或る令嬢曰く
世界の全てが手に入ると思っていた。文字通り大袈裟ではなくね。
お父様は私の望みをなんでも叶えてくれたわ。普段からお兄様とお姉様に比べても私に対しては特段に甘かったし。まあ、きっとそれは私のお母様とお兄様達のお母様が違ったのが原因なのだろうけど。
義母様とは、親同士の決めた結婚だったみたい。お母様とお父様はずっと愛し合っていたのだけれど別れざるを得なかった、だとかお母様は言っていたけれど、結局は他所の女になっていたんだから、お母様もなかなかのものだと思うわ。
ええと、そうね、なんでも叶えてくれたからって私は決して我儘なんて言ってないわ。ねだったりもしなかった。
信じられないでしょうけど、でも本当なの。なんとなくこうなればいいなって思っていただけ。
皆さんだって思うでしょう。お金持ちになれたらいいなとか、健康になりたいだとか、あそこのお姉ちゃんこっち来ないかなとか。――あら、私こう見えて今ウエイトレスしてるのよ。これくらいの冗談言ってもいいじゃない。
そういう風に少し思ってただけ。そうしたら周りの人が勝手になんでもやってしまうの。別に強くお願いはしてないわ。
側仕えの侍女だけは私のことをよく窘めてくれた。木に登って遊んでいたらとても怒ったし、脚を広げて座っていたりとかしたら、お行儀が悪いですよって。
――ええ、少し私お転婆でお行儀の悪い子だったのよ。昔のことよ、ほとんどみんな知らないの、内緒よ。
***
王太子殿下との婚約?あれは別にお願いなんかしてない。本当はお姉様が婚約する予定だったの。
お父様「が」私が王太子妃になって国母になることを望んだの。お姉様ではなくて私が。何となくわかるでしょ、そういう人なの。
お姉様のかわりだったからって別に婚約に不満があった訳では無いわ。殿下は見目麗しかったし、とても紳士的だった。
婚約してからはそれなりに上手くやれていたと思うの。学園に入って卒業したら結婚だってする予定だった。
――私達は「恋」と呼ぶには少し物足りないけれど、お互いを信頼していた。支え合って夫婦という形を作っていくはずだった。
でも、彼女がやってきた。そうね、『聖女』。名前は忘れちゃった。だって『聖女様』のお名前なんて恐れ多くて呼べないわ。
少しは悪かったと思ってるわ。私の友人達、正確には元友人達なんだけれど、彼女達早とちりして色々やってしまうんだもの。
私の為とかいう大義名分を背負っていたけれど、多分彼女達は単純に彼女のこと気に食わなかっただけだと思うわ。
突然異世界からやってきた少女。しかもあちらの世界では平民同然だったとか。そんな子が殿下の周りをうろちょろしているのだから。
――王室が彼女の後見人だったのよ。だから彼には聖女を世話する義務があったと思っている。未だに、私はね。
だから、別になんにも思わなかったわ。ええ、でも彼女達は違ったと思う。隙あらば私を殿下の婚約者という位置から引きずり下ろそうとハイエナのように狙っていたわ。だから聖女が殿下のそばに居ることに苛立っていたのよ。
表立って何をすることも出来ない弱い子達。彼女達はことある毎に私の名前を使って命令していたわ。
――それに関して?別に興味なかったから、何も言わなかったわ。程々にしときなさい、くらいは言ったかしら。
***
ある時から殿下は私と会うことをしなくなった。以前までは週一回、我が家に来てお茶をしていたのだけれど。
忙しいだとか、理由をつけて殿下は来なくなった。お父様は突然のことに苛立っていたわ。お姉様は、学園であなたが聖女様を虐めているって噂を聞いた、きっとそのことが原因だと笑っていたかしら。
でも、別に私はなんとも思わなかった、所詮噂だもの。宮廷に勤めているお兄様が帰ってきて、聖女と殿下が仲睦まじげに休日を過ごしている、と意地悪げに笑って言ってきた時には少し驚いたけど。
まさか殿下が学園内だけでなく宮廷でも彼女のお守りをしているとは思わなかったから。それは別に嫉妬じゃないわ。婚約者がある者としてある程度の節度は守っていると思っていたから。
***
ある日数人の令嬢が私の元を訪れてきた。彼女達の婚約者が聖女に入れあげているらしかった。
殿下もですわよね、なんて数人のうちの一人、赤毛の令嬢が私に言ってきた。一緒に聖女にご忠告してあげませんこと、なんて。――もちろん、彼女達には申し訳ないけれどお断りしたわ。
殿下が聖女と共にいるのはそういう義務があるからだと思っているの、なんてことを言ったかしら。
彼女を見ると、手に持つ扇子が震えていて少し気の毒に思ったのを覚えてる。
それが怒りなのか、悲しみなのか当時の私には分からなかったけれど、きっとどちらも持ち合わせていたのよね、今になってそう思うの。
きっと自分にも説明できない複雑な気持ちに駆り立てられていたのよね。だから何の策も立てずに彼女に向かってしまった。
聖女は1枚も2枚も上手だった。あまり婚約者のいる殿方に近づきすぎるのは褒められたものでは無い、と忠告する令嬢たちに、大勢で一人を責め立てるなどどういうことかと彼女等の婚約者たちに泣きついたの。
それから、令嬢たちは正式に婚約破棄されたらしい。どこからともなく令嬢たちに指図していたのは私だという噂が流れていたわ。
肯定も否定もしなかったわ。私が何か言わなくても事実は事実のままあるものだから。
***
久しぶりに殿下とお茶をすることになった。お父様はいつもに増して気合を入れていたわ。
殿下の乗る馬車がやってきた。迎えに行くとそこには殿下が聖女をエスコートして降りているところだった。
君たちに仲直りして欲しいんだ、と殿下は困ったように笑っていた。聞いたよ、君には少し思い違いがあると思うんだ。未来の妻と友人が仲が悪いなんて悲しいからと仰った。
それを申し訳なさそうに、でもうっとりと見つめる聖女の顔を見た時愕然としたわ。だって殿下はそのまま彼女の腰に手を回していたの。ああ、殿下はもう彼女の言葉を信じきっている。
だってそうでしょ。私と彼女はほとんど話したこともなければ、私は彼女のこと敵視したことなんてほんの一度もなかったのに。まさか、そんなことを言うなんて!
お父様は怒り狂ったわ。失礼ながら、殿下。これはどういうことだろうか。久しぶりに訪ねてきたと思ったら、ほかの女を連れてくるなど我々を冒涜する気か、なんて言って彼等を帰らせた。
殿下達が帰った後、私に向かって父は、君には君のことを思ってくれる人と結婚して欲しいんだ、幸せになって欲しいんだ。 婚約破棄をしたいなら賛成する、と力強く言ってくれたわ。
私、自分は他所に女の人作っていたのに、なんて思うと笑えちゃったわ。勿論そんなことは決して口には出さなかったけれど。
***
そこから私と殿下の関係はより一層悪くなった。
今まで以上に聖女は殿下にくっついているし、周りは苦々しく思っていても、私が何も言わないからか、私にはもう誰もその事について苦言を呈するものはいなかった。
歩いていると聖女に話しかけられた。
私たちの邪魔をしないで!とかなんとかいっていたかしら。
失礼だけど、あなたと誰との邪魔を、一体いつ私がしたというのか教えて下さる?と聞いたら、彼女舌打ちして去っていったのよ。
彼女少し感情が顔に出やすいタイプみたい。腹芸とかはできないタイプよ、たぶんね。
***
卒業パーティーの日、本来なら私と殿下の婚姻発表が行われるはずの日。あの夜ことは多分一生忘れない。
事実は真実にはなりえなかった。断罪のその場で聖女の側からの主張がなされた時、多くの証言人にとって私はまるで極悪人のように形作られていた。
私のことを庇ってくれる友人達など誰もいなかった。庇えるわけないわよ。彼女達は私という大義名分の元で散々好き勝手していたんだから。
罪を認めて謝罪をすれば、聖女も許してくれると言っていると殿下は優しく私に向かって言ったの。つい先程まで私を糾弾していたその口で。
どうしても認められなかった。私のプライドはやっていない虚実を事実にはできなかった。
――こうして私の断罪はなされた。
***
家に帰るとそこにはお兄様がいた。お父様に色々とご相談しなくてはいけないことがあるの、お父様はどこ?そう聞くと、お兄様は憎々しげに、先代はもう隠居なさったよと告げたわ。
お前ももうこの家にはいられないよ。だって所詮お前は妾の子だ。そもそも本当にお前は先代の子なのか、私はずっと疑問だったんだ。それに、今度は聖女を謀り、殿下にも婚約破棄されたと言うじゃないか。お前はこの家の汚点だよ。今すぐ私の目の前から消えてくれ。お兄様はそう言った。
――謀られたのは私の方だった。
きっとお兄様はこうなることをわかっていたのだ。そうして準備を進めた。お兄様にとって妾の子である私と、私を溺愛するお父様はいかに目障りな存在だっただろう。
私は放逐されることとなった。フラフラと歩いていると侍女が走って追いかけてきた。
侍女は私の手に手紙を握らせた。ここは知り合いがやっているお店です。この手紙を出せばきっと雇ってくれるはずです。きっと助けてくれます。そういって私に少しの路銀を渡してくれた。
***
こうして私は今ここにいるの。恨む?誰を?
私を陥れた聖女?それとも嘘を嘘と見抜けない王太子殿下?私を放逐したお兄様?自分のことを棚に上げてさんざん私を甘やかし続けたお父様かしら。
別に誰も恨んではいないわ。――少しだけ、少しだけみんな地獄に落ちればいいななんて思ったりするだけ。