一房
作品を大規模に改稿しますた。
結論、ミラ嬢は私を殺さない。
イワン殿を退出させたのがその理由である。
まず、ミラ嬢は少々とはいえ私と親交のあった彼女なのだから、私の実力については少なからず知っているはずだ。
ならば、多少の優位に立てるだけで、一対一の闘いを臨まないだろう。
そしてイワン殿はヒスティア家に仕える人物なので、ミラ嬢が王都へ撤退したい事は知っているだろうから、彼らの暗殺自体は当初予想したイワン殿に言えない事だとは思えない。
だが、本題が予想通りであったのだから、その話が言えない事に関係するのは確かだ。
次いで、おそらくだが、ミラ嬢には私的に使える駒が無いことだ。
ミラ嬢は畢竟、ヒスティア家の令嬢でしかなく、イワン殿を含め実家から付き従う者達が仕えるのは当主である彼女の父君だ。
彼らは当主に問われれば全て答えるだろう。
イワン殿に言えない事とは、則ちヒスティア家に知られたくない事なのだ。
そして、実家に知られたくない企みの実行役に私が選ばれたと。
最後に、時間の問題だ。
敵に動きがあり、軍は明日には出発である。
予想会敵地は不明だが、怪しまれずに暗殺し、王都へ帰還するためには機会は今晩しかない。
私を斬ってから別の者を選んでいる時間は無いのだ。
ゆえに、ミラ嬢は何としても私に暗殺をさせる必要がある。
……ならば、少しぐらいは欲張っても良いだろう。
もとより同じように彼らの排除を考えていたので、実行する事に反対はしないが、提案するのとされるのではわけが違うのだ。
「安く見られましたな。請ける道理がございません」
後ろ手に組んだまま、応える。
「………。────ッ」
刹那。
刃が奔り、首筋を痛覚が刺激する。
「………」
「首を断たれじとも動じず、か。賢しきだけかと思っていたが、これがどうして武人ではないか」
「お褒めに預かり光栄です」
「はぁぁ…………。『必要ならやりましょう』お前ならそう言ってくれると思っていたのだがな」
平生の貴女にならば、おそらくは言うでしょうな。
「お前には本当の目的を話しておこう。……私は王都に戻るつもりだ。先の軍議でな、補充無しでは満足に戦えぬと進言したのだが却下された。だが、私には潰走の汚名を着れぬ事情がある。…わかるか?」
「お父上の事ですな。無論、存じております。もとより3人には残党の襲撃に遭ってもらうつもりでした。しかし、ヒスティア卿の意向を聞き、確実に葬らねばならぬとなれば話が違います」
中隊長を変えるだけならば、死ななくとも問題なかったが、ミラ嬢が関わるならば確実に口を封じなければならない。
「共に学んだ同輩を、お前は………。いや、私の言えたことではないか。報酬がいるのだな。良かろう。上手く行けば私の側近として雇ってやる。ヒスティア侯爵家の家臣だぞ」
やはり私を手駒に欲しいのか。
「信用なりませんな」
「…む、私自身は自分が誠実な人間であると思っているのだがな」
「詐欺師ほど誠実な者はいないでしょう」
「侯爵令嬢を詐欺師呼ばわりか……。まぁ、いい。信じられない理由を聞かせてほしいな」
「…わかりました。そもそも、あなた方が私を必要とする理由がわからんのです。貴家はそもそも宮廷貴族です。要地とはいえ所領は少なく、戸も少ない。兵を率いるならば貴女一人で充分です。ならば私を必要とする理由がありません」
「ふむ…道理だな」
「それに、単に暗殺の下手人が必要ならば私でなくとも良いです。適当に傭兵上がりの者を雇えばよろしいかと」
沈黙。
先程より長い沈黙。
「……………お前は聡明だ。真に戦術を知り、機を見てそれを為す事に於いて、お前に勝る者を今の世に私は知らない。だから私はお前が欲しいのだ。故に、お前には全てを語ろう。聞け──────
─────。どうだ、私の下に来ないか」
なるほど、たしかに、駒は平民である私の方が都合が良いわけだ。
数多く武門の出がいる中で私に目を着けたのもうなずける。
そして、そこまでの準備が出来ているのならば……
「わかりました。その大任、喜んでお受け致します」
夢のある、面白そうな話だ。
『平民である』ではなく『貴族でない』に価値があるというならば、彼らにも取り入り易いだろう。
だが取り入るだけではつまらない。
保険にしてもいくらかの手札が必要だな。
「そうか、そうか。それは嬉しい。……フハハハ!これで三割は叶ったようなものだ。では臣下の礼を執ろう。さて、何に誓う?無難に剣か?精霊か?」
「私は騎士ではありませんから剣には誓えませんよ。それと精霊もやめておきましょう。知り合いの森祭司によると私は嫌われているそうですから」
本当は半端にドルイドの業を覚え、精霊と縁があるせいで、誓いを破った時のしっぺ返しが恐いのだ。
…知識はともかく、技の才能は無かったのだがな。
「代わりに矢に誓いを立てましょう。弓矢は力と知恵の象徴。呪術的な意味も持ちますから十分でしょう」
ちなみに狼も同じ意味を持つシンボルだ。
「そうか、では」
天幕にあった矢をとって跪き、誓いを述べる。
「貴女がそれを欲し続ける限り、私は貴女の力となり仕えましょう」
ミラ嬢が左右の首筋を剣で触れ、儀式を終える。
刃の冷たきが、傷に沁みる。
「よし、これでお前は私の家臣だ。…これをやろう。私からの信用の証だ」
今しがた私の傷を撫でた剣を、ミラ嬢は差し出してくる。
彼女の、ヒスティア家の紋章を刻んだ剣を、だ。
家紋を入った物を与える事は則ち、その者が家の者であるという証明を与える事。
もし、その者が不祥事を起こせば家の責任にもなるため、通常、特使や名代にしか与えない物を、私に与えるのだ。
含意は『彼女がそれ程に私を重用する』ということだろう。
ならば、私も応えねばなるまい。
…とはいえ剣は目立つな。
前線にも立つのだから使用出来ない剣を佩きたくはない。
「ありがたく頂戴します。……と言いたいのですが、それを頂くわけには参りません」
「なんだと、私に仕える気はないと言うのか?」
「違います。剣を頂く事を断ったのです。前線に立つ以上、斬り結ぶ事も有り得るのですから。して、代わりに他の物を頂きたい」
「その通りだな。浅慮だったか。では代わりに髪飾りを……は不自然か。…手頃な物が無いな」
「それでは、貴女の髪を一房頂きたい。それで証としましょう」
「…………」
なぜだろうか?
ミラ嬢から軽蔑の眼差しを感じる。
「…まあ、良いか。少し待っておれ」
短剣を取り出し髪の先端を切れば、美しい銀の髪が舞い落ちる。
高貴な女性の髪は美しさの象徴とされるが、風情も合わさると、これほどに風雅であるとは…
「フフッ、どうした、私に見惚れたか?」
「……雅、というものを感じた次第です」
「ほぅ…、お前も中々に……。ほれ、大事にしろよ」
藍の紐で留められた髪束か。
「一時も離さずにおりましょうか」
「それはそれで気持ち悪いな…。事が終わったら代わりをやろう」
ダメ、とは言われなかったな。
「それでは、手始めに王都への駅鈴を準備してまいります」
「頼んだぞ。…あぁ、ちょっと待て、お前には言って無かったのだな。実はホープ君の兄が急死したそうで、彼は領地に帰る事になったから放っておいて良いぞ」
「わかりました。それでは」
天幕を出れば既に落日し、篝火が焚かれている。
天を仰げば、一迅の風が吹く。
風は冷たいが、傷の痛みは、むしろ、温もりを感じさせた。
斗星は明く、輝いている。




