幕間2
何でこんなことになったんだ?
ラーザイナ・フィールドに召喚されてしまった「勇者」こと、川瀬達也は、傍目からは無表情ながら内心で首を傾げまくっていた。
高校で少しばかり友達と喧嘩して、それで最近、学校に行きづらく、ああどこか遠い所に行きたいなあなどと思ったのがいけなかったのか。それとも、学年一の美人と噂される女生徒を振った天罰か?
この世界に来て、もうそろそろ二週間になる。
カザニフとかいう大神殿に呼び出され、勇者だから魔王倒してと頼まれ、それしないと帰さぬから~とふざけた笑顔で、愛と慈悲の女神とかぬかすツィールカという神様に退路を絶たれ、仕方ないので旅立ったわけだが。
「誰だ、聖具 を盗んだ奴!」
そう、魔王を倒す以前に、魔王を倒すのに必要不可欠な道具が盗まれているので、それを探さなくてはいけなくなったのだ。
とっととケリをつけて帰りたいのに。
さっき戦闘をしかけてきた〈悪魔の瞳〉とかいう魔王信仰の信者であるらしいカラス族の少年、名前は確かサイモンと名乗っていたそいつが、怪訝な顔をして「知るか」と言っていたので、つまり魔王信仰の方とは関連がないことが分かった。
寝耳に水みたいな反応だったから、ほぼ確実だ。
ああ、最悪だ。
達也は手にしていたサーベルの剣先をひゅんと回し、鞘にすちゃりと納める。
フェンシング部に所属しているので、少々剣技の心得があったからまだ良い。といっても、あれはスポーツであって実践向きではないのだ。そこはそれ、魔法と機転を利用して戦えばどうとでもなる。
ざあああと風が吹きぬけて草の海にざわめきが広がる。だいぶ風が冷たくなってきた。
「お怪我はありませんか? タツヤ様」
少し離れた場所から、紺色の旅装束を身に纏った青年が駆けてくる。二十五歳だという青年の名はゼノ・リューゲル。案内役と護衛役を兼ねてついてきた、カザニフでもかなりの腕を持つ神官だ。くすんだ金髪とライトグリーンの目をした彼は、穏やかな空気を纏った綺麗な顔立ちの男だが、薄い色合いの目が災いして視力が弱いらしく、目の保護の為に黒いサングラスをかけている。そのせいで、どこか胡散臭い雰囲気をしている。それに、亜人のトビウオ族らしく、耳が羽のようにも見えるヒレの形だ。
当初は女性の神官がついてくる予定だったが、達也が頼み倒して男性の神官にかえてもらった。それで急遽選ばれた人だ。
実を言うと、達也は小さい頃に母親が家を出て行ったトラウマのせいで、軽い女性嫌悪が入っており、学校生活程度ならともかく、四六時中一緒に行動するというのがどうしても我慢ならなかったわけである。
「怪我あるんなら、リンクが治すよ~」
ゼノの後ろから、二メートルはありそうな大きな狼に乗った少女が、気の抜けるような声で言った。長い銀髪をツインテールにした、青灰色の目をした少女だ。白いエプロンドレスっぽい神官服を着ている。上着がボレロなので、かろうじて神官服に見える感じだ。手にはジャラジャラと金の腕輪をつけていて、ぺたんとした白い靴を履いている。
名前はリンキスタ・オーグ・エスニルカ。達也は少女自身に頼まれて、リンクと呼んでいる。
彼女はにこにこというよりほわほわしており、天然というよりは不思議ちゃんな女の子だ。
まだ十二歳だというのにカザニフの最高位巫女である託宣の巫女をしている、実は物凄いお偉いさんらしいが、リンクの持つ空気が全てを粉々にしている。
「怪我はないから平気だ」
達也の返事に、リンクはにっこりした。
これでいてリンクは神官としても魔法使いとしてもそれなりの使い手で、リンクの乗っている狼はリンクの使い魔だったりする。
神官と魔法使いの違いは、神官は神殿に所属していることが前提で、魔法使いは魔法を使えれば魔法使いだ。神官の使う術は聖法という特殊なもので、魔力と知識があれば使える魔法と違って、才能と修練が必要になってくる。
小さいのに偉いなあと前に達也が褒めたら、リンク曰く、才能があったから普通に使えたとのことで、褒めたのがちょっと虚しくなった。
「〈悪魔の瞳〉が聖具を知らぬとなると、一体どこにあるのだろうな」
リンクの使い魔が不思議そうに呟いた。
使い魔はルーデルという名のオスの狼型の魔物で、人間好きだったので必死に人間語を練習し、悠長に話せるようになったという面白い使い魔だ。ラーザイナ・フィールドで一番よく使われている一般言語の他にも、亜人が多く住むシルヴェラント国やセナエ国の言語も練習中なんだそうだ。
健気で努力家なルーデルは、その辺の人間よりよっぽど漢らしい。ちなみに、動物型の使い魔ではそこそこ高位にいるらしい。それを呼び出すリンクも凄い。
「こんな時こそ託宣の出番だろう! リンク、ないのか託宣は!」
達也が詰め寄ると、リンクは困った顔になる。
「むうう、そんなこと言われても、リンク困るもん。神様が教えてくれないのに、分かるわけないもん」
理不尽に怒られたからか、リンクはすねたように唇を尖らせる。
こういうところはまだまだ子供である。
一つ年下の弟の生意気っぷりを思い出して、達也は溜め息をつく。無駄に喧嘩売られないだけマシか。
と、そこでいきなりリンクの体がふらっと傾ぎ、ルーデルの背中に倒れこんだ。
「なっ、リンク?」
ぎょっとしたのも束の間、リンクはすっと顔を上げた。
それを見て、背筋が粟立った。
さっきまでのリンクと表情が変わっており、キリッとした顔になっている。これは、どうやら“来た”らしい。
「……ツィールカさんか?」
リンクへとご光臨あそばされた、愛と慈悲の女神ツィールカはうふふと微笑んだ。
「すぐに分かるとは、なかなかの奴よの。流石、わらわが選んだだけはある」
たまにこうして光臨する女神殿は、憎らしくもそう言った。
達也には大迷惑この上ないのだが、女神は嬉しそうだ。
「こないだも光臨してたじゃないか。たまにレシアンテさんやソールブさんも光臨してくるし、あんたらもしかして暇なのか?」
運命と生命の女神レシアンテ、知と戦の神ソールブと、この目の前の女神の三柱がこの世界を守っている神様、らしい。あんまり何度も光臨してくるので、達也からすればちっともありがたみのない神達である。
女神はむすっとして、そっぽを向く。
「あやつらのような暇つぶしと一緒にするでないわ。わらわは毎回、用件があってきておる」
「へえ、そうだったのか」
そういえばそうだったような気もした。
あんまり回数が多いから、忘れていたが。
「そうなのじゃ。今回はの、伏せておくか悩んでおったことを教えにきたのじゃ」
「もしかして聖具のことか?」
期待して問うと、首を振られた。
「否。あれはわらわにも行方が分からぬ。巧妙に隠されておるようだからの。それではなく、実はこの世界に、お主以外にももう一人、お主と同じ所から来ている者がおるのじゃ」
達也は目を点にした。
一拍おいて、声を張り上げる。
「はあああ!? 勇者がもう一人いるってことか? だったら俺はいらないだろう、帰せよ地球に!」
女神はフンと鼻で笑い飛ばす。
「違うわ。勇者はお主だけじゃ。其奴はたまたま霊感があっての、お主を召喚した時、自分からついてきてしもうたおまけなのじゃ。用無しもいいとこじゃてな、少々施しを与えて放り出しておいた」
達也は見も知らぬ同胞に心から同情した。思わずぼそりと呟く。
「えげつない神様だぜ……」
「――何か言ったか?」
女神はじろっと達也をねめつける。
達也は「何にも」とごまかした。
「で、何でそいつのことを今になって教えるんだ?」
「それなんだがのう。案外、あやつ、トラブルメーカーの素質があったようで、厄介ごとに巻き込まれては解決しておるようじゃ。弱虫で貧相な子供だと思うておったが、少々見当違いであったようじゃの。盗賊団を追い払ったり、闇物の流通を止めようとかけあったりの。〈悪魔の瞳〉にまで目をつけられたみたいじゃな」
どんな奴なんだそれは、と、微妙な顔になる達也だが、ふと気付く。
「子供ということは、俺より年下か?」
「お主も子供じゃがの。まあ二つ年下じゃな」
そう聞くと、興味を覚える。
「へえ、名前は何ていうんだ?」
「オリベ・ルイといったかの。ちなみに男じゃぞ。だがしかし、そのまま放り出したらすぐ死にそうだったからのう、わらわ付きの使い魔を一匹、案内役にくれてやったわ」
クスクスと笑う女神。
「……オリベ?」
達也はふと、眉を寄せた。
中学生の時、一年だけ家庭教師に来ていた専門学校生を思い出した。彼もオリベという名字だった。パティシエを目指していた彼は、生活費の一部にするためにアルバイトをしていたのだ。
弟がいると言っていて、確かその弟の名がルイだったような気がする。
達也より二つ年下だと言っていたから興味を覚え、携帯にあった元旦に撮ったという家族写真を見せてもらったことがある。
そこまで思い出して、達也は自分の考えを笑い飛ばした。
ははは、まさかな。そんな偶然あるわけないか。
「もしかしたら会うかもしれんからの、教えに来たわけじゃ」
達也は女神を半眼で見る。
「それはお告げというやつか? それとも運命を教えたのか?」
女神はクスリと微笑む。それはもう心底楽しそうに。
「さてのう。可能性を提示しただけじゃ。わらわには未来は読めぬ。それはレシアンテの領域じゃ、気になるのなら、次にレシアンテが光臨した時にでも聞くと良い」
そこまで言うと、ぱたっとリンクの体が倒れた。
ハッと我に返ったリンクは、きょろきょろと周囲を見回す。
「あれ? もしかしてまたいらしてた?」
「ああ、そうだな。今回はツィールカさんだ」
疲れ気味に言う達也を、リンクは不思議そうに見つめて小首を傾げた。
あくまで、主人公は流衣ですので、勇者さんはあんまり出てこないかと思います。出ても第二部からかなあ。