十八章 襲撃者 2
リーネクラウの森は穏やかな日差しの降り注ぐ、明るい森だ。豊穣の月も半ばである為、木々には実がなり、黄や茶色へと色を変えつつある草花にも小さな花や実がついている。鳥達のさえずりが響き、長閑な気分になる。
「ごめ……すみません、護衛なのにこっちにいて……」
エドガーの隣りにちょこんと座り、流衣は目の前にいるヴィンスに謝った。
馬車の中は四人がけになっていて、座席はふかふかでクッションが備えつけられている。座席間がきつきつというわけもなく、足もゆったり伸ばせる。
本物の馬車に乗ったのは、当たり前であるが人生初だ。
「仕方ないですよ、馬に乗れないんですから……」
ヴィンスはクスクスと笑いを零す。
――そうなのである。
現代っ子で、しかも平凡なサラリーマン家庭で暮らす流衣に乗馬など出来るはずもなく、馬車に同乗させてもらうことにしたのだ。
ディルは貴族の教養で馬には乗れるらしいし、リドは盗賊団にいた頃に牛馬の面倒をみさせられていたらしく、世話も出来るし乗ることも出来るんだとか。そうなのかと驚くやら複雑やらな気分になっていたら、農家に生まれればたいてい世話も出来るし乗れるものだと教えてくれた。使える移動手段が徒歩かそれらしかない上、税物を納めるのにも牛に荷馬車を引かせるのに使う為、操れるように親から教わるものらしい。
が、それでも操作できない人もいるわけで、大きな町なら乗り合い馬車があったりするし、まあ乗れなくても問題はないんじゃないかと言われた。
そうと分かっても、当たり前のように出来る人を前にすれば出来ないことに落ち込むのも道理である。
「もしや、ルイはお国じゃ身分の高い方なんですか?」
「え? まさか! 僕の国にはそもそも身分制度がない……ありませんし」
流衣はぶんぶん首を振って、そう答える。
「身分制度がないのですか? ではどうやって国を動かすのです?」
ヴィンスが目を丸くし、ディルと似たようなことを聞き返してきた。
「えーとね、僕の国は選挙で選ばれた人が国会っていう会議で話し合って決める形かな。他にも色々と細かいんだけど、ええと、上手く説明出来ない……」
「つまり代表者が話し合いで国を動かしている、ということですか?」
「うん、まあそんな感じ……です。でもえーと、何で? 僕が身分高いって思ったの……ですか?」
同年代相手に敬語を使いにくく、つっかえ気味に敬語を使っていたら、ヴィンスはまたクスクスと笑う。
「普段通りの話し方で宜しいですよ。そうですね、そう思ったのは、『馬に乗れずば馬車に乗るべし』ということかと思いまして」
「?」
首を傾げる流衣に、横からエドガーが説明する。
「馬に乗れないなら馬車に乗ればいいって、馬術が苦手な昔のお偉いさんが言ったんだよ。つまり馬車に普段から乗れるような身分を指すってこと」
「ああ、そういうことですか」
なんだか、『パンが無いならケーキを食べれば良いじゃない』と言っていたマリー・アントワネットを思い出す文句である。馬車云々の方が、必死の言い訳みたいで面白いが。
「えーとね、そもそも僕の国じゃ、馬を見かけることなんてそうないんだよ。見れてもテレビに映る競馬とか、動物園や遊園地なんかに行かないと見れないし……。普段は自転車かバスか電車を使えば事足りるから。父さんや母さんがいれば車も出してもらえるし、遠い所に行こうと思えば飛行機を使えば……、あ、ごめん、分からないよね?」
ぽかんとしているヴィンスとエドガーに気付き、流衣は苦笑する。
「競馬はともかく、ジテンシャやバスとは? それにヒコウキとは??」
「ええとね……」
質問してくるヴィンスに、こういう物だと必死に説明する。実物がなければ分かりにくいというか、そもそも理解してもらうのは不可能だ。
仕舞いには、「鉄が空を飛ぶなんて、素晴らしい魔法使いがいたものですね」と感心されてしまい、誤解を解くのは諦めた。
もういいや、そういうことにしておこう。
「ところで、ヴィンス君ってどうして神官服着てるの?」
話が一通り終わり、気になっていたことをぶつけてみる流衣。
「こちらの方が、良いごまかしになるかと思いましてね。それに動きやすいですし」
にっこりと微笑むヴィンス。
理由が動きやすいからというのは、なんとも勇ましい。長剣を腰に佩いているということは、剣術にも覚えがあるのだろう。
とても同じ年頃とは思えない。
感心していると、急に馬車の揺れが止まった。
さっそく賊が出たのかと馬車の中に緊張が走る。エドガーが柄を半分から取り外した短槍を握り、御者席との連絡用の穴を覗き込んでリッツに問う。
「……どうした?」
「急に霧が出てきたんだ」
言われてみれば確かに、霧が立ち込めていた。エドガーは眉間に皺を寄せる。
そこへ馬の足音が近付いてきて、馬車の横に並んだ。アンジェラだ。
「霧生みの時間のようです、問題はありませんのでご安心を」
「分かりました、ありがとう」
ヴィンスが答えると、アンジェラは馬首を返し、後方へと戻った。
馬車の隊列は、徒歩のビィが先頭で斥候、右と左をリドとディル、しんがりをリーダーであるアンジェラが務めている。
「霧生みの時間って何ですか?」
エドガーの方を向き、流衣は首を傾げる。
「リーネクラウの森はな、普段は穏やかな森なんだが、一日に朝と夕の二回、どこからともなく霧が出るんだ。一時間近くはそのままで、また何事もなかったみたいに消えるんだよ。不思議だろ?」
「そうなんですか……」
流衣はそう呟き、窓から外を覗いた。
が、流衣の目には普通の森が広がっているように見える。
霧?
不思議に思い、もう片方の窓からも覗いてみる。やっぱり、どこにも霧なんて見えない。それに、馬車が街道から反れて森の方へと進んでいく。
「あの、どうして森の中に行くんですか? それに、霧なんて見えませんが……」
「何?」
エドガーは窓から外を見た。やはり霧が漂い、街道が続いている。
「俺にはこっちが街道で、霧が漂ってるように見えるが」
流衣はそう返されて不安になった。自分がおかしいのだろうか?
「わてにも霧は見えませんガネ」
オルクスがそう口を出すと、今度はヴィンスが怪訝な顔になる。
「どういうことなんでしょう?」
「…………」
エドガーは無言で考え込み、すぐにリッツに馬車を止めさせた。
アンジェラを呼び、エドガーは流衣とオルクスを振り返る。
「さっきと同じことを言ってくれ」
「? 一体どうしたっていうの?」
再び馬車の横に並んだアンジェラが、窓から顔を覗かせ、片眉を跳ね上げて訝しげにエドガーを見る。
流衣も首を傾げつつ、さっきと同じことを言う。
「どうして森の方へ行くんですか? あと、霧なんて僕らには見えないんですが」
そうはっきり言うと、どこか遠くでパキンと何かが割れる音が響いた。
驚いて周囲をきょろりと見回す流衣。
流衣の目には何の変化もなかったが、他の人間達にはパッと霧が霧散して見えた。しかも、気付けば街道から僅かに反れた森の中にいる。
「何です、これは」
「どういうことだ?」
ヴィンスとエドガーはそんな周囲の変化に驚き、アンジェラは顔に似合わない舌打ちをする。
「ちっ、やられたわ。どうやらあちらさんには闇属性の魔法の使い手がいるみたいね」
アンジェラは窓を閉めさせると、周りに命令を飛ばす。
「リッツ、馬車を街道に戻して! 他の皆は馬車が街道に戻り次第、飛ばすわよ! 馬車の中の皆さんは椅子から落ちないように物にしがみついて!」
すぐさまリッツは馬首を返して馬車を街道に戻し、ビィが自分の座っている御者席の隣りに座ったのを確認してから、思い切り手綱を振り下ろした。
馬はいななき声を上げ、街道を疾走し始める。
「しがみつけって、一体、ど、どど、どこにっ」
ガタガタと揺れる車内で、しがみつく所などない為、とりあえず壁に張りつきながら、流衣は言う。
「口は閉じておいた方がいい、舌を噛むぞ」
エドガーの親切な提案に、流衣はすぐに従った。確かに、この状態なら確実に噛む。
よく分からないが、危険が迫っているのだということは空気で分かった。
一体、襲撃者はどんな人達なんだろう?
流衣の声とともに、霧が弾け飛ぶように霧散したのには驚いた。
これがどういう事態なのか今一判断がつかないが、恐らくあの霧は襲撃者の罠だったのだろうと仮定する。
馬車の左横を馬で並走しながら、周囲に気を配る。
(来る!)
リドは風切り音を確かに拾い、左手を見る。
ほぼ反射で風を操り、飛んできた矢の軌道を反らす。
ズドッ!
矢は見当違いの方に飛び、地面に深々と突き刺さった。
「精霊、頼む!」
街道を疾駆しながら、リドはいつも側にいる風の精霊に頼む。
――勿論よ、私達の可愛い子
――大切な子
風の精霊達が返事をして旋風を起こし、射手めがけて攻撃する。
茂みの中で男の悲鳴が聞こえ、ドサリと何かが落ちる音がした。攻撃された拍子に、射手が木から落ちたようだ。
「他にもいないか探してくれるか?」
リドが虚空に呼びかけると、精霊達の幾つかはヒュウと風音を鳴らし、リドの側を離れて四散する。
そして精霊達はすぐに戻ってきて、サワサワと囁くような声で言う。
――先の方、百エナ・ケルテルに
――魔法使いが一人いるわ
――嫌な感じ!
――闇の匂いが濃いのよ!
そう騒ぎ立てる精霊達にリドは礼を言い、馬のスピードを落としてアンジェラの馬に並ぶ。
エナ・ケルテルはケルテルの百倍の長さの単位だ。
「アンジェラさん、百エナ・ケルテル先に魔法使いが一人いる。精霊が言うには、闇の匂いがするらしい!」
「分かった、私が相手をするわ! あなたはしんがりで後方からの追っ手がないか見て、周りに伝令をお願い」
「了解!」
リドの返事と同時、アンジェラは馬のスピードを上げ、ぐんぐんと前に進んでいく。
そして馬車の前に出ると、魔力を練り始める。
先方、杖を構えている黒ローブ姿の魔法使いを目にとめた瞬間、叫ぶ。
「火、荒ぶりて敵を滅せ! ドーゴ!」
空気を震わせる爆発が起こり、黒煙が巻き起こる。
その煙の中を駆け抜け、あっという間に魔法使いを振り切った。
どういう意図での襲撃か問い詰めたいところだが、今回の任務は原因追求ではなく護衛である。いちいち立ち止まる必要はない。
アンジェラはまた馬のスピードを落とし、リドの横に並んで走る。
「追っ手はどうかしら? 風の〈精霊の子〉さん?」
「三騎追ってきてる。でも、このまま振り切れば問題なしかな」
「分かったわ、ありがとう」
アンジェラの言葉とともに、リドは最初の持ち場に戻る。
そして、ひたすら街道を駆け抜けた。