10.聖地が危ないらしいです(前編)
わたくしはグスタフに連れられて、実家の館の使用人たちに挨拶もできないまま、トリッジ子爵家に連れ戻された。
館に着くと、グスタフから一通の手紙を渡された。
「ジランド伯爵家からだ。フェリシア嬢がお前に会いたいそうだ」
「まあ、フェリシア嬢がですか」
封筒にはわたくしの名が書かれていた。丸みがあって流れるような線は、愛らしい令嬢のもののように見えた。
侍女に代筆させたのだろうか。それともフェリシア自身が、このような文字を書くのだろうか。
「余計なことを言ったり、いじめたりするなよ。フェリシア嬢からいじめられても、反撃などするな。フェリシア嬢の背後には、王妃殿下がいるのを忘れるな」
「はい」
グスタフの言うとおりだ。フェリシアの背後には王妃殿下がいる。気を付けるに越したことはない。
「ご両親のことは残念だった。気の毒に思っている。この婚姻が、お互いにとって不本意であることは、私もわかっている。できる限り、あなたの命も守ろう」
グスタフはそれだけ言うと、わたくしをその場に残して立ち去った。
グスタフはきっと勘違いしたのだわ。
わたくしがユリウス殿下の『王妃殿下によって引き裂かれた恋人』なのだと。
わたくしはユリウス殿下の使い古した『お下がり』などではなく、まだユリウス殿下はわたくしを愛しているのだと。
わたくしは部屋に戻ると、フェリシアからの手紙を読んだ。
フェリシアはわたくしの両親の急逝を悼んでくれていた。
いずれお茶会でもしようと書かれているのが、いかにも令嬢同士の手紙らしい。
フェリシアとは、彼がわたくしの実家に馬を引き取りに来た時、少しだけ話をした。この手紙のことも、あらかじめ教えてくれていた。
「『お茶会でもしましょう』などと書き送りましたが、ご実家の使用人のふりをしてご訪問させていただけませんか? 令嬢の格好をして出歩きたくないのです……」
フェリシアも、望んでもいないのに女の格好をするのは嫌だろう。わたくしが承諾すると、フェリシアはほっとした様子で帰って行った。
それから数日後。
わたくしは両親の死で弱った心を慰めるため、水炊きを作っていた。
ユリウス殿下のお土産に入っていた瓶の中身が、『味ぽん』そっくりな味だったのだ。醤油を期待しながら開けてみたら、『味ぽん』だったのには驚いた。
わたくしの作る水炊きは、手羽先を水からじっくり煮込み、野菜を加えてさらに煮込む。転生前にスマホで検索して見つけたレシピだった。
わたくしは、今日は朝から街に出て、手羽先と似た肉を買ってきた。
肉屋で「鳥の翼の部分で、骨に肉の付いたもの」と言って、いろいろと見せてもらった。その中で最も手羽先っぽい見た目のものを買ってきたのだった。
手羽先のような味がするかはわからなかったけれど、他にどうしようもない。美味しかったらラッキーくらいの気持ちでいることにした。
わたくしが水に手羽先っぽい肉を入れて煮込んでいると、使用人がやって来た。
わたくしの実家から下男がお菓子を届けに来たと言うので、厨房に来させるよう頼んだ。
ちょうど水炊きの鍋の火を一度消して、余熱で煮込もうとしていたところだった。下男の相手をしたりしているうちに、わたくしの水炊きはさらに美味しくなるはずだ。
「お嬢様、お久しぶりです」
フェリシアが使用人の前で、下男らしく頭を下げてくれた。
質素なシャツとパンツを身に着けたフェリシアは、『伯爵令嬢は最強の平民に嫁ぎます』のテオドール様そのものに見えた。
この異世界は、やっぱり神様からのご褒美なのかもしれないわ。
何度もいろいろな方法で、わたくしの心を慰めてくれるのですもの。
本当に心から辛くてたまらない時に、こんなにやさしくしてもらえる世界もあったのね……。
「お久しぶりですわ」
わたくしはフェリシアにほほ笑んでから、使用人を下がらせた。
「ご両親のことをお聞きしました。残念なことです」
「こうして見舞っていただき、感謝しております」
フェリシアはお菓子の入った箱を渡してくれた。わたくしが開けてみると、転生前にはアイスボックスクッキーと呼ばれていた、二色の生地が組み合わせられたクッキーが入っていた。
ベージュと茶色の市松模様のようなクッキーは、わたくしに日本を思い出させた。
小学生の時、転生前の母と一緒に作ったのが、アイスボックスクッキーだった。
転生前はプレーン生地とココア生地を組み合わせていた。この世界では、どんな味なのだろう。
わたくしは粉っぽいテーブルに紅茶を用意し、お皿にクッキーを盛り付けた。
「俺が正式にユリウス殿下と婚約したことはご存知ですか?」
「なんとなく聞いておりました」
男同士で正式に婚約までいってしまったのね。王妃殿下も辺境伯も、引っ込みがつかなかったのだろう……。
「父上が連れてきた娼館勤めの凄腕の化粧師が、俺を大柄な美女に仕上げてくれたんです……。淑やかなドレスの胸元に、綿をたくさん詰め込まれました」
フェリシアは苦し気につぶやいた。顔色もひどく悪かった。
「婚約後、ユリウス殿下とはお会いしたのですか?」
「いえ……、それはまだ。そのユリウス殿下について、またお訊ねしたいことがあり、こうして押しかけてしまいました」
フェリシアは申し訳なさそうに、わたくしに笑いかけた。
男同士でどうこうという話なら否定することができる。フェリシアを安心させられるだろう。
「どんなことでしょう?」
「俺が配下に調べさせたところ、ユリウス殿下は……、戦に巻き込まれているようなのです」
「戦!? 戦ですか!?」
わたくしはユリウス殿下にいただいた、くしゃくしゃの手紙のことを思った。あの手紙には、ルクコーヒ王国との貿易摩擦について書かれていた。
ルクコーヒ王国との関係がこじれて、ついに戦になるほど悪化するなんて……。この短期間で、あまりにも急激な変化だった。
「『聖戦』とおっしゃっていたようです」
「『聖戦』!?」
この国の宗教は、『自身の胸の内に住まう神に対して祈り、恥ずかしくないように生きる』というものだった。『聖戦』などというものが起きるイメージがない。
「『聖地が危ない』とたいそう慌てていたそうです」
いつも静かにほほ笑んでおられるユリウス殿下が、そんなにも慌てておられたなど、恐ろしいことが起きているに違いなかった。
「俺は普段の身なりは女性ですが、心は紛うことなきこの国の男です。武芸でも人に後れはとらないと自負しております。この国の危機を見過ごすことはできません」
「わたくしも、微力ながらユリウス殿下のお力になりたいと思っております」
わたくしとフェリシアは力強くうなずきあった。
わたくしたちもまた、ユリウス殿下が身を投じておられる『聖戦』というもので、共に戦うつもりだった。




