十一章 竜の子騒動 1
ブラッエの町の中にある、大理石造りの神殿の奥にある一室に、少女は一人ぽつねんと座っていた。薄い桃色の髪と薄黄色の目をした、まだ十代半ばの可憐な少女である。
少女は深紅の毛で織られた敷物の上で、見るともなしに膝元に転がした大小ばらばらの魔昌石を見下ろしていた。
端からはぼんやりしているようにしか見えないのはそのはずで、少女は目が見えないのである。否、常人のようには、という意味で見えない。
少女の世界は、薄ぼんやりとした灰色に青い光がぽつんと浮かぶ、それで全部だ。
全てが見えないわけではない、魔力の光のみしか見えないのだ。
誰もが少女を気の毒に思うが、生まれた時からこうであるので少女にとってはこれが普通であり、自分を可哀相に思ったことはない。誰しもが持つ魔力の光は見えたから、人を確認する分には困らないし、その人の持つ魔力が大きければ大きい程、相手の顔もはっきりと見えた。
魔力を持たない無機物は見えないので、それで少し苦労する程度のことだ。
少女にとっての“人”とは、青く美しい魔力の光。
それは命そのものの輝きだ。
だから灰色と青色の世界でも、少女にとっては十分美しい世界だった。
「………まあ」
魔昌石の成す青い光が、点となって浮かび上がり、少女はその意味を読み取って声を漏らす。――俗に言う占いといわれるもの、それが少女の特技だ。
「町に出るが吉。まあ。まああ」
少女は両の頬っぺたに手を当てて、どうしましょう、と言葉を漏らす。
目がこうである為、神殿に引きこもってばかりで、出たとしても庭先までしか出たことがない。
町といえば、少女には未開の土地そのものだった。
「どうされました?」
そこへ少女の声を聞きつけた女が顔を出す。少女の護衛をしている魔法使いの女だが、少女はついぞ護衛してもらったことはない。出かけないのだから当然だ。
「私、町に出なくてはいけないわ」
少女が困った顔をして言った言葉に、女は面食らった顔をした。
* * *
「……暑苦しい」
窓の外を見ながら、ぼそりとリドが呟いた。
若干疲労感を覚えつつ、遠い目をした流衣もまた外を見ていた。
そこにあるのは、鍛練場で、部分鎧や上着を脱いだ動きやすい格好をしたディルが腕立て伏せをしている光景だった。
ほぼ無理矢理押し切った形で流衣達の仲間になったディルは、相当図太い神経の持ち主だった。朝食後、受付で調べてきたのか流衣達の泊まっている宿舎の部屋に現れ、三人部屋の方が安いから移動だ! と叫ぶや、荷物を纏めさせて廊下に追い出したのである。
部屋の移動自体は受付で変更出来るのだが、ただ今清掃中につき、こうして廊下に突っ立っている羽目になっている。ディルは暇だから修行すると鍛練場に出て行って、ひたすらジョギングしたり大剣で素振りをしたりしていた。
飄々としているリドですら少しイラッとしていたが、一時間が経過しようとしている今では諦めモードである。
「ははは……」
乾いた笑いを漏らしつつ、すでに諦めている流衣は空に視線を向ける。確かに、朝からあまり見たくないくらいには暑苦しい。色々と騒がしい少年である。
(ん……?)
何気なく空を見上げただけだったのだが、長閑な光景に不釣合いなものを見つけて流衣は僅かに眉を寄せた。
宿舎の向かいに、鍛練場を挟むようにして、受付のある棟――本棟があるのだが、その屋根に魔物が座っていた。
大きさにして成長した猫くらいの、丸い体躯に口鼻耳はなく大きな金色の目が一つ、コウモリのような翼が一対生えた魔物だ。シッポは悪魔を思わせる鈎状である。
(ああいうの、ゲームによくモンスターとして出てくるよなあ。名前なんだっけ)
そんなことを思い、目しかないのにどうやって食事するんだろうと少し不思議に思った。
「ねえオルクス、こんな所にも魔物っているんだね」
肩にいるオルクスに魔物を指差しながら言うと、オルクスは首を振った。
『町には魔物避けが施してあります、あれは使い魔の方ですよ。術者が側にいるか、もしくは誰かを監視しているのかもしれませんね』
「へ~、何かいかにも使い魔って感じだね、あの子」
『あんなの低級ですよ』
かなり上位にいるオルクスは、ちょっと不満げに言った。
『わてだって、使い魔らしい使い魔です』
……どうやら使い魔としてのプライドに引っかかったらしい。
ちょっと笑ってから、また目玉みたいな使い魔に目を戻す。
するとあっちは流衣達が気付いていると気付き、少し慌てた様子で羽をばたつかせて飛び去っていった。
「うわー、間抜けっぽいな、あの使い魔」
隣りで、目の上に手をかざしてその使い魔を見送ったリドが、感心を混ぜた声で言う。リドも気付いていたらしい。
「部屋の清掃、終わったわよお兄ちゃん達」
そこで空き部屋を清掃して巡回していた清掃人のおばさんが声をかけ、流衣達は返事をして荷物を取った。
ディルの方をちらりと見て――なんだか楽しそうに修行しているので放っておくことにして、とっとと部屋に入った。
*
「どうかしたのかい、教祖様」
ふと顔を上げた教祖に気付き、少年は首を傾げた。
「ああ、悪いねサイモン。手当ての途中に」
腕に切り傷をこしらえて帰ってきたサイモンに、教祖は軽く謝ってから治療の続きに取りかかる。
黒い髪と金の目をしたサイモンはカラス族と呼ばれる亜人だ。その証拠に背中に黒い羽が生えている。他は人間と変わりないのだが、耳は人間のそれよりは少し尖っている。黒い衣装を好んでよく着ており、豊穣の月も半ばで徐々に冷え込んできた最近では、厚めの長袖を着込んでいる。どの亜人とも共通して、寒さに弱いのだ。
この少年、以前、人買いから大怪我を負いながらも逃げてきて路地裏に倒れていたのを、教祖が拾って子供のように育てている。他にも、そういう境遇の者を何人か面倒をみていた。
そんな事情もあって教祖を慕っている少年であるが、教祖を除いた他の人間には絶対に触れさせないので、治療が必要な際は教祖が出てくるしかなかった。
「何か問題あったの? 潰してこようか?」
ちょっと慕う度合いが強すぎて、盲目的なサイモンの言葉に苦笑する教祖。
教祖自身は普通のつもりであるのに、何故かこう、いつの間にやら大物みたいに崇められたりして困惑してしまうことが多い。己の理想の為なら仕方が無いと、最近は諦めつつあるけれど。
「違うよ。クロロがドジ踏んだみたいでね」
「クロロって、あの目玉みたいな使い魔?」
少々表情が欠落しているサイモンは、僅かに首を傾げた。
「そう」
「俺、あいつ嫌いだ。ドジ踏む確立高すぎ」
サイモンの声に険が滲む。
「そう言わないで。クロロの他に出せる子がいなくてね。見ているとは気付かれていないようだから、大丈夫だよ」
そう言いながら包帯をとめ、出来た、と頷く教祖。
「それで、怪我をしたってことは、勇者は強かったのかい?」
サイモンは眉間に皺を刻んだ。
「こっちに来たばっかだっていうから油断してた。妙な剣技を使う奴だったよ。――でも、次は負けない」
悔しげに唇を噛むサイモンの頭をぐしゃぐしゃと掻き回す教祖。
「――ご苦労様。それさえ分かれば十分だ。もう一つは?」
「あっちも知らないみたいだ。聖具を盗んだのはお前らかと、神官の奴に訊かれた。知るかって言っといたよ」
「――そうか、あっちも知らないのか」
教祖は顎に手を当てた。
それから穏やかな笑みを浮かべる。
「お手柄だよ、サイモン。聖具が行方不明なら、魔王様が倒されることはない。しばらくは様子見、かな」
こっちも捜索は続けるけどね。
教祖が嬉しげにすると、サイモンも機嫌を直した。
どこの誰だか知らないが、聖具を持ち出してくれたのには感謝している。教祖はふっと微笑む。
「さて、では後はゆっくり休みなさい。私は祈りの間に行ってくるよ」
「うん。またな、教祖様」
教祖は一つ頷いてから、ご神体のある祈りの間に向かった。