二十一章 たゆたいの水路 2
「ごほごほっ、何事?」
煙に咳き込み、目が痛くて勝手に涙が出てくるのにパニクりながら、事態を飲み込もうと疑問を漏らす。そうしながら、頭の隅で催涙弾もどきかという推論が浮かんだ。
白い煙で視界がきかない中で動けずにいると、突風が起きて煙が吹き飛ばされた。
『坊ちゃん、ご無事ですか?』
声がしたのでそちらを見ると、オルクスが窓辺に止まっていた。どうやら風を起こしたのはオルクスらしい。――勿論、羽ばたいた程度で風が起こるわけもないから、魔法だろう。
「盗賊の襲撃デス」
オルクスの言葉に、まさしくその話をしていただけに血の気が引く思いになる流衣。しかし怖がる以前に、目が痛くてたまらないのでそれどころではなかった。袖口で目元を拭いながら、どうにか食堂内を見渡そうとすると、少し離れた所で鈍い音と誰かの苦鳴が聞こえた。
「リド? ディル? 大丈夫っ?」
「おーう、平気平気」
「こっちもだ」
手をパンパンとはたきながら、リドとディルが言った。その足元には盗賊と思われる黒服の男が二人転がっている。
驚くやら呆れるやらで流衣は声を失っていたが、ふいに後ろでバチッと何かが弾ける音がして、何かが倒れる重い音がした。
「?」
反射的に振り返ると、流衣の背後にも黒服の男が倒れていた。
「え゛」
固まった流衣の肩にオルクスが降り立ち、ふんぞり返る。
『他愛もない。ご安心を、わては高レベルの使い魔。ボディーガードだってこなせるのです!』
「……ど、どうも」
本当に頼りになる使い魔だ。本気で自分つきで良いのだろうかと心配になる。流衣の側にいると、自然と雑用が増えそうだし。
「ったく気配消していきなり背後に立つなよな。驚いて肘入れちまったよ。誰だこいつ」
こっちが大丈夫だと見るや、リドは文句を言いながら、自分が倒した黒服の男の脇腹を爪先で軽く小突いた。そんなリドに、ディルはあっさり返す。
「さっきオルクスが言ったではないか。盗賊なのだろう?」
「分かってるっつーの。俺が言いたいのは、何でただの盗賊がここまで用意周到なのかってこと。気配の消し具合なんて暗殺者ばりじゃねえか」
「確かに、君の言う事にも一理ある」
ディルはふっと真面目な顔になり、床でのびている男達を見下ろす。
「三人とも、こっち!」
人相改めをしておこうかとディルが男のフードに手を伸ばしたところで、窓からひょいとエルナーが顔を出した。そして小さな声でついてくるように催促する。三人は顔を見合わせたものの、非常事態なので年長者に従うことにした。
武器を荷馬車の奥に置いている為、ディルはさっき倒した盗賊の武器をベルトごと拝借し、腰に据えつけた。短剣と長剣を帯びていたので便利だったのだ。流衣は杖がなくても特に支障はないし、常にダガーを一本帯剣しているリドはそもそも武器を調達する必要はない。護衛についてからは貴重品は身に着けるようにしているから、ここで出て行っても問題は無い。
ディルが拾い上げたのを確認してから、流衣は窓から外へと脱出した。その際、窓枠から転げ落ちたのはお約束というやつだ。
「あでっ」
かろうじて顔は打たなかったものの手の平と膝を強打してしまった流衣は、顔をしかめて痛がりながら、何故そこでこけるんだと呆れ顔の友達二人の後ろについていく。
そのまま道端で停まっているピンク色の馬車まで来ると、黒服の盗賊五人と神官達が戦っていた。
「俺ら、あっち見てくる」
手を貸さずとも大丈夫だと判断し、リドはディルと共にその場を離脱し、劇団の他の馬車の方へ駆けて行った。
置いてかれた流衣は、びくびくしながら周囲を警戒する。
ひとまず木陰に隠れて様子を見守っていると、馬車の方で戦闘していた盗賊の一人が、他の者より少し距離を置いた場所で何かを呟き始めた。その右手に黒い文字が浮かんで回転し始めるのを見るや、エルナーが盗賊とアンジェラの直線上に飛び出した。
盗賊の投げた黒い文字の螺旋が飛び、エルナーはそれを右手の平を突き出して受け止める。文字は手に当たると空中で音も無く砕け散った。
「呪いがっ!」
その盗賊が思わず叫んだ瞬間、エルナーは雷の術を使って盗賊を昏倒する。その頃には、他の盗賊はアンジェラやビィの手によって地に伏せられていた。アンジェラの鋭い回し蹴りが決まる瞬間を目撃し、痛そうだと思わず流衣まで顔をしかめた。というか、この二人凄いな。容赦が一切ない。敵にだけは回したくない人達だ。
場が沈静したのを把握すると、流衣は大急ぎでエルナーの方に駆けつける。
「大丈夫? 今、呪いって聞こえたよ?」
「うん、平気だよ。呪いは効かない体質だから」
小さく微笑むエルナー。
そうだった、そういえば呪いが効かないんだったと流衣は頭の隅で呟く。
「おかしいわ。ただの盗賊が闇の魔法を使うだなんて……」
前に拳を突き出すという構えを解き、アンジェラが不可解そうに呟いた。眉間に皺を寄せ、昏倒させた盗賊の一人の懐を探る。
「……これはっ」
じゃらりと鎖のこすれる音とともに出てきたのは、文字をかたどったネックレスだった。
「ネルソフ!」
ほとんど息のようなかすれた声だった。アンジェラは忌々しげに舌打ちする。
「ちっ、王都手前でこれか。腹の立つ!」
優しげな表情を苛立ちに染め、荒い口調でアンジェラは吐き捨てた。
と、その時、中空を切り裂いて黒い雷が馬車を直撃した。
ピンク色の馬車の屋根が吹き飛んだ。それとほぼ同時、馬車内に待機していたエドガーがヴィンスを腕に抱えて馬車から転げ出た。
「何やってるんですか先輩っ! 避けるくらいして下さいよ!」
「無茶を言うなっ、無茶を!」
げきを飛ばすアンジェラに、一応ヴィンスは庇ったらしいエドガーは噛み付いた。爆発の余波か、服が煤けている。しかし目立った外傷は見当たらないようだった。
「劇団に扮してたなんてな、愉快な奴らだぜ」
街道の反対側の雑木林から姿を現した黒服の三人の男が現れ、そのうち、グドナーが喉の奥で低く笑って言った。
そして、グドナーは少女に扮しているヴィンスを見て片眉を上げた。ひどく不思議そうに、傍らの中肉中背の男に問う。
「おい、シーリー。ターゲットは男じゃなかったか? お姫さんなんて聞いてなかったけどな」
「馬鹿じゃないですか、あなた。他の人も変装してるんですから、公爵だって変装してますよ。まさか女装の趣味がおありとは知りませんでしたがね」
シーリーと呼ばれた丁寧口調の男は、小馬鹿にするような視線をグドナーとヴィンスに向けた。
「趣味じゃありません! 失敬なっ!」
思わずヴィンスが反論すると、シーリーは口元を歪める。
「ほら、自分から変装してるって教えて下さいましたよ。決定ですね」
しまった! とヴィンスが身を引く。まさかそう来るとは思わなかった。
「公爵とはいえまだ子供じゃな。あれくらいでムキになりおる」
二人の後ろに控えていた老人が、ふんと鼻を鳴らした。それから、ゆっくりとした足取りで前に進み出た。
「シャノン公爵閣下、宜しければワシらと共に来て下さらんかの。なに、貴方には危害を加える気はない。丁重にお連れしろとの依頼じゃからのう」
「――失礼ですが」
アンジェラはヴィンスを後ろに追いやり、前に出た。顔は微笑んでいるが、茶色い目は笑っておらず、どこか殺気立っている。
「公爵様はとてもお忙しくていらっしゃいますの。あなた方にお付き合いしている時間なんてありませんわ」
おまけにふんわり微笑めば、老人が楽しげに口元を僅かに引き上げた。
「『何者だ、何が目的だ』とは訊かないのだな。前に閣下の側にいた輩はそんなことばかり叫んでいたが? まあ最後は静かになったがのう」
「……っ」
ヴィンスの眉が吊り上がり、怒りの為に頬が紅潮した。護衛の神官達の雰囲気もこの一言で鋭いものに変化する。
「……それはご期待に沿えず申し訳ないわ」
一段と低くなった声で、嫌味っぽくアンジェラが口を開く。
「でも、私達の使命は“公爵様を無事に王城まで送り届けること”ですの。あなた方の意図なんて、正直、知ったこっちゃありませんわ。早々に目の前から消えて頂けます? お怪我をされたくないでしょう?」
ものすごく黒い笑みとともに紡がれる敵愾心満々な言葉に、老人もすっと目を細めて冷たい空気を纏う。
「どうやら、お主らもあの小童どもの後を追いたいらしいのう。――グドナー、好きに遊んで良いぞ。ただし公爵には手を出すな」
「へへっ、分かってるよ爺さん。楽しくなってきた」
獲物を見据えた狩人のように目を光らせ、グドナーは陽気に返す。殺気だった場にそぐわない声音だった。
「――ビィ、リッツ、あなた達は公爵様をお願い。王都まで逃げればどうにかなるわ」
アンジェラが小さい声で指示を出すと、リッツは槍を構えたままで驚いた顔になる。
「えっ、姉さんはどうする気だ?」
「ここまで喧嘩売られて、私が黙ったままでいると思うの?」
「……いつもなら十倍返しだな」
地を這うような低い声での返答に、今までの過去を振り返ってリッツは頬に冷や汗を浮かべた。アンジェラは気合を入れるように右手の拳を左手の平に打ちつける。パン! と景気の良い音がした。
「こっちは任せとけ。なーに、時間稼ぎしたらとっととずらかるさ。お前の姉さんは俺が守ってやるよ」
エドガーは軽いノリでそう言いきり、安心させるように口の端を持ち上げる。
「馬鹿にしないで下さい、先輩。守られるの間違いでしょう?」
アンジェラに殺気だった視線を向けられ、エドガーは顔を引きつらせた。
「さあ行って。あなた達もよ」
アンジェラが流衣とエルナーに言い、しかしエルナーは首を振った。
「僕は残るよ。今日はついてる。ずっと探してた標的を見つけた」
「――え?」
流衣は目を丸くしてエルナーを見た。エルナーは微かに笑みを浮かべる。
「あのお爺さんだよ、僕が探していた〈蛇使い〉って人だ」
「そうなの?」
流衣は困惑しつつ、ネルソフの老人を見る。老人の足元の影で蛇がのたうち、赤い目が光った。何となく思っていたが、本当にあの老人がそうだとは思わなかった。
「僕がいるから悪いようにはならないはずだ。安心して逃げるといい」
「分かった。気を付けて」
ここに残っても足手まといになるだけだ。
流衣は後ろ髪を引かれるような心地を覚えながら、それを振り切ってヴィンス達とその場を離れた。
追いかけてこようとした〈蛇使い〉の前にはエルナーが立ちふさがり、他の二人の前にはアンジェラとエドガーが立ちふさがった。
苛立ったグドナーが初撃を放つや、戦闘が始まった。