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白い結婚をした転生令嬢は王子様の溺愛に気づけない  作者: 赤林檎


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12.狼煙を上げよう

 わたくしは着替えを済ませたユリウス殿下によって、トリッジ子爵家に帰されてしまった。

 使用人たちも、フェリシアまで、わたくしに帰ってほしそうにしていた。


 わたくしにはユリウス殿下やフェリシアのような武芸の腕がない。足手まといになると思われたのだろう。


 ユリウス殿下は平民の身分証が必要だなんて、きっとどこかに潜入捜査をなさるおつもりなのだろう。

 あまり危険なことはしてほしくなかったけれど、あの国と民を常に思っているお方は、わたくしに止められたからといって、歩みを止めたりなさらないだろう。


 わたくしには、転生前に得た知識がある。きっとこの知識でユリウス殿下をお助けするために、わたくしの転生前の記憶は戻ったのだろう。


 わたくしは館を出て、裏庭に行った。そこには小さな木箱に柵がつけられたものが置かれていた。

 わたくしが近づいていくと、木箱の中にいた平凡な茶色のうさぎは、怯えたように木箱の奥へと逃げていった。


 木箱は上の部分が開くようになっていた。

 わたくしは木箱に手を入れて、うさぎのまん丸な糞をいくつか拾った。うさぎの糞は乾燥していて、匂いも牧草の香りで、手にべたべたくっついたりすることもなかった。


 わたくしは裏庭の隅に行くと、地面にうさぎの糞を置いた。厨房に戻って火のついた薪を持ち、うさぎの糞のところに戻った。


 わたくしが持つ、ユリウス殿下の『聖戦』に役立ちそうな知識。それは、うさぎの糞に火をつけると狼煙になるというものだった。


 わたくしは、なんとかうさぎの糞に火をつけようとしていた。


「テレーゼ、そんな庭の隅でなにをしているのだ?」

 背後でユリウス殿下の声がした。

 わたくしは薪を放り出して立ち上がり、ドレスのスカートを指でつまんで、ユリウス殿下にご挨拶した。


 ユリウス殿下は質素なシャツとパンツ姿で、こうして見てみると、ユリウス殿下もまたテオドール様に少し似ていた。

 わたくしのテオドール様の判定基準は、だいぶ緩いのかもしない。


「泣いていた……、わけではないようだが……?」

 ユリウス殿下はわたくしに近寄って来て、まだ煙の上がらない、うさぎの糞を見た。


「トリッジ子爵はテレーゼに、動物の糞の片付けをさせているのだろうか? そんなことは下男の仕事ではないのか?」

 ユリウス殿下の笑みが引きつっている。ひどく怒っているようだった。


「そうではありません。これは狼煙を上げようとしていたのです。わたくしもユリウス殿下の『聖戦』のお役に立ちたいのです」

「狼煙……? 私の『聖戦』……?」

「うさぎの糞も狼煙として使えると聞いたことがあり、試しておりました。狼の糞の方が良いのかもしれませんが、うさぎの糞でも代用できるそうです」

 ユリウス殿下はわたくしを信じられないとでも言いたげに見ていた。

 もしかして、この世界のうさぎの糞は、わたくしの転生前の世界のうさぎの糞と違って、狼煙として使えないのだろうか……。


「狼煙は、まあ、わかる」

 まさか、いきなりユリウス殿下に見つかるとは思わなかった。どうして一介の子爵婦人が狼煙の上げ方なんて知っていたのか、どう説明したらいいのかしら……。『転生前の知識で』なんて言うわけにはいかない。


「その……、フェリシア嬢? フェリクス? あの者も言っていたが、私が身を投じている『聖戦』とは、どういうことなのだろうか?」

「ルクコーヒ王国と戦っておられるのでは?」

「ああ」

 ユリウス殿下の顔が歪んだ。どこか邪悪にさえ見える笑みだった。

 ユリウス殿下はなにかを理解したようだった。


「フェリシア嬢は母上が決めた、私の婚約者だったな。ルクコーヒ王国との貿易のことだろう? テレーゼの心配するようなことはなにもない」

 ユリウス殿下はわたくしの両手を握った。ルクコーヒ王国から帰国されてからというもの、ユリウス殿下からのハグや握手が増えた。

 ルクコーヒ王国のことはよく知らないけれど、転生前の世界でいうところのアメリカみたいな国なのかもしれない。


「わたくしもユリウス殿下の戦いをお助けしたいのです。伝令兵の役目くらいなら、わたくしでもできます」

「伝令兵……」

 ユリウス殿下はまた、ひどく戸惑ったような表情をした。

 もしかして『聖戦』は、もう狼煙を上げるような段階ではないのだろうか。


「テレーゼ、気持ちはうれしい。とてもうれしい。テレーゼが私を思ってくれていたのだ」

「はい」

 わたくしもうれしかった。狼煙は役に立ちそうもないけれど、わたくしのユリウス殿下のお役に立ちたい気持ちは、ユリウス殿下にお届けすることができたのですもの。


「このトリッジ子爵家での暮らしはどうだ? 虐げられたりしていないか? 困っていることがあるなら、私に言うのだ」

 困っていること……。強いて言うならば、『トリッジ子爵と離婚して、ユリウス殿下と結婚したい』だけれど、それはユリウス殿下にはどうにもできないことだ。


「わたくし、幸せです」

 わたくしはユリウス殿下にほほ笑みかけた。

 こうしてユリウス殿下が会いに来て、手まで握ってくれるのですもの。これ以上、欲張ったら罰が当たりますわ。


「そうか……。テレーゼが幸せなら、それで良いのだ。この屋敷にはうさぎがいるのか?」

 ユリウス殿下はどこか憂いを含んだ笑みを浮かべた。王宮にいた頃、他の侍女たちが『色気がすごい!』と騒いでいた表情だ。わたくしにとっては比較的よく見る笑顔で、この笑みを浮かべる時のユリウス殿下は、だいたいなにかでお疲れになっていることが多かった。


「トリッジ子爵が元婚約者のドロテア嬢と一緒に狩りに行かれて、うさぎを捕まえてきてくれたのです。ドロテア嬢が『悲しい時にはうさぎさんが一番です』と言って、贈ってくださいました」

 わたくしは金髪に青い瞳の小さな淑女のことを思った。




 ドロテアはお花のついたピンクのボンネットを被ったまま、わたくしの部屋まで駆けてきて、わたくしの手を引いて裏庭に連れて行ってくれた。


『ご両親がいっぺんに亡くなるなんて、すごくお辛いはずです。この子は、わたくしからの贈り物です。この子がもっと屋敷に慣れたら、お部屋で飼ってみてください。心慰められるはずです』

 ドロテアもまた、わたくしの両手を握ってくれた。

 ドロテアはわたくしよりもだいぶ年下で、まだ舞踏会へのデビューもしていないようだった。

 わたくしはグスタフの元婚約者が、こんな小さな女の子だったなんて知らなかった。


『わたくし、もっとがんばって、テレーゼ様が早く王子様のところに帰れるようにいたします。わたくし、グスタフ様が大好きなの。テレーゼ様もお好きな方と一緒にいたいでしょう』

 小さなドロテアは目に涙をいっぱいためていた。

 グスタフはひどく困ったような顔をして、わたくしとドロテアを見ていた。




「ほう……。スクチェック子爵のところの末娘が、テレーゼにそのようなことを」

 ユリウス殿下が低い声で言った。笑顔になんだか凄みがある。


 わたくしはドロテアのやさしさを思い出して、涙をこぼした。

 この世界の人々は、みんなやさしい。


 ユリウス殿下はわたくしをそっと抱きしめてくださった。

 いろいろあるけれど、わたくしのまわりは良い方ばかりだ。


 どうやらユリウス殿下はうさぎがお好きだったようで、わたくしのうさぎをぜひ見てみたいと言われた。

 わたくしはユリウス殿下を木箱のところへご案内した。


 うさぎはわたくしたちの姿を見ると、また木箱の奥へと逃げていってしまった。

 ユリウス殿下もわたくしも、うさぎの平凡な茶色の背中と白い尻尾しか見られなかった。


 このうさぎの毛の色は、わたくしの髪や瞳の色に似ている。

 この世界のうさぎも、白や黒や灰色、茶色といってももっと明るい、ベージュのような色もいた。

 ドロテアはわたくしと似た感じのうさぎを、わざわざ選んで捕まえてきてくれたのだろう。


「なんということだ! この世に、こんなにも愛らしいうさぎが存在するとは……!」

 ユリウス殿下は木箱に手をかけて、うさぎの姿をのぞき込んでいた。

 ユリウス殿下がこんなにもうさぎをお好きとは知らなかった。


 わたくしは赤ん坊の頃からユリウス殿下と一緒だったのに、ユリウス殿下のことをあまり理解できていなかった。


「そんなにお好きでしたら、連れて帰られますか?」

「良いのかっ!? いや、これは、テレーゼのうさぎだろう?」

 ユリウス殿下は真剣な目でわたくしとうさぎを見比べた。

 背中と尻尾だけでも、こんなに食い入るように見つめているのだ。よほどお好きなのに違いない。


「ユリウス殿下なら、きっと大事にしてくださいます」

「もちろんだ! こんなに愛らしいのだぞ! 虐げるなど考えられない!」

 ユリウス殿下の声は大きく、うさぎはさらに怯えたように身を縮こまらせた。


 わたくしはトリッジ子爵家の使用人に命じて、うさぎを木箱ごとわたくしの実家に送った。

 直接、王宮に送ると、ユリウス殿下がいらしていたことがわかってしまいますもの。

 ユリウス殿下は馬に乗り、うさぎを運ぶ荷車について行かれた。


 わたくしはユリウス殿下が王宮であのうさぎを見て、わたくしを思い出してくれることを願った。

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