葡萄酒の色彩
『衒学的雑学コーナー』
吸血鬼が葡萄酒やトマトジュースを飲むのは一般的になりましたが、本来、吸血鬼は葡萄酒を飲めないことが多いんです。
個体毎の伝承によって違いますが、ヨーロッパで最も有名な『ストリゴイ』という吸血鬼は葡萄酒が弱点です。
葡萄酒はイエス・キリストの血ですからね。
「じゃあ、パンも弱点なのか」と言うと、そういった事は私は聞きません。
ちなみに、キリストが処刑された時に出た血を注がれた盃が聖杯なんですよ〜。
吸血鬼といえば十字架ですが、あれは「信仰を思い出して怯んでいる」だけだそうです。
生前がキリスト教徒でなければ効かないということですね。
あとニンニク。
あれは臭いが嫌いらしい。
聖書にはアンチョビみたいな奴で悪魔を払った話があります。
臭ければ良いんだよ。おっさんの加齢臭とか。
炎、流水、穢を祓うぜ!!
炎は火葬の習慣からきたそうです。あ、あと浄化。
日光。
夜行性なだけだってさ。
終わり。
私に女騎士の素質があることが判明したところでミラ嬢が問う。
「どうした。飲まないか」
……?何か違和感が…。
「いえ、そういうわけでは…」
目をジョッキに落とせば、中程まで注がれた真っ赤な葡萄酒。
私が平生飲むものより鮮やかな色彩だが、むしろそれは透き通る様であって混ぜ物の類いは見られない。
……ならば。
視線をジョッキからミラ嬢へ滑らせる。
刹那に視線が交わり、沈黙。
……違う。
この眼は、常のミラ嬢の眼ではない。
理性が、本能が、危険だと言っている!
「…ヒスティア卿より先にいただくわけには参りません」
…………
数秒の間、時が止まる。
……………
「………フッ。見抜いたか。その眼、その勘。羨ましいしい限りだ。────勝利に、乾杯」
ジョッキを豪快に傾け、一気に飲み乾す。
平生の貴族然とした様子からはとても想像できない様だ。
仕事を終わりの傭兵もかくやといった様である。
……隠していたのは彼女の本性であるか。
ミラ嬢はジョッキを下ろし、私が口を着けるのも確認せずに話を続ける。
「今日の戦い、どう思う」
まるで審判だ。
……ともかく『どう』である、か。
漠然とした質問だ。
祝勝か?
反省か?
どちらで応ずるべきか。
そもそもミラ嬢の意図はなんだ?
私だけを残したのだから機嫌の良い話ではないだろうから、先程の話の腰を折ったことへの嫌味か。
はたまた指揮を誘導されたことへの文句か。
………試されているのか?
ひとまず意図を探ろう。
「…まずは、戦勝おめでとうございます。我らの戦果も、単にヒスティア卿の類い稀な指揮があってこそです」
………いや、私が指揮云々を言ってしまっては皮肉ではないか。
しかも、しまったことにミラ嬢は引き攣った笑みを浮かべていらっしゃる。
「フ、フフ……。そう言われては虚仮にされた事に文句を言うわけにはいかんな。……まぁ良い。元はといえば私の無能が原因なのだからな」
難は逃れたが心象を悪くしてしまったか。
「本題に入ろう。具体的に、気になったこと、問題とする事は無いか?私はお前を高く評価しているのだ。身の程を弁える必要はないよ」
気になったことであるか……。
挙げようと思えばいくらか挙げられるが、正解がわからない。
答えるべき問題は表面的なものではいけないだろうこともまた面倒だ。
そして重要なのが導き出される本題が何か、だ。
なるべく人に聞かれたくなく、かつ、私に言わせたい事。
私なら気づいていて、イワン殿には言えない事か。
しかも本性を晒してのことだ。
……嫌な予感がする。
「…聯隊の、いわゆる新設部隊の練度を、国王陛下は見誤っておられるようです。あれでは次の会戦では到底役に立たないでしょう」
兵の損耗が多く指揮官の半数が機能しない現状ならば、この後の会戦で良くても多大な損害、悪くければ壊滅、という事態に陥る可能性が高い。
そしてダンメルク王国の宰相にしてミラ嬢の父親、トマス・ヒスティア侯爵の政情─私ごときが知っている─を鑑みれば、ミラ嬢は、たとえそれに勝る栄誉を得ようとも汚名を避けたいはずである。
だが、戦況はすこぶる優勢であり、勝ち戦に参加できないのは惜しいはずだ。
ならば、先程の軍団の軍議で退却を決意させる何かがあり、隊を、せめて自分だけでも撤退できる理由を作りたいのだろう。
と、すれば私という最前線指揮官の『部隊が機能不全である』という進言は正しいはずだ。
あくまでも推測だが。
「ほう……なぜだ。たしかに兵の練度は低いがそれ程悲惨ではあるまい」
臨時徴収の兵よりはまし、という程度だが。
「そうですな。兵はまだ良いでしょう。問題は頭です。頭。則ち将。私が見た限りですが、歩兵中隊の将は使い物にならんでしょうな。少なくとも半数は」
ミラ嬢の眼が閃る。
閃る。
目に光が、煌きが、宿る。
「その半数とは、やはり今後、軍団全体に及ぶか?」
「学院の様子を思い出されればよろしいかと」
官吏登用制度を軍事に転用する発想は良かったが、実が伴っていなかった。
「ならば、歩兵以外ではどうだ?」
「弓隊に関しては言うまでもないでしょう。騎兵については元々の数が少ないのでわかりかねますが、少数なので影響も限られるでしょうな。大隊長以上につきましては貴女のように真に才があり、尚且つ勇ある者はそうおりません」
「大隊長以上もか…」
「兵が戦場で怯えては二度と使い物になりません。それは将とて同じこと。むしろ将が恐れる事の方が危ういです。将が逃げれば兵も逃げ、やがては軍全体が逃げることになります」
先程見た同僚2人の様子は悲惨だった。
イワン殿と口論したわけではないのだろう。
迫り来る死か、眼前の骸か…
何が原因かは皆目見当つかぬが、彼らは武人にはなれないだろうな。
次の会戦で生き残るかすら怪しい。
もし奴等のせいで隊が崩れれば、私も死ぬやもしれむ。
死を恐れる訳ではないが、むざむざ死ぬというのも気に食わない。
何か打つ手はないものか。
……残党にでも襲われてもらおうか。
「坊っちゃん嬢ちゃんに戦は早い、か…。お前は止めたが、あいつらを何とかできんか?」
「あの時述べました通り、たとえあの場では持ち直したとしても、自身の隊の有様を見てしまえば元の木阿弥です。そもそも中隊長、いわゆる100人隊長は普通、小隊長の中から抜擢するものであるように、大して教養はいらんのです。ですから、挿げ替える頭はいくらでもあります」
単一兵科での編成に騎士の大量養成。
国王による一連の軍制改革は方針や発想こそは斬新で秀逸なものであったが、急激な改革は対立を、中途半端な改革は過渡期の軍という無用の長物を創り出したに過ぎない。
……ん?ミラ嬢の様子がおかしいな。
何やら禍々しい笑いを漏らしておられるのだが…、
「クックック、ならば、やってくれるな?」
予想した本題は正解か。
……私の状況は悪化しそうだが。
たしかに指揮官の半数が死ぬか撤退すれば大隊は機能しないのは確実だろう。
だが、下手人には危険が付き纏うわけであり、ミラ嬢が犯行を告発された場合にはトカゲの尻尾になるわけだ。
無論、尻尾役は御免被る。
鷄口牛後という奴だ。
……違うか。
「…………」
余計な事を思考で出来た間が不審を招いてしまったのだろう。
ミラ嬢はわずかに腰を落とし、剣の柄に手を添える。
『断れば斬る』、か。
『事を知る者は生かしておかない』という考えならば、引き受けた場合も後に殺されるかもしれないな。
…………詰んだな。
断れば斬られ、引き受けても後で斬られる。
実力に大差は無いので、殺られる前に殺るのも無理。
ならば一旦は引き受けて暗殺を謀るか?
……無理だな。
あちらは私を葬る準備が出来ているのだから、こちらが仕掛ける余裕は無いだろう。
捨て駒で死ぬなど御免だ。
……はてさて、どうしたものか。
雑学コーナーの文句、反論、補足、受け付けております。




