6.『ざまぁ』される側の令嬢になりそうです
わたくしは帰りの馬車では、自分からグスタフに、いろいろ話しかけてみようと思っていた。
グスタフがユリウス殿下に嫉妬しているだけの、わたくしの本当の伴侶かもしれなかったからだ。
それが、まさか、ユリウス殿下の馬車に載せられて、帰路につくことになるとはね。
人生いろいろわからないわ。
グスタフから不倫を断罪される可能性はなくなった。グスタフ自身が、元婚約者と不倫中なのですもの。
王妃殿下もなんということをしてくれたのだろう……。控えめに言って、この結婚で、王妃殿下以外の誰一人として幸せになっていない。
これで王妃殿下は満足なのだろうか……。
「テレーゼ、部下の報告によると、グスタフはなにか取り込み中とのことだ。なにをしているのか知らんが、その、なんというか、あの男は、テレーゼを放っておいて平気なのだろうか?」
大広間に戻ると、ユリウス殿下はわたくしに問うてきた。
グスタフなら平気でしょうね、と答えるわけにもいかず、わたくしは黙ってうつむいた。
ユリウス殿下の部下も、グスタフと元婚約者のあの状況を説明するのが嫌で、話を濁したみたいね。
「私ならば、テレーゼを放っておいたりしない」
なに言ってんの? わたくしを残してルクコーヒ王国に留学してたじゃん!? 国務だから仕方なかったかもしれないけど、その間にわたくし、王妃殿下に結婚させられちゃったよ!?
ユリウス殿下、わたくしのこと、めちゃくちゃ放っておいてますよね!?
こっちはW不倫で誰かに断罪されて、グスタフから使用人までトリッジ子爵家がまるごと処刑されるかもしれないとか、考えることがいっぱいあるんです!
既婚者は大変なのよ! あー、ただの令嬢に戻りたい!
「顔色が悪いな。グスタフはまだ戻らないようだ。私が屋敷まで送っていこう」
ユリウス殿下はわたくしの肩を抱いた。
いやいや、だからさ! 不倫になっちゃうから! ダメだから!
妹同然かもしれないけど、本当の妹じゃないので!
あのさ、白い結婚であっても、そこに愛がなくても、結婚は結婚なのよ!
夢のような出来事が次から次へと起きるのに、落ち着いて楽しめない……!
これが既婚者ということ!? 違くない!?
結婚って『二人は結ばれてハッピーエンド』じゃないの!?
あぁ、思い出した! これが結婚の別名、『人生の墓場』ですか……!
わたくしはユリウス殿下と密着して、大広間を横切り、ルビトール離宮を出た。
ああ、もう、醜聞が流れる未来しか見えない……。
なんでこうなってるの!? 突然、どういうことよ!?
――フェリシア嬢! そうよ、フェリシア嬢だわ!
ユリウス殿下は男のフェリシア嬢と婚姻したくないのだわ!
そりゃそうだわ! 理解! 男同士では無理なのよ!
ユリウス殿下は女性との噂もなかったけれど、男性との噂だって一切なかったじゃない!
わたくしが転生前にいた日本では、多様性が叫ばれるようになっていた。そこで学びましたわ。
――この世には、男にも女にもご興味のない方がいる。
そう考えると、ユリウス殿下に一切、色恋の噂がなかったのも納得できるわ。
見目麗しいユリウス殿下ですもの、王宮の侍女や護衛騎士たち、令嬢に令息、平民だって、お目に留まりたいと思っていたはずよ。
ユリウス殿下に対して、積極的に打って出た者たちもいたはず。
ユリウス殿下はその彼ら全員を相手にしなかったわけでしょう?
これは誰にも興味ないわぁ……!
わたくしはユリウス殿下に肩を抱かれたまま、馬車まで連れていかれた。
ユリウス殿下が自らわたくしの手を取って、馬車に乗せてくださった。
なぜこんなにも連続して、かつて想像した素敵な出来事が押し寄せてくるのだろうか。
今になって押し寄せて来られても、もう素直に喜べないんだってば……!
わたくしは隣に座っているユリウス殿下に目をやった。
ユリウス殿下はいつもの穏やかな笑みを浮かべて、わたくしを見つめておられた。
「テレーゼ、どうした?」
「いえ……」
ユリウス殿下はあの王妃殿下のご子息であられる。
どれだけ素敵な落ち着いた王子様に見えても、あの恐ろしい王妃殿下の血が全身を巡っている。
これさあ、わたくしが立場の弱い元侍女で、乳母の娘で、子爵令嬢だからだよね。わたくしを王子妃にしたら、白い結婚でもこっちが文句を言わないだろうと思って、『こいつをなんとかして娶ろう』ムーブしてるんだよね!?
ユリウス殿下、それはさすがにもう遅くてよ……!
まず王妃殿下に伝えるのよ! 別に男が良いわけではないことを!
そこからだよね!?
「辺境伯家のフェリシア嬢とご婚約されるそうですね」
わたくしは順を追って話をしようと、まずは事実確認から入った。物事には順序ってありますもの。
いきなり『男がいいわけじゃないって、ちゃんと王妃殿下に言ったら』と言っても、スムーズに事が運びませんわ。
「ああ、そのことか。テレーゼの気にすることではないよ」
ユリウス殿下は何度かためらうような素振りをしてから、わたくしの手を握った。
いや、気になるわ! フェリシアも気になるし、手を握られてるのだって気になって仕方ないわ!
わたくしのことを『まだ娶れる』と考えているということは、わたくしが白い結婚であることを把握しているということよね。
えっ、調べさせたの!? ユリウス殿下って、目的のためならば、そんなことまで調べちゃうの!? そんなの、普通、知りたくないよね!?
わたくしとグスタフは、見るからに白い結婚という感じではなかったはずだ。
グスタフは大広間でわたくしの肩を抱いていた。わたくしたちの距離は、不自然なほどに近かった。
ユリウス殿下も、わたくしたちのあの姿をご覧になったのだ。
わたくしたちの結婚って、白っぽい感じがしなかったよね!? 黒までいかずとも、灰色はいってたよね!?
調べてみなければ、白だと確信することはできないはずだわ……。
うわー、調べたんだ! どう考えても調べてる!
「フェリシア嬢とお話しました」
わたくしが気を取り直して言うと、ユリウス殿下はとても驚かれていた。
なんで? わたくしがフェリシアと話をしているところに来たでしょ。話をしていないと思っていたの?
ああ、フェリシアはあの奇矯な姿ですもの。会話が成り立つような相手ではない、と考えておられたとしても、仕方がありませんわね。
「なにか言われたのか!?」
ユリウス殿下は厳しい顔をしていた。わたくしの両肩に手を置き、わたくしが怪我をしていないか見たりされた。
「ユリウス殿下について訊かれました」
「私についてか……」
ユリウス殿下は両手でわたくしの手を握ってきた。
もういいよ、誰も見てないもん。わたくしの手を握りたければ握ったら?
ずっと恋い慕っていたユリウス殿下と馬車に二人きりで、手を握られていて……。本来ならば甘く切ない感情が渦巻くはずが、もう本当になにもかもどうでもよくなっていた。なんか疲れてきたわ。
「相手は格上の伯爵令嬢だ。ひどいことを言われただろう」
わたくしは『ひどいことを言われた』からの連想で、グスタフがわたくしを『王子のお下がり女』呼ばわりしていたことを思い出した。
「フェリシア嬢になにを言われたのだ!?」
「なにも……」
フェリシアは礼儀正しい淑女だった。淑女、なのかな? 男だから淑男? ちょっとよくわからないや。
「すでに母上と辺境伯家の間で、私とフェリシア嬢の婚約が成立しているようだが、テレーゼをいじめるというならば、婚約破棄するよりない」
ユリウス殿下はわたくしに「申し訳なかった」と謝ってくれた。
えっ、フェリシアって悪役令嬢ポジションだったの!? 待って待って! ユリウス殿下、よく考えてみましょう!
フェリシアはなにも悪くないのに、いきなり婚約破棄イベントが起きる流れになってるよね!?
婚約破棄イベントで王子様の隣にいる身分の低い女、それがこのわたくしじゃない!? このままだと、そうなるよね!?
フェリシアはしっかりした方だった。突然、やってもいない、わたくしへのいじめが理由で婚約破棄イベントに突入したら、絶対に返り討ちにしてくる。
辺境伯家は武門の家系。フェリシア……、フェリクスも武人の体つきをしていた。泣いて立ち去るおとなしい令嬢というタイプの男ではない。
んんっ!? なんかちょっと引っかかるけど、まあ、とにかく、彼は黙ってやられてくれる令嬢じゃないわ。
このまま進んでいってしまったら、ユリウス殿下はどこかの戦場に送られるとか、炭鉱夫にされるとか、どこかに幽閉されるだわ。
わたくしは淫乱向きの職場認定されているタイプの娼館とか、平民に落とされて男っ気のまったくない修道院送りだ。
今夜、子供の時以来、すごく久しぶりにユリウス殿下が手を握ってくださった。これって、そんな破滅ルートに続いていたの!? いきなり地獄の入口が見えてきたぁ……!
「いじめられてなどおりません」
わたくしは言っても無駄かな、と思いながら、事実をありのままに告げた。他にどう言ったらいいかわからなかった。こういう時、なにか上手い言い方ってあるのだろうか……。
「案ずるな」
ユリウス殿下はわたくしを抱きしめてくださった。完全に自分の世界に入っている。なぜよ!?
案ずるに決まってるでしょ!? 婚約破棄イベントの別名は、断罪イベントよ! 断罪されるのは、悪役令嬢の場合もあれば、断罪しようとした側のこともあるの。
フェリシアに罪はない。このままならば、彼は断罪する側の令嬢。わたくしたちを断罪して、男同士での結婚も回避して、意気揚々と辺境伯家に帰っていくわ。
わたくし、まさかの『ざまぁ』される側の令嬢になりそうです。
ずっと恋い慕ってきたユリウス殿下の腕の中にいても、破滅する未来しか見えません。