。小僧、こっちに来い。名前を言え」
「はいっ、ルイ・オリベです!」
女性はにやりとした。まるで狼が牙を見せて笑うみたいな笑み。
内心竦み上がる流衣だが、単に笑っただけらしかった。
「良い返事だ。ルイ・オリベだな。見た所魔法使いのようだが、杖連盟には登録してあるのか?」
流衣はきょとんとする。
「杖連盟?」
思わず、女性に聞き返してしまう。
女性は片眉を跳ね上げる。
「何だ、杖連盟を知らんのか? このギルドより三百年古い歴史を持つ、誰かしら一度は耳にする超有名ギルドだぞ?」
「あー、こいつ、ちーっと世間知らずでさ。こないだまで辺境の辺境に住んでたから、ほんと常識欠如してんだわ。俺が一緒に旅してんのも、そういう理由からだし」
苦笑混じりにフォローするリド。まさか違う世界から来たと話すわけにもいかないので、辺境の辺境と随分遠い所から来たことにして言葉を濁した。
「なんだ、そうなのか。それなら仕方ない。魔法使いには常識に疎い奴も多いからな」
それでいいのかとどぎまぎする流衣であるが、あっさりと女性は納得した。
「杖連盟というのは通称でな、本来はラーザイナ魔法使い連盟という。簡単に言えば、魔法使いの集まるギルドだな。
どれだけ魔力が低かろうと、三年に一度開かれる会合に出席することを条件に入ることが出来る。大いなる葉と杖の描かれたシンボルが目印だから、興味があるなら行ってみることだな」
「はいっ、ありがとうございます!」
流衣はきぱっと返事する。
この女性の前にいると、自然と背筋が伸びてしまうのだ。
「あとはリドと同じく、軽いテストをする。それに合格したら登録成立だ」
「は、はいっ。分かりました!」
女性はクスリと笑う。
「そんなに固くならなくていい。申し遅れたが、私はここの受付をしているセンリ・アーノルドだ。よろしくな」
「はい、よろしくお願いします!」
やっぱりがちがちな流衣の返答に、センリはますます愉快そうに笑みを浮かべた。