一
わたしの名前は北島だ。探偵に雇われている。今は休憩時間だ。
「探偵をやっている。今時、何を言っているのかと思われるかもしれないが探偵をやっている。しかし、みんなが想像するような探偵ではない。飛行機に乗ればハイジャックにあったり、殺人事件に巻き込まれたりはしない。せいぜい猫探しや浮気の調査、はたまたエアコンの修理など。いわゆる万屋みたいなことしかしていない。いや、正確にはできないと言ったほうが正しいだろうか。仮にそんなハイジャックのような大事件にあったところで介入できないだろう。警察から事情聴取をされて終わるのが関の山だ。きっと僕は主人公ではないのだろう。そんな僕でも、[人の命にかかわる名推理]をしたことがある。たぶん僕がいてもいなくても結果は変わらなかっただろう。警察が淡々と処理して解決していたはずだ。でもあの人の気持ちは変わったと思っている。それが僕の一番の探偵らしい出来事だ」
そうやって長々と自分語りを始めたのは、わたしの雇い主兼社長である田中 鈴木だ。探偵をやっているという嘘のような話をいつも休憩時間になると話し始める。きっとたぶんもうボケ始めているのだろう。まだ30歳前半だろうにかわいそうなことだ。
「田中さん!休憩時間なんですよ!休憩時間くらい静かにしていてください!」
「まあまあ、そう怒らないで。彼に悪気があるわけじゃないから」
そう言ってわたしをなだめるのは、会計の佐藤 さくらさん。歳は20後半くらいで元銀行員だったらしい。今でもそのスキルは残っているようで、社長のわけのわからない依頼を何とかお金にしている。彼女がいなければもうこの会社はあっという間につぶれていただろう。なぜこの会社に残って仕事をしているのだろうか。不思議である。
「ところで社長、この依頼人さんからの報酬はなんだったんですか?契約書を確認しているんですけど見当たらないですよね」
佐藤さんがそう言うと田中社長はにやりと笑い、
「この猫だ!」
大きな声でそう言った。私は聞き間違えかと思い、社長のほうを見ると黒い子猫がいた。わたしは胃が痛くなった。いったい社長はこの会社をどうしたいのだろか。
「なんで!報酬が!ねこなんですか!」
「まあ待て、これには理由がある」
社長は勝ち誇ったような表情で笑っている。殴ってやろうか。
「前に猫がかわいいと言っていただろう?そう!サプライズさ!」
思いっきり殴った。
「痛い!!どうして!?かわいいと言っていたじゃないか!」
「かわいいと実際に育てるのは違うんだよ!」
「???」
あきれて声も出なかった。非常識だとは常々思っていたがこれほどまでとは。
「にゃお」
猫が鳴いた。間延びした声だった。ふと笑みがこぼれてしまう。
「どうして鳴いてるの~??」
社長が気持ち悪い声音で話しかけている。反吐が出そうだ。
猫が社長の腕から抜け出し私の足元へとことこと歩いてきた。よくわかっている猫である。私は猫を抱え、撫でまわした。社長からのストレスが癒されていく。
「もらってきたものは仕方がありません。この子を飼いましょう」
社長が納得のいかなそうな顔で佇んでいる。無視した。
「名前は決まっているんですか?」
「ああ!ケルベロスと呼ばれていた」
「えぇぇ…、名前変えますよ。そんな変な名前にしないでください」
「そうかぁ?僕は気に入っているんだがなぁ」
「黒色なのでクロにします」
「安直じゃないかい?やっぱりもっと」
「だまれ」
「はい…」
この子猫の名前が決定した。“クロ”だ。我ながらひねりのない名前だと思う。
「佐藤さん、猫の世話に必要なものを買ってきてくれませんか?私まだ依頼人さんのデータ入力おわってなくて」
「いいですよー。いつものでいいよね」
「はい!いつものでお願いします!」
「社長はこんなところで休憩なんかしてないでさっさと依頼を持ってきてください」
「ええぇー、僕も猫をかわいがりたいよー」
「はやくいけ」
「はい…」
部屋の中には私とクロだけになった。
「にゃあ」
そう鳴くと子猫とは思えないジャンプ力で窓へ向かっていく。
「まって!危ない!」
子猫は窓から抜け出し見事に着地。そのまま道路のほうへ走っていく。
私はすぐに家を出て、クロを追いかけた。クロは小さな塀の穴を抜けていこうとする。私は手を伸ばしなんとかクロをつかんだ。
「捕まえた!」
「みゃーお」
よくわかっている猫だと思っていたが全然違った。クソガキだった。ちゃんと持って会社に戻ると佐藤さんがいた。
「おかえりなさい。どうしたの?ひどく服が汚れているけれど」
「この子が抜け出したんです。びっくりしましたよ。子猫だからって高を括っていたら逃げられました。」
「まあ!大変だったわね。クロは私が洗っておくから着替えてきて大丈夫よ~」
「ありがとうございます!」
私は一回家に帰り、服を着替え汚れた服をクリーニングに出しに行った。