47.急転
さて、進退窮まった。進むも逃げるも出来ない。
アッパーデーモンと差し向かい、如何にして生き残るかが、今の目的だ。
勝利は求めていない。どんなに不恰好でも生き残れば勝ちだ。まさしく、逃げるが勝ち。
逃げるために有利になりそうな状況を探してみる。
空を見上げるが、春の快晴だ。天候が急変し、濃霧や豪雨など敵の目を欺けるような状況にはならないだろう。太陽が暖かく周辺を照らしている。しかし、私の心は、曇天だ。日が差し込む余地が無い。
やはり、博打に出るしかないのか。悪魔の目の前で堂々とエンヴィーに帰ろう。
それが駄目ならば、肉弾戦で攻める。いくら時間が経過しても援軍の当ては無いし、状況が変わる事は無い。逆に、こちらが疲労や空腹や生理現象で自由が利かなくなるだろう。時間の経過は、敵としか考えられない。
突撃は、死中に活を求める、とでも言えば軍師らしいのだろうが、どうも自殺願望にしか聞こえないので、私は好きになれない。
とっとと逃げよう。失敗しても今の状況と変化は無いだろう。
「では、長時間お邪魔しました。私達は、これで失礼致します」
踵を返し、村の外へ出ようとする。同時にウォンとカタラにも撤退を促す。
「エルフよ。慌てて返る必要は無いぞ。お前は面白い。もう少し話を聞かせよ」
背後から悪魔が声をかけてくる。こちらは、完全に無視をする。カタラは、憮然とした表情で納得していない。悪魔を目の前にして、撤退することは許しがたい屈辱なのだろう。
だが、勝利できない事は分かっているのだ。だから、私に黙って付いて来てくれているのだろう。そして、ウォンは、何も考えていないな。この状況を楽しむかのように笑顔だ。
「待て、エルフ。国王や財宝が足りぬか。では、強大な魔法も授けようではないか。今までに見たことが無い様な魔法を授けてやろう。これでどうだ」
ちょっと、心が揺らぐ。強大な魔法。何と甘美な響きだろう。
「ミューレ、何を考えているのですか。にやけ顔が、仮面に隠れていません」
おっと危ない。顔に出していたか。だけども、顔がにやけたのは悪魔の提案が、あまりに児戯の様でおかしかったからだ。悪魔の誘惑と言えば、搦め手でもっと高尚なものかと考えていた。蓋を開けてみれば、相手が喜びそうなものを並べるだけではないか。この程度の誘惑に乗る人間など本当にいるのか不思議になってくる。検討の余地も無い。
「よし、エルフよ。下僕ではなく、悪魔に生まれ変わらぬか。それならば、人の殻を捨て、上位生物として君臨できるぞ。研鑚を積めば、スモール級のドラゴンにも勝てる様になる」
駄目だな。やはり、私の心を迷わす提案が出て来ない。三流の売り子だな。街の売り子の方が、購買意欲を上手にくすぐってくる。すでにスモール級のドラゴンは、私達には脅威では無い。この三人であれば、圧勝できる。一人でも何とか勝てるだろう。それに先日は六人掛りではあったが、ラージ級のレッドドラゴンとブラックドラゴンのつがいにも勝利している。
それなのに、わざわざ、悪魔になって、弱体化してどうする。どうやら、悪魔は敵の力量を読み取るのが苦手の様だ。というか、読み取る必要が無いのだろう。今までに出会った敵に負けたことが無いのだろう。だから、相手の強さを気にしないのだろう。そう考えれば、辻褄が合うかな。ちょいと強引だが。
とりあえず、悪魔が無駄話をしてくれている今の内に、少しでも距離を稼ごう。上手く森に入ることが出来れば、木陰を利用して逃げることが出来るかもしれない。
「そうか、まだ不服か。そうだな…。副官も付けてやろう。これならば、自由にこの階層で思う存分に権勢を揮うことができるぞ」
悪魔から自信に満ちた提案が出される。これならば、首を縦に振るしかないと思っている様だ。私が本気になれば、今すぐエンヴィーの支配者になり、世界征服に自力で乗り出せる。
あまりやりたくはないが、奥の手として緑の氏族を動かせば、この大陸程度は、数年で支配できるだろう。
だが、食指が動かない。欲望が無い人間には、悪魔の言葉は全く心に付け入るどころか、ノックすら出来ないことがよく分かった。どうやら、私は、悪魔の囁きを過大評価していた様だ。心が弱い人間だけが、悪魔の囁きに乗る様だ。私が警戒する必要が無い事だけは、良く分かった。
村と森の中心まで歩みを進めた。このまま、見逃してくれれば有り難いと希望的観測、いや楽観的希望を祈る。やはり、希望は無かった。
私達の目の前に丸い黒い霧が発生し、中からアッパーデーモンがゆっくりと出てくる。私達の進路は、塞がれた。
「なかなか、歩みが早いではないか。まだ、日も高い。一緒に食事でもどうかね」
空間転移の魔法か。やはり、見逃してはもらえない様だ。歩みを止め、腹を括る。我が人生四百年で終わらせてたまるものか。最後まで足掻いて見せる。
「いりません!悪魔の食事など汚らわしく、口にする事など出来ません!」
カタラが、間髪入れずに反発する。そう反論ではなく、反発。悪魔への嫌悪が、教会の教えが、カタラの心に条件反射として刻み込まれている。私が悪魔と対応する隙も無かった。
「狂信者には聞いておらぬは!エルフのみに語り掛けておる。雑魚共は、会話に入るな!」
悪魔の落雷にも似た怒声が腹に響く。さすがの悪魔も私が、ここまで無視を続けた為、怒りが込み上げてきたのだろうか。悪魔と言えども、知識は人間よりも豊富かもしれないが、品性は、人と変わらぬか。では、悪魔と人間の決定的な違いは、寿命と魔力量でしかないのではないだろうか。
人間と比べ物にならぬ程に蓄えた魔力を持っているから、恐ろしい存在であり、レッサーデーモンの様に魔力量が私よりも格段に少ない場合、ウォンの剣技のみでも魔法のかかった武器であれば狩れる。
ならば、針の一穴ほどの可能性があるのならば、肉弾戦を選択するのも現実的か。
「先程からの提案は、私の心には響かない。全て、自力で実現できる。それに私が緑の媛であることを忘れたのか。暗殺の依頼主から私の素性を聞いていないのか?」
「なるほど、緑の媛か。確かに報告は受けていたが、些末な事なので今まで失念しておった。エルフ四大氏族の一つの媛であり、次期氏族長ならば、確かに国や財宝など些末な物だな。確かに、私のこれまでの提案は無意味だな。これは失礼をした。ならば、緑の媛は、何を望む」
「自由!」
そう、誰にも束縛されない自由が、最も大切にしているものだ。名声を求めないのも、国を興さないのも、支配者にならないのも、全て自分が自由に生きる為だ。
人に自分の人生を左右されては堪らない。その為に力を、そして知恵を、数百年に渡り、鍛え、蓄えてきたのだ。いかなる権力や暴力が立ち塞がろうと、跳ね除ける力を持ち、自由に生きる。それが私の人生だ。
「なるほど、それは私に与えることが出来ぬ唯一の物だな。分かった。緑の媛よ。自由を己が力で勝ち取るが良い」
悪魔の最後通牒だ。戦って乗り越えろということだ。もう悩めない。全力で戦い、悪魔を滅ぼすのみ。途中で果てたとしても、それは自分が選択した事だ。自由に生きた証だ。
「ウォン、カタラ、一旦お別れだ。私は、こいつと戦う。運が良ければ四季物語で会おう。運が悪ければ、数十年後に滅びの階層にて酒を酌み交わそう」
愛用のバスタードソードを握り直し、深い呼吸を続ける。全身に新鮮な空気が回り、筋肉が熱く活性化してくる。盾をかざし、中段の構えを取る。
「ほう、私と戦う事を選択したか。ならばその剣、受けよう。雑魚共は何処にでも去れ」
悪魔が両腕を高く掲げる。一体どういう攻撃を仕掛けてくるつもりだろうか。読めない。
「なぁ、ミューレ。ここでパーティー解散という意味か?」
ウォンが緊張感無く、聞いてくる。
「そうだ。解散だ」
「じゃ、自由行動か。分かった。俺も自由が一番好きなんだぜ。命令は、大嫌いだ」
ウォンの表情が、今まで一緒に居た中で私に見せたことが無い真剣な眼差しになった。
そして、シールドを捨て、トゥーハンドソードを両手でしっかりと構える。ウォンは攻撃力重視を選択したか。
「ミューレ、私は悪魔を見逃すことは出来ません。神のご加護は、神の教えを守る者にしか与えられないのです。ここで悪魔に背を見せることは、神の教えを疑う事になります。あと、こう見えても教会では接近戦最強と言われているのですよ」
カタラが、メイスを振りかざし、女神の様に微笑む。確かにメイスを構える姿は、様になっている。今まで、カタラが前衛を本気で張る様な状況にはならなかったので、物珍しさを感じる。
「二人は、助かる命なのに…。よし、勝つぞ。全力で斬り結ぶ。途中で誰かが斃れても先に進む。後で必ず会えるからな」
「ですが、ミューレとウォンは悪い事ばかりをして徳を積んでおりません。私と同じ祝福の階層に来て下さるのでしょうか?」
「あ、ミューレは、無理だな。悪人だからな」
「ウォンは、教会に行ったことも無いし、祈りを捧げたこともないでしょう」
「では、私が、お二人が居る滅びの階層に参りましょう。そこでまた、パーティーを組み、人々を困らせる獄卒達を懲らしめてやりましょう」
私の周りは、馬鹿ばかりだ。目頭が熱い。埃でも目に入ったかな。仮面をしていて良かった。こんな顔は、人には見せられない。
「やはり、人は愚かだ。私がお前達の生命力を存分に吸い上げてやろう。さぁ、死の舞踊を始めようではないか」
悪魔を三方向から囲む様に位置取りを変える。悪魔に正面も背面も無いが、こちらが剣を振るにはこの隊形が理想だ。そうでなければ、お互いの剣筋に入り込み、思う様に剣を降ることが出来ない。
最初の一撃は、私の中段突きから静かに始まった。ダガーの様な爪が剣を弾き、本体に剣を届かせない。上段、中段、下段への攻撃を不規則に織り交ぜ、斬撃や突きを喰らわせるが、ことごとく爪に弾かれる。ウォンやカタラも新たに背中と脇腹に生やした四本の腕に阻まれ、私と同じく膠着状態だ。だが、誰も武器を振るのを止めない。ここが生死の境なのだ。生きるには武器を振るしかない。頭で考えるよりも体が勝手に動く。脳で考えていては、遅い。脊髄反射で剣を振り続ける。
斬る。受けられる。貫手が来る。盾で受け流す。流した貫手を切り落とす。しかし、固い爪が剣を弾き返す。顎に向け、盾をぶちかます。額で受け止められ、ダメージが通らない。
思いつく限りの攻撃方法を試す。その悉くを止められる。有効打が、一打も出ない。だが、私は諦めない。もう、ウォンとカタラのことを考える余裕も無い。自身の戦いで精一杯だ。
悪魔の攻撃に身体が勝手に反応し避ける。知恵も知識も出番が無い。今まで蓄積された経験だけが、私の身体を突き動かす。
斬り、止められ、殴られ、避け、そして斬る。何度も何度も攻防を繰り返す。鎧の隙間に汗が溜まり、動く度に汗が舞い散る。身体が水を欲するが、飲む余裕などない。気を抜けば、一撃で殺される。
全力で一時間以上、動き続ける。筋肉が悲鳴を上げ、関節の動きが鈍くなり、鎧や革ベルトが当たる皮膚はズル剥けだ。汗の中に赤い血が混じる様になってきた。
だが、攻撃の速度は緩めない。緩めることは死に繋がる。身体が痛みを訴えようが、渇きを訴えようが全て無視をする。正面の悪魔を討ち果たすことのみを考える。
こんなにも相手の事を真剣に長時間考えたことがあっただろうか。いや、無い。まるで遠くに居る恋人を思うかの様に、真剣に悪魔の事を見つめ考える。
この世でこの悪魔の事を一番よく知っているのは自分だろう。他の誰もこの悪魔の事をここまで真剣に考えたことは無いだろう。だから、癖も覚えた。右の貫手が来る時は、右足を一度引く。喉を握りつぶす時は、眉間に皺が入る。
この悪魔を隅々まで理解した。だから、今も剣戟を交えている。身体が幾ら悲鳴を上げようが、死の舞踊は続く。終わる時は、どちらかが死ぬ時だ。
奇跡的にも肉体は苦痛を訴え続けるが、気分はとても良い。今までに沢山の戦闘を行ってきたが、真の剣術を実践できたのは初めてでは無いだろうか。
新たな剣技がこの瞬間にも生まれている。この戦いの中で成長している。惜しむらくは、新たな剣技も成長も次に生かせない事だ。
しかし、ダメージをお互いに与えることが出来ない。膠着状態が続いている。幾ら剣を振るっても届かない。そして、悪魔も爪を振り降ろしても私には当たらない。
悪魔は、三方向からの攻撃で魔法を発する余裕が無い様だ。
何度も何度も繰り返す。まさに死の舞踊だ。悪魔と私が死をかけて踊っている。とてもとても分の悪い賭けの中で剣舞を舞っている。悪魔は数撃当たった処で、軽傷だ。しかし、私は一撃でもかすれば重傷。まともに喰らえば、即死だ。オッズが悪すぎる。
だが、己の自由を守るためには、舞い続ける。だが、身体は正直だ。少しずつ握力が失われていくのが分かる。あと数撃打ち込めば、剣を落とすだろう。ならば、次の防御時に重量が軽いダガーに持ち替えよう。そうすれば、隙を生むことなく、死の舞いを舞い続けることが出来るだろう。間合いは狭くなり、さらに接近戦になるが、現状では問題ないだろう。予測通りの攻撃が来る。盾で悪魔の貫手を弾く。バスタードソードを離し、素早くダガーに持ち替える。
コンマ一秒でも遅れていれば、右手を握り潰されていただろう。私の武器を離した右手を握り潰そうと悪魔が左手を伸ばしてくる。すぐに装備したダガーで弾き飛ばす。どうやら、まだまだ戦えそうだ。剣が折れることがあっても私の心が折れることは無い。武器が軽くなった分、攻撃の速度を上げる。
戦闘開始から二時間は、経過しただろうか。今も死の舞踊を休みなく続けている。篭手や肩当はベルトを引き千切られ、吹き飛ばされ、シールドも所々に大穴が開いている。かろうじて肉体に損傷は無いが、防具が限界に近付いている。仮止めのベルトで良くこの激戦をもってくれたものだ。仮止めゆえにベルトの固定が甘くなり始め、鎧が少しずつ分解され始めている。もう、鎧や盾を当てにすることは出来ない。穴が開き役に立たなくなった盾を捨て、ダガーの二刀流に切り替える。
当てにならない鎧の部品は、逆に動きの足枷になるのでベルトを切り、その場に捨てる。すでに鎧の半分以上の部品が、地面に転がっている。二代目は良い仕事をしてくれた。ここまで仮止めの鎧が持ってくれるとは思っていなかった。せいぜい、十分も持てばよいと思っていた。
生き残れば、二代目を高級レストランへでも招待してやろう。素晴らしい仕事には、それに見合った対価が必要だ。
カタラやウォンも一緒に招待しよう。四人分のスーツとドレスも新調しよう。折角の高級レストランだ。目一杯お洒落をして、食事に行こう。その時は、特別に仮面を外しても良いかな。誰も冷血のミューレだとは気づかないだろう。美少女と美女とうだつの上がらない男二人では、周りから注目を集めるだろう。
翌日には、二代目やウォンにあの美少女は誰だと紹介しろ、という輩が殺到するのだろう。
勇者君に頼めば、どんなに予約が取れない店でも簡単に予約を入れてくれるだろう。たまには、そんなズルをしても良いだろう。
二代目は、どんな料理が好きなのだろうか。そうだ、カタラなら二代目と私以上によく話をしているし、好みを知っているかもしれない。後で聞いてみよう。
それとも、逆に二代目が食べたことが無いような料理を用意した方がいいかもしれない。
うん、そうだ。知っている料理より、見たことも聞いたことも無い料理を用意した方が喜んでくれるかもしれない。そうしよう。二代目の驚く顔を肴に酒を飲むのも良いだろう。
それにしても、私はどうして今ダンスを踊っているのだ。それも好みでもない男と。
こんな素っ裸のマッチョよりスーツを粋に着こなした細マッチョの方がいい。
早くこのダンス曲が終わらないだろうか。どうもキンキンカンカンと単調で面白くない。
もう少し優雅な曲が好みなのだが、あとで楽団にリクエストを入れよう。
「ミューレ!ミューレ!トランスするな!現実に戻れ!」
ウォンの声が聞こえてきた。
私、ステップを間違えたのかな。いや、合っている。ちゃんとパートナーの動きに合わせている。じゃあ、何を間違えたのだろう。
「ミューレ!正気に戻れ!意識が落ちるぞ!戦闘!」
ウォンの必死の叫びが聞こえる。
恋に落ちる?先頭の人と?冗談でしょう。私の目の前に居る奴は、好みでは無い。恋するわけがない。ウォンは、一体何を言いたいのだろう。
「深呼吸!現実を見ろ!」
深呼吸か、確かにダンスを続けて息が乱れてきているかな。ウォンの言う通りに一度、深呼吸をしよう。
肺の全ての空気を吐きだし、新鮮な空気を吸い込む。もう一度、深呼吸を繰り返す。
全身に新鮮な空気が回り始め、身体が少し軽くなる。靄がかかっていた視界も徐々に晴れ、思考がスッキリしてくる。
突然、単調な音楽は、暴力が生み出す戦闘音となり私の全身を叩きのめす。
現実が目の前に戻る。そうだ、私はアッパーデーモンと戦闘中だった。酸欠と疲労で呆けていたのか。
「ウォン、どの位?」
「三十秒」
「すまない」
ウォンが、声をかけてくれなければ間もなく殺されていただろう。身体が訴える痛みと疲労から現実逃避をしていたようだ。よく、三十秒もの間、無傷でいられたものだ。日頃の経験の賜物だろうか。いや、ウォンがサポートしてくれたのだろう。そうでなければ、無傷で済むはずがない。まだ、生きている。ならば、全力で剣を最後まで振り斬るのみ。
周りの状況を瞬間的に確認する。ウォンは健在。戦闘前と特に変わらず、淡々と攻めている。
カタラは、森の方へ吹き飛ばされ、地面に倒れている。肩がかすかに上下しているところを見ると呼吸はしているようだ。出血は見当たらない。失神しているだけと信じたい。
そして、私はというと、さらに鎧の部品が外れ、冒険服も切り裂かれ、あられもない姿になろうとしていた。これがドレスを新調しようという幻に繋がったのかもしれない。
さらに十分程、悪魔との攻防が続く。さすがに膝が笑いはじめて来た。肉体の限界が来ている様だ。精神力でカバーなどという阿保なことをブラフォードならば言うだろう。
精神力で補える程の悪魔との力量差ならば、ここまで苦労したりはしない。とっくの昔に勝っている。
たかが、暗殺者の集団と気軽に蹴散らしに来たのだが、この様な結果を迎えるとは想像もしていなかった。長時間戦闘を続けているが、悪魔に疲労は無い様だ。まだ、本気になっていない。私達がどこまで持つのか楽しんでいる様だ。悪魔の表情が、非常に楽しそうだ。
いつまでも戦っても状況は変わらない。後は、悪魔の気分次第で人生の終わりが来るのだろう。ならば、精々足掻いてやろう。
そう改めて決心した瞬間、状況が変わった。
悪魔の背後に円形の黒い霧が発生し、中からレッサーデーモンが一体表れた。
ここで、増援が来るとは全く考えていなかった。こちら側に増援の当ては無くとも、悪魔に増援が無いと勝手に決めつけていた。思い込みだ。やれやれ、追い込まれるとここまで思考が固くなるか。さて、増援を含めて後何分持ちこたえられるだろうか。
「主、お楽しみの処、申し訳ございません。奥よりご帰還のお話しが来ております」
レッサーデーモンが、朗々とした声でアッパーデーモンに告げる。
「奥が呼び出しだと。何があった。それとも、いつもの気紛れか?」
アッパーデーモンの攻撃が止まる。休憩のチャンスだ。私とウォンは、素早く悪魔たちの間合いから遠ざかり、呼吸を直し、ありったけのポーションを飲み込む。足元に中身が空になった陶器製の試験管を十数本転がせる。
飲み合わせや副作用など気にしない。身体が火照り出し、疲労やめまい等がゆっくりと抜けていく。さて、一息ついたが、次はどうなる。主導権はこちらには無い。悪魔が持っている。
「内容については、聞かされておりません。ただ、主に奥までお帰り頂く様に言付かっております」
「お前達に聞かせられぬ程の重要案件という事か。後、一時間待てぬか。今、最高に血潮が滾っておるのだが」
「誠に申し訳ありません。早急にとの事でございます」
「ふむ、ならばお前に言っても詮無き事か。では、奥に行くか。付いて来い」
「は、主の仰せのままに」
アッパーデーモンが、こちらに話しかけてくる。
「なかなか楽しい宴であった。せっかく作ったおもちゃも潰されたことでもあるし、私がここに来る事は無いであろう。貴様らの様な、強者が人間族に居たとは驚きだ。機会があれば、会いたいものだが、次に会う時は、エルフ以外は寿命で死んでいるかな。残念だ。運が良ければ、また死の舞踊を舞おうぞ。いや、お前達にとっては、運が悪いか。二度と会えぬであろうから、言いたいことが有れば聞いてやろう。それとエルフ、配下になるか?」
「いや、配下にならない。私は最後まで自由でありたい」
「そうか、残念だ。せいぜい腕を磨いておけ。万が一でも、次に会えることを期待しているぞ。では、さらばだ」
アッパーデーモンが、丸い黒い霧の中に姿を消す。レッサーデーモンがこちらを一瞥する。
「運が良かったな、貴様等。主がお急ぎでなければ、儂が相手をし、滅ぼしてやったものを」
そう言って、霧の向こうに消える。丸い黒い霧は、二匹の悪魔を飲み込むとすぐに霧散した。
まだ、気を緩めない。周りの気配を確認する。悪魔の気配を何処にも感じない。
どうやら、生き残った様だ。




