夏草や
来週ぐらいには元の執筆ペースに戻る。
◆◇ミラ視点(ヒスティア家屋敷at王都)◆◇
季節は花の燃える柄から、街の燃える候へと移ってしまったが、どうやら望郷の念というものは、そう易々と移ろうわけではないらしい。
ロロは今も戦場にあり、私の戦いも、まだこれからというにも関わらず、張り付いた気は抜けて少なくない安堵が心にある。
「それで父上。早馬は何と?」
侍女に淹れさせた紅茶に口を付け、今しがた届いた戦況報告の内容を尋ねる。
……やはり、紅茶はフルールが淹れたものでないとな。
「………ふむ。勝ったようだ。ニーダー・プラーガ間で会戦。前回の報告にラベ川で会敵とあったから、ハノーファーを越えて黒の森の沿革辺りだろう。……ティセリウスが戦功第一、か」
さすがはヘレナ。
あいつは思慮を欠けがちだが、決断が早い。
拙速果断。
『兵は拙速を貴ぶ』の通りだ。
「では、講話交渉を?」
「うむ。予定通りならば、今頃王国軍はザーレ川を越えてリンデンバウムを囲んでいるはず。あの街を落とし、そのままドレスデンも落としてしまえば、帝都プラーガは目と鼻の先。帝国もこの辺で手を打ちたいはずよ」
「……はたして、そう巧く行くでしょうか?帝国軍が第二軍団を強襲できたのは、皇帝が南部諸侯の到着を待たず、直轄領のサクソニア軍のみで行動を開始したからです。その軍は潰走しましたが、まだ南部諸侯の軍が残っています。野戦はともかく、都市に籠もり抵抗するには十分かと」
「わかっておるわ。無論、手を打ってある。…戦を終わらせる策だ」
「お聞きしても?」
「ガリア王国を動かした。今も神聖帝国の南部国境に張り付いているだろう」
「ガリアを?……彼らはウサギ王国との戦いで消耗していたはず。帝国に侵攻する余裕など無いのでは?」
「……ミラ、お前は外政には向いていないようだな。相手の立場をとって、もう一手先を考えるのだ。……今のガリア王国は対ウサギ王国戦争の戦費で財政に余裕は無い。そして、教皇領への影響力を低下させたくもない。しかし政治工作も海路しか使えないとなると、陸路に比べて費用がかさむ。……わかるか?」
陸路の確保。
イタロス地方北部か。
「南部諸侯領を併合したい、と。ゆえに、ノルド人勢力の帝国北部を解放したいダンメルク王国と協調したのですか」
「その通り。国王がやってきた従来通りの『戦闘に勝利する』だけでは、地力で劣るダンメルクの勢力拡大は望めない。外内政に力を入れ、機が熟すまで待つのも重要なのだ」
「……さすがは父上。為政者にふさわしい慧眼です」
「……わしは、あの愚か者とは違う。戦うだけの王など、王の器では無い」
器、ね。
「ならば父上、王の器とは何なのです?」
「……あまりに多くの要素があり説明するのは難しいが、あえて言うならば、そう、『思うこと』だ」
「思う?」
「そう、『思う』のだ。天地人を思え。天運の在り処を、地の気を、人の意志を、『思え』」
「…………難しいですね。私にはわかるようで、わからないようで、なんとも掴みきれません」
「ミラ、お前はまだ若い。だが、幾分もすれば判るようになるだろう。少なくとも、ダンメルク王国の宰相が保証してやる」
「それは、それは。……父上は天地人を思えるので?」
「ああ、わしには視える。……今の王に天は在る。だが、地と人が無い。そして、わしには地と人がある。しかし、天が無い」
「比すれば、後者が王に相応しいと?」
「そうだ、その通りだ。……王の役目は国を富ませ、民を豊かにすること。これに必要なのは地と人だ。……天は天下を目指す覇者の要素。王に無くとも、問題無い」
道理だな。
私には分断されているノルド統一も王の責務に思えるのだが、どのみち、現ダンメルク王では不相応よ。
「……理解しました。ですが、他家の貴族もそれを理解できるでしょうか?」
「……理解云々はともかくとして、反国王派は利害が一致するゆえ、協調するだろう。国王派でも、わしに付き従う者はいる。……問題は王家以外での最大武力、ティセリウス家の動向だ」
「ヘレナですか?」
「それもある。だが、最も心配なのは、当主のウィルだ」
ウィルヘルム殿か……。
内密のことだが、彼は父の志に賛同し、計画の一翼を担っている御仁だ。
「保ちそうにありませんか……」
しかし、最近は病魔に蝕まれるようになり、自ら戦場に立つことは無いと聞く。
「うむ……。あやつの亡き後、息子らが思いを継ぐとは限らんゆえな」
二人それぞれ、政と武を得意としていたのを覚えている。
光る才は無かったが、どちらも伯家を維持し得る程度の能力はあるだろう。
「何らかの手を打っておきたいものですね……」
純粋なノルド人でないゆえに、ヘレナならば、まず確実に賛同してくれるだろう。
だが、大切な友人に廃嫡の禁忌を犯させるわけにもいかない。
「……手の者を送り込んではあるが、動向のみでなく、意向をも調べよなどと命じるのは無茶が過ぎるというものよ」
たしかに、彼女は特殊な訓練を受けたわけでないのだから、暗殺やら尋問などは出来ないだろう。
……ああも鮮やかに暗殺を成功させたロロがおかしいのだ。
痕跡の抹消工作にと、賄賂や圧力の準備をしていたのだが、不要となってしまった。
いや、不要になるに越したことは無いのだが内容が内容なだけに、不要となると末恐ろしい。
なんにせよ、どちらも手元にはいないが、あの独特な生き物共の記憶は、げに移ろわざるよ。




