十三章 拾いもの 1
*第三幕 あらすじ*
ディルを仲間に加えた流衣、オルクス、リドの四人は魔法学校を目指し旅を続ける。 途中、ひょんなことから行動を共にすることになった貴族の少年を、王都まで送り届けることになり……!?
暗い森の中を、一人の少年が走っていく。
手には何も明かりは持たず、無我夢中で走っていた。
立ち止まってはいけない。
立ち止まれば捕まってしまう。
殺される。
誰か。誰か。誰か!
突き出た枝が肌を裂き、あちこちに細かい傷を作っても、少年が足を止めることはない。
王都にいる家族に久しぶりに会うつもりだった。
そうして馬車に乗っていたのだ。
ヒノックの神殿を過ぎ、リーネクラウの森に入ってしばらくした頃だった。
覆面をした男達の襲撃に遭い、御者や部下を殺され、少年一人のみが逃げることが出来た。
殺された者は、親しい部下だった。
走り続けていたから、肺が痛い。しかしそれ以上に、胸が張り裂けそうに痛い。
どうして、どうして、どうして。
どうして彼らが殺されなければならず、どうして自分は狙われ、そしてどうして一人で生き延びているのだろう。
だが少年は知っていた。
自分には生き残る義務があることを。
森を走るうち、やがて広い草原へと出た。
まるで海に投げ出されたかのように、目の前に藍色が広がる。星を散りばめたそれは、夜空だ。
今日は月がなかったが、星明りでも十分明るかった。
少年は背後から馬が迫るような恐怖に駆られ、思わず止めた足をまた動かし始めた。
何てことだろう。神殿に助けを求めるはずだったのに、追っ手から逃れて走るうちに迂回してしまったのだ。
しかし今の少年に残された道は、出来るだけの力を振り絞り、逃げることだけだった。
必死に走り続け、やがて廃墟と化した村に辿りついた。
その一つの家の瓦礫の隙間に隠れて倒れこみ、疲労のあまりそのまま眠りに落ちていった。
* * *
「えーと、水の魔法の初歩、庭に水遣りする術……」
ヒノック神殿を目指して、広い草原の真ん中をはしっている街道を歩きながら、流衣は初級魔法の教本を読んでいた。街道は舗装されておらず、土が剥き出しだ。
ただでさえ転びやすいのだから読みながら歩くなと、仲間二人と一匹に口を揃えて言われたが、歩く以外にすることがないのなら勉強すべきだろうと思う。
というわけで、読みながら歩いている。
「庭に水遣りって、結構庶民的なんだね」
初歩どころか、初歩のまた初歩と書いてある。
本から顔を上げ、ディルの方を向く。
もう何も言う気も無いらしく、呆れた調子でディルは言う。
「水の魔法を実用的に使おうと思えば、自然そうなってくる。農業に水は欠かせんからな」
「じゃあこの国での農業って、魔法の応用が進んでるってこと?」
「魔法を使える者がいるところのみだがな」
へえ~と流衣は言い、不思議に思う。
「光の魔法の応用は?」
「天候が悪い時だけ使うようだな」
ふーん、へえーと流衣は感心する。
「っていうことは、ビニールハウスみたいなハウス栽培もあるってことかな」
何の気なしに呟いたのだが、ディルは首を傾げた。
「はうす栽培とは?」
「うーん、何ていうのかな、室内栽培? 僕のいた所だと、ビニールっていう透明な素材があってね、布みたいなのなんだけど、それを骨組みに付けて倉庫みたいな形にして、自然光を取り入れるけど中は暖房器具で暖めて、それで冬も栽培出来るみたいな?」
農業に詳しいわけではないので、曖昧な説明になるが、大体合っているだろうと思う。
「ほお、面白いな。静謐の月でも栽培しようという発想は無い」
興味をひかれたらしく、ちょっと身を乗り出して聞くディル。
「他にはそうだなあ、それこそ普通の倉庫の中で、照明を当てて植物を育てたりもしてたよ。温度調節と水の管理に気を付ければ、季節も時期も関係なく育てられるかな。多分」
これもあまり詳しくないので、曖昧だ。他にも条件があるかもしれない。
「倉庫の中で! 確かに、嵐や害獣の被害を心配せずに育てられるな。そうか、光の魔法を応用すれば、そういうことも出来るか……」
ディルはしばらく唸っていたが、やがてポンと手を叩いた。
「なかなか価値のある意見だ。兄上にお教えするか。領民の為にもなるし……」
ぶつぶつとそんなことを呟く。
「領民?」
リドが片眉を跳ね上げる。
はっと我に返るディル。
「あ、いや、何でもない。……私は修行中の身だ! 家名は名乗らぬ!」
「わっ分かったよ、訊かねえよ!」
カッと目を見開き、怒鳴るように言いながらディルに間を縮められ、リドも怒鳴り返す。
が、内心では、こいつもしかして上の位の貴族なのか? と首をひねっている。それにしては妙に庶民的な気はするが……。
「ディル、お兄さんがいるの?」
リドと違った言葉に反応した流衣は、興味津々で問う。
家族の話だからか、ディルも相好を崩す。
「うむ。兄上が二人と、姉上が一人いるぞ。一番上の兄上が三年前に家長を継いだのだが、病弱故に二番目の兄上が補佐をしている。姉上は一年前、王都に居を構える貴族のもとに嫁がれた」
「つーことはお前、末っ子か? 弟がいそうな気がしてたが」
意外だとリドは目を丸くしている。
結構、ディルは世話焼きなので、そうなのだろうと思っていたのだが……。
「残念ながら末っ子だ。前にも言ったが三男でな、家を継ぐことも出来ぬから、こうして魔法騎士を志しているわけだ」
そう言って、少し心配げな顔になるディル。
「一番上の兄上は、それはもう病弱で、吐血が趣味みたいな方でな。いつお亡くなりになるかと冷や冷やしているのだが、案外生き延びておられる。ヴァン兄上も兄上の為に邁進しておられるし、私も頑張らねばな」
「吐血が趣味……」
「なるほどそれで……」
流衣が呆然と呟き、リドも唖然としつつ納得したように呟く。そんな兄がいれば、世話焼きにもなるだろう。
「まあ兄上達はそんな感じだな。ところでルイ、折角広い草原にいるのだ、庭に水遣りする術、試してみてはどうだ?」
「えっ、あ、そうだね」
「そんな感じ」で纏められたのにぽかんとしつつ、流衣は頷く。
もう一度、本に視線を落とす。
「ジョウロで水を撒くのを思い浮かべて……」
教本の言葉を呟いて、ジョウロの水を頭に思い浮かべる。杖を側の草原に向け、魔力を引き出して、
「ウォーター」
呪文を唱えた。
すると、杖の先からジョウロのような水が飛び出し、バラバラと水を撒く。
「……ジョウロというか、ホース?」
杖がホースになってしまったようで、見た目的に複雑な気分になる。
「私もその術を試した時はそんな気分だったな。結構がっかりした」
「……うん」
流衣もがっかりした。
気を取り直し、初歩の初歩から初歩に進むことにする。
「えと、初歩は、畑に水遣りする術……? なんでそう、水遣りから離れないんだ、これ」
「さっすが初級編。下らねえ術ばっかだな」
くくくと笑うリド。
「む。そうは言うが、これが基本になるのだ、後々を考えれば真面目にしておかねばならん。それに下らなくはないぞ。実際に農家の者には歓迎されている」
堅苦しく取り成し、ディルはそれも試すように言う。
「うん、試してみるよ。えーと、広大な畑に水を撒くには、雨を降らすのが手っ取り早い。だから雨が降るのを思い浮かべ、この呪文を唱えなさい、か」
流衣はこくりと頷いて、雨が降るところを想像した。
黒雲がたちこめて、どっと降る土砂降り。夏の夕立。
「ザーダ!」
呪文を唱えると、杖の先からパッと光が空に上っていった。
「んー……?」
流衣は目の上に手をかざし、空を見つめる。
降りそうな予感がしない。
「不発か?」
リドはディルを振り向く。
「いや、光ったからな、大丈夫なはずだが……」
そう言いながら、三人揃って空を見上げること数秒。どこからともなく黒雲が立ちこめ、晴れていた空が一気に暗くなり、そして、バケツをひっくり返したかのような雨がどーっと草原一帯に降り注いだ。
「嘘――!」
ぎゃあと声を上げて叫ぶ流衣。
「加減しろよ!」
リドが文句を言うが、雨が激しすぎて何を言っているのかまでは誰にも聞こえない。
ディルは手振りで道の先を示し、草原の奥に集落が見えたので、そこまで走ることになった。