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湖上の城のシェルルカ  作者: はち
第二章
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第3話 魔法医の煙

 程なくして、あのハウゼルと呼ばれていた男性が、彫刻の施された金属製の大きなトランクケースを抱えた老齢の医師を連れて戻ってきた。

 奇妙な衣を纏ったこの医師のことを、彼は〝魔法医〟と呼んでいた。頭から爪先まで、フード付きの黒衣にすっぽりと包まれたその姿は、医師というよりは隠者や呪術者を思わせる。


 魔法医は抱えていたトランクを床に置くと、首に下げられていた紐の先のまあるい片眼鏡を右眼に嵌めてから、その鍵を開ける。

 中には不思議な形をした大小さまざまな空の瓶や、香りを漂わせている布袋、小瓶に詰められた色とりどりの粉や、植物の実や枝、透き通った液体……中には爬虫類のような生物が浮かんでいるものまで、それらが所狭しと並び固定され、収納されている。


 老医師は淀みない手付きでその中からいくつかの器具を取り出すと、わたしと自らの周りに置いていった。

 本で読んだことのある水煙草のような装置が、ゆらゆらと煙をくゆらせ始める。


 その不思議な診察を受けている間、わたしはこの世界、そしてシェルルカに関する持っている限りの記憶を漁っていた。


 ここがあのゲームの世界だとして、もしわたしの中身が以前のシェルルカではないと知られたらどうなるだろうか。

 ここを追い出されることにでもなれば、魔物や瘴気、呪術の存在するこの世界でどう生きていけばいいのだろう。魔法に満ちた世界で、わたしはそれを操る術を知らない。


 煙は刻々とその形を変え移ろい、投影法(ロールシャッハ)のように様々な事物を連想させる。


 一先(ひとま)ず今は、あの説明書と葵から聞いた話を手繰り寄せ、シェルルカらしく振る舞おう。わたしがどうすべきかを考えるのは、それからでも遅くはないはず──


 暫くするとわたしの周囲を揺蕩(たゆと)っていた煙は薄れていき、魔法医は考え込むように目を凝らしている。

 それが完全に消えるまで見送ってから、


「シェルルカ様、如何でしょうか」


 慎重にわたしの様子を覗き込む、その丸い片眼鏡がきらりと光る。


 シェルルカはお兄様を溺愛する、絵に描いたようなお嬢様口調で話す人物だったはずだ……。



「……なんだか、心が落ち着いてきましたわ。先程までのわたくしはどうしていたのでしょう。わたくし自身のことは(おろ)か、お兄様のことまで忘れてしまうなんて……」


 精一杯、手探りでシェルルカを繕って答える。うまく取り繕えているだろうか。自信がない。



「シェルルカ……!」


「なんとも……。これは良かったですじゃ」


 身構えるわたしの肩に、お兄様、そして老医師からの安堵の声が注ぐ。よかった。ひとまず信じてもらえたのではないだろうか。


「念のため、薬も煎じておきましょう」


 そう言って、老医師は皺の刻まれた節くれだった細い指で、自身の横に置いた小さな木製の瓶立てに数種類の瓶を並べると、ピンク色の小粒の実が入った瓶を摘まみ取った。


 広げた簡素な布の上には石のすり鉢が置かれている。そのピンクの実数粒といくつかの乾燥植物をそのすり鉢に入れると、同じ石製のすり棒でそれを細かく()り砕いていった。再び瓶立てから、今度は空の小瓶を選び、その細い入口に薬包紙を使って器用にさらさらと粉を落としていく。


「ありがとうございます。ロウワン先生」


「いや、シェト様、わしは何もしておらんのですじゃ。

 シーシャナルギレの煙は、お嬢様に瘴気が取り憑いていないことを示しておりました。何とも不思議なことです」


 小瓶にあの爬虫類入りの液体を数滴垂らし蓋をすると、老医師は最後に呪文のようなものを唱える。

 ポンと小さな音を立てて、小瓶の中をもやもやした煙が舞う。その煙がキラキラした粒子とともに晴れていくと、小瓶は毒々しくも鮮やかな赤紫色をした液体で満たされていた。


「瘴気を寄せ付けぬ薬でございます。こちらをシェルルカ様に」


 わたしの側に付き添う、お兄様だというその人に小瓶を手渡す。

 シェルルカはそれはそれはわがままな少女であると書いてあった。


 こんな時、彼女ならどうするか──



「お薬は要りませんわ。わたくし、苦いお薬は嫌いですの」


 目の前に処方された毒々しい色をした小瓶を前に、そう言ってのける。


「お嬢様、ご容赦ください。良薬は口に苦しと言いますゆえ」


「絶対に飲みませんわ! 」

「自分のことも、お兄様のことも思い出しましたわ。先程は寝惚けていたのです。 もうどこも悪くありません!」


「シェルルカ……」


 お兄様が心配に満ちた声で、わたしの名前を呼ぶ。


「ううむ……」


 老医師は長いあご髭に手をあて、暫し思慮を巡らせている様子であった。


「シェト様、いかが致しましょう。このわしが診た限りですと、確かにシェルルカお嬢様はどこもお悪くないのでございます。

 この薬はそれほど強いものではないのですが、ご様子も快復の傾向にございます。お嬢様の仰る通り、一日様子を見てもいいかもしれませぬ」


「本当にどこも悪いところはないのでしょうか?」


 糸を手繰り寄せるようなその声からは、老医師に対する心の底からの信頼が見て取れる。たしかにそう思って老医師を眺めれば、怪しげな出立ちとは裏腹に、瞳はどこまでも柔和であった。


「瘴気当たりの症状は、軽いものであれば時間の経過によって自然と良くなります。シェルルカ様のご症状も、現在のご様子を見る限りではそのようなものであるかと……」


 不安を取り払うように柔らかく、しかし真剣に、老医師はそう進言する。


 今がチャンスではないか。わたしは畳み掛ける。


「お兄様、先程は意識が虚ろだったとは言え、ひどいことを言ってごめんなさい。シェルルカがお兄様のことを忘れる訳がございませんわ。本当に何ともないのです!」


 シェルルカを騙らなくてはと考える片隅で、わたしの頭に浮かんでいたのは、あの得体の知れない薬の味である。目の前で繰り広げられた調剤方法を思い返すと、口の中がきゅうっと縮むような気持ちになる。


「分かりました。ロウワン先生もそのようにおっしゃっているし、今日は一日様子を見ましょう」

 

 お兄様のその言葉に、ほっと胸を撫で下ろす。我儘も言ってみるものである。


 そうして一通りの診察を終え、何かありましたらすぐにお呼びくださいと言って、ハウゼルと医師はわたしとお兄様を残して部屋を出て行った。

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