十一章 竜の子騒動 2
今日は一日を町の散策に当てるつもりでいたから、部屋に荷物を置くなり、町に出ることにした。
リドはこないだのキバウサギの毛皮を売ろうと意気揚々としていた。さっきの件で不機嫌気味だったのが直っており、流衣はほっとする。
いちいち気にしていては負けだと、私も行くぞ! と、置いていかれそうになって慌てて追いかけて来たディルを見ながら思う。
「修行いいの?」
てっきり鍛練場でずっと修行する気なのだと思っていた。
流衣の問いに、ディルは頷く。
「うむ。一通り鍛練は済ませたからいいのだ」
そう言いながら、ディルはふと家の屋根を見上げる。
「それはそうと、何やら尾けられているようだが、いいのか?」
「え?」
「何?」
流衣とリドは揃って屋根を見上げた。
さっきの目玉の使い魔が、また屋根に座ってこっちを見ている。
「あ、さっきの間抜けだ」
「え? 尾けられてるの? 僕らが?」
ディルは頷く。
「何だ、気付いていなかったのか? 昨日にはすでに尾けられていたぞ。害はなさそうだから放置していたが、心当たりはないのか?」
流衣は考え込む。
「うーん、そう言われると一つだけ心当たりあるけど……」
ドーリスの町で出くわした行商人の女を思い出す。
「それじゃないか? 俺の方は、この前ぶっ潰したから狙われる理由がない」
盗賊団レッディエータを思い浮かべたリドは、すぐさま脳裏でバツをつけ、流衣に言う。
「うう、やっぱり? 本気で目をつけられたのかな。ど、どうなるんだろ。口封じとかいわれて殺されるとか……?」
だんだん顔色が青くなっていく。
それにはディルが笑い飛ばした。
「そんなつもりなら、あんな間抜けな使い魔は寄越さぬだろう。様子見とみていい」
「ほ、ほんとに? ほんとのほんとに?」
鬼気迫った顔で流衣がディルに詰め寄ると、ディルは若干、身を引きつつ答える。
「恐らく。まあ、放っておけ。気付いたと思われる方が厄介だ。――ところでその中身は訊いていいのか?」
流衣はちらりとリドを見た。リドは肩を竦める。
「大丈夫じゃねえの? 行商人の顔を見たの、お前だけだし」
「うう、確かに」
がっくり肩を落とし、流衣は不運を嘆く。ちょっと路地裏を通っただけであんな人に会うなんて、誰も思いはしないだろう?
それはともかく事情を簡単に話すと、ディルは難しい顔になる。
「……〈悪魔の瞳〉か。転移魔法を使うとなると、幹部だろうか? ひとまず、出くわしたら逃げるしかあるまい。魔王信者というのは、どこに潜んでいるか分からんものだ。まさしく『不死鳥』。歴史を追っても、何度潰されても別の者がまた組織を立て直し、何度も何度も復活する。しかも神出鬼没である上、どこにアジトがあるのかも謎なのだ」
つまり、とディルは締めくくる。
「考えても仕方が無い、ということだな!」
すっぱりと気持ちの良い笑顔で言い切った。
が、そんな面倒臭い組織に目をつけられたのかと思うと、流衣はますます不安になる。
『大丈夫ですよ、坊ちゃん! わてがおります故』
ここぞとばかりに胸を張る、肩のオウム。
流衣は小さく笑う。
「そうだね、オルクスもいるもんね」
頷く流衣。
そこへ何となくオルクスが言ったことを察したリドが、茶々を入れる。
「一昨日、主人と一緒に目を回してたけど、大丈夫なのかあ?」
「うるさいデスヨ、リド!」
切れたオルクスがリドに飛び掛り、ガブッと嘴でリドの指を噛んだ。
「ってえ!」
小さなオウムの嘴とはいえ、気合の入った挟み具合が地味に痛い。声を上げて腕を振り回すリドであるが、オルクスも放さない。
「ルイ、こいつどうにかしろ!」
「わわわわ、オルクス! やめ……やめなさい!」
口喧嘩や追いかけっこくらいなら止めないが、噛み付くのは流石にどうかと思い、思わず教師みたいな口調で叱ってしまう。
瞬時にオルクスは離れ、パサパサと羽音をさせて流衣の肩に戻り、どこか感動したように言った。
『坊ちゃんに主人の貫禄がついてきて嬉しゅうございます』
「………あのねえ」
どの辺が貫禄なのかさっぱりだ。
なんだか頭痛を覚え、額に指先を押し当てる流衣。
リドは噛まれた指を押さえて険のこもった目をオルクスに向けていたが、北から南へ抜けるメインストリートに差し掛かった所でふと片眉を上げた。
桃色の髪をした少女が地面に尻餅をついており、何かを探すように右手を地面にうろうろさせている。その少女から少し離れた場所に杖が落ちていたから、それを探しているのだろう。
通行人達はそれを遠巻きに見ながら通り過ぎて行き、誰も手を貸さない。それに焦れ、リドは小走りに少女に近付いた。
「大丈夫かい、あんた」
杖を拾い、少女の右手に取っ手部分をしっかり握らせる。
すると少女はほっとしたようにそれを握り、恐る恐るという様子で立ち上がった。
「まあ、ありがとうございます。親切な方」
鈴を転がすような声で少女は礼を言い、綺麗な所作で礼をした。
それから、リドと、リドを追いかけてきた流衣とディルの方を見て目を丸くする。
「とても綺麗な青色……。顔が見えるなんて、三人ともすごいんですね」
「失礼だが、目が見えぬ方ではないのか?」
人数を言い当てたので、ディルが怪訝な顔になる。
「私、普通の方のようには見えないのですが、代わりに魔力の光が見えるんです。魔力が強い方でしたら、顔まではっきり見えます」
屈託無く答える少女。可憐な見た目だが、芯の強さを感じさせる。
「親切な方の方は光が螺旋 を描いて見えます。これは〈精霊の子〉かしら? そちらのお二人は魔法使いのような気がします。それにしてもそちらの方、何て深くて綺麗な青色をしているんでしょう。大きい魔力をお持ちなんですね」
最後は流衣の方を見て、うっとりと言う少女。
可愛らしい少女に褒められて、流衣は少し頬を赤くする。
「大体当たりだが少し間違っている。私は魔法使いではなく魔法騎士だ」
ディルの訂正に、少女は目を瞬く。
「まあ、そうなんですか。お会いしたのは初めてです」
「――正確には、魔法騎士見習い、だろ?」
しっかり更に訂正するリド。ディルはうぐっと渋面になる。
そんな四人の真横を、木箱を六つほど積んだ荷馬車がガラガラと通り過ぎていく。
「あら、あれは……?」
少女が木箱を見つめて小首を傾げる。
「あの荷馬車がどうかしたのかい?」
リドが気付いて問うと、少女は不可解そうな顔をした。
「荷馬車なのですか?」
何がそんなに気になるのかと流衣もそっちを見た。子供が一人くらいなら座れば入れそうな大きな木箱だ。紐でしっかり固定されている。
荷馬車は十字路に差し掛かった。と、そこでいきなり紐の一本が切れ、石畳の段差で荷馬車が揺れた拍子に、一つの木箱が荷台から転がり落ちた。
ガシャッと音がして木箱の蓋が外れる。
通行人達は音に驚いてそちらを見、ふいに箱の中を見た婦人が悲鳴を上げた。
「キャアアアア!」
その悲鳴につられて誰もが箱を見、また悲鳴が上がる。
「きゃああ! 魔物だわ!」
「竜だ! 竜の子だ!」
「何故竜の子供がここに! 約定違反だ!」
荷馬車を御していた男は慌てて荷馬車を止め、あたふたと箱の方に駆けつける。
そこへ市場の商人の数人が男を問い詰める。
「おいお前、一体これはなんだ! 竜の子供を町に連れ込むなんて、約定違反だぞ!」
「いっ、いやあ、ワシも存じませんで。依頼主からは、狩猟犬と聞かされておったでやんす。これは一体……っ」
荷馬車の主の男は箱の中を見て青くなり、商人に詰め寄られて青くなりと、どんどん血の気が引いていく。
ざわつく通りに、ピーッと笛の鳴る音が響き渡った。
誰かが通報したらしく、王国警備隊が三人、駆けつけてくるところだった。
「一体何の騒ぎだ! 道を明けろ!」
一番年嵩に見える、茶色い髪と口髭をした中年の男が人の波を掻き分けてやって来る。部下は二十代くらいの若い男二人で、薄茶の髪と黒髪をしていた。三人とも、王国警備隊の青色の制服を身に纏い、頭には同色の帽子を乗せ、腰には警棒と長剣を携帯している。
「……これは!」
事態を確認するや、中年の男の顔色が変わった。
「竜の子を町に連れ込むなど貴様、王国内商業法違反だぞ。全く、門番は何してる! ロウ、今すぐ門番を連れて来い! 交代の者も手配しておけ!」
「はっ!」
若い者のうち、薄茶の髪の隊員が敬礼してから北門へと走っていく。
「どういうことか事情を聞く前に、まずこいつをどうにかせねば」
中年の男は忌々しげに箱を見やり、ふと、竜の子を見て目を丸くする。
「なっ、こいつは、妖精竜じゃないか! 貴様、何ていうことをしてくれたんだ!」
「ぐぅっ、すみませんすみません! ワシも知らなかったんでやんす!」
激昂した中年の隊員が、荷馬車の主の襟を引っつかむ。荷馬車の主の男は苦しげにうめきながら、ますます顔を青くして謝る。
竜の子がクルルルァーー! と天に向かって大きな声で鳴いた。何度も何度も、誰かを呼ぶように鳴く。
周りの通行人達はそれを目にして顔色を悪くし、我先にと逃げ始めた。
「な……何? フェアラルカって……?」
門の方に向かって走り出した町の人々を避けながら、流衣は困惑してそれを見る。
「妖精みたいな羽の生えた竜だよ。薄緑をしてて見た目が綺麗だから、愛玩として飼ってる奴も中にはいる。一時期乱獲されて、今じゃ随分数が減ってるやつだ」
リドが口早に説明するが、流衣はきょとんとするしかない。
「それで何で皆逃げるの?」
「どの竜もそうだが、子供が産まれにくい分、子をとても大事にする。妖精竜は基本的に大人しい方だが、唯一例外があって――……」
言いかけたところで、天から低い咆哮が轟いた。
流衣はそれで大体察した。
「だあああ最悪だ!!」
頭を抱えるリド。
薄緑色の鱗をした、透明な二対の羽が生えた妖精竜が一頭、低く唸りながらぐるぐると上空を旋回する。全長三メートルほどで、竜というイメージからすれば小さい方だ。
――つまり、子育ての時期は凶暴化するってことか。
流衣はリドの説明に付け足した。
子竜はクルルァクルルル~と無邪気な鳴き声を上げて、親竜を呼んでいる。箱の中にいる間は声が聞こえなかったが、蓋が開いた今はよく通る声が響き渡っている。あんな小さい身体のどこからこんな声が出るのかと驚く程。
「あ、あの。もしかしてあの木箱全部、竜の子なのではないかしら?」
道端で固まっている少年達に、ふいに少女が不安げに言った。
皆、思わず少女を注目する。
「あそこのもの全てに魔力の光が見えるのです。動物は魔力は持ちませんが、魔物なら持ちますし……。竜の子ではなくて、他の魔物の子かもしれませんけれど」
「どっちにしろ大問題だ」
頬を引きつらせたディルが、苦虫を十匹くらい噛み締めたような顔をする。
「ああ。竜の子は親竜を呼ぶ。親竜が来れば町は大損害に遭う。だから竜の子供や魔物の子供を町に入れるのは禁止してる……っつーのに、あの馬鹿」
リドもまた渋面で、荷馬車の主の男を睨みつける。
「そうこう言ってる内に、最悪なパターンだ」
西の空から飛んで来る魔物を見つけ、ますます表情を強張らせるディル。
人の大きさ程の猿に羽が生えたような魔物だ。それに気付いた親竜が、魔物に襲い掛かっていく。
「何? どういうこと?」
目を白黒させる流衣に、リドは心底嫌そうに答える。
「理由その二。竜の血肉には膨大な魔力が宿る。よって、その子供は他の魔物に狙われやすい」
「それって、親竜だけでなく他の魔物もやって来るってこと!?」
ひいいい、それはまずい。絶対まずい。
「解決するには、あの子竜を町の外に出すしかあるまい」
ディルが低く唸るように言う。もう周りから、町の人々は逃げてしまった。親竜と魔物が現れた時点で、警備隊の中年男も荷馬車の御者を引きずるようにして逃げている。
そりゃあそうだろう。竜と魔物が起こす騒動など、自然の災害と似たようなものだ。
「――他の木箱はどうする?」
「あれも出さないと、まずかろう」
リドの問いに唸るディル。
「あの子竜だけ、でしたら、わてが転移させることも、可能ですが。流石に、木箱六つは、無理です」
オルクスが口を挟み、ディルはますます唸る。
「じゃあさ、全部荷馬車で運んじゃえば?」
「「それだ!」」
流衣の提案に、リドとディルは声を揃えた。
「ディル、馬を御せるか?」
「ああ、任せてくれ」
素早く役割を分担する二人。
それに少女は目を瞠る。
「まさかどうにかする気なんですか?」
「残念なことに残っているのが我々だけなのだ。するしかあるまい」
「だな、このまま放置ってのも寝覚め悪いし」
「………あの子供が可哀相だから、僕も行くよ。君は逃げてね」
頭上で起こる自然災害並みの乱闘がこちらに降りかからないことを祈りつつ、流衣は少女にそう言った。
ドゴッ、ガッ!
竜と魔物がぶつかり、建物が崩れる音が響く。
両者が戦いに気を取られている今しかチャンスはない。
「気をつけて下さいね!」
荷馬車の方に走っていく少年達に、少女は叫ぶ。それから、どうやって帰ったものかと考える。人の姿がないので、少女の前には灰色の闇が広がるばかり。
「リリエラ様!」
困り果てながらも前に進んでいると、人混みではぐれてから以降、ずっと少女を探していた魔法使いの女が道の向こうから走ってきた。そして、少女の手を取り、避難すべく走り出した。