表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/24

1.王子様の侍女は、王妃殿下に縁談を下賜されました

「テレーゼ、あなたに縁談を用意したの」

 王妃殿下に笑いかけられた、あの時――。

 わたくしはまだ、本当の意味では現実を生きていなかった。

 自分の内側に閉じこもって、都合の良い夢ばかり見ていたの。



 王妃殿下のお茶会に呼ばれたのは、すごく久しぶりだった。

 もしかしたら、こんなお話をされるのではないかな、なんて思っていたのよね。


 わたくしは愚かにも、この国の王子であるユリウス殿下のお姿を心に思い描いた。


 あの方の輝く銀の髪は、澄んだ冬の空気を思わせる。青にも緑にも見える美しい瞳は、この国の者たちから静謐な湖と呼ばれていた。


 武芸で鍛えたお身体は引き締まり、背も高くて、なにを着てもお似合いになる。


 勉強も、とても良くおできになって、時にはご自分で論文を書かれているようだった。


 ユリウス殿下は、お心もやさしくていらっしゃる。あまり厚みのないご本を、ご自分でお書きになっておられた。内容は教えてもらえなかったけれど、きっと子供向けの愛らしい絵本に違いない。

 いつかお生まれになるご自身のお子様と、この国の子供たちのために、かわいらしい物語を紡がれているのだ。


 少し離れた場所から、わたくしを笑顔で見つめていたユリウス殿下。

 ユリウス殿下はわたくを、妹同然だと言ってくださった。ユリウス殿下にしてみたら、わたくしはいつまでたっても幼い妹なのだろう。

 わたくしを見ながら、幼い子にも喜ばれるお話を、日々考えておられたに違いない。


 この国の未婚の女性ならば、誰もがあこがれるだろう、『理想の王子様』そのものの方――。



 転生前に佐々木百花という名前だった頃、社会人になってからは、恋する暇もなかった。

 社会人になるのとほぼ同時に、両親が事故にあって、介護が必要になってしまったのだ。

数年の介護の末、両親は二人で自ら死を選んでしまった。遺書には、わたくしに介護されるのが申し訳ないと書かれていた。


 わたくしは一人ぼっちになると、職歴がないに等しかったため、派遣社員や契約社員、未婚なのにパートをしたりして、なんとかお金を稼いで生きていた。


 とにかく時間もお金もなくてね……。死ぬ直前、コンビニで朝食用のチョコチップ入りの細長いパン十本入りを買って、ぼんやり横断歩道を歩いていたところまでは覚えていた。


 ああ、わたくしはどうやって死んだのだろう……。事故だったのだろうけれど、あの時は疲れすぎていて、最初は自分が死んだことすらよくわからなかったわ。

 普通ならあの横断歩道で地縛霊になっていそうなのに、このホルンリン王国に転生できたのが不思議だわ。


 そんなわたくしが恋をした、凛とした佇まいの、いつも清廉な空気をまとった方――。



「メリッタの娘は、わたくしの娘も同然よ」

 わたくしの母は、この王妃殿下がお産みになったユリウス殿下の乳母だった。母は病を理由に王宮を下がり、王都にある屋敷で療養中だ。


「かわいいテレーゼ」

 わたくしなどの隣に座ってくださっている王妃殿下が、テーブルの上にあるわたくしの手を愛し気になでた。

 わたくしはなぜか、腕に鳥肌が立った。

 二度目の人生にして、ついに初めての結婚ができそうだというのに。


「男爵令嬢だったわたくしが、国王陛下に見初められて後宮入りした時、メリッタはただ一人、こんなわたくしの侍女になってくれたわ。メリッタが一緒にいてくれたからこそ、わたくしは王妃にまでなれたのよ」

 王妃殿下は懐かし気に目を細めた。もう何度も聞かされた思い出話だった。


「あなたをわたくしの一族に迎え入れるわ」

「王妃殿下……!」

 わたくしは思わず声をもらしてしまった。

 顔に血が上るのが感じられた。

 ああ、いけない、はしたないわ!


「トリッジ子爵よ。子爵の位を継いで、夫人がすぐにでも必要なの」

 王妃殿下はとろけるような笑みを浮かべた。

 ああ、やはり、この方は恐ろしい方だ。お母様のおっしゃっていた通りだわ。


 先日、トリッジ子爵の爵位を継いだ方は、四男だったはずだ。三人の兄を蹴落として、なぜか爵位を得た方。この話を聞いた時には、なぜ四男が家を継げたのか不思議に思った。今、その理由がわかったわ。

 トリッジ子爵となったその四男の方は、わたくしを娶ると王妃殿下に約束したのだ。


「まあ、テレーゼ、どうしたの?」

 王妃殿下は心配そうにわたくしの顔をのぞき込んだ。

 わたくしは、はっとして、必死で笑みを浮かべた。


「申し訳ありません。驚いてしまいました」

「あらあら、いいのよ。ロスティ子爵令嬢ったら、そんなに喜んでくれたのね」

 王妃殿下はわたくしの身分を思い出させてくださった。

 王妃殿下の笑っていない平凡な茶色の瞳の奥は、冷え切っているように見えた。


 王妃殿下は後宮で、さんざん『まるで平民のような茶色の瞳』といじめられたと聞いている。

 わたくしの平凡な茶色の髪と瞳は、王妃殿下には疎ましいだろう。

 自分の孫となる者が、わたくしの持っている茶色の髪と瞳を受け継ぐなど、王妃殿下には耐えがたいに違いない。


「子爵家同士でしょう? わたくし、テレーゼにぴったりの縁談だと思いましたのよ」

 王妃殿下の綺麗に手入れされた爪が、わたくしの手の甲に一本の線を引いた。わたくしの肌は傷一つついていないというのに、わたくしはまるで鋭い刃物で手の甲を切り裂かれたように感じた。


「実はね、メリッタにもお忍びで相談しに行ったのですよ」

「え……?」

 わたくしは血の気が引くのを感じた。

 こんな話を聞かせるために、お母様に会いに行かれたというの!?


 お母様は、わたくしがユリウス殿下を密かにお慕いしていたことに気づいていた。

 お母様からは、わたくしの恋について、直接的なことを言われたことはなかった。

 ただ、わたくしがユリウス殿下から侍女に望まれ、喜んでお受けした時、『ユリウス殿下を見る時には、王妃殿下に気を付けなさい』とだけ教えられた。


 ユリウス殿下への気持ちは、王妃殿下に気取られてはならないものだったのだ。


「メリッタもとても喜んでくれたわ。メリッタはわたくしが男爵家の出でありながら、王妃の地位に就いて苦労しているのを、ずっとそばで見ていたでしょう。安心してほしくて……。メリッタはこんなわたくしに長く仕えてくれていたのですもの、これでも恩返しをしているつもりなのよ。わたくしは身分に釣り合わない結婚をすることの大変さを、誰よりもよく知っているもの」

 王妃殿下はどこか誇らしげに笑った。国王陛下から寵愛されるに足るとでも言いたげな、整った美しい笑みだった。


「ええ、ええ、王妃殿下。その通りでございます」

 わたくしは王妃殿下の手を両手で握り返した。自然と潤んでくる目は、『感謝の涙』という設定でいけるはず。


「ああ、テレーゼ、泣かないで。幸せになるのに泣くなんて、なんて子なのかしら。ああ、わたくしまで泣けてきてしまってよ」

 王妃殿下はわたくしを引き寄せると、やさしく抱きしめた。


 国王陛下がお好みになる、スズランの香りがした。スズランには毒があると、転生前の母が教えてくれた。あんなに小さくて可憐な花なのにね。

 たしか、花言葉は『再び幸せが訪れる』だったはず。

 毒と花言葉がなんだか意味深な感じがして、心に残っていたのだ。


「『流行りの髪型は廃れる前に結え』というでしょう? 嫁入りの支度は、この二人目の母に任せてちょうだいね」

 日本でいうところの『鉄は熱いうちに打て』みたいな諺を挙げて、王妃殿下はわたくしの婚礼をすぐにでも挙げようと思っていることを伝えてきた。


 この国の令嬢は、未婚の時には髪を下ろしていて、既婚者になると髪を結う。この諺には、『良い相手がいたら、さっさと結婚しろ』という意味もあった。


「はい、王妃殿下」

 ユリウス殿下の侍女で、子爵令嬢で、ユリウス殿下の乳母の娘。

 かつて王妃殿下の侍女だった子爵令嬢が産んだ娘。

 こんなわたくしに、王妃殿下から下賜された婚姻を拒むことなんてできなかった。



 王命によりルクコーヒ王国に留学中のユリウス殿下からは、「私が帰国するまで独り身でいるように。とにかく婚姻などするな。とにかく私を待て。理由? そんなものはない! いや、そうだな。妹! 強いて言うなら、妹同然だからだ! とにかく、婚姻などしてはならない! とにかく、これは命令である! テレーゼ、これはとても大事なことだ! よく覚えておくのだ!」と言われていた。

 ユリウス殿下はなんであんなに何度も『とにかく』と言っておられたのだろう。大事なことだから?

 とにかく、ここで王妃殿下にユリウス殿下の命令を伝えることは死を意味していた。



 後宮には、美しい女、賢い女、家柄の良い女、踊りや歌に秀でた女、面白い女など、たくさんの女がいる。

 王妃殿下は彼女らをなぎ倒し、前の王妃殿下さえ廃して、王妃となられた方だ。


 お母様が家で療養しているのだって、本当は病のせいではない。王妃殿下の代わりに毒の入った杯を飲み干したことにより、もはや余命いくばくもないのだ。


 その毒だって、王妃殿下が盛られそうになったのではなかった。

 隣国から嫁いできた側妃がお子を宿したから、王妃殿下が毒を盛ったのだ。


 王妃殿下はご自身が毒を盛ったと疑われると、お母様をチラチラと横目で見ながら、ご自分で飲んでみせようとした。


 当然、お母様は王妃殿下を止めたわ。そうしたら、王妃殿下はお母様に自分の代わりに毒の入った杯を飲むよう言って、お母様の耳元で「テレーゼもそろそろお嫁に行く年頃になったわね」とささやいたそうだ。


 こんなところで王妃殿下に殺されるわけにはいかなかった。

 どうせ死ぬなら、『ユリウス殿下の命に従わなかったため』がいいわ。

 死を賜る時、もう一度、ユリウス殿下にお目にかかれるかもしれないもの。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ