貨幣
◆◇ミラ嬢視点◆◇
「わかりました。それでは」
そう言って彼は、静かに天幕を出て行く。
……
ついに、ついに奴を引き込めた!
長かった。
とてもとても長かった。
半刻も過ぎていないはずだろうに、まるで三刻はああしていたような気分だ。
ジョッキを渡したあの瞬間。
刹那と形容するのが相応しい程の一瞬に目あったがためだけに、生まれてこのかた誰にも見破られたことの無い─あの父にすらだ─本当の私を見抜かれた時は、全身にえも言われぬ悍けが奔った。
だが、そこで怯むのではなく覚悟を決めて計画を進められたのは我ながら偉業であっただろう。
ナイス私。
とは言え、途中から完全に想定外の動きであったり危険な橋を渡る羽目にもなったが、成功したのだから問題ない。
…いったい奴はどこまで読めていて、何を考えているのだろうか。
「ヒスティア卿。よろしいですか?」
うおっ!
なんだロロか。
……いつの間に入ってきたのだ?
全く気づかなかったぞ。
「…なんだね?まさか、もう終わったのか?」
「いえ、そういうわけでは。少しばかり相談があって参りました」
お前からの相談だと?
……嫌な予感がする。
「言い給え」
「それでは。…ヒスティア卿の撤退以降の活動のために、少々資金を頂きたいのです」
なんだ、金の話か。
「……ん?私の帰った後だと?私はお前も一緒の連れて帰るつもりなのだが…」
「そうですか。しかし、そういうわけには参りません。私には帰還する名目が無いのです」
「名目など私が適当に言っておこう。お前は暗さ…んんっ、………一仕事終えた後もここに残るつもりなのか?」
暗殺者は決行後直ぐに現場を離れると聞くのだが…
「ええ、そうです。ヒスティア卿が撤退した後も、おそらくは部隊は残るでしょう。そうでなくとも兵は他隊の補充に、指揮官は騎士の訓練を積んでいますから、本陣付きの騎士団に臨時編入されるはずです。……私は少し怪しいのですが。ともかく、騎士の扱いを受けるならば相応の準備が必要です。装備はどうにもなりませんが、せめて従者は必要でしょう。そのための資金です」
…。
たしかにその通りだが、なぜ今、話を逸らしたのだ?
理由はなんだ?
……もしかして、あいつ、従者がいないのか?
いや、まさかそんな事はあるまい。
さすがのロロでも従者の一人ぐらいはいるはずだ。
迂遠に『使える部下がいるから雇っておきたい』と言っているのだろう。
それならば辻褄も遭う。
「請願の理由はわかった。その者を雇う資金は与えよう。それで良いな?共に帰るぞ」
「卿が命じるならば従いましょう。ですが、やはり私は残りたく思います」
奴は剣を突きつけた時と同じ無表情で食い下がる。
「なぜだ?なぜ残りたがる。理由を言え」
「では。…ヒスティア卿は確かに私を重用して下さるようですが、ご当主も同じでしょうか?トマス侯爵ともあろう方が娘の推薦とはいえ、見ず知らずの若造を重用するとは私には思えません。ですから、手土産を用意するのです」
手土産……戦功か。
「……ふむ、一理ある。それで、どれほど必要なのだ?」
「いくらでもかまいません。神聖銀貨1500枚なら神聖銀貨1500枚の、ガリア金貨30枚ならガリア金貨30枚の。与えられた手札で最大の戦果を挙げるのが私の仕事です。……ただし、スエビ諸貨とフェン貨は勘弁です」
スエビ諸貨やフェン貨を持ち歩く程ダンメルクの侯爵家は衰えておらんよ。
ただ、中々に頼もしい言葉なのだが、要求金額が大きいな。
………ん?
…神聖銀貨1500枚もガリア金貨30枚もほとんど等価じゃないか。
……1500枚の銀貨を渡したら、あいつはいったい、どうやって持ち運ぶのだろう?
「すまんが手持ちが無い。ガリア金貨24枚で何とかしろ」
「わかりました。それでは」
奴はやはり無表情で、同じ台詞で、再び天幕を出て行った。




