十三章 拾いもの 2
「はあはあ、酷い目にあった……っ」
集落と思ったのは廃墟だった。その一つの、屋根のある家に避難した三人はぜいぜいと肩を上下させていた。
「ご、ごめん……」
地面にへたりこみながら、流衣は二人に謝る。
雨で濡れそぼったオルクスがブルブルと身を震わせ、水滴が飛んで眉をしかめる。
「ちょっ、オルクス。水飛ばすのやめてよ」
「今更ですよ。濡れ鼠なことに、変わりありません」
「そうだけどさあ」
片言に話すオルクスに、流衣は不平の声を出す。
それからふと良い事を思いつき、にこっと笑う。
「オルクス、これでやっと洗えたね! ラッキーかも」
「全然ラッキーでは、ありません! もう、これでは、飛べないではありませんカ!」
オルクスを洗おうと試みて、逃げられた流衣としては不幸中の幸いというやつだった。
が、案の定オルクスは憤然とする。
「オルクス、もしや水浴びが嫌いなのか? それは良くない。身綺麗にしておかねば、いらぬ病を拾うぞ。そうすると、君の主人に悪かろう」
「………そ、そうかもしれませんガ。わてはオウムですから、濡れるのにはやっぱり抵抗が……。鳥の身で濡れますと、体温調節にも問題がありますシ、何より飛べないというのが……」
ごにょごにょと言い訳を連ねるオルクス。
「ま、確かに体温調節って点じゃ濡れるのは困るな。焚き火でも起こせれば良いんだが……」
リドは家の中を見回して、薪になりそうな物がないか探す。
ついていることに、家の奥に、折れた木の椅子や壊れたテーブルが転がっている。
「ルイ、責任持って手伝え」
「はいっ」
マントや服を絞っていた流衣はすぐさま返事して、パタパタとリドの後に続く。
「ああ、この椅子なんか良いな」
「そうだね」
リドは重なって山になっている椅子の足を掴み、思い切り引っ張った。
ガラガラと音を立てて崩れる山。
ぶわぁっと土埃が立ち込める。
「ゴホッゲホッ、リド、ちょっとは考えてよっ」
「ケホ、わりい」
土埃を吸ってしまい、盛大に咳き込む流衣。同じく咳をしながら謝るリド。
そして二人はガラクタの山を見て、同時に動きを止めた。
山の向こうに、あちこち傷だらけの少年が倒れていた。
流衣は頭のてっぺんから爪先まで、サーッと血の気が引いた。
「ひっ、人殺し! 殺人事件! わあわあどうしよう、けけけ警察! 通報! そそ、それより救急車!?」
死体遺棄事件だー!
頭を抱えて叫ぶなり、ひいいとパニックに陥る。
そんな流衣を尻目にリドは冷静な顔で少年の側にしゃがみこみ、首筋に手を当てて脈を診る。
「――落ち着け。まだ葬儀屋の出番じゃねえ」
「葬儀屋! 葬儀屋に連絡だね!」
パニクっている流衣は慌てて出口に飛んでいこうとしたが、その前にディルが腕を掴んで引き止める。
「違う、葬儀屋はいらん! あの少年はまだ生きているらしいぞ」
「――へ?」
ぴたっと止まる流衣。
そろりとリドの方に顔を向ける。
「……生きてる、の?」
「死んでるなんて誰が言った」
ばっさり切り捨てるリド。
しかし流衣はそれで落ち着きを取り戻す。
「な、なーんだ、生きてるならそう言ってくれればいいのに」
あははと空笑いしつつ、後ろ頭を掻きながら、さっきの位置まで戻る。
「で、でも、じゃあなんでこんな所で、この人、死体ごっこなんてしてるのかな……?」
「いや、ルイ。わざわざ死体ごっこをしにくるわけなかろう。きっと訳ありだな。どちらにしろこの状態は危ない。火を起こして暖かくして、それから治療もしてやらねば。彼が起きてから事情を聞けば良い」
ディルは苦笑混じりに言う。
「俺達も雨が止むまでここで足止めだし。ついでに野宿の準備をしちまうか」
「……ほんとごめん。何すれば良いかな」
良心がグサグサ痛み、眉を八の字にして、流衣は手伝いを申し出た。
パチ……パチッ……
薪がはぜるような音がして、意識が浮上した。
薄らと目を開けると、橙色の暖かな光が、壁にゆらりと影を揺らめかす。
光と影の織り成す陰影に見とれながら、急激に意識が覚醒する。
バッと起き上がり、焚き火から遠ざかるように離れる。
人の気配を近くに感じ、自分の愚かさを呪った。
何てことだ、あいつらに捕まってしまったのか?
「大丈夫だよ、怖くないよ?」
焚き火の番をしていたらしい、黒髪黒目の少年が驚いたような顔をして、それから優しく言った。
怯えたのを悟られ、カッと頬に血がのぼる。
「貴方は一体誰です! あの人達の仲間ですかっ?」
慌てて懐を探り、隠しておいた短剣を探す。
だが、入れておいた場所に短剣が無く、血の気が引いた。
「あ、あの。あの人達ってどの人か分からないけど、ちょっと落ち着いて。ああ、そうだ。こんな時こそあれだ」
少年は困ったように首を傾げ、ややあって何か思い出したように傍らの荷物を探り出す。
ここで初めて、少年の他にも二人の少年がいて、焚き火からやや離れた位置で毛布にくるまって寝ているのに気付いた。
雨音が家中に響いており、かろうじて形を保っているだけの扉の隙間から覗く空は暗い。どうやら深夜のようだった。
焚き火の上にはヤカンが吊るされ、シュンシュンと音を立てて水蒸気を吐き出している。
少年が武器を出すのではと警戒しながら、何をする気なのかと様子を伺う。少し落ち着いてきて、逃げている途中で作った怪我が一つ残らず消えていることに気付く。
「……私の怪我を治してくれたのは、貴方ですか?」
「僕は流衣だよ。ええと、ルイ・オリベ。この子は使い魔のオルクス。君の怪我を治したのはオルクスだよ、僕は何もしてない」
「…………」
自分と肩に乗っている黄緑色のオウムを紹介してから、困ったように話す流衣を見て、怪訝に思う。
使い魔がしたことなら、主人の功績だろう? 何故、そこで自分のことだと言わないのだ?
「驚いたよー、雨宿りでここに入ったら、君が怪我だらけで倒れてて。僕、死体遺棄事件かと思ってパニクっちゃって、危うく葬儀屋まで走るとこだった」
流衣は苦く笑いながら、ココアの粉と砂糖を入れたコップに、ヤカンの湯を注ぐ。それをスプーンで簡単に掻き混ぜて、私の方に差し出した。
「はい、これ飲んで。あったまるから」
「………何です、これは」
木製のコップを受け取り、初めて見る飲み物を前に不審げな態度を隠さず、流衣を見返す。
「ココアっていう飲み物だよ。この国には無いみたいだけど、僕のいた所だと結構人気のある飲み物なんだ」
静かな口調ながらゆっくりと紡がれる言葉に、だんだん緊張が取れてくる。
この少年は敵ではないのだと、ようやく分かってきた。敵なら、まず名前は名乗らないだろうし、仲間も起こすだろう。それにこの口振りだと、どうやら異国の人間のようだ。言われてみれば、鹿の角のような色合いの肌といい、黒髪黒目といい、初めて見る人種である。
なかなか飲み物に口を付けようとしない私を見て、流衣は不思議そうな顔をした。それから合点がいったような顔になる。
「もしかして怪しい飲み物だって思ってるのかな。初めて見るだろうし、そう思うよね。えーと、それなら悪いけど、一口飲ませてもらうね」
そう言って、私の手からコップを取り上げ、一口飲んでみせた。
そして、どうだとばかりににっこり笑ってコップを返す。
「良かった、丁度良い甘さになってる」
「……甘いものなのですか?」
わざわざ毒味までしてくれたのだ、安全なんだろう。
私は思い切って一口その不思議な飲み物を飲んだ。
途端、口の中いっぱいにほろ苦さと甘みが広がり、驚く。
「……おいしい。こんな物、初めて飲みました」
「そっか、良かった。甘いの苦手な人だと、駄目っていう人もいるんだよね。君、昼間見つけた時からもう半日も寝たままだったし、お腹空いてるでしょ? 三日前に町を出たばかりだから、パンが余ってるんだ。これも食べなよ」
そう言いながら、流衣は丸い白パンに干し肉と野菜を挟んで、私に差し出した。
「……かたじけない。ありがたく頂くことにします」
もう警戒しないことにした。この少年は間違いなく善意で行動してくれている。
私がパンを受け取って食べ始めると、流衣は安堵したように緩く笑う。
こんな所で倒れていた見ず知らずの私を、本気で心配してくれていたのだ。
「私は、ヴィンスといいます」
だからだろうか、私は名前を名乗っていた。勿論、本名ではなく、愛称ではあるのだが。どこに追っ手がいるか分からない状況で、容易に名を名乗るわけにはいかなかったから。それでも最大の譲歩だった。
パンを食べ終わり、ココアなる飲み物を飲み終えた私に、流衣はお休みとだけ声をかけ、何も聞かなかった。
この粗末な家に漂う空気は温度によるものだけではなく確かに暖かく、傷は癒えても疲労していた私が眠りに落ちるのはすぐだった。
なかなか目が覚めない少年の容態が気になり、結局一晩中焚き火番をして起きていた。
ヴィンスと名乗った少年は夜中に一度起きたが、何かを警戒している様子だった。でも、パンを食べてくれたからほっとした。そしたらまた眠ってしまったから、そのままにしていた。
事情はいつ聞いても良いし、精神的にも参っているような人に問い詰めるのも可哀相だ。
朝日が差してくると、簡単に朝食を作った。干し肉と豆を使った塩味のスープとパンだけだ。鍋やヤカンはディルが持ち歩いていた物で、軽い食器類はそれぞれの持ち物である。
ブラッエを出てからディルの背負った布製の鞄が重そうだったので大丈夫かと尋ねたら、普段から重い物を担いで旅することにより、耐性と筋力の増加が得られるのだと、やけに誇らしげに語られた。つまり修行、らしい。
師匠であるリリエノーラからそう言われて、重い荷物はディル担当だったらしい。
師匠が、と聞いて、それは間違いなくリリエの陰謀だろうと思ったが、本気で信じているディルが不憫なので言わないでおいた。
「お早う、二人とも。よく眠れた?」
朝日が出て、もそもそと起き出したリドとディルに声をかける。
「あれ、もう朝?」
少し寝ぼけているリドがぼーっと訊いてくる。
「うん。朝御飯作っておいたから、冷めないうちに食べてよ」
流衣は気にせず、木の椀にスープを注いでいく。
「……もしやルイ、一睡もしてないのか?」
焚き火番の交代を頼まれた覚えがなかったので、ディルが怪訝そうにする。
「そうだよ。別に平気だよ、一日の徹夜程度なら」
面白い本を夢中で読んでいたら朝になっていた、ということが多いので、徹夜が一日くらいは流衣には何ともない。むしろテンションが上がる方だ。
「お前、ただでさえ体力ないんだから、ちゃんと交代しろよな」
「どうせ心配で眠れなかったから、良いんだよ。でもありがとう」
気を遣うリドに礼を言うと、はーあと溜め息をつかれた。
……何だろう、なんでそんな諦めたみたいな顔をするんだ?
それから、話し声で目が覚めたらしいヴィンスに声をかける。
「おはよう、ヴィンス君。あ、二人とも、この人、ヴィンスっていうんだって。ヴィンス君、こっちの二人はリドとディルだよ」
「…………」
ヴィンスは反応に困った様子で、無言で二人を見つめる。
そんなヴィンスに構わず、軽く挨拶してから、焚き火の周りに座る二人。
まだ無言でどうしたものかと考え込んでいる様子のヴィンスを、リドが不思議そうに見やる。
「どうした? こっち来いよ。飯食うだろ?」
「あ、はい……」
そんなリドに面食らったようだが、ヴィンスは一つ返事をして、焚き火の方にやって来て座った。
明るい朝の日差しの中で見ると、ヴィンスは相当綺麗な顔をしているのが分かった。白っぽい金髪は長く、首の後ろで一つに纏めており、目はサファイアみたいな青紫をしている。あちこち薄汚れているのさえ気にしなければ、気品さえ感じられる容姿だ。白いブラウスの首元にはスカーフっぽいタイをしているし、紺色のズボンも質の良い物に見えた。それに旅には不向きそうな、皮製の靴を履いている。
「ヴィンス殿は、もしや野盗にでも遭ったのか? 随分と旅に不向きな格好をしているが……」
朝食を頬張りながら、さりげなくディルが訊く。
「まあそんなところです、賊に襲われたのは間違いないのですが……。どうやら助けて頂いたようですし、巻き込みたくありませんので、これ以上は訊かないで頂けますか」
質問を拒否するヴィンス。
流衣達は顔を見合わせる。
「まあ、そう言うんなら良いけどな。あと、これ、預かっといた。悪いな、妙な勘違いされて刺されても面倒だったからさ」
さばさばと言って、リドはヴィンスの懐から抜き取っていた短剣をヴィンスに返す。
ヴィンスはそれを目にしてあからさまにほっとした顔になる。
「いいえ、返して下さったので十分です。これは父の形見ですし、大切な物でしたので……」
「そうかい。で、どうするんだ?」
リドの問いに、ヴィンスは意図を問うようにじっと見返す。
「何をですか?」
「あんた、どっか良いとこの坊ちゃんなんだろ? で、賊に襲われて逃げてきたから供もいないし、多分金も持ってない。無謀も良いとこなんじゃねえかと思うんだが」
ぽんぽんと問題点をぶつけるリド。
それに、ディルが堅苦しく同意する。
「うむ、確かに無謀だな」
「初めてこいつと会った時みたいだぜ。森の中で、武器も防具もなくさ迷ってるんだもんな。てっきり猛者なのかと思ったら、ただの世間知らずなだけだったし」
「ううっ、そこまで言わなくても良いじゃないか! 大体、好き好んで世間知らずしてるわけじゃないんだよっ」
流衣が言い返すと、それにオルクスも同調する。
「そうですよ、リド! あの時は、急いで町に向かうところだったんデス! それをあなたが、いきなりダガーで脅してくるから、予定が狂ったんデス!」
「片言オウムには言ってねえだろ!? あんな怪しい格好した奴が森から出てきたら、誰だって問い質すっての!」
ギリギリと睨み合うオルクスとリド。
「ちょっ二人とも、今、朝御飯食べてるんだから喧嘩よそうよ」
はあ、と溜め息をつく流衣。怪しい怪しいとは言われていたが、そこまで言われるとへこむ。
いきなり始まった喧嘩を、目を丸くして見ていたヴィンスだったが、はっきりと言う。
「私は、多少ですが魔法の心得がありますから、大丈夫です。それにヒノックまで行けば、どうにかなりますから」
流衣はパッと顔を明るくする。
「それなら僕らと同じ方向だね! じゃあ問題ないじゃん、僕らと行けば」
流衣の言い分に面食らった後、ヴィンスは慌てて言い足す。
「しかし! あなた方を巻き込むわけには……っ」
が、ディルが手の平を突き出して制止したことにより、言葉を切る。
「ここで会ったのも何かの縁。気にせず共に行かれればよい」
「おっ、ディル、良いこと言うじゃん。まっ、俺の言いたいことも、そういうところだな」
リドがにやにやしてディルの肩を小突く。
盛り上がる三人の前で、一人ヴィンスだけは途方に暮れたような顔でそれを見ていた。