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2.子爵夫人は『異世界(恋愛)部門』がお好き

 わたくしはユリウス殿下に手紙を書き送った。


 王妃殿下から素晴らしい縁談を賜り、トリッジ子爵という素敵な方の元へと嫁いだこと。

 王妃殿下のご実家の一族に迎え入れていただけて、とても光栄に思っていること。

 トリッジ子爵夫人となったので、もう侍女としてお仕えできないこともお詫びした。


 ユリウス殿下の命令は覚えていたけれど、手紙では一切触れないでおいた。

 覚えていながら婚姻したとなると、いろいろ面倒ですもの。


 王宮は恐ろしいところ。

 わたくしがユリウス殿下に断罪される時に、王妃殿下とユリウス殿下が揉め始めたりしたら困るわ。

『王妃殿下がごり押しした』みたいな話にでもなったら、怒った王妃殿下によって、一族皆殺しにだってなりかねない。



 ユリウス殿下からはお返事がいただけた。

『美貌の王子様』と呼ばれるユリウス殿下の、麗しいお姿を思わせる流麗な文字……のはずが、書き殴ったようなすごい文字だった。


 荒れ狂う海を航海中の船ででも書いたのだろうか……。

 ユリウス殿下が船に乗るとしたら、帰国の船だろうけれど、まだ帰国されていない。

 なにがどうして、こんなにも文字が乱れているのだろうか……。


 ユリウス殿下はお手紙で、王妃殿下がこの国で権力を持ちすぎているという批判や、王権の弱体化であるとか、貿易摩擦について熱く語っておられた。


 ユリウス殿下はどうやら、ルクコーヒ王国に留学されて、少し……いや、だいぶ変わられたようだ。

 かつてのユリウス殿下は、このように国王陛下や王妃殿下を批判されたりするような方ではなかった。


 貿易についても、ルクコーヒ王国に留学されて、よく学ばれたようだ。『いずれホルンリン王国は、この報いを受けるだろう』だなんて……。文字が乱れていてよくわからないけれど、この国とルクコーヒ王国との間で、なにか重大なことが起きているみたい。


 こんな一介の侍女に、今後のルクコーヒ王国との貿易などという、国を左右するような話を書き送ってこられて良いのだろうか。

 字がひどく乱れているのは、まさか暗号が仕込まれているから?

 軍部にでも持ち込んで、暗号を解読してもらった方が良いのかしら?


 ユリウス殿下は、『お前は軽率なところがある。この手紙は他の者には決して見せるな』と書かれていた。

 もしかしたら、『来るべき時が来たら、誰にこのことを話せばよいかわかる』みたいな感じなのかもしれない。


 便箋には、一度ぐちゃぐちゃに丸めてから開かれたような、細かい折り目がつけられていた。だいぶ様子のおかしい感じの手紙だ。まさか、この手紙を書いている時に刺客に襲われて、激闘の末に汗まみれになり、便箋もぐちゃぐちゃになったとかなのかしら……。


 インクの文字が、けっこうにじんでいるところがあるのよね。


 汗なわけないわね。雨の日に書いていて、いきなり窓が開いてしまって、雨と風が吹き込んできたのよ。


『便箋が風に吹き飛ばされそうになったところを捕まえて、雨に濡れたまま封筒に詰めて送ってこられた』

 真相はきっとそんなものよね。


 これは、わたくしがユリウス殿下から受け取る最後の手紙だろう。もうちょっと、なんとかならなかったのだろうか……。




「ああ、ユリウス殿下……」

 わたくしは鏡台の前で、くしゃくしゃの便箋を胸に押し当てた。



 ――わたくしは心に宿る想像の翼を羽ばたかせた。


 ユリウス殿下は、わたくしの婚姻を知らせる手紙を受け取ると、あの二つの静謐な湖を思わせる目から涙をあふれさせた。


 ユリウス殿下の長い指が羽ペンをつまみ、少しためらってから銀の箔押しのされた美しいカードに『我が妹よ、結婚おめでとう』と流麗な文字でしたためた。


 失って初めて、ユリウス殿下はわたくしに恋していたことに気づいたの。


 カードを封筒に詰めたユリウス殿下は、白いハンカチで涙をぬぐう。それから、侍従のエリックを呼んで、手紙を渡すのよ。




「ああ、なんて切ないの……!」

 わたくしは便箋を抱えて寝台に行き、横たわってごろごろ転げまわった。

 嫁ぎ先にいようが、現実の便箋がくしゃくしゃだろうが、心だけは自由よ!




 再び一人になったユリウス殿下は、「テレーゼ……」と切なくわたくしの名を呼ぶの。


『テレーゼは私と共に育ったのだ。ずっとただの妹だと思っていた。気づかなかった。あれは妹でも侍女でもなく、妻にするべき女性だったのだ』


 心に浮かんだわたくしへの思慕で、ユリウス殿下はその場にくずおれるの。涙があふれて止まらなくなって、何度もわたくしの名を呼ぶのよ。




 わたくしは転生前の世界のことを思った。


「スマホがあったらなぁ……」

 最安値のエントリー機でいいからさぁ……。この中世みたいな世界のどこかに、スキルを持ってる系の転生者がいないかしら? スマホを作って売ったら、金貨で無双できると思うわ。お金、最強!


 さらにそのスマホで、あの某大手小説サイトを作ってもらうのよ。転生前にわたくしの心をずっと慰めてくれた、あの奇跡の場所。


 わたくしはスマホで、このユリウス殿下の恋を小説としてしたためるの。

『王子様ですが、侍女への恋心に気づいたんだけど、もう遅かったようだ』みたいなタイトルまでできたわ。

 誰か一人くらいの心には、刺さるんじゃないかしら?




「おい、トリッジ子爵夫人!」

 部屋の扉が荒々しく開けられて、大きな紙箱を持ったトリッジ子爵であるグスタフが大股で入ってきた。

 わたくしの夫は、暗い金髪に金色の瞳をした、どこか獅子を思わせる方だ。


 わたくしは慌てて妄想を中止して、便箋を枕の下に突っ込んだ。寝台で他の男の手紙を抱えているとか、いろいろ勘ぐられて大変なことになりそうですもの。


「これを着ろ。王妃殿下主催の舞踏会に行く」

 グスタフは紙箱を放り出した。薄桃色の美しいドレスが、箱から飛び出て床を美しく彩った。


「あの……、これは……」

「勘違いするな、トリッジ子爵夫人。これは私からではなく、王妃殿下から『娘同然のかわいいテレーゼ』への贈り物だ」

 グスタフはやるべきことをして、言うべきことを言い終えたのだろう。来た時と同じように荒々しく、わたくしの部屋から出て行った。


 わたくしは枕の下から便箋を出して封筒に戻し、鏡台の引き出しの一番奥にしまった。


 廊下を走ってくる二組の足音がする。普段はこの部屋に寄り付きもしない、この館の侍女たちのものだろう。グスタフの命令に従って、慌ててやって来ているのだ。


 わたくしはドレスを拾い上げ、目を閉じた。

 嫉妬というのもまた、あの某大手小説サイトの『異世界(恋愛)部門』的に考えると、甘美な響きだわ。


 グスタフはわたくしとユリウス殿下の関係を誤解しているのよ。

 妻には幼い頃から一緒に育った美貌の王子様がいるとか、嫉妬せずにはいられないわよね。


 わたくしの心は自由なの。だから平気。大丈夫よ。

 たとえ夫となった方が、王妃殿下からのごり押し結婚にキレ散らかしていたとしても、わたくしの心に宿る『異世界(恋愛)部門』にとってはそんなもの、ただの養分にすぎないわ。

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