二十章 霧の徘徊する町 1
*第四幕 あらすじ*
追っ手の目から逃れ、劇団に潜り込むことに成功した護衛一行だが、通りがかった町フォウナン=トーエでは奇妙な事件が起きていた。はからずも流衣も巻き込まれてしまい……。
この町ではたまに人が消える。
旅人や身寄りの無い者を狙った泥棒や人攫い、そんなものは人目につかない場所などでは日常茶飯事として起きる犯罪事象ではあるのだが、そういうものとは違う。
ときどき、どこからともなく霧が出て町を覆い隠し、その間にどこかで必ず子供が一人消える。それは大抵、五~六歳の子供で、性別は決まっていないようだった。
最初は浮浪者、次は孤児院の孤児、そして今では町の子供や旅人の子供など見境がなくなってきている。
事態を重く見たラーザイナ魔法使い連盟――通称杖連盟は調査に乗り出したが、分かったのは霧が闇魔法の一種であることと、転移魔法をかけあわせた術であることと、そして恐らく術者は相当に腕が良いということだけだった。
お陰様で、大変迷惑なことに、その女は疑われていた。彼女は腕の良い魔法使いで、通り名が〈霧の魔女〉であったので。
本当に迷惑なことだ。だが、証明する手立てがないのも事実。
「腹立つな、本当に」
時計塔の一階のテーブルに頬杖をついて文句を零すと、白い髪と赤目をした、訳あって五年前から見た目が変わらなくなった息子がやれやれと息を吐いた。
ああ、腹が立つ。犯人にも腹が立つし、目の前の息子にも腹が立つ。
こっちは美貌を保つのに必死に努力しているのに、息子ときたら不老なのだから。しかも自分に似て綺麗な顔をしているのがまたムカつく。喧嘩売ってんのか。
「売ってませんよ、いい加減慣れて下さい」
息子が呆れた声で口答えした。
むかっ。
「お茶!」
どんっとテーブルにコップを置いたら、息子は嫌そうに半眼でこちらを見た。
「八つ当たりしないでくれますか。……ほんとに大人気ない人ですね、あなた」
「何か言ったかい? 愚息」
じろっと一瞥したら、息子は仕方がないなあというように肩を竦め、調理場の方に向かった。
ほんとに腹が立つ。
誰か犯人を捕まえて、ついでに息子も家から連れてってくれないものか。
一重に自分の精神の安定の為、女は心の底からそう願い、重苦しい溜め息をつくのだった。
* * *
――雨が降りそうだ。
四角柱の背の高い時計塔は、灰色の空を背にして建っていた。フォウナン=トーエの町の門に入る前からも見えていたその塔の屋根は青色で、ほぼ平坦に近い三角形をしている。鈍い鉄色をした雲は低く垂れ込め、今にも雫が落ちてきそうだ。
コンテナのような、バスのような、そんな細長い形の車輪のついた箱型の居住スペースを牛がゆっくりと引っ張り、ガタガタと揺れる車内から、流衣はぼんやりと空を眺めていた。
白い鳩の群れが時計塔の周りを旋回し、ゆっくりと町の中心部にある時計塔前の小さな広場の方へ降り立っていく。
しばらくすると移動劇団は、町の外れにある広い空き地に着いた。
どこの町もそうらしいのだが、町には、旅一座や楽団、行商などの大所帯になる者達の為に宿泊スペースが設けられている。簡単にいえば、町の中にある野宿用の広場といった感じだ。設備の良い所だとテントが並んでいたり、コテージもあったりするらしい。勿論、安いとはいえお金も取られる。
小さい町だから、移動劇団スカイフローラは一日だけ公演して、明後日の朝には町を発つ予定だという。
急ぎの旅とはいえ彼らには協力してもらっている身だし、移動劇団が公演もしないで通り過ぎるのは不自然すぎる為、特にヴィンスから不満が上がることはなかった。女装だけはやめたいという不満ならあったが。
劇団に紛れ込んだのが功を奏したのか、今の所ネルソフの襲撃には遭っていない。だからのんびりとした平穏な日々が続いていた。
移動劇団スカイフローラは一番奥まった所にある空きスペースに、箱型のステージや居住部分などの馬車を停車させる。
そして、真っ先に団長のクレメンスが馬車から降りる。クレメンスは禿頭と黒いカイゼル髭が印象的な初老の小男で、右目にモノクルをかけている。まるで外国被れの小洒落た喫茶店のマスターみたいな、白シャツと黒いベスト、黒いズボンに茶色い革靴、という格好をしている。少し強面ではあるが、いつも微笑んでいて人の良さが滲み出ているので怖い感じはしない。それもそのはずで、クレメンスは子供好きで、食べていける状況ならば率先して捨て子を拾ってくるのだ。劇を愛し、子供達を育む、いわば劇団のお父さんである。
クレメンスは宿泊スペースの管理人を探しに行き、場所の確認と注意事項を受け、使用料を支払うと、団員達に注意事項を伝えてから解散にした。公演は明日なので、今日は自由に過ごしていいとのことだ。
団員の大人の何人かに、外食するから今日の夕飯はいらないという言付けをされ、流衣は人数を確認してメモしておく。幾ら自由にしてもいいとはいえ食事はするわけだから、流衣には役割があるのだ。だが、夕飯の支度をするにはまだ時間もあるので、折角だから町の散策に出ようと思う。ついでに材料の買出しもしておこう。
ちなみに、今回の劇団に紛れて共に行動するに当たっての劇団への報酬は、団員分の食費とプラスアルファーで纏まったらしく、今の所、リシャウスから経費として渡されているお金から払っているらしい。そちらの分はアンジェラが管理している。
流衣が買出しをしてくる旨を告げたら、アンジェラはリッツを呼んだ。
「リッツ、買出しに行くそうだから、一緒に行ってきて」
「ええー、エドガーさんに頼めば良いじゃないか。俺、まだ馬の世話を終えてないんだ」
リッツは馬が気になるのか、ちらちらと馬の方を見ながら答える。御者席についていることといい、リッツは馬好きなのかもしれない。
「駄目よ。先輩だと、無駄な物まで買うんだから」
アンジェラは流衣に向き直り、にっこり笑う。
「荷物持ちと思って、扱き使っていいからね」
「はあ……」
言うだけ言うと颯爽と身を翻すアンジェラ。姉の強さを見た気分だ。
「ちぇ、姉さんには参るよ。扱き使うの上手過ぎだ」
リッツはやれやれと首を振る。慣れっこで諦めたといった感じだ。
流衣は申し訳なさ全開で謝る。
「すいません、僕一人でも良いんですけど」
「いやいや、財布の管理してんのがこっちなんだから仕方ないさ。それにどう見ても、君一人じゃ荷が重い。俺がいてもきついな」
二十人近い食料の多さは伊達じゃない。
「じゃあリドとディルにも頼みます」
「いや、それはやめといた方がいい。ネルソフに目ぇ付けられてるし、出来るだけ人目に付かないように、二人には言ってある」
「そうなんですか」
それは知らなかった。
「じゃあ私が手伝う!」
居住スペースの箱の表口から、ぴょこっとジェシカが顔を出した。にこにこしながら流衣に纏わり付いてくる。すっかり懐かれたらしい。
「ははは、ありがたいけど、チビちゃん一人じゃな」
リッツは笑い、かといって純粋な好意を跳ね除けるのも悪いと思い、躊躇したように困った顔になる。
「ジェシー、偉い! 私も行くわ。勿論、ランスとサジエもね」
裏口からルディーが顔を出した。両手にランスとサジエを引きずって。
「放せよ、男女―!」
「何で町に来たのに手伝いしなきゃなんないんだよー!」
少ない小遣いで菓子屋を覗くつもりでいた二人の少年は、必死で抵抗している。
「あんた達、今後も味のする料理を食べたいんなら、材料を買うのも見ておかないと無理でしょ! あんた達はまたアレに戻りたいの!?」
ルディーの一喝に、ランスとサジエは揃って顔色を変えた。確かにルディーの言う通りだ。大人達は食べられればいいとあまり気にしていないが、子供達にはあの味は耐えられないのである。
「分かった、手伝いマス!」
「当然だよ、ルディー姉さん!」
二人はがらりと態度を変え、びしっと言い切った。
『坊ちゃんー!』
そこで、流衣達が出かけると聞きつけて、今はピンク色に塗りたくられている馬車の方からオルクスがすっ飛んできた。
流衣が動物は調理場に立ち入り禁止宣言をしたので、一人しょげ返りつつ、普段はヴィンスや神官のいる馬車にいたのだ。元々人数分の余裕しかないスペースなので、移動中は神官も馬車の方にいるしかない。リドが屋根の上を定位置に決めてしまったのも、その狭さ故である。
「あ、オルクス。朝ぶり」
流衣は右手をオルクスの方に伸ばす。すると、右手の人差し指の甲に、羽音をさせてオルクスが舞い降りた。
『お久しぶりです。坊ちゃんはほとんど調理場にこもってらっしゃるから、わては寂しゅうございます!』
ここぞとばかりに主張するオルクス。
流衣は苦笑する。
会う都度、この台詞を聞かせられている。
「うん、ごめんね」
そしてその度、流衣もそう返す。
流衣はひょいとオルクスを肩の方に移動させる。ジェシカがオウムさんだと目をキラキラさせて見上げているのが微笑ましい。しかし、劇団に来てすぐ、散々子供達に構われてオルクスは子供が苦手になったようで、今では寄り付こうともしないので、触らせてあげるわけにもいかない。
「それじゃ行くか」
リッツが言い、皆頷いた。
フォウナン=トーエは中規模な町で、ポロックよりは大きい町のようだ。
前にもこの町に来たことがあるらしいルディーの話だと、週末の昼時だけ小鐘演奏があり、その時は町中に鐘の音が響くらしい。塔の一番上辺りにオルガンが置いてあって、その鍵盤を叩くと、天井に付けられている小鐘が振られて音が鳴るらしいのだが、ルディーも見たことはないのだとか。
ここでは一週間は六日だ。光・火・水・木・風・地の曜日があり、光の曜日は「始まりの光」で、地の曜日は「眠りの地」と呼ばれているのだとか。日本でいうところの日曜日が地の曜日らしいが、地の曜日に休みをとるのは貴族やお金持ちくらいなもので、一般人はほぼ毎日働いて、時々休みを取るくらいだそうだ。そうしないと食べていけないから、らしい。
流衣はリッツ達に先に断り、魔法道具屋に寄らせてもらうことにした。
(ここにも出回ってるのか……)
三つある魔法道具屋のうち、二つに闇の靄が見えた。リシャウスに貰ったペンダントが効いているのか、前みたいに気分が悪くなることはないが、あまり良い気はしない。
「ルディーさん、そっちじゃなくてあっちが良いと思います」
大きな店の方に興味を覚えて入っていこうとするルディーを引きとめ、流衣は小ぢんまりした店の方を指す。
「ええー、あんな小さな店にするのかよ」
ランスが不平な声を上げる。ルディーも似たような顔をしているが、流衣は首を振る。
「あの店はちょっと」
どう悪いのか、見えない人に説明するのは難しいので、強引に言い切られる前にと小さい店の方に向かう。
チリリン。
ドアに付けられていた鈴が鳴る。
見た目の通り、小さな店だった。駄菓子屋みたいな小ささだ。カウンターの上で丸くなっていた黒猫が来訪者を煩わしげに見、ニャアと奥に向けて鳴く。
「おやまあ、いらっしゃい。久しぶりのお客さんだこと」
背中の曲がった小さな老婆が杖を突きながら顔を出す。
老婆はにこやかに問う。
「何をお探しかしら?」
話し方といい雰囲気といい、とても上品な老婆だ。ただし、全身真っ黒のローブを着ていて、小さな鼻にちょこんと丸眼鏡を乗せ、少しふくよかな、どう見ても御伽噺の魔女そのものである。
流衣は魔昌石を作りたいという旨を申し出て、一つ試作してくれたら考えると言われたので、自分の持っている昌石を魔昌石に変えて見せた。
「あらまあ、うちを選ぶなんて変わってると思ったら、目の良い方だったのね」
老婆は少しだけ驚いて、またにっこりと微笑む。納得したようにしきりに頷き、幾つかの昌石を示した。
流衣がそちらから三つを魔昌石に変えると、老婆は黒猫に魔昌石の入れた袋の手紙を託す。すると黒猫が店を出て行き、五分くらいで戻ってきた。
「はい、こちら代金ね」
流衣は代金を受け取りながら、首を傾げる。
「その猫って使い魔なんですか?」
「ええそうよ。あら、お客さん、何か落としましたわよ」
これで変装の分のお金にはなるかなあと思いながらお金を財布に入れていたら、鞄からポトリと物が落ちた。前にフラムに餞別で貰った身代わりのお守りだ。
それを見て、老婆は目をキラキラさせた。
「まあまあ、それをよく見せて。まあ、フラムのお守りじゃないの、間違いないわ」
「フラムさんとお知り合いなんですか?」
「ええ、そうよ。昔、同じ師匠に弟子入りしていたの。いわば兄妹弟子ね」
老婆はカウンターでまた丸くなった黒猫の背中を撫でながら、懐かしげに言う。
「最近、妙な物が出回っているのをご存知? ええそう。あれを見分けて取り込まれない職人は随分減ってしまったわ。お店を見分けられる魔法使いもそうね。皆、平和呆けしているのかもしれないわね」
にこにこしながら、老婆は痛烈な毒を吐いた。
後ろでリッツがたじろいだ空気を感じる。
「あなた、フラムの店を選ぶなんてなかなか見る目があるわ。彼、師匠の弟子の中で一番の腕だったのよ。あら、私はどうかって? 嫌だわ、私は二番目よ。おほほほ」
老婆は素敵に微笑みながら、二番目だと豪語した。
ひとしきり笑い、やがて満足したのかふと微笑みを下げ、真面目な顔を作る。
「お連れさんもよく聞いて。杖連盟からの注意なのですけど、最近、この町ではたまに人が消えるの。消えるのは子供だけなのだけれど、あなた達も十分気を付けなさい。霧が出てきたら建物の中に逃げるのよ」
「霧……ですか?」
流衣は目を瞬いた。
最近、よく聞く単語だ。
「そうよ。ああでも、この町に住んでいる〈霧の魔女〉は良い方だから、何かあれば頼るといいわ」
疑問符を飛ばしまくる流衣に、老婆はやんわりと微笑んだ。
「小せえのに強烈なババアだったな……」
「“お婆さん”でしょ! 汚い口きかない!」
ぼそりと呟いたランスに、ルディーは鉄拳を振り下ろす。ランスは唸り声を上げて頭を抱える。
「でも変なの。霧から逃げろっていうのに、霧の魔女は良い人なんてさ。意味分からないよな」
サジエの言い分に、流衣やリッツは頷く。
確かに。矛盾しているように思える。
「霧と霧の魔女は関係ないとか?」
リッツが僅かに首をひねる。相変わらず、目が細すぎて開いているのか分からない。この人の目の色ってどんな色をしてるんだろう。流衣は不思議に思う。
「それにしたって、きっと普通じゃないとは思ってたけど、君も大概すごいな」
「はい?」
やたら頷かれて言われても、流衣には謎だ。
「どの辺がですか?」
「さっきの魔昌石、あれを見れば大体分かる」
流衣はちょっとたじろぐ。
「ああいうことってしない方が良いですか? 作ったのを売った方が目立たないのかな」
「そうだな。腕の良い魔法使いに貰ったとでも言って、売った方が目立たないだろうな」
リッツが同意したことで、流衣は考えを直す。自分ばかり利益が出るのが何となく申し訳ない気がしてあの形を取っていたが、目立つのは嫌だ。妙に期待されて、勝手に失望されたりするのがどうしても苦手だ。それなら、最初から何とも思われない方が良い。
その後、流衣は書店にも立ち寄らせてもらい、中級の魔法の教本とレシピ本を買ってから、適当に買出しを済ませて劇団の方に戻った。
レシピ本を捲って選んだ煮込み料理を作ろうと、調理台であるテーブルの横にある椅子に座って根菜類の皮むきをしながら、流衣は町で聞いた話を思い返した。
霧の魔女というのは、時計塔に流衣と同年代くらいの息子と住んでいる魔法使いのことらしい。彼女は、以前は町の金持ちの商人のところに嫁いでいたのだが、生まれた息子が災厄であるという占いを受けて屋敷を追い出されたのだそうだ。妾の陰謀らしく、町の者の間では割と有名な話らしい。そして魔女はそれを恨んで、ときどき霧に紛れて人をさらい、魔法の実験台にするのだと町の人は言っていた。わざとらしい身震いつきで。
(結局、魔女は悪い人なのかな?)
前の旦那を恨んで、どうして無関係の人を攫って実験台にするのだ? ストレス解消にはなるのかもしれないが、それならその旦那や占い師や妾の誰かを実験台にした方がすっきりしそうな気がする。
そもそもその話が正しいのか分からないが、町の人は人攫いの原因がその魔女にあると思いこんでいるらしいのは分かった。
「何これ!」
突然ルディーの声が割り込んで、流衣はびくりとした。危うく指に向けてナイフを走らせかけた。危ない危ない。
「な、なんですか?」
いつの間にそこにいたのだろう。ルディーはレシピ本に目を釘付けにしており、パラパラと本を捲っている。やがて感嘆の息をつく。
「こんな物があるのね……」
「レシピ本のことですか?」
何にそんなに驚いたのか、ようやく合点する。
「ええ、そうよ。こんなのがあるって知ってたら、あんな料理にならなかったのに!」
物凄く悔しそうだ。歯がギリギリ鳴っている。
女の子がそんなことをして良いのだろうか。
「ルディーさん、あんまりすると歯が欠けますよ」
そっと注意すると、ルディーはパッと顔を赤らめた。
「あら嫌だ、私ったら。おほほほほ」
ごまかし笑いをするルディー。流衣は曖昧に笑い、レシピ本のページの一つを示す。
「今日はこれを作ろうと思うんです」
「そうなの? ねえルイ君、これってどう見れば良いの? 教えてくれる?」
「はい、いいですよ」
初めてレシピ本を見て読み方を教えるようせっついてくるルディーに、流衣は考え事を放置してそっちをまず片付けることにした。