7.最高の記憶2
突然、目の前の視界を奪われた。対峙していたブラックドラゴンのドラゴンブレスだ。私は、完全に毒ガスのブレスに包まれた。
幾らエルフ族が、ドラゴンブレスに対する耐性を生まれつき持っているとは云え、直撃はまずい。
幸いにもブラックドラゴンのドラゴンブレスは、毒ガスだ。吸い込まなければ、ダメージは最小限に抑えられる。すぐに逃げねば。だが、視界はゼロ。いつブラックドラゴンの攻撃がどこから瞬間移動の様に飛んで来るか分からない。
そうか、今、考えが繋がった。逆にチャンスだ。あのつがいから止めを刺してやる。
息を吸わぬように、肺にある空気だけで呪文を詠唱する。息が持つか。
苦しいがここで詠唱を止めて息を吸えばあの世行きだ。顔を真赤にしながら最後まで呪文を唱える。
『空間移動』
何とか肺の空気だけで呪文の詠唱を完了した。
つがいの内臓がむき出しになった腹の前へ瞬間移動する。
まず、毒ガスはこれでクリア。すぐに深呼吸をする。生臭いが贅沢は言えない。肺が新鮮な空気を貪る。
今の内に新鮮な空気を吸っておかないと次に吸えるのが何時になるか。
手にしていたバスタードソードを背中に背負い、そして何の躊躇いもなくブラックドラゴンの内臓を押しのけ腹の中へ飛び込む。
腹の中は、光源もなく真っ暗闇だが、エルフ族にとって闇を見通す夜眼を生まれつき持っている。何の問題もなく中を進んで行く。
突然の激痛にブラックドラゴンがのた打ち回る。ブラックドラゴンもパーティーの誰もが何が起こったか理解していないだろう。完全な不意打ち。
何とも言えない生臭い匂いで鼻が曲がり、全身をドラゴンの血で赤黒く染め上げる。中に入りにくい為、腰に提げたフォールディングバッグからダガーを数本取り出し、手近な内臓へ突き刺し足場にし、更に奥へ分け入る。ドラゴンの咆哮が激しくなり、動きも激しくなる。まるでいつまでも続く地震の中にいる様だ。
四方を内臓に挟まれ、ダガーで足場を作った為、どんなに動かれても体外に落ちることはない。また、周りが柔らかい小腸の為押し潰される心配もない。
しかし、予測できない振動、そして獣臭さや血の臭気が私の胃を虐める。ついに、堪えられなくなり盛大に胃の中の物をドラゴンの中にぶち撒ける。だが、十数時間以上食事を取っていないため胃液しか出ない。胃液しか出ないのは逆に辛い。だが、生き残るには我慢して先に進むしか無い。さらにダガーを取り出し、目の前にある何かの内臓目掛け深々と突き刺し、自分がぶち撒けた胃液の上を進む。
さらにドラゴンが咆哮をあげる。刺したダガーを捻り、また別の内臓に突き刺し、捻る。
どす黒く臭い血が、全身に降り掛かるが一切気にしない。ここは安全地帯だ。このドラゴンはもちろん、もう一匹のドラゴンも攻撃できない。
もう一匹のドラゴンは私がつがいの腹の中に居るとは思ってもいないだろう。そして、私のパーティーの誰も気づいていないと思う。
シールドを外し片手だけでなく、両手にダガーを装備する。手当たり次第、内臓を刺し捻り、切り裂き、千切り、少しずつ奥深くへ進んでいく。
この臭い血も気にならなくなってきた。嗅覚が麻痺してきたのかな。
小腸が腕や身体に絡んでくるが、気にせずダガーで一気に切り裂く。中から消化中だった動物の死体が出てくる。
そんな物に目もくれない。死体なんて今まで山程築き上げている。今更気にすることじゃない。
さて、目指すは心臓だ。少しでも心臓に近づくため、ダガーを振るい続ける。前に進むための空間を作るため、目の前にある内臓を滅茶苦茶に切り裂いていく。時々、血の他に黄色い汁や青い汁が飛び散るが、すでに全身血塗れ。これ以上汚れようがない。全く気にしない。進みは微々たるものだが、ようやく小腸をくぐり抜けると、肌色の大きな壁にぶち当たった。どうやら、ドラゴンの胃のようだ。一瞬、ダガーで切り裂くことも考えたが止めた。もしかすると胃の消化液がこちらへダメージを与える可能性がある。とりあえず、胃の向こうに心臓があるはずだ。胃の壁沿いある筋肉を切り裂き先に進む。しかし、内臓と違い筋肉は硬かった。魔法で切れ味が良くなっているダガーでも筋肉を切り裂いていくのは、一苦労だ。これ以上前に中々進めない。
とりあえず、憂さ晴らしに回りを切り裂きながら次の手を考える。何か妙案は無いだろうか。生暖かい胃が背後で痙攣を起こしている。
身体の中でエルフが大暴れしていたら、それはそれは苦痛だろう。まさか、敵が自分の体内に入り込んでくるなど長老クラスのブラックドラゴンも想像していなかっただろう。
命懸けなら何だってするんだから。ようやく見つけたチャンス。絶対に逃さない。
嫌がらせに両手のダガーを振るい続ける。筋肉にさしたるダメージは与えているように見えないが、確実に血管や神経が切れているのは間違いない。
しかし、いつまでもダガーを振るい続けるのは無理だ。こちらが疲労で動けなくなってきた。一旦、小休止をとろう。
こちらが動きを止めたことで、ドラゴンの動きも止まった。
深呼吸をする。不用意に口を開け瞬間、口の中にドラゴンの血や体液が入ってくる。血や体液が混じった味がまたも吐き気を催すが、先程出したばかり、吐き気だけ何も出ない。かすかに血が口から滴り落ちる。
息を整え何とか持ち直し、ようやく頭の中がスッキリしてくる。
はぁ~、ヒロインなのに汗だくになって目の下に隈を作り、全身ドラゴンの血と体液に隈なく汚れ、小腸が絡みついて擬似触手プレイ。挙句の果てに大量に吐き、その胃液の上を匍匐前進する。ヒロイン度が全く無いな、私…。
先程まで頭に血が上っていたが、少しずつ冷静になってくる。
そうだ、剣士は戦士と違い常に冷静でなければいけない。戦士には狂戦士ことバーサクモードがあるが剣士には無い。落ち着かなければ。基本に立ち返ろう。
さてと、この胃を何処かに捨てることができれば簡単に心臓まで行けるのに、捨てることが出来ない。
だけど筋肉が固くて邪魔で先に進めない。胃を切り裂くのは簡単だけど、中の胃液で溶かされたりしたら、私の美肌が痛むじゃない。だから、胃を切るのは却下。
出来ないことをいくら考えても時間の無駄だ。出来ることを考える。では、今の私に出来る事は何だろう。魔法で使えそうなものはない。
頼れるのは剣技のみか。剣を振るう空間は無い。だけど、先程までは、あまりにも狭く、バスタードソードを振り回す空間が無かったが、私がダガーで無理矢理こじ開けて空間が出来た為、剣を貫く動作は出来そうだ。
血と脂がべったり付いたダガーをフォールディングバッグにしまう。
そして、苦労をしながら背中のバスタードソードをゆっくりと引き抜く。
普段は、盾と兼用なので片手持ちだが、今回は確実に仕留める為に両手持ちをする。今度は降り注ぐドラゴンの体液が口に入らぬように俯いてもう一度深呼吸をする。完全にいつもの冷静な魔法剣士ミューレに戻った。
筋肉や胃が邪魔だといっても壁になっているわけではない。筋肉は骨に付く部分で細くなるし、ダガーで切りまくった為か、収縮した時に隙間が出来る。剣が簡単に通る脂肪の部分もある。胃も痙攣し、ほんの少し他の内臓や筋肉との間に隙間が出来る。骨は、背骨と肋骨のみ。全く邪魔にならない。
そして、今居る場所から心臓のある場所は心音から想像がつく。
その場所なら充分心臓までバスタードソードが届く。つまり敵の弱点は完全に私の間合いにあるということね。
何の事はない。充分、剣技を発揮する条件は揃っているじゃないの。
私は一体何を慌てていたのだろう。
ゆっくりとバスタードソードを両手で弓のように引く。後は、その時を待つだけだ。
絶対に条件が揃う瞬間が来るはず。ドラゴンが動く度に揺れるが、明鏡止水で待つ。
一番良く聞こえるのが、ドラゴンの心肺音。次いで体外での戦闘音。激しく剣と硬い鱗がぶつかり合う音が中まで響いてくる。
突然、ドラゴンが動きを止めた。ドラゴンの心肺音が激しくなる。多分、ドラゴンブレスを吐こうとしているのだろう。この瞬間を待っていた。
心臓への一筋の細い隙を見つける。一寸の狂いもなくその隙をバスタードソードでトレースしていく。
何の抵抗を感じることもなく、剣はどんどん奥へ突き進んで行く。
秘技、隙通し。
眼に心臓は見えないが、剣先が心臓の鼓動を捉える。何の抵抗を感じること無く剣が心臓を貫いていく。完全に剣先が心臓を通り抜けた。
剣を通じて鼓動がゆっくりゆっくり弱まっていくのが感じられる。
お前は強かったよ。本当に邪魔して悪かったな。後でうちのドアーホ共に詫びを入れさせるから許してね。
私はゆっくりと剣を捻った。
ドラゴンは一瞬痙攣を起こし、静かに倒れた。剣先から鼓動は感じなくなった。ようやく、一匹を撃破か…。
筋肉が締まる前に剣を抜く。辺りが急速に静かになる。遠くで残りのブラックドラゴンの咆哮が聞こえる。つがいを失った悲しみを感じさせる。
だが、私は死にたくなかったんだ。すまない。
一匹倒した安心感の為か急激に疲労と睡魔が全身を覆う。苦労しながらポーションを取り出し、ひと飲みする。薬草とドラゴンの血が混じり吐きそうになるが、こみ上げてきた血と一緒に無理に飲み込む。これほど不味いポーションを味わうことになるなんて、拷問に等しいわ。
そうだ、少しここで眠らせてもらおう。魔力を回復させよう。多分、ここが一番安全だろう。そう決めた瞬間、私の意識は途切れた。
かすかな振動を感じ、眼が覚めた。体内時計が意識を無くしてから三時間経過していると教えてくれる。魔力が腹の底からフツフツと湧いてくるのが分かる。今なら、魔法全開の戦いができる。
外では、まだ戦闘が続いているようだ。魔法の爆発音や剣戟が聞こえてくる。全員が健在であればいいのだが…。そうすれば、ドアーホ共を後で血祭りにしてあげられる。
固まった身体を軽くほぐすとお腹が鳴った。そういえば、魔法の岩壁に退避していた時以来、何も食べていなかったな。ここは食事に向いていないが、心臓が止まったことにより血液の噴出も止まっている。保存食を取り出し頬張る。久しぶりの食事は美味しい。ゆっくりと噛みしめる。少し時間をかけ食事を終える。
さて、残り一匹。魔力、体力全快の私が勝負。一対一で戦っていた時ですら、割りとダメージを与えていたはず。あれから三時間経過していれば、さらに私のパーティーからダメージを喰らっているはず。こちらの勝率が確実に上がっていると信じたい。狭い中、脂で指を滑らせながら苦労して左手にシールドを付け直す。
バスタードソードも近くにあった。こちらも苦労して鞘にしまう。
このまま、外へ滑り降りる様に出ても良いが、やはり一度この眼で状況を確認しておきたい。あちらこちらに引っかかりながら方向転換し出口を目指す。
途中で足場に使用していたダガーの回収も忘れない。何せ魔法のかかっている貴重品、そうそう手に入る物じゃない。大事にしないとね。
何とか匍匐前進で出口が見えてきた。一旦止まり、外の状況を耳で確認する。音の大きさから目の前で戦闘が行われているようではないようだ。ゆっくりと裂け目を開け、外を確認する。すぐに私の眼が夜眼から昼眼に切り替わり、眩しさから眼を保護する。五十メートル程先で戦闘が行われている。ブラックドラゴンを囲む様に、正面でウォンとカタラが、後方をドワーホコンビがブラックドラゴンと切り結んでいる。少し離れて馬鹿魔法使いが頃合いを見計らって魔法を打ち込んでいる。全員健在だ。一安心する。
対するブラックドラゴンは、悲惨な状況だ。羽は皮膜が全て焼け焦げ、骨だけになり、全身に火傷と凍傷がまだらに出来ている。
急所付近の鱗はほとんど剥げ落ち地肌が見える。全身から切り傷や打撲傷により深手を負い、血が染み出しているが、致命傷に至る傷は無い。
さて、ここからがミューレさんの力の見せ所かな。
ブラックドラゴンの傷口より這い出し、立ち上がる。パーティーの皆が一瞥をくれる。皆、生きていたのかという呆れた表情を浮かべている。
そりゃ、三時間も姿がなければ死亡判定されても文句も言えない。
少し位、心配してくれてもいいじゃない。
「さ~て、切るか」
そういえば、東方の国の冒険者の口癖だったなぁ。ここ一番って勝負の時に必ず言っていたな。彼ももう寿命を迎え、墓の下だろう。良い人生だっただろうか。
しっかりした足取りでブラックドラゴンへ剣を抜きながら近づいて行く。
剣先を地面に引き摺りながら確実に近づいて行く。時折、剣先より火花が散る。
ブラックドラゴンは、私の姿を見て驚いている。奴も私が死んだと思っていたようだ。
あえて、ブラックドラゴンの正面に立つ。完全に私の間合いだ。ドラゴンも冷静な判断力を失っているようだ。こんなに簡単に私を近付けさせるなんて数時間前まで考えられなかった。
ウォンが私の左側に、そしてカタラが私の右側に立つ。
「ミューレ、とても臭いますわね。でも、その汚れた姿、とてもお似合いですわ」
「後で花でも手向けてやろうと思ってたが、まさか腹の中で寝てるとはな。図太い神経しているな。俺でも真似できないぜ」
「小腸の分際で際どいところを弄られたわ。そして身体の隅々から身体の中までドラゴンの体液が染みこんだわ。私は、あの腹の中に女の全てを捨てて来たわ」
冷笑を浮かべる。
だって、こんなに大きくて立派な八つ当たりできる物が目の前にあるんですもの。
『貴様、我が妻の中から出てきたな。その汚れた身体で神聖なる我が妻を汚したな!』
ブラックドラゴンの怒りが最高潮に達する。今までの怒りがお遊びの様だ。
しかし、今の魔力、体力、気力が充実している私の敵じゃない。
『神聖?何がだ。あぁ、お前の妻の事か。あれの中は臭かったぞ。私が汚す?冗談じゃない。すでに最初から穢れきっていたわよ』
『たかが、人間の分際で神聖なる種族であるドラゴンに対する態度、貴様だけは許さん』
『ふふふ、そのセリフを今迄に他のドラゴンから何度聞いたかしら、ドラゴン族には創造力がないの?もっと他のセリフを頂戴。だって、神聖なるドラゴン族なのでしょう。当然、もっと語彙が有ってもいいと思うのだけど、如何?』
私は髪の毛をかきあげ、エルフ族の象徴の長い耳を見せつける。
『貴様、エルフ族だったか。道理で戦士の分際で魔法を使いこなすとは、不思議に思っておったが、これで合点がいった。お前ら、我が同胞を幾匹も殺めてきただろう。戦い方を見てきたが、長老のこのワシをここまで追い詰め、我が妻まで屠るとは…。ドラゴンスレイヤーか』
『ようやく、私がエルフだと気づいたの。やはり、ブラックドラゴンは長老クラスになっても理性より野生が優先されるのね。でも、分かっているのよ。会話を長引かせ、体力を回復させているでしょう。』
『ふん、若造の分際でそこまで読んでいたか。体力が回復すれば、お主たちに不利のはず、なぜ付き合う。』
『だてに、ドラゴンスレイヤーじゃないのよ、私達。会話時間程度の回復力なんて問題にならないわ。確か、何匹トカゲを倒したかっていうお話しよね?スモールクラスは最初から数えていないし、ミドルクラスは十数匹、ヘビークラスが九匹、長老クラスは二、三匹かな。ふふふ』
『貴様ら、我が同胞をそこまで殺めたか!人間種では最強の称号を持つ勇者と呼ばれる存在か!』
『最強や勇者の称号なんて持ってないわ。そんな称号なんて、い・ら・な・い。私が欲しいのは、わくわくする冒険よ。今回は、命が危なかったけど、逆に最高だわ。長老クラスを二匹同時に相手をして倒すなんて今までに無い快感よ。あなたを倒した時、私は間違いなく快感で立てなくなるわ』
『この変態が。確かに我が勝つ見込みは無かろう。しかし、エルフ貴様だけはワシと黄泉路を歩んでもらおう。さもなくば、我が妻があの世で許してくれぬわ。あの世で下僕として使ってやることを光栄に思うがいい』
『残念、あなた私の好みじゃないわ。お一人でどうぞ』
ブラックドラゴンの私への憎悪が最高潮に達する。他のメンバーは目に入らない。これで囮役ができる。私に意識を集中させ、他のメンバーが攻撃しやすくする。ただ、無駄話をしていた訳じゃない。
次の戦闘を組み立てていたのだ。
「なぁ、ミューレ。お話しは終わったのか?ドラゴン語が分かるのは、お前だけだろ」
「えぇ、終わったわよ。ウォン。今から最終ラウンドよ。時間は稼いだのよ。カタラ、回復は終わってるわよね」
「もちろん、終わっていますわ。皆、回復させました」
「じゃ、始めていいのか」
「えぇ、任せて全てが充実しているわ」
『分身現出』
まず、念のため分身を四体発生させる。これでドラゴンの物理攻撃を四回は身代わりになってくれる。
『小賢しいことを全て粉砕してくれるわ』
ドラゴンが右の拳で私を粉砕しようと凶悪な爪が迫る。しかし、私は動かない。次の呪文詠唱に入っている。だって仲間が居るんですもの。防御は任せればいいわ。
左側で強烈な打撃音をと火花が散る。ウォンがドラゴンの拳をラージシールドで強引に押し止める。ウォンの足が数センチ押し滑らされるが、支えきった。
『火炎爆裂』
ドラゴンが業火に包まれる。多少、仲間にも爆風が飛ぶがその程度は何とかするだろう。そんなヤワな奴らじゃない。
すかさず、次の魔法の詠唱に入る。
ブラックドラゴンがドラゴンブレスを吐こうとしている。
ドラゴンが口を開けた瞬間、カタラのメイスがドラゴンの下顎をメイスで強烈に打ち上げる。衝撃で自然と口が閉まりブレスを吐くことが出来ない。
『氷結吹雪』
次はドラゴンを吹雪で凍らせる。ドラゴンの表面が氷結しだす。
次の呪文詠唱に入る。
『小賢しい、この程度の氷で動けなくなると思ったか!』
だが、背後から援護の魔法が入る。
『氷結吹雪』
馬鹿魔法使いが、同じ魔法を掛けてくれた。相乗効果で氷結速度が速まる。
ドラゴンが私を踏み潰そうと大きく右足をかかげる。だが、氷結の効果で動きが緩慢だ。腹の下に大きな空間が出来る。そこへドワーホ共が滑りこむ。身長が低いため、人間では入り込めない隙間に簡単に入り込む。こんな好機を逃すわけがない。ドラゴンの鱗のない柔らかい腹を好き放題に切り刻む。
ついに腹の皮が破れ、腸がはみ出す。
「ウッキー!」
ドラゴンはバランスを崩して倒れこむ。もちろん、ドワーホ共はとっとと安全圏に逃げて踊っている。
『エルフだけは…』
口を開けるのを私は待っていた。
『多重魔力光弾』
私が本来発生させることが出来る光弾は七本。時間を掛け、多重に魔法を掛けることで最大二十八本まで同時に出現させることが出来る。
その全てをドラゴンの口を通して極力、最深部へ届くように円錐形の白く輝く光弾を順番に打ち込んでいく。
ドラゴンの口から絶え間なく、爆発が続き、肉の焼ける匂いと焦げる匂いが充満する。黒い煙も口から吹き出ている。
ドラゴンの身体が痙攣している。脳に近い処を爆発でかき回され脳震盪に近い状態なのだろう。
カタラが地面スレスレの構えから、ドラゴンの下顎目掛けてメイスを打ち上げる。ドラゴンの頭部が私の目の前の高さに来る。
ウォンが近くの岩場から飛び降り、ドラゴンの首へロングソードを全力で振り下ろす。
私の胴よりも太いドラゴンの首が切断された。
私の足元に転がってくる。これで勝負は決まった。私達はドラゴンを今、確実に屠ったのだ。しかし、私はまだ止まらない。
私は、四体の分身と一緒にドラゴンの顔に向かう。
分身は私と全く同じモーションをする。五本の剣がドラゴンの額に何の抵抗も吸い込まれていく。無論、分身は単なる幻影。ダメージを与えることは出来ない。
隙通し。ドラゴンの硬い頭蓋骨の隙を通し、脳に剣が至る。
私の脊髄に電撃が走る。今迄に感じた事が無い快感だ。下腹部が熱くなり、足に力が入らなくなる。
ふとももの内側に熱いものを感じながらへたり込む。ドラゴンの頭が刺さった剣をそのまま抱きしめる。もう一度、全身に電撃が走る。凄まじい快感だ。
息が荒くなる。こんな姿は、誰にも見られたくないのに力が入らない。
だが、周りも勝利の歓声を上げ踊っている。多分、死闘で疲れきってへたり込んでいると思われていると信じたい。
私達は、長老クラスのブラックドラゴンを二匹同時に相手し、三十二時間かけて空腹と睡魔と疲労に襲われながらも勝った。
人類史上初の快挙かもしれない。
だが、この戦いを知る者は私達だけ。知名度が上がることは無い。歴史書に載ることも吟遊詩人が歌い継ぐこともない。
ただの自己満足に過ぎない。でも、最高の冒険だ。これほどの快感を私に与えてくれた。充分過ぎる報酬だ。
これほどの強烈な記憶は、今迄にない。そして、これがこれからも最高の記憶になるはずだ。こんな経験は二度とないだろう。
「ミューレ、準備が出来ました。ウォンも起きて準備をしています」
背後からカタラに声をかけられ、唐突に現実に引き戻される。
そうだ、これからオークの村へ襲撃をかけるのだ。
「そう、まもなく日没だし、食事を摂ったら行きましょうか。それでいい時間になると思うし」
何事も無かったかの様に振り向き答える。だが、ふとももの内側が少し熱いもので濡れている。多分、気づかれていないだろう。
さて、オークたちは私をどこまで楽しませてくれるかな。気持ちがまた高揚してくる。