第4話 おねがいごと
撓垂れるブルーの天蓋と、枕を囲むいくつものクッションの並ぶベッド。サイドチェストには、裾にフリルの付いた可愛らしい白いシェードのランプが置かれている。内から青白く発光するように靄がかるガラスでできた小さな一角獣の彫像が、そのシェードを誇らしげに支えていた。
小さなガラス製の一角獣は、わたしのことをまるで気にも留めていないといった風にそっぽを向いて、ランプスタンドとしての職務を全うしている。随分とつれない態度だ。
用意されていた寝間着は柔らかくゆったりと、滑らかに落ちていくような肌触りの良い薄手の布地でできていて、繊細なレースやくるみボタンで装飾が施されている。手前にある透明なガラスの猫脚のサイドテーブルには、半ば透き通ったような乳白色のキャンディポットが置かれ、壁に掛かる大きな鏡の下にある薄灰色の曲線的な鏡台は、よく見ると白一色で植物の図柄が踊るように生き生きと描かれていた。
おとぎ話のようなその部屋にあって、わたしだけがひどく不釣合いで、浮いているように思われた。あれからわたしはベッドに寝かされて、そわそわと周囲を見渡しては、落ち着かないでいる。
鏡台に左右対称に置かれた象牙色のランプから漏れる、淡い光。
「今日はゆっくりおやすみ」
傍らの椅子に腰をかけ、柔らかな陽射しのような眼差しで、お兄様はそっとそばにいる。こちらに向けられているその瞳を直視することができなくて、わたしは視線を向かわせる先をずっと探している。本当のシェルルカならばそんな風に戸惑わないはずなのに、それができないでいる。
「何でも話してごらん」
きっとお兄様は、わたしが何か隠しごとをしているから目を背けていると思っているのだろう。実際山程ある隠しごとは後ろめたかったけれど、それよりも気掛かりなのは、目が合うと動悸がやってきて、頭がぼうっとしてしまうこと。それが問題であった。
「あの……ええと……」
喉にはただ、空虚な空気がつかえている。
「それとも、いつものお願いごとかな?」
ふわりと落ちる雪のように、その言葉にすうっと溶けていってしまいそうになる。お願いごと……きっとシェルルカは、こんな時、いつもそうやって兄に甘えていたに違いない。
彼女はお兄様に、どんなお願いをしていたのだろう。あの説明書にはとてもわがままな性格と書いてあったけれど、子供が家族にするわがままって普通、どんなものなのだろうか。新しいぬいぐるみが欲しい?大好きなお菓子を食べたい? そんなことだろうか。
「 聞けるお願いと、聞けないお願いがあります」
「……き、きけるお願いは何ですか?」
「聞けないお願い以外ならなんでも」
「聞けないお願いは?」
「うーん……そうだね」
そこからお兄様に聞くシェルルカのお願い、もといわがままな要求は、想像以上に……わたしから見れば、それはそれはひどいものであった。
起床時間を3時間遅らせてほしい。明日の献立を全て好きなものに変えてほしい。お勉強の時間を減らしてほしい。これはまだ可愛いほうである。一週間どこにも行かないでほしい。自分以外の人と口を聞かないでほしい、目も合わせないで欲しい。
シェルルカの要求は、あの美しく透明な湖に浮かべようとすれば、瞬く間にどこまでも深く沈んでいく鈍色の塊であるかのように思われた。突き返せば湖畔で錆びつき、飲み込めば湖水を澱ませる。
しかし、それを語る彼にとって、それは少々違うようであった。シェルルカのわがままを思い返すその瞳の奥底には、どこか滾々と流れる慈しみのようなものがある。
家族とは、そういうものなのだろうか。それとも、この方が特別なのだろうか。わたしにそれは分からなかったけれど──少なくとも目の前の彼は、それを別の適切な方法で受け止めることを模索する人であるようだった。その鈍い金属光沢が妹の大切な一部であることを理解し、その重量を浮かせるに相応しい舟を、探し出すような人であった。
「なんだかむずかしそうな顔をしているね……」
そんな人を騙してしまって、本当にいいのだろうか。
静寂が流れる部屋の中で、閉められたカーテンを通り抜ける光の翳りから、太陽が傾いてきたことがわかる。穏やかな午後の光に満ちていた部屋は、うつらうつらと、淡く紺色に染まりはじめていた。
戸惑うわたしの沈黙を開くように、湖の瞳が微笑みかける。
「今日は少し、大目に見ようか」
天井から垂れ下がる華奢な造りのシャンデリアからこぼれる光が、その控えめな輝きを強めて、傍らに佇む一角獣のガラスの彫り目を浮かび上がらせていた。お願いごとをひとつだけ、してみたいと思った。
「お、お兄様……あの…… 」
お兄様が頷く。
「何か、お話を聞かせてくださいますか?」
それは、一度してみたかったわがままだ。
眠る前に、隣でわたしのためにお話をしてくれる人──
「じゃあ、白罌粟姫の話をしようか」
それはどこか遠い地の、昔々のお話。継母の追手から逃れるために、沼地を抜けて、砂の異国を巡り、王子様と出会うお姫様の物語。本を開くこと無くすらすらと、その文言は慎ましく丁寧な抑揚で紡がれていく。その視線が時折りこちらに向けられて、わたしのことを確かめる。
施設の人もみんな優しくて、わたしはそれで十分と思っていたけれど、それとは違う気がした。今この優しさを、わたしは何の気兼ねもなく独り占めしていいのだ。そのことに言い知れぬ安心感があった。
そして、心地良い乳白色の羽毛の弾力に、ふんわりと沈澱していく。隣の一角獣の口元も、今は僅かに微笑みをたたえている。いつの間にかうとうとと、そのままわたしは眠りに落ちていった。