8.両親の死(後編)
エントランスホールには使用人たちが集まっていて、お父様の姿は見えなかった。
「王妃! 王妃め! 殺してやる!」
カタリナの夫であるライナーの怒鳴り声がした。
「無駄死にするな、ライナー!」
諫めているのは、執事のマルティンだ。
「この家で俺と一緒に育った坊ちゃんだ! 血なんか繋がっちゃいないが、ルドウィク様は俺の双子の兄弟だ!」
ライナーが暴れて、まわりの男たちが取り押さえた。
「耐えろ、ライナー! 私にとっても、ルドウィク様は息子同然だった……! お前はまだ若くて妻もいる。仇はこの独り身の老いぼれがとってやる……!」
執事のマルティンが、ライナーを抱きしめた。ライナーはマルティンに抱きついて、声を上げて泣いていた。
お父様には持病なんてなかった。
馬車の事故にでもあったの?
王妃殿下?
どういうことなの?
「ああっ、お嬢様……!」
ライナーがわたくしを呼んだ。
使用人たちが一斉にわたくしを見た。
使用人たちが左右に退き、わたくしの前に道ができた。
その道の先では、お父様が床に横たえられていた。
「お父……様……?」
わたくしは全身を震えさせながら、お父様の元に行った。
「馬車の中で急に苦しまれて……! 申し訳ありません!」
御者のミヒャエルが、わたくしに向かってひざまずいた。
お父様はなにか病気になっていたの……?
急になぜ、こんなことになってしまっているの……!?
「誰かトリッジ子爵家に行って、テレーゼがしばらく戻れないことを伝えてくるのだ」
ユリウス殿下が使用人たちに指示した。
使用人たちは顔を見合わせた。
「あんたぁ、トリッジ子爵家の使用人だろう! 自分で行け!」
庭師のダーヴィトが怒鳴った。この老人は気が短いのだ。
「私……? 私がか……?」
ユリウス殿下が訊き返した、その時。
屋敷の扉が激しく叩かれた。
「開けてくださーい! お聞きしたいことが!」
この声は、ユリウス殿下の侍従のエリックだ。
「エリックか!」
ユリウス殿下は自ら走って行って、扉を開けた。
入ってきたエリックは、使用人たちを見まわした。
「ユリウス殿下が紛れ込んでいませんか!?」
エリックの叫びを聞いた使用人たちは、はっとした顔をしてトリッジ子爵家から来た使用人を見た。
「もう来てたのか……」
ダーヴィトがつぶやいたのが聞こえた。
「皆の者、すまなかった……!」
ユリウス殿下はうつむき、絞り出すように言った。
「ユリウス殿下、敵討ちは私がしますので。いいですね?」
マルティンがまるで幼子に言い聞かせるように言った。
ユリウス殿下は据わった目をして、マルティンを見た。
「おい、テレーゼをこの世に生み出してくれた方々だぞ」
ユリウス殿下はマルティンに向かって凄んだ。
この世に生み出したって、どういう意味?
そんな魔物が生み出されたみたいな言い方ってある?
わたくしが邪悪なものみたいではないの。
「ほらっ、ほら、王子様、このテレーゼ様のお生まれになった館! この館を守っていかないとですよ! 館! 館はいいんですか!?」
ダーヴィトが館を連呼した。ダーヴィトはただの庭師だ。一国の王子が、ごく普通の貴族の館など気にかけると、勘違いを――。
「そうだった……っ! 館のこともある! この館も人手に渡らないようにしなければ……っ!」
ユリウス殿下はまるで重大な見落としに気づいたかのような、愕然とした表情をした。
この館には、ユリウス殿下が気にかけるような、なにかすごい価値があったのだ。わたくしは少しも知らなかった。
「ユリウス殿下、王宮で旦那様とご一緒だったではないですか! なぜこんなことになったのですか!?」
ミヒャエルは御者として、お父様と共に王宮に行ったようだ。
お父様が王宮で、ユリウス殿下と共にいるところを見たのだろう。
「そうだ! テレーゼのお父上が、王宮に降臨されのだぞ!」
ユリウス殿下はとても動揺されているようだ。言葉遣いがだいぶおかしいわ。降臨だなんて、神などに対して使う言葉よ。
使用人たちは「あぁー」などと言いあった。一国の王子の発言に対する反応として、それはどうなのかしら……?
「私は出迎えたとも! 母上のところに行くと言うのでお供した。いかなる間違いも、あってはならないからな!」
「それで、なんでこんなことに!?」
ミヒャエルが叫んだ。
「テレーゼのお父上は、私と母上と三人で一緒にお茶を飲み、テレーゼを迎えに行かれると言われた。私はテレーゼのお父上が心配で、馬車までお送りした」
「ええ、そうでした。そこにユリウス殿下と背格好の近い男が馬に乗って来たので、ユリウス殿下がお嬢様を迎えに行って、旦那様は館に戻ることになったのですよね」
一国の王子が、なぜ子爵に敬語など使っているのだろう? そんなに動揺しているのかしら?
ミヒャエルもおかしい。一介の御者が、自国の王子と話しているにしては、口調が砕けすぎている。
「ああっ、お嬢様、お嬢様」
わたくしを呼びながら、ネリーがよろよろと近寄ってきた。
わたくしはネリーと手を握り合った。ネリーの手は、以前よりしわが深くなり、なんだか縮んだような気さえした。
「ユリウス殿下がお越しになられたならば、ある意味では、もう安心です」
ネリーは慈しむように、わたくしの手をなでてくれた。
『ある意味では』ってなんだろう……? 別な意味では安心できないの……?
「私はテレーゼのお父上と同じ茶を飲んだ! よっぽど毒見をしたかったくらいだ!」
「ああぁ……、まあ……、そりゃそうか……」
ミヒャエルは納得している。どこも納得いかないだろう。なぜ王子が子爵のお茶の毒見をしたかったと聞いて、納得できるの!?
ミヒャエルは平民の出の御者だ。王族について、よくわからないのかもしれない。
……ミヒャエルは二十年以上この家の御者をしている大ベテランなのに? わたくしたちを王宮へ送り届けたことだって何度もあるわ。
王族に無礼を働けば死罪が待っている。王宮に行くこともある主を持つ御者が、王族についてよく知らないなんて、そんなことある? むしろ、つまらないことまでよく知っているくらいで普通だわ。
「私はどうしてもテレーゼのお父上が心配で、お父上のカップと自分のものを交換したのだ。それがいけなかったのだろうか!? 私の命を狙える者など、もはやいないはずだ! 母上が殺し尽くしたのだから!」
「それ、読まれてたんですよ」
だから、ミヒャエル! なんでそんなにユリウス殿下と親しげなの!? 親しくなる機会なんてあった!?
「私がテレーゼのお父上とカップを交換することが、読まれていたというのか……っ!」
「ありえますよね?」
ミヒャエルは、まわりの使用人たちに訊いた。なぜ、そんな問いかけの答えを、他の使用人たちが知っているなどと――。
「あるな」
とマルティンがうなずいた。
「まあ、交換するかなって思いますね」
ダーヴィトは庭師なのに、なぜ王宮での出来事に対して、それほどまでに自信ありげに回答できるのだろうか……。
他の者たちも「わかる」とでも言いたげに、うなずいたりしている。
なぜ子爵家の使用人たちに、ユリウス殿下の行動が読めるのだろう……。
「両方飲み干すべきだった……!」
「いや、捨てましょうよ。ユリウス殿下、死にますよ」
エリックが呆れたように言った。
「そうだな。私はまだ死ぬわけにはいかない」
ユリウス殿下はまっすぐにわたくしを見た。




