二十一章 たゆたいの水路 3
「こっちは片付けたぜ」
コンテナみたいな舞台の馬車の横を通り過ぎようとしたら、上からリドの声が降ってきて、ついで、リド自身も飛び降りてきた。リドの声を追うように、馬車の前方からディルが出てきた。他に盗賊の被害がないか調べにいった後、そのまま着替えたのかいつもの白い騎士装束に身を包み、大剣と荷物とを背負っている。
「こっちも済んだ。といってもすることは無かったがな。――荷物だ」
「どういう意味?」
馬車の横の地面に、縄で縛られた黒い服の盗賊が転がっている。それを横目に見ながら、流衣は首を僅かに傾げる。荷物を受け取って背負い、杖を手にしていると、ディルが言いづらそうに頬を掻く。
「――女性は強いな」
「「は?」」
流衣だけでなく、リドも変な顔をした。一体、いきなり何なんだ?
その時、ガイーン! という景気の良い音がして、後方の馬車の扉から黒い服装の盗賊が叩き出された。
「あんた達、何ぼさっとしてんの! さっさと公爵様をお連れして逃げなさい!」
びっくりして振り返った流衣が見たのは、フライパンを手にしたルディーが後方の馬車の横で眉を吊り上げて立っている光景だった。フライパンで目一杯殴られたらしい盗賊は地面でのびている。何となく、ディルの言葉の意味を掴んだ。
ルディーが立っているのはちょうど住居スペースの表口がある所で、そこからわらわらとランスとサジエが出てきた。ランスは頭に鍋を被り、右手に箒を持っており、サジエはザルを被って麺棒を両手で握って身体の前に構えている。
「そうだよ! とっとと行けよ!」
「お前らが逃げないと、俺らも逃げられないだろっ!」
サジエが言い、ランスもまた乱暴な口調で促す。何とも彼ららしい言い分だ。
「――たくましい連中だな」
リドが呆れたように呟き、ヴィンスもおかしそうに小さく笑って言った。
「ふふ、では期待に沿うことにして、行きましょう」
皆、その一言に頷く。
去り際、流衣はランス達を振り返って声をかける。
「ランス達、気を付けて」
「けっ、こんなの日常茶飯事だっ! 心配される程のもんじゃねえ!」
「そうだぞ! お前らこそ気をつけろよっ!」
ランスが居丈高に返し、それに便乗してサジエも叫ぶ。
流衣は二人の声を背中で聞きながら、ヴィンス達の後に続いて雑木林へと走りこんだ。
「ひとまず、ここを抜けて王都に入るしかありません。この林なら、馬も追いつきにくいでしょう」
ビィを先頭にし、雑木林の中を走りながら、リッツがヴィンスに言った。ヴィンスは頷く。
「ええ、そうですね。とりあえず、奴らから離れるのがせんけ……つっ!?」
妙な所で言葉がぶつりと切れた。突然、ヴィンスの右足が地面に沈んだのだ。ぎょっと目を見開いた刹那、一気に足元が崩落した。
「っ!」
「ヴィンス君!」
「公爵様!」
咄嗟に、流衣とディルはヴィンスの両腕をそれぞれ掴んでヴィンスが落ちるのを阻止する。
「落とし穴?」
ビィは足を止めて振り返り、ヴィンスの足元に出来た小さな穴を見て胡乱気に呟く。
――ピシィッ
その瞬間、何かに亀裂が入るような不吉な音が周囲から聞こえた気がし、六人が立っていた地面がぐぼっと抜け落ちた。
「え」
流衣はヴィンスの腕を掴んだまま、声を漏らし、悲鳴を上げる暇もなく他五人とともに地下へと落ちていった。
パラパラと小石と土が天井に開いた大穴から落ちる音が、暗い地下道に響く。いや、地下道ではない。随分上に見える穴からの光で判断するなら、これは地下道ではなく水路だった。
皆、まとまって落ちたお陰か、水路ではなく水路脇の歩道に落ちたようだった。
「リド、助かりました……」
「そりゃどうも」
ヴィンスはリドの背中の上に乗ったまま礼を言うと、不本意ながらクッション代わりになってしまったリドは若干むくれ気味に返した。
「あ、いえ、クッション代わりにしたことではなくてですねっ。咄嗟に風で落下の衝撃を緩和して下さったのでしょう?」
「ああ、高さが分からなかったからな」
何でもないことのようにリドは答え、立ち上がって土埃を払った。
「随分落っこちちゃったみたいだね」
幸いにして尻餅をついた程度で済んだ流衣は、立って天井の大穴を見上げた。高さからして、大体四メートルか五メートルといったところのように見える。流衣達がいる所まで光は降り注いでいるが、穴の前後は真っ暗で何も見えない。
「ここは何だ? 遺跡か?」
ディルの零した呟きに、ビィは首を振る。
「分からない。王都近辺は専門外。分かるのは地上に戻るのは無理なことだけ」
端的なビィの言葉に、場に重い沈黙が下りる。
困った事態にうろたえながら、流衣は少し新鮮な驚きを覚えた。ビィはこういう話し方をするらしい。思えば、彼女とはほとんど言葉を交わしていない。
「――もしかしたら、ここは〈たゆたいの水路〉なのかもしれません」
「え?」
ヴィンスの漏らした呟きに、他の者達は声を揃えた。
「公爵様、それは一体どういう?」
リッツの問いに、ヴィンスは真面目な顔で顎に手を当てる。町娘風の青いブラウスと、黒いロングスカート、白い前掛け、という女装ながら、その仕草は男らしく見えた。男と知らない人から見れば、女にしか見えないだろうが。
「小さい頃、父上から聞いたことがあるのです。我らルマルディー王国が始祖、クリエステル・ルマルディーが、王都を避難する為の地下通路を作らせたという話を。王城のすぐ北には銀鏡湖があります。そしてその水は王都の中を通っているのですが、その水路がどこまで続いているか、あなた方はご存知ないでしょう?」
リッツとビィ、そしてディルは揃って首をひねった。
「――確かに、水路はあるが、途中で見えなくなる」
ディルの独り言じみた言葉に、ヴィンスは頷く。
「そう。当たり前すぎて誰も気付きませんが、水路は地下に続いているのです。そしてそれは途中で小川と合流すると聞いています。二番目の王の時に起きた地震で一部が崩落し、通路としての使用は不可能になったそうです。この水路の名を、〈たゆたいの水路〉というのですよ。水が、光が、音が、それらがたゆたう水の路。この通り暗いですし、音は水音しかしないので、私にも意味は分かりませんけれど」
すらすらと説明するヴィンス。流衣はへえと感嘆の息をつく。
――意味を知りたい? 教えてあげようか?
突然、どこからともなく響いてきた、ガラスで出来た鈴を鳴らしたような涼やかで高い声に、流衣達は揃ってビクリとした。
「誰だ!」
リッツが槍を構えて警戒するが、声はどこから聞こえるか分からない。
――怖がらなくていい、人間の子。わたし、ここの番人だから。王家の血筋がいるから、襲ったりなんてしないわ。
「番人……?」
リッツは眉を寄せる。
すると、少し離れた場所の水路の水面が盛り上がり、人の頭が水から突き出た。
「ひっ!」
その登場の仕方は軽くホラーじみていた。流衣は短く悲鳴を上げて、すぐ側にいたディルの後ろに逃げた。
「……ひとを盾にしないでくれるか」
「大丈夫だよ、ディルなら行ける!」
「何を根拠に」
ディルの呆れたような言葉に流衣が自信をこめて言うと、ますます呆れた顔をされたものの怒ったりはしなかった。
そのままディルの後ろから水の中の頭を見ると、それは人間でも幽霊でもエイリアンでもなく、人魚だった。
薄い青色の肌の、長い金の髪と目をした、十代後半の姿形の人魚だ。額には金の輪を付けていて、両手首にもじゃらじゃらと金の輪の飾りを付けている。耳はヒレの形をしており、尾は緑色の鱗をした魚のそれだ。上半身には白いキャミソールのような服を着ているが、人魚が僅かに動く度にキラキラと白い光の粒が見えて、まるで星空を身に纏っているみたいで不思議だった。スパンコールやビーズの類ではないから、ここでの素材なのかもしれない。
初めは驚いたものの、目が覚める程美しい人魚だった。
――わたしは、アリエス=ティレナ=オルスツビッテ。呼ぶのならば、ティレナと。アリエスという名は特別だから。
ティレナは魅力的な笑みを浮かべた。
「私はヴィンセント・クロディクス・シャノン公爵と申します、美しい方」
ヴィンスが名乗ると、ティレナは不思議そうな顔をした。
――ヴィンセントは男の名前よね? それにあなた、男の匂いがする。でも、女の格好をしてる。どっちが本当なの?
「私は男です。追っ手から逃れる為、このような格好を」
そこまで言って、ヴィンスは女装していることを思い出したのか、盛大に顔をしかめた。
そして、少し失礼を、と言って、いきなりその場で鬘を外し、スカートを脱ぎ捨てた。下にはちゃんと黒いズボンを履いていたらしい。というか恐らく、意地でズボンだけは死守したのだろうと思う。
上が女物のブラウスなので、まるで女性が男装をしているようにも見えるが、ティレナは納得したようだった。
――分かった、男だ。女だったらそこまで潔く脱げない。
……確かに。
他五名、内心で声を揃える。
――王様の末裔、追われているのなら、ここを使うといい。通路は途中までしか使えないけど、水路に潜れば先に行ける。
「ありがとう、では使わせて頂きます」
――いいの。それが私の役目だから。でも、一つ困ったことがあるの。
「何です?」
――崩落地点より先の方に、魔物が棲みついていて通れない。私もそろそろ湖に帰りたいのに、あいつのせいで帰れない。ねえ、どうにかしてくれる? 王様の末裔なんだもん、強いんでしょう?
人魚は期待をたっぷり込めた目でヴィンスを見つめた。金色の目がキラキラと輝いている。
ヴィンスは言葉に詰まった。何せ、実戦経験もない十五の子供なのだ。あるのは試合くらいのものだ。
「大丈夫。そいつ、倒す」
が、ヴィンスが何か言う前に、ビィが一歩前に出て言い切った。
びっくりしたようにビィを振り返るヴィンス。
「公爵様、どちらにせよ上には戻れない。それならここを通り、魔物を倒し、そして安全に城まで行く方がいい」
「そうですね、貴女の言う通りです。そうしましょう」
ヴィンスが承諾すると、ティレナは嬉しそうに肩を竦めて微笑んだ。
――ありがとう、王様の末裔。あの蛙にガツンとかましてやって!
「蛙?」
目を瞬くヴィンスに、ティレナは大きく頷いた。
――そう、蛙。火を吹いたり、氷を吐いたりするの。それに背中に分泌してるねばねばも注意だよ。
「ぜ、善処します」
ティレナの言葉に、一気に自信を失くしたヴィンスだった。