才能を貪り尽くす貪欲者
季節が分からなくなるほど部屋に籠って、薄暗い空間で僕は死ぬと仄かに感じていた。毎日尿酸値が上がる極端な食生活、同じ人がお金を受け取りに来てついに言われてしまった言葉。
〝死にますよ〟
小遣い稼ぎ程度の高校生だと後から知った。その日、僕の手元にはキャベツが一玉残る。
時々、一週間に一回ほど配達員は私用で部屋に来るようになった。キャベツ、白菜、ニンジン、小松菜、野菜を食えと彼女にふるまう手料理を僕にも食べさせる。何もしていいないような奇麗な手は驚くべき多彩な料理を作り上げ、僕の口がそれを欲す。ついでに腹も彼を望んだ。
意識をつかさどる僕は脳と腸に催促されて遂に折れた。
部屋のカーテンを開け、掃除機を購入し、雑巾を握った。
〝手伝いに来ました〟
心臓が止まりかけた事例はこれ以外に認められない。認めたくもない。
小学生のころ、徐に告白して玉砕。心がときめく恋は中学でも高校でも体験しなかった。夢に描いた明るい未来の存在を疑うまでもなく洞窟にしまい込んだ。洞窟……いや箱かもしれない。
掃除を初めて十分、ゴミ溜めからペンダントが入った箱が出てきた。いつ買ったものか、貰ったものか、記憶をまさぐっても聞こえてくるのは周りの嘲笑ばかり、僕は理解した。拒絶した。
『ごめん、嫌い』
ストレートストライクいいやデッドボール。若かりし頃の迷いごと、未来永劫抜けることのない槍が突き刺さった瞬間だ。僕が初めて告白した日、僕が部屋にこもり始めたその日。
ペンダントを渡そうとしたのが悪かった。単純に言葉だけで挑むべきだった。潰れた箱からそんな怨嗟の声が聞こえる。僕の声だ。
振り返るな、過去を捨てろ。
僕の隣で黙々と作業をする好青年を恨むな。僕のせいだ。学校のゴミ捨て場に捨て置けばよかったのに、なんで僕はここに“保管“している。
震えた。あのひしゃげた箱を手に持った瞬間、震えた。僕の十年間の価値が踏みいじられたようだった。ぽろぽろとしまっていた悲しみが溢れ、滔々とグロチックな感情がダムを破壊する。
隣を見た。
似ている。
一心不乱にごみを漁ると包丁が何本も出てきた。体液の付いた藁人形に、血の付いたカッターナイフ、睡眠薬も数え切れないほどあった。
僕はもう一回、カーテンを閉じようとした。見たくもない過去に蓋をして二度と開封すまい。
彼は全てを袋に入れて口を縛った。
〝大事なのは、今日と明日です。あと未来〟
僕の何年と切っていない前髪を払った。抑えきれない黒い感情をひた隠すためにその日は、十年前のウォッカを渡して帰ってもらった。
埋もれていたテレビをつけて、黒ずんだソファーに座り、ざく切りにしたキャベツを貪る。あの日からの僕の日常。
久方振りに髪を切るために近場の美容院によると妖怪を見てしまったらしい。引きつった笑みでお引き取りされた。仕方なく全てをネットに点在する商品で済ませた。
ネットで知り合った人と服を見て変わり果てた街に驚愕する。高校生だったころの友達は家庭を築き、うえでキングドレスに身を包んだ写真を見せびらかす。僕の親は死んでいた。
まだ生きていた婆は僕を罵った。どうやら練炭自殺だったらしい。
有象無象の罵詈雑言、僕が婆を理解できる日はないと断言する。ただ両親に尊敬の念を抱こうと誓った、僕は生き延びてしまったのだから。
あの配達員に会わぬよう、僕は引っ越しの手続きを済ませ、逃げる。トラウマに似た青年の顔は脳裏にこびりついて離れることなく僕を追う。これは後悔だと、感情は言った。しかしテレビの向こうにあいつが住んでいたのは幸いだった。
十年、僕を部屋に閉じ込めた人物は奇麗な笑顔を以て他者に侵食する寄生虫。白い歯を見せるときは真意をひた隠しにするときであり、思い通りになって欲しい時。そんな少年はすでに三児の父親で昔の友と同じ家に住んでいた。
購入したウエディングドレスはまだ家にある。時々、白い装束になって夜を過ごすという。幸せそうな顔で彼女は言った。テレビで見せる感情がない笑顔ではない。ピンクに黒の混じった甘ったらしく吐き気を催す思惑だ。
『嫌いなの、しょうちゃんはあなたが嫌いなの』
引き出しから写真を探し出し、樹脂に包まれた結婚写真をマッチの奏でる海に沈めた。泣く子は黙らせ、騒ぐ家政婦も赤い海の材料とした。特徴的な警笛が部屋に入ったころには命乞いをする過去を握りつぶした後だった。
僕はいま、無数の亡骸の上に立っている。
*
テレビ局のスタジオでは面接を潜り抜けた美男美女が意味もない情報番組を営んでいた。
「悍ましい一家惨殺事件から早くも一年となりました。犯人はいまだ捕まっておらず、警察は操作を続けています」
舞台裏で好青年は代役として台本を読み込んでいた。一年前にあったころと何も変わらず、ただ少し背が伸びた程度。性格はそのままだった。
「おいあんた。ここにきていい奴じゃないだろ」
僕は大人しく地獄に変えることにする。