藪の中
『衒学的雑学』
日本の三途の川を始め、死者の世界との境を川とする概念は西洋にもあります。
西洋の場合は『レテの川』と呼ばれるもので、この川の水を飲むことで前世の記憶を忘れるそうです。
この『川』の概念は世界中で見られることから、民間信仰や自然崇拝が関係すると考えられているそうな。
ちなみにキリスト教では『柵を越える』やら『天使が迎えに来た』が多いそうで、やはり死後の世界の想像には信仰が関係するのでしょうかね。
◆◇ロロ視点◆◇
口は災いの元と言うが、なるほど、たしかにその通りであるようだ。
先程、考え無しに「おもいっきりどうぞ」などと言ってしまったがために右手に大災厄が降り掛かった。
幸い、骨や腱は傷付いていないようなので後遺症はなさそうだが、当分は痛むだろう。
……片手で止血をするのは存外に難しいものなのだな。
だが、予想以上の高戦力を手に入れられたのも事実だ。
これで暗殺も上手くいくだろう。
「それではリザ。仕事です。第三中隊長のハーシュ殿に『内密の話があるゆえ至急死体置き場に来たれ』と言伝を」
「……。わかったのだな」
………従者、か。
聞かなかったのは、それだけには私を信頼しているということだろう。
「………待ちなさい」
「ん?どうしたのだな?」
「あなたに仕事の内容を伝えていませんでしたね。これから行うのは、暗殺です。ハーシュとニックという2人の中隊長を殺害します」
「そうなのか。ではリザは何をすればいいのだな?」
やはり、彼の表情は少しばかり嬉しそうに見える。
「死体置き場にそれとわかる目印を用意しておきます。そこへ目標を誘導して下さい。藪から狙撃します」
「ん。失敗したらどうするのだな?」
「その時は殺って下さい」
「了解したぞ。ご主人は大船に乗った気持ちで射つといいのだな!」
「フフ…。……頼みましたよ」
なかなか、傍に置くのに悪くないかもしれんな。
◆◇◆◇
死体置き場。
そこは暗殺を決行するに最適な場所だろう。
寝込みを襲うにしても近くに人気のある陣中では危険が多過ぎるが、その点、死体置き場なら滅多に人が来ることはないうえに死体の処理も楽であるからだ。
死体を発見されたとしても『敗残兵の襲撃にでもあった』のだと誤解してもらえるのも利点である。
……しかし、やむを得ぬとはいえ同輩を手に掛けるのは、どうして心苦しい物があるな。
「あぁ、残念だ…。前途ある同朋よ……。…本当に、残念だよ」
等間隔に置かれた篝火を、一つを残して全て消し、近くの藪に潜んで獲物の到来を待つ。
これで舞台は整った。
ただ一つの篝火が混沌の闇に揺れ、地に臥す骸の山を曝している。
今、我が眼だけで遥かな闇を見透す事は能わないが、導いてくれる光があるならば、事を成すに充分だ。
◆◇◆◇
夜。
それは人ならざる者達の世界。
夜の闇は人の目から光を奪い、光を失った人は自ら光を創り出すことで己の世界を取り戻す。
されど、その目に映るだけの光は森羅の闇の前では酷く矮小で、人は失った勇気までを取り戻すには及ばない。
人の多い南の大都市ならばいさ知らず、人外の領域である森の側や北の大地では、その傾向が顕著だ。
仰ぎ見れば、無数の星々の満ちる天。
星の光は陽の光よりも美しく煌いているが、その光は天を満たすのみで、地上の人からは唯、久遠の孤独を感じるだけである。
耳を澄まし唯一聴こえる松明の爆ぜる音は、まるで霧の国への河を渡っているかの様だ。
なるほど、暗殺者の闇の深いわけだ。
この怯懦は常人には堪えられまい。
芝を踏む足音が聞こえる。
数は二つ。
……来たか。
矢筒から矢を取り出し弦に番え、備える。
足音が止まり、話し声が耳に届く。
「───。───────?」
「─────。──────────────────」
「──。────────」
「────────」
藪から覗き位置を見定めれば、2つの影。
向かい合う形で一つは陣側に立ち、もう一人は篝火の傍で藪に背を向けている。
時間が短かったせいか夜目に慣れきっておらず、詳細には見えないが、背を向けている影が頭部に何も被っていないのは確実だ。
それが目標だろう。
藪から出ないように体勢を整え、慎重に弦を引き絞り、構える。
馬手の負傷が、首の刀傷が、己の痛覚を激しく刺激する。
だが、忍ぶ夜には、その熱こそが、唯一絶対に己の生を知覚させ鼓舞し得るのだ!
音の無い世界で、ただ、本能の命ずるままに矢を放つ。
私の領域を飛び出した矢は、一条の軌跡を描いて影に吸い込まれ、そのまま屍の山の一つとなった。
「まずは一つ、なのだな」
いつの間にか傍らに来たていたリザが私に声をかける。
「ええ、ようやく一つです」
「ようやく?」
「ようやく、です。あなたは闇を…いや、静寂?……違いますね。……そう、孤独です。孤独を恐れますか?」
感傷的なのだろうか、我ながらくだらない事を尋ねてしまったな。
尋ねるなら言語や生尾人の事など他にあるだろうに。
「何を言いたいのかはよくわからないが、生尾人には森に住む者もいるのだな。だから闇を恐れることはないぞ。でも、孤独は辛いと思うのだな…」
「…そうですか。やはり、群れて生きる種族はその運命からは逃れられないのですね。……哀しいものです」
「………。いつか、ご主人もその運命を喜べるといいのだな」
………?
「どういう意味です?」
「そのままだぞ。孤独が辛いから寂しさを埋められる『誰かと一緒』なのが嬉しいのだな。独りでいても孤独じゃない'の"は『誰かと一緒』でも嬉しくないのだぞ」
「…………。………筋が通ってます。あなた、意外と賢いのですね」
「むっ、意外とは失敬な」
「意外も当然。これでも私は知識層の人間です。あなたはその私と哲学的対話を行ったのですから、私に相当する知性があるのでしょう。もしくは真理に近いのか。……どちらにしろ、これは普通ではありません」
「………。たしかに私は里でも賢いほうだったが、飛び抜けていたわけではないのだな」
「ならば、伝承の生尾人は総じて高い知性を持つと考えるべきですか……」
産まれながらにしてなのか教育の成果なのかはわからないが、どちらにしろ現代の人間よりも進んでいるのは厄介だな。
取り込めない限り、敵にしろ味方にしろ彼らと関係を持つならば警戒を怠れない。
「…おしゃべりはここまでにしましょう。もう一人を呼んできて下さい」
「わかったぞ。あ、でも、ちょっとそのままで待って居てほしいのだな」
「はあ……何かあるのです?」
「ムフフフフ………。見せたいものがあるぞ」
「まぁ、構いませんが…」
「うむ!待っているのだな!」
見せたいものか……
小動物でも獲ってくるのですかね。
イヌ科だけに。




