十章 騎士見習いとドングリクッキー 2
目が覚めると、見知らぬ部屋の天井が見えた。
「………う?」
何だかヒリヒリする額に違和感を覚えつつ、流衣は一つ瞬きをする。
「おお、やっと気付いたか!」
銀髪と水色の目をした、無骨な印象はあるが綺麗な顔をした少年が覗き込むようにして声を上げた。
―――誰?
その少年を見つめること三秒。知り合いではないと結論づけた流衣は、内心で首をひねる。
「すまなかった、ルイ殿! 私の決闘に巻き込んでしまい、怪我までさせてしまって本当に申し訳なく思っている」
いきなり頭を下げられても流衣には身に覚えの無いことなので、目を白黒させるしかない。
え? え? そもそも誰なの、この人?
盛大に混乱していると、横から助け舟が出た。
「町に入ったとこで、決闘があったの覚えてるよな?」
やれやれという調子でリドが問う。
「え、ああ、うん。確か人だかりのとこにいたら、いきなり男の人が飛んできたんだよね……」
そこで記憶が途切れていることに気付き、ん? と眉を寄せる流衣。
「そ。それでお前、鎧つけた男の直撃くらって、気ぃ失ったんだよ。頭ぶつけてたみたいだけど、大丈夫か? あと他にも痛むとこあったら言えよ」
「いや、おでこがヒリヒリする以外は平気……」
それで額がさっきから痛いのかとすっきりする。
「えと、で、それとこの人が何の関係が……?」
そもそもの疑問を口にすると、目の前の少年は一気に渋い顔になった。
「その男を弾き飛ばしたのが私でな」
「ああ、そういうこと」
流衣は納得し、ベッドから身を起こすと、少年に向き直る。
「えーと、なんかよく覚えてないし、そんなに謝らなくていいですよ」
「いや」
少年は首を振る。
「これはけじめだ。私があんな所で決闘をしたのが悪かったのだ。謝るのは至極当然のことだ。本当に申し訳ない」
きっちりと頭を下げる少年。
どうやら見た目の冷たそうな印象と違い、真面目な人柄らしい。
「ええとっ、はい。分かりましたので、頭上げてくださいっ。ほんとお願いしますっ」
この状態は結構辛い。
どぎまぎしながらそう言うと、ようやく少年は納得したようで、顔を上げてくれた。
「かたじけない。私はディルクラウド・レシム。我が師匠リリエノーラ様につき、一人前の魔法騎士になるべく修行しながら旅をしている。ディルと呼んで欲しい。ああ、それと今は修行中の身故、家名を名乗ることを禁じているのでそこは勘弁願いたい」
硬い口調で名乗るディル。
「僕はルイ・オリベです。ちょっと色々事情あって、リドとオルクスと三人で旅してるんです」
壁に背を預けて立っていたリドが、ちらりとディルを一瞥する。
「へえ、その後に家名がつくってことは、あんた貴族だったのか」
ディルが看病を申し出た時点で名乗っているし流衣の紹介も終えていたが、それについては何も言わない。
「貴族!」
初めて見た! 流衣は思わずディルを凝視してしまう。
「ああ、だが私は三男坊でな。家を継げぬ代わりに割と自由が利く身分故、こうして騎士修行を志せる。それに修行中は一般人と変わらぬから、気にせず普通にしてくれ」
ディルは少し困ったようにそう言った。
「んじゃ、遠慮なく」
「僕も」
リドが軽いノリで答え、流衣も頷く。
そこで初めて、流衣はオルクスがしょげかえっているのに気付いた。
「って、どうしたのオルクス。元気ないみたいだけど」
オルクスは影を背負い込み、布団に羽でのの字をぐるぐると書いている。
「申し訳ありません、坊ちゃん……。わてがついていながら、こんな、うう……」
かくっと頭を下げるオルクス。
「こいつもお前と一緒に気絶したんだ。全く、普段は使い魔がどうこううるさい癖に、ここぞという時に役に立たねーオウムだぜ」
「うう、赤猿ごときにっ、くうーっ」
リドの辛口がとどめだった。しくしくさめざめと泣き出すオルクス。存外に感情表現が豊かな使い魔である。
「リド、言い過ぎだよ。そんなに言ったら可哀相じゃないか」
打ちひしがれるオルクスを見ていたらすっかり同情してしまい、オルクスを両手で持ってすぐ側に移動させ、よしよしと背中を撫でてやる。完全に子供扱いだ。
それからふと、顔を上げる。
「僕らを運んだのってリド? 大変だったでしょ、ごめんね。ありがとう」
何となく、こういう言い方をしているということはそういうことだと感じ取った流衣は、ちゃんとリドの方を見て礼を言った。
思うにリドには面倒をかけっぱなしな気がする。いや、これは気のせいではない。気のせいどころか確実に世話になっている。
「ん、まあお前小さいし、そっちはオウムだしな。運ぶのは楽だったぞ。でもまあ礼は受け取っとく。どーも」
リドはにやりと口の端を上げ、それから少し真面目な顔になる。
「でもお前、軽すぎ。ちゃんと飯食ってんのか?」
「食べてるよ。いつも君の前で食べてるじゃないか」
どうせ小さい上に痩せてますよ。コンプレックスを刺激され、流衣は溜め息をつく。
「そうだけどなあ、何で俺と同じ量食ってそんななんだろうな。ま、魔法使いだし、身体鍛える必要はねえけどさ」
それでももうちっと体力つけろよ、という優しい助言に、ますますうなだれる流衣である。
言っておくが、ここの世界の人間の体力が半端ないのであって、地球の現代日本でなら流衣が標準だろう。いや、それでも標準より下か。
「先程から不思議に思っていたのだが、使い魔を従えていることといい、ルイ殿は腕の良い魔法使いなのか?」
ディルの問いに、流衣はうっと言葉に詰まる。
「全然だよ。まだ新米で、点火の術しか使えないし。それに、オルクスのことは色々あって使い魔になってるだけで、召喚できるわけでもないし……」
「ああ、そうなのか。何やら複雑そうだ。立ち入ったことを訊いてすまない。それと余計な世話かとは思うが、初対面の人間に使える魔法の種類を明かすのはやめておいた方が良いぞ。みすみす手の内を晒す行為は危険が付き纏うものだ」
「うん、そうだね。今度から気を付けるよ」
確かにそうだと思ったので、流衣は素直に忠告を受け入れる。
「なんだか、気絶してたらお腹空いてきたよ。ご飯食べに行かない?」
お腹に手を当てて進言すると、リドも頷く。
「そうだな。まだ昼飯食ってなかったし、今から行くか」
「私も一緒して構わんだろうか? 実は私も昼がまだなんだ」
ディルの問いに流衣は了承し、ベッドから降りるとマントを着た。その肩にまだしょげているオルクスを乗せ、杖を手に取ると、貴重品の入った小さめの鞄を腰に付けてから部屋を出た。そうして宿舎を出て食堂のある棟に向かいながら、初めてここがウィングクロスのブラッエ支部の中だと気付いた。
「あら、あんた達、仲良くなったのね」
流衣が魚のソテーにフォークとナイフを駆使していると、見知らぬ綺麗な女の人が声をかけてきた。
「ごめんなさいねえ、うちの弟子が迷惑かけちゃって。あら、まだ腫れてるじゃない。ちゃんと冷やしたの? 他に怪我してない?」
「怪我はこれだけですし、ディルさんが濡れた布で冷やしてくれてました。……ええと、ところでどちら様でしょう?」
食堂に入ってからというもの、さっきは大丈夫だった? と何故か見知らぬ人に声をかけられるので、何だか慣れてしまい、そう返しつつ首を傾げる。自分はさっぱり覚えていないのだが、どうやら流衣のことを覚えているみたいなのだ。
「私は〈光弾の騎士〉こと、リリエノーラ・ヴェルディーよ。今はディルの師匠をしながらクエストしつつ旅してるわ」
リリエはそう言いながら鞄から湿布薬を取り出し、流衣の額にぺたりと貼る。そして、その上から包帯を巻きだした。ミントのような薬草の匂いがつんと広がる。
「はい、出来た。今日一日はつけときなさい。その湿布、よく効くから」
「ありがとうございます……」
手際の良さに感心しながら、礼を口にする流衣。リリエは「どういたしまして」とにこりと微笑んで、それからディルに向き直る。
「ディル、罰その二を言い渡すわ」
「……ふぁ?」
突拍子もないリリエの発言に、パンに噛み付いたまま目だけをリリエに向けるディル。
「ドングリクッキーを作りなさい」
ディルはパンをしっかり咀嚼して飲み込んでから、若干眉間に皺を寄せてリリエに問う。
「―――何故?」
リリエはにっこりと微笑んだ。
「私が食べたいから」
「…………」
黙りこむディル。
構わず、どこか楽しげにリリエは続ける。
「この町って、すぐ近くにあるサルテの森のドングリで作ったクッキーが名物なんですって」
「では、買ってきて食べればいいでしょう」
「それじゃつまんな………いや、罰なんだからそれくらいして当然でしょ?」
「残念なことに本音が駄々漏れてます」
疲労を覚えて眉間に指先を押し付けつつ、ディルは指摘する。
「だって、あんたってば、嫌になるくらい真面目だから修行内容全部クリアしてるし、鍛えがいなさすぎなのよ。これも修行だと思って、頑張りな」
過分に本音を交えつつ、リリエは素晴らしい笑顔で愛弟子の肩を叩く。
「……私が料理が苦手なことを知ってての上での嫌がらせと受け取りますが、宜しいですか?」
真剣にリリエに訊くディル。
「あればっかりは鍛えようないのは知ってるけど、どんな代物が出来るかは楽しみなのよね。あのね、この子すっごいのよ~、魚焼かせたら炭になるし、スープ作らせると毒物に変身するの! 絶対に食べないけどね、あはははは!」
リリエは流衣達に説明し、ひとしきり笑ってから、すちゃっと右手を上げる。
「それじゃあね、頑張って作って。期限は三日後までだから、じゃあね~」
そして、悠々とした足取りで食堂を去っていった。
「こりゃまた強烈なお師匠さんだこと」
リドが茶化すと、ディルは重々しい溜め息をつく。
「騎士としては尊敬しているのだがな、どうも軽いところがあって困る」
「弟子が可愛いんだよ、きっと」
流衣のフォローに、しかしディルは首を振る。
「いや。きっと、私が弟子を取らない主義の師匠に弟子入りする為、一週間あらゆる工作を行ったせいだと思う」
「師匠が師匠なら弟子も弟子だな」
呆れ返るリド。
「うーん、そういうのより、真面目に反応するから面白いだけなんじゃないかな?」
あれはどう見てもからかうのを楽しんでいた。
流衣はそう指摘してみたが、ディルはまた首を振る。
「どっちにしろ困る事実に変わりはない」
……確かに。
流衣はディルが少し不憫になった。
「ドングリクッキーを作れってことは、ドングリを採りに行くんだよね? っていうことは、今の季節って秋なのかな」
食堂でディルと別れ、受付のある棟に向かう為、鍛錬場を横切りながら流衣はリドに話しかけた。どこのウィングクロスも大まかな造りは同じみたいだ。
「季節の話なら、今は豊穣の第二の月だ。もっというと、豊穣の第二の月十二日だな」
「ん? そう言われてもよく分かんない……」
こういう時こそ百科事典の出番だ。季節や暦は説明されてもよく分からない。〈知識のメモ帳〉を開き、時間や年月日について尋ねると、文字が浮かんだ。
――ラーザイナ・フィールドでは一般的に大陸暦が使われている。
一年は十五ヶ月あり、一月は三十日で構成される。
一日は二十四時間、一時間は六十分、一分は六十秒となる。
(時間の単位は同じなのか……。僕のいた所より三ヶ月多い計算になるってことなんだ)
流衣はちょっと考え込んだ。
それはつまり、この世界の、というか惑星の公転周期が地球より遅いということなんだろう。太陽は一つだし、月も一つで似た感じだから、惑星という考え方も通用するはず。
そのままメモ帳を読み進める。
――季節は四つに別れており、一月と二月、それから十二月、十三月、十四月、十五月は「静謐」、三月と四月と五月は「祝福」、六月と七月と八月は「輝き」、九月と十月と十一月は「豊穣」と呼ばれている。
例えば「祝福の第一の月」と呼ぶことで、三月を意味している。つまり、その季節の中の月を番号付けで呼ぶのである。
これは一般的な呼び方で、正確に記述する際は「大陸暦~~年、三月、~~日」と記す。
「うう、ややこしいなあ」
頭の中がごちゃごちゃしてきた。
簡単に言えば、春夏秋冬を別の呼び方をしてることになるわけだ。
「春、夏、秋、冬、とかそういう言い回しって使わないの?」
少し気になってリドに訊くと、あっさり頷かれる。
「使うけど、何ていうかな、詩とか歌で使うくらいで、日常じゃ使うことはねえな」
日本でいうところの、古典の言葉に括られているのか?
自分の知っている常識が微妙に絡まっていて、ややこしいことこの上ない。どうせなら全部同じなら良いのに。
「ええと、ちなみに今日は大陸暦でいうと何日?」
流衣の問いに、リドは思い出すように斜め上を見る。
「確か、大陸暦1035年の、十月十二日だ。年なんてそうそう使うことねえから、ちょっと自信ねえけど」
普通に毎日を生活するだけなら、季節と月さえ知っていれば生活出来るのだ。
リドは僅かに首を傾げる。合っていたか自信がない。
「そっか、分かったよありがとう」
「ん、なら良かった。ま、付け足しとくと、大陸暦っていうのはルマルディー王国の建国年からの換算だ。うちの王国がラーザイナ・フィールドじゃ一番古いんで、周りも便利がって同じ暦を使ってんだよ。だから一部じゃ使ってない国もあるらしい」
「へ~」
「言っとくけど、これは一般常識で、皆知ってるからな。俺が別段物知りなわけじゃねえぞ」
あんまり流衣が感心するせいか、リドが気まずげに付け足した。
「わ、分かった。うーん、覚えておかなきゃいけないことが山積みだなあ」
流衣はそう呟き、とりあえず年月日の数え方をマスターしておく為、メモ帳を片手に頭の中で暗誦する。丸暗記が苦手なんて贅沢なことを言ってられる中身ではない。
「で、今日はどうする? クエストか町を見て回るか」
折角、こんなでかい町に来たんだしな、どうせ回るなら一日使った方が楽しいと思うが。
リドがそう付け加え、流衣はちょっとだけ悩む。
町を見て回りたいというのが本音だが、お腹は満たされているから、屋台で買い食いするのは無理そうだし、こんな大きな町なら半日では全部回りきれないだろう。
あ、そういえばドングリクッキーが名物って言ってたっけ。
「サルテの森ってここから近いんだっけ?」
「ん? ああ、ドングリの。北門を出てすぐ右手だったかな」
リドは顎に手を当てて言い、首をひねる。
「何か簡単なクエストが出てるかもな。ひとまずクエストボードで確認して決めるか」
結局それで決めることになり、流衣も頷いた。