アグラタム
酒場を後にして、街の中を散策しようと足を伸ばす。
荒れている、と言ってもタルタロスほど酷いわけではない。太陽に照らされ、街の活気はあり、有り体に言えば普通の街と言った感じだ。
生き残りの人の家は聞いたが、今はまだ昼間。ならば散策してからでも遅くない。
気の向くまま、アグラタムは歩いていく。
広場に出ると、噴水の設置された公園で子供たちが遊んでいる。
「まてー!」
「またないよーだ!」
笑いながら走る姿は、何もイシュリア皇国の内部と変わらない。
そんな子供たちを微笑ましく思うと、ふと視線を感じる。
ベンチからだ。それも、不審者を見ている感じではない。
アグラタムは視線を真正面から受け止めて、歩き始める。
ベンチには、一人の老齢の女性が座っていた。その横にそっと座ると、アグラタムは尋ねる。
「私に何か御用でしょうか?」
「ええ、少し聞きたいことがあって。
貴方、『中』の人でしょう?」
「……!」
さて、どうするべきか。逃げるべきか。
一瞬の思考の前に、お婆さんは笑う。
「あらあら、警戒させちゃったわね。ごめんなさい。でも、貴方を突き出すつもりはないわ。
……実は、私の孫を知らないかと思って。丁度、成長していれば貴方ぐらいだと思ったから」
「孫……ですか」
ふむ、と考えこむアグラタムに対してお婆さんは続ける。
「あの子は生まれて直ぐに『中』に行ってしまって、私の顔を覚えてないだろうけれど……気になってしまって」
「……『中』に?それはどうして?」
「どうしてかしら……。ただ、孫の母親……私の子が、急に
『この子は外では育てられない!』
って狂乱気味に中に行ったのよ……」
何故だろうか。身体が貧弱だったのか、それとも他に何か理由があったのか。
兎にも角にも、名前を聞かなければ。名のある人であれば、イシュリア皇国内部でも軍人になっているであろう。
「因みにそのお孫さんの名前は、なんと?」
「ああ、ごめんなさいね。伝えるのを忘れていたわ。
『アグラタム』というのだけれど……」
「……い、今、なんて?」
動揺が隠せない。ガタガタと膝の上に置いている手が震えているのがわかる。冷や汗も出てくる。
それでも、お婆さんは言う。
「アグラタム、っていうのよ。中だと……そうそう、守護者って立場にいるのでしたっけ。
……貴方、大丈夫?すごく震えているけれど……」
震えるだろう。震えないはずがない。
だって、自分は、自分の名前は……。
「……わ、たし……は……」
「……?貴方、本当に大丈夫……?」
「……アグラタム」
「ええ、そうよ。アグラタムというの」
「……私の、名前です」
「……!」
そこでお婆さんがこちらの顔を直視する。
自分の顔は、驚愕に塗れていて、とてもではないけれど見せられたものではなかった。
「……本当に、あのアグラタム……?」
「……イシュリア皇国守護者、アグラタム……それは、間違いなく自分のことです」
「あぁ……良かった、こんなに大きくなって……!」
そう言って抱きしめられる。
優しい抱擁。壊れ物を扱うかのような、そんな手つき。
自分も抱きしめ返す。お婆さんを包むように。優しく。
「場所を変えましょう……。私のお家にいらっしゃい」
本当に、本当に嬉しそうな声で誘われる。
私には、それを断ることなどできなかった。
お婆さんの家に入ると、お婆さんが珈琲を淹れてくれた。
「……その、私は。『外』の人間……なのですか?」
珈琲の香りを嗅ぎながら、尋ねるとお婆さんは頷く。
「ええ。間違いなく、貴方の生まれは『外』よ」
「で、ですが私が物心ついたときには……」
……ついたときには。どうだったであろうか?
イシュリア皇国の城で訓練していた日々が思い出される。
苛烈で、熾烈で、辛くて、痛かった訓練の日々。
只管、強くなることだけを考えていた。そんな記憶。
「……ごめんなさいね。私にもわからないの。そして、これからもきっと分かることはないわ。
……だって、あなたの母親も父親も。もう『この世にはいない』から……」
「……ッ!そんなっ!」
顔を上げてお婆さんを見るも、お婆さんは瞼を閉じて、悲しそうに首を横に振る。
「この前の魔物に襲われた街……。あの街に住んでいた二人は、死んだわ。私を庇って……」
「……ッッ!」
そう聞いて、自分の手に力が入る。
分かっていた。分かっていたとも。
イシュリア皇国の結界の『中』は『外』に必要以上に干渉しない。逆もまた、然り。
だから、助けられるはずなんてなかったのだ。
冷めていく珈琲を見ながら、私はそう思った。
良ければグッドボタン、評価などお願いします!