7.転生前を懐かしむ(前編)
その日、わたくしは屋敷の厨房で、野菜の皮を煮込んでいた。
料理人たちに頼んで、いろいろな野菜の皮を集めておいてもらったのだ。
使いきれないかもしれないカツオや昆布を買う勇気はないけれど、自分でだし汁を作りたい――。転生前、『そんな気分になった日』に作っていたのが、この野菜の皮で作るベジブロスだった。
今の人生において、今日が、わたくしにとっての『そんな気分になった日』だった。
恋い慕っていたユリウス殿下と共に、断罪されるかもしれない可能性が出てきたのだ。
転生前だって大変だったけれど、さすがに下手すると処刑みたいな綱渡りはなかったわ。
わたくしは火加減を気にしながら、小さな鍋の中で野菜の皮たちがゆったりと踊るさまを見ていた。
日本で言うところの勝手口が開いた。わたくしは、業者がなにか届けに来たのかと思いながら、入ってきた者に目をやった。
「ユリウス殿下……!?」
舞踏会から十日ほどが経過していた。トリッジ子爵夫人となったわたくしの元には、ユリウス殿下がどうしているかという情報など、一切入って来ていなかった。
「テレーゼ、その後、どうしていただろうか?」
ユリウス殿下は自分で扉を閉めて、わたくしに近づいてきた。
どうって……。わたくしはユリウス殿下に肩を抱かれて、大広間を突っ切ってルビトール離宮を出てきたのだ。
グスタフがめちゃくちゃ怒ったに決まっているじゃないの。「一族とドロテアの命がかかっているのだ!」と三回は叫んでいたわよ。
ユリウス殿下はわたくしに近づいてきて、わたくしのこめかみにかかっている髪を、長い指で持ち上げた。
「これはどうしたのだ!?」
わぁ、ユリウス殿下、気づいちゃいました……!?
これはグスタフが「私だって子爵になるより、ドロテアと一緒になる方が良かったのだ!」と叫びながら、家紋入りの金の指輪を投げつけてきたんですよ。
わたくしが上手く避けられなくて、痣を作ってしまったら、グスタフは「しっかり避けないか! 我が一族を、そんなにも皆殺しにしたいのか!?」と泣き出した。
グスタフは「お前自身も、お前の両親も、死ぬことになるのだ! わからないのか!?」と言って、その場で座り込んでいた。
指輪を投げつけられたのは当然ながら腹が立ったけれど、必死で一族と元婚約者を守ろうとしているグスタフは、そこまで悪い奴でもないのかな、なんて思った。
「階段で転んで、手すりで打ったのです。危ないところでした」
ただ『転んだ』だけでは信じてもらえないかもしれないと思って、いろいろなシチュエーションで、どういった部位を打つのか、自分なりに検討した結果を元にした回答だった。
「そんな言葉を信じると思ったのか」
ええぇ……、あんなに角度とか考えたのに!? どこらへんで信じてもらえなかったんだろう……? ユリウス殿下が知っている、階段の手すりの形状の問題かなぁ……。
「すぐに治りますわ」
「いや、宮廷医官を連れてくる。待って……。うん?」
ユリウス殿下はわたくしの後ろで煮込まれていっている、だし汁の鍋に近づいてきた。
ちょっと良い香りがしてますものね。
ここは美味しい鍋でも出して、ユリウス殿下の気を逸らす作戦でいきたいところですわ。
「スープを煮込んでおりましたの」
だし汁と言っても、この世界の方には通じませんもの。
ユリウス殿下は鍋の中を見ると、眉を寄せた。
「これが野菜の皮であることは、私でもわかる。トリッジ子爵は、テレーゼに残飯を与えているのだろうか」
それは、問いかけではなかった。
ユリウス殿下は、この国の尊い王族であられる。野菜の皮など残飯にしか見えないだろう。
スープと言ったの、まずかったみたい……。具材がこの野菜の皮だと思われてるよね、これ。
「なんとご説明したら……。王宮の厨房では、鳥ガラとか、煮ますよね?」
「鳥ガラ?」
「ええと、鳥の骨を煮て、スープの元を作りますよね?」
この世界には、鶏がらスープってないの? あまり厨房に行かなかったから、わからないわ。豚骨スープならある?
コンソメスープはなにを煮込むのだろう? 材料が高そうなイメージだったから、作ろうと思ったことがなかったわ。
「そう……なのか? 厨房になど、ほとんど行かないのだ。テレーゼもそうだっただろう?」
「ええ、そうでした」
前はそうだったけれど、今は転生前の味が恋しいのよ。一人でお金もなかったけれど、気楽なところもあった暮らしだったのですもの。
「この野菜の皮を食すつもりではない、と言いたいのか?」
「そうです、そうなんです!」
それが言いたかったのよ! 伝わって良かったー! 下手するとグスタフ処刑ルートに入ってしまうところだったわ。怖い怖い!
王妃殿下の命により結婚してからというもの、『選び間違えると人が死んでしまう』みたいな状況が多くなった。突然、死にゲーの主人公にでもなった気分だわ。
自宅で料理していても、難易度の高い選択肢が出てくるとか、どうなってるのよ……。