10.聖地が危ないらしいです(後編)
「わたくしが思いますには、『聖地』とは『王家の墓陵』を指すのでは? ユリウス殿下は王都におられます。王都から防衛できる『聖地』となると、『王家の墓陵』以外にはないかと……」
「この国で『聖地』と呼ばれる場所ならば、他にもありますよね? 世界樹ですとか、天上湖ですとか……。しかし、ユリウス殿下が王都にいながら戦っておられるとなると、『王家の墓陵』でしょうね」
わたくしは、ユリウス殿下がわたくしの実家に通って来ていたことを思った。
庭師のダーヴィト! ただの我が家の使用人のはずなのに、妙にユリウス殿下と親し気だった。子爵家の庭師なのに、王宮のことに妙に通じている節があった。
ダーヴィトが館についてユリウス殿下に進言すると、ユリウス殿下は館が人手に渡らないよう手配すると言っていた。
あの館の庭には『王家の墓陵』に続く、秘密の抜け道のようなものがあるのだわ!
ダーヴィトは我が家の庭師をしながら、長年、王家のために、秘密の抜け道の番人をしていたのよ!
いろいろな情報が次々と繋がっていく。
まさか、あの館にそんな秘密が隠されていたなんて!
「ユリウス殿下はおそらく、我がロスティ子爵家の屋敷の庭から、『王家の墓陵』へと通っておられます」
「庭から!? では、テレーゼ嬢のご実家の庭には、『王家の墓陵』へと続く隠し通路があるのですか!」
フェリシアは興奮で声が大きくなりそうなところを、必死で抑えている様子だった。
わたくしもまた興奮しながら、強くうなずいてみせた。
「ユリウス殿下は館の所有権について気にしておられました。ただの子爵家の館ですのに、おかしいと思いませんか?」
「そうですね。なるほど。乳母ならば、腹心の部下などよりも、ずっと近しい存在だったはずだ。――ユリウス殿下は乳母の屋敷の庭に、『聖地』へと続く隠し通路を作らせた。ありえる!」
なんだか、すごいことになってきたわ!
フェリシアは何度も一人でうなずいている。きっと今、フェリシアも、いろいろな情報が繋がっていく快感を味わっているのだろう。
「俺はユリウス殿下の婚約者です。『王子様の婚約者』という立場ならば、いろいろ動きやすい」
「わたくしもお力添えいたします。何なりとお申し付けください」
「ありがとうございます」
わたくしとフェリシアは、粉っぽいテーブルの上で一度、強く手を握りあった。
フェリシアの青緑色の瞳は、使命感で鮮やかに輝いていた。
わたくしの地味な茶色の瞳もまた、それなりに輝いていることだろう。
「婚約の場に、ユリウス殿下の代わりとして、ヨゼフィーネ殿下がおられたのですが……。ヨゼフィーネ殿下はどういった方なのですか?」
「どういった方とは?」
ヨゼフィーネ殿下はユリウス殿下の同腹の妹だ。ユリウス殿下と同様、銀髪に青い瞳をなさっておられる。他にもユリウス殿下と似たところの多い方で、論文もお書きになられていると聞いていた。
刺繍やお茶会よりも読書を好まれる、淑やかな王女殿下だ。
「俺に会っても戸惑うことなく、『お姉様になってほしい』とおっしゃいました。ずいぶんと豪気なお方なのですね」
「ヨゼフィーネ殿下が? 豪気?」
わたくしのイメージでは、女性の格好をしたフェリシアと会ったりしたら、驚いて卒倒するような、おとなしいお方なのに……。
「それだけ王家が、フェリシア嬢との婚姻に前向きということですわ」
「普通に考えたら、そうなのでしょうけれど……。なんかちょっと……、違う気がしていまして」
兄に嫁いで義姉となってほしいと言っているのに、なにがどう違うというのだろう。他の意味に受け取りようもない言葉ではないか。
「そんなにも王家は、こんな俺との婚姻に乗り気なのでしょうか……。婚約しただけなのに、もうすでにヨゼフィーネ殿下から、『お姉様と呼ばせてほしい』と言われております」
フェリシアが非常に戸惑っているのが伝わってくる。辺境では兄の婚約者に対して、義姉と呼んではいけない決まりでもあるのだろうか。
「あの……、本当に戸惑っておられることはわかるのですが、義姉と呼ばれることのなにを、そんなに困惑されているのでしょうか?」
「自作の物語の本を渡されまして……。それが……、生死を共にすると誓い合った、義理の姉妹の物語なのです」
唐突な三国志の登場に、今度はわたくしが戸惑った。青空文庫で三国志を読んでおいて良かったわ。
三国志は中国で書かれた、義兄弟が出てくるお話だった。桃園の誓いというもので、三人の男たちが義兄弟になる。
その桃園の誓いが、『生死を共にする』という内容だったはず。
彼らは廃れた王朝を復興させようとして、戦いに身を投じていく。
たしか、そんな感じのお話だったはずだわ。
ヨゼフィーネ殿下は、なかなか壮大な話をお書きになっていたのね。
三国志は戦いの話。そうよ、戦いの話だったわ!
「もしやヨゼフィーネ殿下は、その自作の物語の内容を通じて、フェリシア嬢に『聖戦』について、なにか伝えたがっていたのでは!?」
わたくしが思いついたことを口にすると、フェリシアははっとした顔をして、腰に忍ばせて持ってきたという薄い本をテーブルの上に出した。
愛らしい丸みのある文字で書かれた『婚約者になどお姉様は渡しません』というタイトル。
なんだろう……、この、いきなりユリウス殿下に宣戦布告しているようなタイトルは……。
「俺は最初、ヨゼフィーネ殿下が『兄をとられたくない』というアピールをしておられるのかと思いました」
「ああ、そうも受け取れますわね。『お兄様は渡しません』ですね」
「少し読んでみたのですが……、どうもそういう感じでもないようでして……」
フェリシアは本を手に取り、ぱらぱらとめくった。
とても愛らしい桜色の表紙には、薔薇と百合に似た花が、銀で箔押しされていた。
ヨゼフィーネ殿下がお書きになったのは、『小さな女の子が婚約者にお姉ちゃんをとられたくなくて、泣き出してしまう』みたいな、かわいらしい家族愛の物語なのかもしれない。
フェリシアは女性の格好こそさせられているけれど、武芸を好む雄々しい男性だ。子供向けの絵本を渡されても、楽しめないのかもしれない。
「フェリシア嬢もかわいいものがお好きに違いない、と思われたのかもしれませんわ。この本の表紙もお花が咲いていて、とても愛らしいですもの」
「ああ、そちらか! たしかに、女性の好む色と箔押しですね。好んで女性の格好をしていると思われたなら、愛らしいものを共に愛でられると思ったのかもしれません」
フェリシアは何度もうなずきながら、本の表紙を見ていた。
どうやら、わたくしはフェリシアのお役に立てたようだった。
わたくしとフェリシアはクッキーと紅茶を食べ終え、さらに水炊きを一緒に作って食べてから、『聖地』へと続く秘密の抜け道を探すため、わたくしの実家に向かった。
 




