15.白い結婚の終わり(後編)
部屋の扉がノックされて、先ほどの使用人が入ってきた。
「旦那様、王宮からご友人の騎士様がいらしております」
「友人の騎士だと?」
「ハンス・ナグニー様と名乗っておられます」
「ハンスならヨゼフィーネの護衛騎士だ。ここに通してくれ」
ユリウス殿下の言葉を聞いたグスタフが、使用人にハンスをこの部屋に通すよう命じると、使用人は部屋を出ていった。
ハンスという騎士は、すぐにこの部屋にやって来た。ユリウス殿下の前でひざまずき、ヨゼフィーネ殿下からの書状を渡した。
わたくしにはハンスという騎士が、フェリクスのようにしか見えなかった。
ユリウス殿下はハンスという騎士に立つよう促した。
「この者はヨゼフィーネの護衛騎士のハンスではなく、ジランド辺境伯家の四男のフェリクスだ」
ユリウス殿下がグスタフとドロテアに、フェリクスを紹介した。
やっぱりフェリクスだったのね。
「トリッジ子爵、スクチェック子爵令嬢、お初にお目にかかります。テレーゼ嬢、こんばんは」
フェリクスはわたくしたちに挨拶をした。
わたくしは自分がもう既婚者であるのに、まわりの人々がいまだにわたくしを『トリッジ子爵夫人』ではなく『テレーゼ嬢』と呼ぶことが多いことに気がついた。
わたくしの横では、ユリウス殿下がフェリクスの言葉に満足げにうなずいていた。
わたくしが自分の世界に閉じこもっていた頃、ユリウス殿下は少し離れた場所から、わたくしを笑顔で静かに見つめているような方だった。
……そんなわけないだろうと、わたくしは自分で自分を叱りたい気持ちだった。
ユリウス殿下は、あの王妃殿下の息子。
わたくしを好きすぎて、暴走する軍馬のような男だ。
国王陛下から「少しテレーゼから離れて落ち着け」と言われ、わたくしと引き離すためにルクコーヒ王国に留学させられていたではないの。
それはまわりの者たちだって、ユリウス殿下のお心に沿うよう、既婚者のわたくしを『テレーゼ嬢』と呼びたいだろう。
「フェリクスが、トリッジ子爵とスクチェック子爵令嬢を辺境伯家で匿ってくれるそうだ」
ユリウス殿下は良い笑顔でわたくしに言った。
わたくしは、なんとなく嫌な予感がした。
ユリウス殿下は『愛するテレーゼの夫となったことのある男』を許すだろうか……。
「フェリクス様、辺境伯家は魔境伯家と親しかったですわよね?」
「魔境伯家? ええ、そうです。戦う相手は違えど、この国の境を守る武門の家系同士ですからね」
わたくしはうなずくと、グスタフとドロテアを見た。
グスタフは良い体格をしている。おそらく武芸もそこまで不得意ということはないだろう。
ドロテアも良い子なので、王都を離れるなんて嫌だなどと言うようには見えない。だいたい王都よりもグスタフと離れたくないだろう。
「ユリウス殿下、わたくし、思ったのですが、トリッジ子爵には、魔境伯を継いでいただくのはどうでしょう? 魔境伯は跡継ぎがいなくて困っていたようですわ」
わたくしの言葉はユリウス殿下の耳に、よくある『爵位を上げつつ、左遷する』を提案しているように聞こえただろうか。
ここでわたくし自身が、彼らを罰する姿勢を見せておけば、ユリウス殿下はそれ以上の罰を自ら与えようとはしないだろう。
ユリウス殿下は『愛するテレーゼの望んだ結果』を、台無しにしたりするような方ではないもの。
「トリッジ子爵家は、本来継ぐはずだったグスタフ様のお兄様がおられますでしょう? グスタフ様は魔境伯がお似合いだと思いますの」
「魔境伯か……。そうだな。良いだろう」
ユリウス殿下の同意が得られた。
グスタフとドロテアは、悲痛な面持ちでお互いを見つめていた。二人は自分たちがどう振る舞うべきか心得ているようだった。
「フェリクス様、トリッジ子爵とスクチェック子爵令嬢を連れて、魔境伯家に行っていただけませんか?」
「すぐに向かいます」
フェリクスもやるべきことがわかっているようだった。
魔境伯家は夜更けにお客を迎えることになり迷惑だろうが、事情を知ったら、他にどうしようもなかったと理解してくれるだろう。
「そうでした、ユリウス殿下。ヨゼフィーネ殿下が新作を献上したいとのことでした」
フェリクスは懐から一冊の厚みのない冊子を取り出した。
ユリウス殿下はフェリクスから渡された冊子を、ぱらぱらとめくって内容を確認した。
「ヨゼフィーネ……、あいつはまた……、こんなものを書いていたのか……。女装の辺境伯令息と私の下剋上物とは……。まあ……、侍従のエリックに入れあげている私の話よりは……、まあ……」
ユリウス殿下は頭痛がしたようで、眉間を寄せて、こめかみを押さえた。
ヨゼフィーネ殿下も、あれでなかなかの策士のようだわ。ヨゼフィーネ殿下による『BがLしている創作物』が噂の出所ということになれば、フェリクスもエリックも命の危険がだいぶ減るもの。
……ヨゼフィーネ殿下がこのような策を講じることを決断するまでになにがあったのかは、わたくしは考えないことにした。そこを考え始めると、恐ろしい結論に至りそうだった。
フェリクスはユリウス殿下が悩んでいる間に、グスタフとドロテアを連れて部屋を出て行った。
おそらくフェリクスとヨゼフィーネ殿下は、辺境伯家の私兵の精鋭たちと、ヨゼフィーネ殿下の護衛騎士の精鋭たちとで、グスタフとドロテアを守ってくれるだろう。
「テレーゼ、これから戸籍管理局長の家に行かないか?」
どこか遠慮がちに提案してきたユリウス殿下に、わたくしは笑顔で「行きましょう」と応えた。
戸籍管理局長はこの時間ならば、もう休んでいるだろう。とても迷惑だと思うかもしれないけれど、ユリウス殿下がわたくしの白い結婚を解消するために来たのだと知ったら、眠気も吹っ飛ぶだろう。
ユリウス殿下は、わたくしに執着し、わたくしを溺愛し、わたくし一人だけにやさしい、武も知も兼ね備えた魔王のような男だ。
女性向けの恋愛物にたまに出てくるような、そんな男が夜更けに好いた女性のために自宅を訪ねてくるのだ。
戸籍管理局長には気の毒だが、この夜中に部下を招集して、婚姻解消の手続きをしてもらうしかない。
ユリウス殿下はわたくしのためならば、場所も時間もすべて、どうだってよいと思っているはずだ。
今だってユリウス殿下は、日本で言うところの『善は急げ』みたいなことを考えているに違いなかった。




