十八章 襲撃者 1
夜が明けてすぐの石畳の街並みには、ひんやりとした空気が漂っていた。
まだ空は仄かに明るい程度だが、白く滲んだ空は快晴だ。
流衣はそんな朝の空気を胸いっぱい吸い込み、眠さにしょぼつく目をこすりながらリド達とともに神殿へと向かう。歩いているうちにだんだん頭がはっきり起きてくる。
火の神殿ヒノックの玄関口まで来ると、そこにはすでに神官が五人待機していた。二頭立ての馬車が一台置かれていて、馬を配置したり荷物を運び込んだりしている。他にも鞍の置かれた馬が四頭用意されている。栗毛色の馬だ。
そのうちの一人、リシャウスは流衣達の姿を認めて破顔し、右手を上げる。
「お早うございます、皆さん」
三人はそれに挨拶を返しながら、荷馬車の方へと駆け寄る。
「もしや遅れてしまいましたか?」
「いえいえ、まだ準備中ですから大丈夫ですよ」
遅刻を心配してのディルの問いに、リシャウスは首を振る。
「待っている間、紹介をしておきましょう」
リシャウスはそう言って、他の神官四人から一人を手招く。
臙脂色の男物の神官服を身に付けている細身の女性が一人、流衣達の方にやって来る。ウェーブのかかった長い茶色の髪を後ろの方でバレッタを使ってまとめ、同色の柔らかいブラウンの瞳をした彼女は、顔立ちも優しげだ。他の神官達が武器を携えているのに対し、彼女だけ何も持っていない。
「彼女はアンジェラ・リーベルです。今回の護衛のリーダーとなりますので、何か質問や気になることがあれば、彼女にご相談下さい」
「アンジェラです、どうぞよろしく」
アンジェラは右手を左胸に当て、ふわりとお辞儀をする。
彼女は二十代前半くらいの、動物に例えるなら栗鼠っぽい感じの雰囲気をしている上品な女性である。それに砂糖菓子みたいな甘い空気をしていて、成人した女性に使うのもなんだが可愛らしい人だ。
「ルイ・オリベです」
「リドだ」
「ディルクラウド・レシムと申す」
三人もそれぞれ名乗り返す。
挨拶が済むと、リドは怪訝な顔でアンジェラに疑問を投げた。
「気を悪くしないで欲しいんですが、どうしてあなたがリーダーなんですか? 武器持ってねえし、言っちゃ悪いけど、ちょっと叩かれただけで折れそうな感じがしますけど」
アンジェラの方はそれを聞くと、花を撒き散らすような笑顔を浮かべた。
「嬉しいこと言ってくれるわね。ふふふ、でもね、大丈夫よ」
「そーそー、アンジェラは俺らの中じゃ一番強いからね!」
馬の面倒を見ていた、ゆるくウェーブのついた茶色い長い髪を首の後ろで一つに束ねた男が、振り返ってそう言った。二十代半ば位の青年だ。あははと金茶色の目を細めて緩く笑う様は、軽い性格のように見える。この人もまた臙脂色の制服を着ており、馬車の側面に槍を立てかけていた。彼の武器なんだろう。
彼の発した言葉とともに、アンジェラの笑顔にピキリとヒビが入った。笑顔のまま、だんだん眉間に皺が寄っていく。
「おい、やめとけエドガーさん。また姉さんに半殺しにされても知らないぞ?」
荷馬車の後部に荷物を詰め込んでいる短い黒髪の男が軽口を叩く。目が細すぎて閉じているように見えるが、多分開いているはずだ。年齢は二人よりは低めで、二十歳前後というところか。
身長はエドガーと呼ばれた男より若干低いくらいだが、175センチくらいはあるだろうと思う。彼もまた、馬車の側面に槍を一本立てかけている。
「…………自爆ね」
階段口に立っていた女が、そんな二人にぼそりと呟く。
彼女も黒髪の青年と同じくらいの年齢に見えるが、種族も服装も若干違っている。本来、人間の耳が生えているはずの場所に黒い獣耳――猫耳だろうか?――が生えている。他は人間と変わりない姿形だ。
少し青みがかって見える黒髪をショートにしており、目は紺に近い青色で、ちょっと吊り目がちだ。上着は同じ臙脂色の制服なのだが、臙脂色のショートパンツをはいている。そして、そのすぐ裾につくかつかないかギリギリの高さまでの黒いハイソックスをはいていた。ただし靴はアンジェラと同じ、臙脂色の布製のブーツである。更に、何故か彼女だけ、白い毛糸のマフラーを首に巻いている。
まだ秋なのに、と、流衣はまじまじとマフラーを見てしまう。そしたらじろっと見られた。まるで「じろじろ気安く見てんじゃないわよ、クソガキ」という目で。被害妄想でなければ、多分。
気のせいか四人の中で一番気性が荒そうだ。腰にスローイングナイフが幾つも装着されたベルトと、中剣を提げているのからも然り。
「ふふふふ、やだわ、先輩ったら。私、そこまで強くありませんわ」
アンジェラはどこか黒い笑みをにこにこと湛えながら、楚々とした足取りでエドガーの側まで歩いていき、そしてエドガーの前に立つなり閃光のごとく身を翻した。
次の瞬間、ゴッという鈍い音がして、エドガーが地面に倒れた。
素晴らしい速度で上段回し蹴りを放ったアンジェラは、ふわりと静かに両足を揃えて立つ。
うふふ。頬に手を当てて、可愛らしく微笑むことも忘れない。
「私が強いんじゃなくて、先輩が弱すぎなんですわ」
流衣達はその光景に度肝を抜かれた。
この場合、正確にはアンジェラが強すぎなのでは?
「ててて、ひどいよアンジェラ。出発前に蹴り入れなくても」
あんな強烈な蹴りを側頭部にくらいながらも、しばらく地に沈んだだけで身を起こすエドガー。
「……アンジェラさんも凄いが、起き上がるエドガーさんも凄いな」
ディルがぽつりと呟く。
確かに。
流衣は頬に冷や汗をかきつつ思う。
「ははは、この通り、我が神殿一の手練を集めましたからな。まあ心配はいらぬでしょう。ちなみに、今蹴倒された男がエドガー・ライサンで、そっちの彼がアンジェラ君の弟のリッツ君だ。で、あっちの亜人の女性はビィ・ホルテンス。彼女は亜人らしく寒さに弱くてな、旅の間は少し気遣ってあげて欲しい」
……本当にすごいのは、あの光景を笑って流せるこの人かもしれない。
朗らかな笑顔で紹介までしてのけたリシャウスに対し、流衣は初めて畏敬の念を覚えた。
「分かりました」
ディルは三人の中で代表して返事をし、それから苦笑する。
「ところでリシャウスさん」
「はい」
「昨日、頂いた石なのですが。あれ、どうやら竜の卵だったらしく」
そう言って、ディルは昨日と同じように上着の中に入れていたノエルを取り出す。他の所だと潰しそうだし、表に出すわけにもいかないかららしい。
ノエルが出てきた瞬間、場の空気が凍りついた。
「ぬぁっ、りゅ、竜の子ーっ!」
パニックに陥りかけたリシャウスに、オルクスが冷静に言う。
「大丈夫ですよ、わてが封印をかけておきました。ノエルはディルを親と認めていますし、使い魔として飼わせることにしたのです」
「オルクス様! そんなことが出来るのですか!?」
ぎょっと目を剥くリシャウス。
迫力が増して怖い。
「制約ギリギリでしたがね、疲れましたが出来ました。だから心配はいりませんよ」
「さ、左様でございますか。流石は第三の魔物様でいらっしゃる……」
ポケットから取り出したハンカチで額に浮かんだ冷や汗を拭いつつ、感心しきりで頷くリシャウス。
「まあ、ではそちらのオウムが、昨日伺ったお話の使い魔様ですか? お会い出来て光栄でございます、どうぞ宜しくお願い致しますね」
アンジェラは一礼してから、両手を組んで祈りまで捧げる。気付けば、他三名の神官も祈りを捧げている。
「オルクス、すごいんだね……」
流衣は呆然と肩の小さな友人を見やる。
本当に僕なんかの使い魔でいいのかな、と、少し心配になる。
「どういたしまして」
しかし流衣の心境などお構いなしに、オルクスは嬉しげに黒い目を細めた。
「どう見てもただの小うるさいオウムなのにな」
リドは信じがたそうにオルクスを見やって言う。
「いちいちうるさいのはそっちでしょうガ!」
すぐさま反応し、言い返すオルクス。
「はいはい、喧嘩しない喧嘩しない」
朝からこれだと疲れてくる。
睨みあいが始まる前にと、急いで宥める。
「皆さん、お早うございます」
と、そこへヴィンスが現れた。腰に長剣を携え、どういう訳か臙脂色の神官服を身に着けている。
ヴィンスが挨拶した途端、その場の全員が地面に膝をついて頭を下げたので、流衣も慌てて同じようにした。
「お早うございます、殿下。よく休まれましたか?」
リシャウスの問いに、ヴィンスはにこりと頷く。
「ええ、手厚いもてなし、ありがとうございました。これから王都までどうぞ宜しくお願いしますね」
「はっ!」
リシャウス以下全員が声を揃える。
流衣だけはついていけず、口パクだ。
「貴方がたも、護衛を引き受けてくれたということで、嬉しいです。不謹慎とは思いますが、少し楽しみです」
ヴィンスは楽しげにそう言うと、馬車に乗り込んだ。
中は四人がけになっているらしく、側控えの護衛なのかエドガーが乗り込む。
アンジェラは用意されていた馬に乗り、リッツは御者席に陣取り、ビィは徒歩のまま前の方に向かう。
「貴方がたはこちらの馬をお使い下さい」
そう言われた流衣は、途方に暮れた顔で馬を見つめた。