十七章 卵
神殿を出て、店の集中している通りを歩きながら、適当に食料や水を調達したり、魔法道具屋を探して魔昌石を作って路銀稼ぎをしたりして一通りの用件を片付けた頃、前触れもなくディルが笑い出した。
「はははは!」
唐突に笑い出したディルを、リドは不気味そうに見る。
「何だ、どうした? 拾い食いでもしたのか?」
「はははっ、そんな意地汚い真似はせん! はははは、なんだ、くすぐったい!」
そこで流衣はディルの上着の、ちょうど脇腹の辺りが少し膨らんでいて、そこがモゾモゾ動いているのに気付いた。
「そこ、上着の中に何かいるみたいだよ?」
「何? ははっ、おかしいな、ここにはさっき文鎮を入れたはずだが……」
はははっ、とまた笑いながら、上着の中に手を突っ込んで、ディルは動いているそれを引っ張り出す。
いや、だからあれって文鎮なの? と問おうとした流衣であるが、出てきたものを見て動きを止めた。横でリドが息を呑んだ。
「ピギャッ」
可愛らしい鳴き声を上げたそれは、リスくらいの大きさの小さな――。
『竜ですね』
何気なくオルクスが呟き、流衣はあわあわとそれを指差す。
「なっななな何でどうして」
数秒固まって真っ白な体躯に水色の目をした竜の子供を凝視していたディルだが、すぐさまズボッと上着の中に押し込み直した。むぎゅっと潰れた声がしたが気にしない。
町の人に見られでもしたら大騒動だ。
動作は冷静だが、しかし頭の中はパニック寸前である。
「どうやらあの石、竜の卵だったみたいですね」
オルクスがさらっと言い、ディルは愕然とした顔になった。何でと言いたげに青い顔で口を開閉させるが、ショックが大きかったのか声になっていない。
「ああ、大丈夫ですよ。竜は、卵から出て、最初に見たものを、親と思いますから、ディルが親です。よって親が町に奇襲をすることは、ないでしょう」
「そういう問題じゃない! いや、そういう問題か? いやしかしだな!」
軽く混乱気味に頭を抱えだすディル。
「ひとまず、宿に帰るぞ!」
リドがそう提案し、ディルと流衣はひたすら頷いて、三人揃って宿屋まで猛ダッシュした。
「――落ち着こう。何でこんなことになったんだ?」
宿屋に駆け込むなり、奇異の視線を向けてくる宿の主人の目を無視して部屋まで走りこむと、きっちり扉を閉め、鍵までかけてから、ディルはゼーゼー肩を揺らしながら口火を切った。
残りの二人も似たようなものだったが、どう見てもディルが一番うろたえている。
恐らく一番落ち着いているだろうリドは部屋のカーテンを閉めると、左から二番目のベッドに座り、パンパンと手を叩いた。
「はいはい、ここに集合ー」
その抜けるような声に従い、流衣とディルも靴を脱いで、同じベッドに上って座る。
リドはポスポスと三人の真ん中の布団を手で叩く。
「ほら、ここにそいつ出せ」
「う、うむ」
ディルは促されるまま、子供の竜をそこに置いた。
が、その竜はピギャピギャ鳴いて、ディルの膝元まで戻ってしまう。
「うわ~可愛い」
動物好きである為、その仕草だけで表情を崩す流衣。
「まじでディルのことを親と思ってんだな」
感心気味に呟き、リスくらいの大きさの竜の子の背中をツンと指でつつくリド。
「うお、硬い。さすが竜、こんなチビでも鱗生えてら」
「やっぱり竜なのか……」
表情を強張らせ、ディルはどうしようと途方に暮れた顔になる。
そこへオルクスが竜の子の側に降り立ち、じろじろと竜の子を観察し始めた。
「うーむ、この竜、どうやら小型竜の子のようデスな。成長しても、体長七十ケルテルの、小さな竜ですヨ」
「ケルテルってどれくらい?」
「これくらいが十ケルテルだな」
流衣の問いには、ディルが長さを手で示して答えてくれる。ほぼ十センチくらいと変わらないから、大体七十センチということらしい。
「でもさ、何でそんな竜の卵が神殿の宝物庫にあったんだ? しかもリシャウスさんのあの言い方だと、普通の石だと思ってたみたいだったぞ?」
「竜の卵は、見た目はその辺の石と、変わりませんからね。大きければ、竜の卵と、判別できるでしょうが、あんな小さな卵です、偶然卵の形をした石が出たのだと思ったのでしょう」
ギュピ~? と小首を傾げている竜の子を見て、流衣は複雑な気分になる。
「親の竜はどうしてるのかな? 心配してるんじゃない?」
それにはオルクスが首を振る。
「いいえ、小型竜は子供の面倒をみませんから。この竜が卵から孵るには、魔力が必要になりマス。鉱山のあるような、大きな山には、大抵、魔力の溜まり場が存在しますから、そこに産んでいったのでしょう。あとは、自然と孵って、自分で生きていきます」
オルクスはそこで息をつき、また続ける。
「しかし孵化する前に、人間に見つかった為に、孵化する為の魔力が足りなかったのでしょう。そこでディルが懐に入れていたものですから、ディルの魔力を吸い取って、孵化したのでしょうな」
ディルは眉を寄せた。右手の平を見つめ、むむっと唸る。
「確かに、言われてみれば、魔法を使っていないのに随分魔力が減っているな」
それから困りきった様子で頭をガシガシと掻く。
「しかし困ったな。知らぬとはいえ孵してしまったわけだし、放り出すわけにもいかぬ……。かといって子供の竜を連れていては、魔物を引き寄せてしまうし……」
「それなら、使い魔として側に置いておきなさい。竜は親には忠実な生き物、きっとあなたの役に立つでしょう。魔物については、仕方ありませんね、今後坊ちゃんと行動を共にするのでは、迷惑となりますし、わてが封印してさしあげます」
ただし、大人に成長したらもう引き寄せませんから、その時は解除しますからね、と、オルクスは言う。
「かたじけない」
ディルは申し訳なさそうに頭をうつむかせる。
オルクスは流衣に血と魔力を貰う許可をとり、流衣は前と同じようにリドからダガーを借り、指先を軽く切ってオルクスに手を差し出した。その後はいつも通りだ。
そして、パッと空気から溶け出すようにオルクスが青年の姿をとった。先に、流衣の指の切り傷を治してから、オルクスは静かな声で呟き始める。
「わて、愛と慈悲の女神ツィールカ様にお仕えする、第三の魔物オルクスが命ずる。悪しきもの引き寄せしその性、光よ、壁となりて囲い、風よ、その響きを断ち、悪しき魔より遠ざけよ」
オルクスが一言を呟く度、竜の子を光が包み、風の膜が張られ、幾重にも重なり合っていく。
「祝福よ、ここにあらん」
パチン、と両手を合わせたところで、光と風が掻き消えた。
それで封印は終わったらしく、オルクスは疲れた様子で肩を下げた。
「――ふう、この封印は制約ぎりぎりです。疲れました」
それと同時に、何故か流衣の方もどっと疲れを感じた。少し不思議に思いつつ、ひとまず労うことにする。
「お疲れ、オルクス」
「いえいえ、それよりいつもより多く魔力を頂いてしまいました、申し訳ありません」
そう謝った瞬間、すーっと青年の姿が掻き消え、オウムの姿に戻った。
「あれ、今日は戻るの早いんだな。いつもは三十分くらいはそのままじゃねえか」
リドの問いに、オルクスは面倒そうに返す。
「言ったでしょう、疲れると。そういちいちこんな封印してられませんよ。坊ちゃんにも負担がかかりますし」
それで自分まで妙に疲れているのか。
流衣は納得して頷いた。
「でもこれで封印終わったんでしょ? 良かったじゃない、魔物引き寄せなくなったし、この子も放り出されずに済むし」
一件落着だ。流衣は竜の子供を見下ろした。
それにしたってこの竜の子、可愛い。
白い体躯のトカゲに、藍色の羽が生えている。水色の目がクリクリしていて可愛らしい。
蛇みたいな生々しい爬虫類は苦手であるが、これなら普通に可愛がれる自信がある。
「ほんと可愛いねー、何食べるんだろ、この子」
流衣は、竜の子の頬辺りを指先でツンツンと突きながら、笑顔でオルクスを振り返った。その時、がぶっと竜の子はその指先に噛み付いた。
「!!?」
びっくりしてそっちに目を戻した瞬間、魔力をごっそり引き抜かれるような感じがした。
一瞬目の前が暗くなり、身が前へと傾ぐ。
「大丈夫かっ?」
ハッと我に返ると、ディルが左肩を支えてくれていた。
ますます肩に疲労感を覚えつつ、頭を軽く振って、奇妙な浮遊感を追い散らす。
「な、何だろ、今の……」
竜の子はすでに指を放しており、右手の人差し指には噛み痕がくっきりついてダラダラ流血していた。流衣は仰天して目を丸くする。
が、何か言う前に、オルクスがキーッとわめき散らした。
「こんのクソガキ、坊ちゃんの魔力を喰らいやがりました! なんていう恩知らず! リド並みに腹の立つクソガキですね!!」
「悪かったな! 腹の立つクソガキで!」
リドが不満げに横から口を出す。
流衣はそんなリドに苦笑しつつ、流血中の指をどうにかしようと鞄を振り返る。一番窓際のベッドが流衣の使っている所だったので、そちらに行こうとベッドを下りる。
「!」
しかし膝に力が入らず、そのままずるっと滑って床にぺたんと尻餅をついた。
「えっ?」
座ったまま、ポカンとする。
何だ、今のは。
「あわわわ、坊ちゃん、じっとしてて下さい! 急激な魔力の消費に、身体が追いついていないんです!」
「そうなの? ええと、どうしよう」
座り込んだまま、困り果てる。
「って怪我してるじゃないですか! あんのクソガキャ、ただじゃおきません!!」
今になって噛み痕に気付き、オルクスは更にヒートアップしつつ、怪我を治癒してくれた。
その後、すぐさま竜の子に飛びかかろうとするのを、慌ててオルクスを抱え込んで止める。
「ちょっ、待った、ストップ! あんな小さな子なんだから仕方ないでしょ! 落ち着いて!」
「落ち着けませんー!!」
「そこを何とか! オルクスは冷静な大人の魔物でしょ!」
何でこう、いつも喧嘩を止める役になるのだろうか。
争いごとの空気は苦手なのに、血の気の多い使い魔を持つと苦労する。
「……ってことはなんだ、このチビ助、魔力を食べるってことか?」
とても満足そうに目を細め、丸くなって寝る体勢に入った竜の子を見下ろし、リドは首を傾げる。
流衣に両手で押さえ込まれてブスッと膨れながら、不機嫌な声で答えるオルクス。
「そうですヨ。正確には、魔昌石を食べます」
「……それは相当な出費になりそうだな」
魔昌石は高価な物だ。
昌石を買って、ディルが魔力を入れてもいいが、それでは量もたかが知れている。
今後のことを考え、頭痛を覚えるディル。
「だったら、天然ものを拾ってあげればいいよ。僕の鞄に、いっぱい入ってるし」
ヒノックに来るまでに拾っていた天然ものの魔昌石が鞄に入っている。一度宿に戻ってきてから売りに行くつもりだったから、まだ売っていなかったのだ。
「むむむ、かたじけない。私にも天然ものが見えれば良いのだがな。面倒ばかりかけて、本当に済まない……」
心底バツが悪そうにうなだれるディル。ディルも魔力は高い方だが、小石程度の天然ものまでは見えないらしい。
流衣は小さく笑い、それから自身もバツの悪い顔になる。
「ところで、あの、手を貸してもらっていいかな? 足に力が入らなくて……」
「ああ、すまん! そうだったな!」
「それならこれで良いか?」
ディルが手を貸そうと右手を差し出した瞬間、リドは風をひょいと操った。
「うわっ!?」
ふわっと風が収束し、流衣の周りを包み込んだ。
驚いたことにそのまま身体が浮き上がり、またベッドの上に戻る。
流衣はぽかんとリドを見た。ディルも唖然と口を開いている。
「なんだよ、んな顔で見るなよ」
居心地が悪そうに身を引くリド。
ディルはしみじみと感嘆して言う。
「リド、君はそんなことまで出来るのか? 結構万能なんだな」
「まさか空も飛べたりするの!?」
流衣は目をキラキラ輝かせ、リドの方に身を乗り出す。
「落下を弱めるとか、それくらいしか出来ねえよ。そこからベッドくらいの高さなら、物も浮かせられるけどな、あんまり重いと無理だけど」
「すっごー! すごいよリド! 超能力者っぽい!」
空中浮遊だ!
風を使うわけだから、種も仕掛けもあるけど。
「チョウノウリョクシャ? また意味の分かんねえことを……」
意味が分からない単語を聞き、リドは眉間に皺を刻む。
「んなことより、そのチビ助の名前でも考えろよ」
リドはそう言って、話の矛先をずらした。
褒めているのだからもうちょっと喜んでも良さそうなものだが、リド的にはあまり騒がれるのは好まないようなので、流衣もその流れに乗る。
「飼い主が決めた方がいいと思うな。何か良い名前ある?」
「む、名前か。急に言われてもな……」
腕を組んで真剣に考え込むディル。
リドはにやりと笑って提案する。
「俺はチビって名前が良いと思うな」
「……それはまたどうして?」
流衣は嫌な予感を覚えつつ、理由を訊く。
「小さいから」
「…………」
流衣は黙り込み、そのままディルを振り返る。
「ディルは?」
「おいっ、無視すんなよ!」
リドの突っ込みはこの際聞かなかったことにする。これでは竜の子が可哀相だ。
ディルはひとしきり唸ってから、満足げに言う。
「ピギャだ」
「「「はっ?」」」
他二名と一羽は耳を疑った。
今のは名前なのか? そうなのか?
「ええー…と、ちなみにどうして?」
「ピギャと鳴いていたからだ。それとも、ヒノック神殿にいたからヒノックとか……」
大真面目にそんなことを呟いている飼い主を前にして、流衣は危機感を募らせた。
この二人に任せていてはいけない。
これでは竜の子が可哀相すぎる。
「白いから雪とかスノーとか、ノエルとか、色々あるじゃないかっ。何でそんな名前になっちゃうのさ」
流衣が抗議すると、ディルはパッと顔を輝かせた。
「それ良いな、ノエル。どういう意味だ?」
「え? 僕の世界じゃ、十二月二十五日がクリスマスっていう、ある宗教の聖なる日なんだけど、その日に生まれた子供に付ける名前だよ。外国の場合だけどね。雪っぽい色してるから何となく思い出しただけ」
「聖なる日に生まれた子につける名か、良いな、気に入った! それにしよう」
ディルはバシッと自分の膝を打った。
その前で、小さな竜の子はスヤスヤと眠っている。
ピギャという名前よりはマシだろう。
適当に言った名前が採用されたのに驚きつつ、流衣は妥当なところだと判断する。
……しかし、リドとディルは世間慣れしていて何でもこなせるというのに、ネーミングセンスに問題があるとは思わなかった。人間、完璧な人はそうそういないものらしい。