終末
もうすぐ、世界が終わる。
そんな信じがたい事実を、僕は俯瞰しながら思う。
「世界が終わったって、なにも変わらない」と。
別に地球上の生命の営みに、意味があるわけではない。
地球という惑星が一つ消えたとしても、宇宙において多大な影響を及ぼすことは、ほぼないだろう。
ただ、地球という星は巨大な隕石の衝突によって粉々に砕かれ、宇宙のチリとなる。
人類は滅亡する。
僕も死ぬ。
ただそれだけだ。
僕はこの終末が何かの終わりであるとは思えない。
僕たち人類が生きていることに、宇宙規模で考えたら意味なんてないのだから。
人類の始まりが、何かの始まりというわけではないのだから。
だから、終末に何かしようだなんて思わない。
ただ、その過程の中に僕がいるだけだ。
「先輩、今終末暇ですか?」
「お前、ふざけてるのか。」
「ふざけてないですよ、私は至って真面目です。」
彼女は一個下の後輩だった。
今週末に終末を迎えようとしているのに、彼女はこの時間を僕と過ごすことを選ぼうとしている。
彼女はとんだ阿呆か。
「いいじゃないですか!どうせ暇なんでしょう?」
彼女はからかうように僕に言った。
彼女には、終末に「暇」という概念があるのだろうか。
普通は大事に過ごすであろうその時間を、週末に友達と遊ぶ感覚で僕なんかと過ごしても良いのだろうか。
それはあまりにも、彼女が普通の感覚から外れているような気がした。
「なんでこんな時に僕なんだよ。お前友達いないのか?」
「いや、いますよ?少なくとも先輩よりは。」
ふふんと笑いながら僕の方を見る。
そんな「してやったり」みたいな顔をするな!むかつく。
「じゃあなんで僕なんだ。その僕よりも数の多い友達と過ごすとか、家族と過ごすとか、恋人と過ごすとか、いっぱいあるだろうに。僕を求める理由がわからん。」
「まぁそうなんですけどねぇ。私だって不服なんですよ?先輩にこんなことお願いするのは。」
どうやら彼女は僕をイライラさせることに、ずいぶん長けているらしい。
「だったらだ!僕と過ごすよりも、大事な人たちと過ごす方がよっぽど普通だろう?僕を巻き込まないでくれよ!」
終末に誰かと過ごすなんて、僕には荷が重い。そんなふうに思うことは少なくなかった。
そうやって、ここしばらくは人との関わりを避けてきた。
「うーん……やっぱりその通りですよね。でもほら、なんかその大事な人たちと居るのは、なんか違う気がするんですよ。」
「違う気がする?」
「なんか、ことが重大すぎる風に捉えてるというか、重いというか……。」
地球の終末。これは、いかなる戦争よりも、いかなる大虐殺よりも、重大な事柄として世間では扱われた。当然である。データによれば、隕石の衝突で人類は滅ぶことがほぼ確定的に示された。局地的に起こる自然災害や、流行しやすいウイルスとは訳が違う。
嘘偽りなく、ほぼ100パーセントの確率で、僕たちは死ぬのだ。
「そりゃ重い事態だろうが。人類が滅ぶってことは、それ以上にないってくらい重大な事柄だろう?そりゃみんな重く考えるだろ。」
「でも先輩、全然重大そうにしてなくないですか?」
彼女が僕の目をまざまざと見つめる。
少し動揺した。
「まるで他人事みたいに、地球の終末を捉えてる。全然焦ってないし、全然危機感感じてないし、妙にのほほーんとしてる。違いますか?」
彼女は僕のことを見抜いていた。
僕は動揺を隠せなかった。
「図星ですか?ダメですよ?私以外にそんなこと言ったら、嫌われるどころか、殺されちゃいかねないですよ?」
終末が予見されてから、世界では様々な思想が横行した。
神に祈れば隕石の軌道が変わる、隕石が衝突しても人類は生きられる、死んでも生まれ変われる、そもそも終末が訪れる予見が嘘ハッタリだという者もいた。
僕のような考えを持つ者もいた。もっともドライで、冷たい考え方だとされ、世間からはたくさんの顰蹙を買った。地域によっては、そのような考え方を持つ者が殺されることもあったらしい。
だから、僕は自分の考え方を他人には言えなかった。
「なんでわかった?」
「何がですか?」
とぼけやがって。
「なんで僕が地球の終末に冷たいのかわかったんだって聞いてるんだ。」
「だって……」
そう言いながら彼女は室内を歩き始める。誰もいないその部屋には、たくさんの机が理路整然と並んでいる。前には黒板と呼ばれる緑色のボード、廊下からは賑やかな話し声……
「だって、今週末に地球が滅ぶって言うのに、わざわざ学校に来ますか?」
「そりゃ来るだろ。学生なんだから。」
「来たって誰も授業してくれませんよ?」
学校は、一ヶ月前から休校になった。
というよりも、教職員、生徒ともにボイコットを起こし、とても授業ができるとは言えない状況になり、なし崩し的に学校は休校になった。
その割に、学校は意外と賑やかだった。世間では、「青春をもう一度体験したい」と言う大人たちの考え方により、学校が無償で解放され、大人たちがおもいおもいに学校での時を過ごしている。
それは僕の通う学校でも例外ではない。
「全く、大人は他にすることないのかなあ。こんな時にもなって、刹那的な青春時代をもう一回過ごしたいだなんて、もったいないとは思わないんですかね。生きてるのは今なのに、いつまでも懐かしむなんて、もったいないじゃないですか。」
そう遠い目でグラウンドを見つめながら彼女は呟いた。グラウンドでは、背丈にあっていないユニフォームをした人が野球をしていた。草野球レベルだったが、なぜか盛り上がっていた。
「とか、先輩思ってません?」
ハッとさせられる。全くもって図星だった。今何をしたって変わらない、結局僕たちは死ぬのだから、
「「死ぬのなら、今していることに意味なんてない。」」
「ほらやっぱり。」
「お前、エスパーかよ。」
「ふふ、ありがとうございます。」
僕は全然褒めたつもりはないのだが、彼女は楽しそうだった。
「人の心を読むのって、案外簡単にできるもんですね。もしくは、究極のこの状況がそうさせてるのかな。」
彼女はグラウンドを向いたままだ。
そうして、少しの時間の静寂を彼女と共に過ごした。
「私は、自分勝手です。」
そんなことを、彼女は唐突に言い出した。
「私、台風が来るとちょっと楽しい気分になるんです。一応、人間の機能的に危機対策としてアドレナリンが出て興奮するらしいって話もありますけど、私それだけじゃないんです。」
深く息を吸って、吐いて、彼女は続ける。
「台風って、次の日被害情報がニュースになるじゃないですか。どこで木が倒れただとか、どこで電車が止まっただとか、どこで人が怪我をしただとか、人が死んだだとか。私は、そう言うニュースを見るのが楽しかったんです。」
それは、彼女にとって思い切った独白のようだった。言葉を選ぶように、慎重に、彼女は話し続ける。
「地震でも、津波でも、同じことを思いました。建物がぺしゃんこになったり、津波に流されたり。被害者数のカウントが大きくなっていくのが、なぜか私には楽しく思えたんです。」
全然楽しくないんですけどね、そう彼女は付け加える。
「おかしいですよね、でも、楽しいと言うか、興味をそそられると言うか。なにかが変化するのが心地よかったんだと思います。街が壊れる。人が死ぬ。それが何かの節目になって、ちょっとだけ世界が変わるのかもしれない。そんなのことを、失礼ながら私は思ってました。それがどうでしょう、自分が死ぬとなったら……」
彼女は不穏な笑みを浮かべながら僕に言う。
「私の番が来たって思うと、怖くて仕方ないんですよ」
気持ち悪いくらいに彼女が笑っていて、僕は少し引いた。
「死への恐怖っていうよりかは、変化への恐怖ですかね。私のなにかが変わってしまうかもしれない。私は私じゃなくなってしまうかもしれない。周りが変わることはあんなに面白がってたくせに、自分が変わるってなると、めちゃくちゃ怖いんです。ほんと、面倒な人間ですよ。」
かけてあげられる言葉がなかった。
変化を恐れることは当然の感情だ。それが例えば病気であり、災害であり、そして死にも同じことが言えるだろう。
それでも、
「それでも、僕もお前も死ぬだろ。」
「本当に冷たいですね、先輩。」
そう言って彼女は微笑む。
「でも、だから先輩なんです。先輩以外の人と過ごしたら、罪悪感で居ても立っても居られないですよ。申し訳なさすぎます。先輩みたいに、終末に対してドライでいてくれる人の方が、私には居心地がいいんです。」
「そうか。」
「はい、そうなんです。」
彼女は続ける。
「先輩、私を助けてください。人助けだと思って。変化が怖くて仕方がない人でも、誰かと一緒なら乗り越えられるかもしれない。そんな予感がするんです。それが例え終末であっても、週末であっても変わりませんよ。結局は誰かと一緒にいたいんですよ。」
そういうと、彼女は僕を見つめる。
「先輩、もう一度聞きます。終末、お暇ですか?」
「まぁ、一応。」
「やっぱり。」
「うるさい。」
僕たちは笑った。
きっとこんな会話にも意味はない。
この時間も、終わりを迎える。
全てはチリとなり、粉々に砕かれ、闇に帰る。
それでも、僕たちは、いや僕は。
「じゃあまた終末に。」
「遅刻厳禁な。」
誰かと共に過ごす終末を、少し楽しみになってしまった。