8月31日
8月31日 x曜日 晴れ
数学の100問ドリルが終わった。次は読書感想文だ。
僕は長文を読もうとするとすぐ眠くなってしまって、感想を書くために大急ぎで読み切るということがどうしてもできない。しかし、この祠の中では、眠くなったら眠っていたいだけ眠り、少し読んでまた眠るなんてこともできる。思考が脇道へ逸れたって、いつまで余所事を考えていてもいい。
おじいちゃんは祠について「村に電線がなかった頃の冷蔵庫だよ」と言っていたが、それは単に祠の中が涼しいからじゃない。ここでは時計が止まる。祠の中で過ごした時間は無かったことになる。たとえば僕が8月31日の正午ぴったりに祠へ入ったとして、どんなにのんびり長居したあとでも、祠を出ると携帯型端末の時刻表示は同日午後00時00分01秒から進み始め、太陽はずっと同じ高度で待っていてくれるだろう。外の時間が止まっているあいだ、僕だけが祠の中で無限の時間を使って、夏休みの宿題を必ず二学期までに間に合わせることができる。電気がなかった時代なら、非常食や証文なんかを入れておけば、夏が来ようと、冬が来ようと、腐りも朽ちもせず、いつでも新品同様のまま取り出せたはず。だから、時間の進み方が周りと違う異常な場所でも、大きな岩で塞いだりしないで、いろんなものを保存できるように倉庫の形にしてあるってわけだ。
そういう祠の特性に気づくまでに出たり入ったり実験を繰り返し、何日もかかってしまった。今日、僕は新幹線に乗って帰ることになっている。祠の外でボンヤリ過ごしたら、あっという間に帰り支度のタイムリミットがくる。でも祠の中にいるかぎり誰も僕を邪魔しない。このあと宿題が全部済むまで何時間かかろうと、祠の外の世界ではほんのひととき、行方をくらませているにすぎないからだ。
ここでは端末のバッテリー残量が減らないかわりに時計が動かず、電波も通じないから、のんびりしすぎないように気をつけなきゃならない。何ヶ月も何年も知らぬ間に経ち、外の世界へ出たとき、おとうさんやおじいちゃんよりも年上になっちゃうと困る。お腹が空いたら宿題をあきらめるつもりでいるが、少なくとも今まで繰り返した実験中は、祠にいるあいだ、喉が渇いたり、トイレに行きたくなったことはない。ひょっとしたら僕の新陳代謝はすごく遅くなっていて、何百年でも何千年でも寝て起きるだけで暮らせるのかもしれない。そうだとすると学校へは行かなくてもよくなるわけで、せっせと宿題をこなす意味もないんじゃないのか?
やっぱり、このページだけは提出せず祠の中へ残しておこうと思う(提出用の8月31日には帰りの新幹線の想い出でも書いとく)。自由研究のテーマがまだ決まっていないけど、祠について発表するのはよそう。ここの秘密が知れ渡ったら、村の人達に迷惑がかかる。まず間違いなく、野次馬が押し寄せる。まじめな学者よりも先に悪い奴らに狙われでもしてみろ、祠をめぐってケガ人が出るにきまっている。おじいちゃんは祠の正体を知らないのかな?忘れちゃったのかな?あるいは知っていながら冷蔵庫だとか言ってごまかしているのかな?いずれにせよ、わざわざ僕がみんなに言いふらさなくたっていい。祠が封印されていたのは、たぶん、過去にトラブルが起きたせいだ。誰にも邪魔されず無限の時間を寝て過ごせるなんて、仕事サボりや泥棒の隠れ家にうってつけだし、僕自身、間に合わないはずの宿題を祠の中でズルして済ませようとしている。祠は人間を堕落させる。
日記を見た人が祠の誘惑に負けず、僕の忠告を参考にしてくれることを望む。この世界は意外と雑に出来ているが、綻びを見つけたら悪用すりゃいいってものじゃないよ。




