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ブラッド・フィースト戦記  作者: しゅう かいどう


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40/61

40.殲滅開始

カジノがある貴族街へ向かう大通りにある、目についたオープンカフェでランチを頼む。

昨晩、思う存分食べたい物を食べたので、これと言って食べたい物は無い。面倒なのでサービスランチを頼む。こういう物は、よく出るので待たされることも無いだろう。

予想通り、すぐにサービスランチが運ばれ、平らげる。味は可もなく不可も無く、値段相応かな。さて、今日のメインはカジノだ。ここで時間を潰すのはもったいない。さっさと行くとしよう。


エンヴィーの中央付近にある貴族街にやって来た。この辺りは、貴族が住むだけはあって一軒一軒が大きい。と言っても三馬鹿の魔法使いの家に比べると半分の大きさに満たないが、庶民から比べれば、充分に大きい。

道を行き交う人間も上品な服に身を包み、誰もが栄養状態が良く、血色が良い。

庶民街に行けば、栄養が偏り青い顔した者や痩せ細った者が混じっているというのに。

やはり、自由都市であるエンヴィーでも貧富の差は激しい。だが、私がどうこうと政治や福祉に首を突っ込むつもりは無い。どうしてもと、政治に参加しろと言われたら貴族街を燃やしてやろう。そうすれば、貴族街の再建の為に雇用も生まれ、富も貴族から庶民に幾分か流れるだろう。この案を出せば、絶対に私に政治への参加要請は来ない筈だ。よし、ここの政治屋が依頼してきたらこの手で断ろう。

と、無意味な事を考えている内にカジノに着いた。見た目は、石造りのただの屋敷。違うのは、窓が極端に少ない事か。当然、看板は出ていない。

高級カジノ店は、店が客を選ぶのだ。店が断れば入店は出来ない。特に格式が高い処は、金貨を握らせても首を縦には振らない。

店に客を選ぶ権利があってもおかしくない。いや、逆に店は客を選ぶべきなのかもしれない。下品な客が幅を利かせる様な店には、一般的な感覚を持っている人間ならば行きたくないだろう。客が神様と言うならば、天にでも召されておけ。神様が人間界に出て来るな。天界に引きこもっておけと思う。

入口に立つ屈強な黒服二人が、私を上から下まで舐めまわす様に視線を巡らせる。今回は、護衛用にダガーを一本隠し持っているのみ。身体検査をされない限りばれることは無いだろう。

それに私は、ここのカジノの常連だ。私の仮面を見て、この黒服も私の正体を分かっている筈だが、武器を持ち込まないかを確認するのが黒服の仕事だ。毎回、奴隷市場で値踏みをされる様な、身体に纏わりつく、いやらしい視線には慣れない。

「ミューレ様、失礼致しました。いらっしゃいませ。どうぞ、お楽しみ下さいませ」

「ありがとう」

目視による身体検査は、問題なしと出た様だ。ダガーには気づかれていない。まだまだ、黒服も甘いな。もっとも一般人相手では、どんな屈強な人間に素手でも後れを取る事は無い。黒服の二人が颯爽と扉を開けてくれる。中に入ると、待合室の様になっている。カジノが外から見えない様に一部屋設けてあるのだ。待合室の壁には幾つも扉が並んでおり、その扉の先は、ゲーム別に部屋が分かれている。片隅には豪奢なカウンターが用意されており、白髪の執事が一人立っていた。こちらに近づいて来る。

「ミューレ様、いらっしゃいませ。本日はどの様なゲームをご希望でしょうか」

城主に対する様な、見事なお辞儀を私に披露してくれる。

「そうね、カードがいいな」

「では、ご案内させて頂きます。どうぞ、こちらへ」

執事は、待合室にある幾つかの扉の内、一番近くの扉を開け案内する。廊下を進み、突き当りの扉を開けると広間に出た。

広間にはテーブルが五台並び、全ての台に着飾った人間が数人取り付き、カードに興じている。

「ミューレ様、レートは、どの台にされますか?」

「最高レートでよろしく」

「お飲み物は、何をお持ち致しましょうか」

「カクテル、エンヴィースペシャル」

「かしこまりました。こちらのお席にどうぞ」

一番、奥まったテーブルに案内される。そこには先客として二人の男がいた。やはり最高レートの席だけあって、着ている服もそこらの貴族より二段階程、高級そうだ。

二人が軽く会釈してくる。同じ様に私も返す。

「お邪魔するわ。これをチップに替えてくれる」

提げていたハンドバックより宝石を適当に三つ程転がす。これだけで貴族の家が一軒建つ。しかし、ここにいる人間は、その程度の額では驚きもせず、平然としている。

「かしこまりました。すぐにお持ち致します」

執事は、高価なビロードに包まれた盆に宝石を恭しく乗せて消えた。

代わりに若いメイドがカクテルを私の手元にそっと置く。

「御注文のエンヴィースペシャルでございます」

若いメイドは一礼をし、壁際に下る。同じ様に待機しているメイドが数人いる。彼女らは、何かあれば、すぐに客へ便宜を図るために飛んでくる。些細なサインも見逃さない。それがこの高級カジノでは当たり前だ。

場末のカジノなど騒々しくてノンビリも出来ない。酒の一つを頼むのも大声でウェイターに叫ばないと持ってこない。

ゆったりと大人の楽しみを味わうには、こういうカジノが合っている。

執事がチップを持ってくるが、見た目は少ない。しかし、チップに刻まれている金額を見れば、庶民は卒倒することは、間違いないだろう。

ここでは、身許の詮索はご法度。静かにディーラーと大人の知的な駆け引きを楽しむ。

さすがに最高レートのテーブルに付くディーラーは、ベテランでイカサマの手口を見せてくれない。何ゲームかを楽しむが、上手く勝たせたところで、それ以上の額を少しずつ負けさせる。また、その勝敗の差配が上手い。こちらに勝利の満足感を味わせつつ、負けさせる時は、少額の勝負の時を狙い、大負けはさせない。結局、夕方までゲームを続け、元手は半分までに減らされた。胴元が儲かる様になっているのだ。半分も手元に残れば良い方だろう。

ここらで潮時だろう。十分に頭を回転させ、知的な会話と豪奢な雰囲気を堪能した。

血みどろの戦いばかりの中でたまには、こういう贅沢を楽しむのも悪くない。次の冒険に出れば、何時街に帰って来られるかも分からない。


礼儀正しい執事達に見送られ、カジノを後にする。彼らからすれば、私は非常に良い鴨だろう。何せ、負けることを前提に来ている珍しい客なのだから。私は、あの雰囲気に対価を支払っているのだ。

とりあえず、庶民街へ大通りを進んで行く。四季物語で夕食にするか、どこかの酒場で夕食にするか迷い処だ。だが、よく考えれば今着ている服は、真っ赤な高級ドレス。これで庶民街の酒場に入れば、周りから浮くことは間違いないし、トラブルが目に見える。とりあえず、四季物語へ着替えに戻る選択しかない様だ。

数分後、尾行に気が付いた。数は一人。殺気は無い。どうやらお客様の様だ。あまりこの服は汚したくは無かったのだけれども、お客様を接待するとなると別だ。しっかりとおもてなしをしてあげよう。

大通りから小道に入り、貧民屈に入っていく。高価な服を着ていれば、すぐにチンピラどもが構ってくるが、私の存在は、エンヴィーでは知れ渡っている。仮面を常につけた凄腕の美少女冒険家。街では大人しくしていても、目立たない筈がない。

今までにちょっかいを出してきた屈強な男達を何度も散々、正面から力で叩き潰している。もちろん、一般人を殺したり、骨折させる様な重傷は負わせない。せいぜい、やさしく関節を外したり、ちょっぴり精神的に追い込むくらいで可愛いものだ。

同伴していたウォンが横から

「さすが、冷血のミューレ!」

とか茶々を入れた為、私は、エンヴィーでは悪名を轟かせることになってしまった。

どうせなら、カタラの様に天女の様だと噂をされたかった。

お陰で私が、立ち入ることが出来ない場所など無くなった。貧民屈だろうが、盗賊ギルドだろうが、フリーパスだ。私にちょっかいを出す馬鹿は居ない。有名にはなりたく無かったのだが、なってしまったものは、諦めるしかない。今から、人々の記憶を消すなど不可能だ。

貧民屈の狭く汚い通りを進み、Jの字型に行き止まりになった処へ尾行者を誘導する。

行き止まりで待っていると無防備に尾行者が顔を出した。頭に蝙蝠の羽が付いた帽子を被った貧相な男だ。こいつが蝙蝠の窓口の一人か。

報告書の内容で十分なので、特にこいつから聞くべき情報は無い。蝙蝠は殲滅すると決めている。

「何か、御用?」

「こちらに酒場があると思ったんだけど、道を間違えみたいだ。俺は戻るよ」

窓口の男は、無防備に背中を向ける。私は隠し持っていたダガーを一瞬で抜き、男の背中から骨を避け、心臓を一刺しする。返り血を浴びるのが嫌なので、今回はダガーを捻らない。さらに奥深く真っ直ぐ刺しこんでいく。

「な、なぜ…」

男は、一言呟いて死んだ。私が蝙蝠の一人を消せるチャンスを逃すわけがない。殲滅すると決めたのだ。一人として生かさない。心臓の鼓動が止まったことをもう一度確認し、細心の注意でダガーを抜く。あまりにも手際良く進んだため、服を返り血で汚すことも無くて良かった。ダガーに付いた血を男の服できれいに拭き取り仕舞う。

念の為、男の身体をまさぐるが小銭が入った財布と護身用のナイフしか出て来ない。男の帽子を奪い、道端に捨て火の精霊に燃やしてもらう。これでこの男が蝙蝠所属であることを証明するものはなくなった。この街で闊歩している蝙蝠は後二人か。今日は、大人しくしている予定だったが、こんなにあっさりと一人片付けられるとは僥倖だ。

死体は、このまま放っておけば貧民屈のハイエナがきれいにしてくれる。衛兵にタレこむ様な人間はここにはいないし、口も堅い。私がここを去れば、すぐに身ぐるみを剥され川に捨てられるだろう。

本当に貧民屈は便利だ。私が片づけをしなくとも良いし、衛兵が貧民屈に来ることは無い。ハイエナは、新しい服や小銭が手に入り、寂しい懐がほんの少し温まる。双方に利益があるので私の仕事を邪魔する奴はいない。逆に倒した相手の財布や装備をそのまま置いておくので、私の来訪を歓迎する空気を感じる事もある位だ。

帰路に着くと早速背後で争奪戦が始まった様だ。服、小銭、ナイフの全てがハイエナに奪われたことだろう。残るのは死体のみ。放置しておくと腐って病気の温床になるので、掃除屋が小銭で川へ捨てに行き始めている頃だろう。

殺人の証拠などは、ここでは数分もかからずに無くなる。残る物は、血痕ぐらいだ。

また、お世話になるよ。


尾行者の所為で四季物語に遅く着いた為か、酒場でウォンがすでに出来上がっていた。いや、違うな。朝から飲み歩くと言っていたから、四季物語に帰って来た時点では、完全に出来上がっていたのだろう。

「ミューレ、付き合え~」

「やだ」

「友好を温めようぜ~」

「いらない」

「昵懇の中だろ~」

「今、切った」

「朋友だろ~」

「冒険中限定」

「刎頚の友だろ~」

「酔っ払いお断り」

ウォンの分際で語彙が豊富じゃないか。泥酔中のウォンは、同じ話を何度も繰り返すので面倒臭い。そして、翌日にその話をしても何も覚えていないからたまったものじゃない。

ここは、逃げの一手だな。

「マスター、カタラは?」

「お部屋で、夕食を取っておられますよ。同じ様に夕食をお部屋へお持ちしますか」

マスターもウォンの酒癖は良く知っている。仕事柄、逃げ出せないのは、ご愁傷様だ。

「悪いけど、部屋に押し掛けて来そうだから、着替えて外食してくる」

「それが良いかと。お気を付けて」

マスターから部屋の鍵を受け取り、さっさと自室に逃げ込む。水差しの水をコップに注ぎ一気に飲み、一息つく。カジノで飲んだ酒のほろ酔いが、少し和らいだ様だ。

とりあえずドレスを脱いで、風の通しの良い処に吊るす。さて、何を着ていくかだが、どうせゴロツキ共と相席になるだろう。クローゼットの前に下着姿のまま仁王立ちになり、少し迷う。酒をこぼされて汚れても良い様に冒険着を着よう。後は、バスタードソードを背負い、腰にダガーを挿して行きますか。

困ったことに悪名が広がって、腕試しを申し込んでくる馬鹿がいる。そんな時の用心としては十分だろう。それに蝙蝠と出会えれば出番だ。防具の類は、要らないだろう。この街で私に勝てる人間はそうそう居ないはずだ。窓ガラスに映る自分の姿を確認する。仮面で顔半分を隠し、黒い長髪を腰まで伸ばした美少女。はい、冷血のミューレの完成です。これで良識人は、近づいて来ません。仮面の胡散臭さがポイントだ。

さて、エンヴィーで二番目に美味い酒場に行きますか。もちろん、一番美味い酒場は、ここだ。


宿を出て大通りを進み何事も無く、目当ての酒場に着く。まだ完全に日も沈んでいないというのに、酒場の中では、すでに乱痴気騒ぎが始まっている様だ。こういう冒険者が集まる酒場には、街の住民が、夜に来ることはほとんど無い。何せ冒険者という柄の悪い連中ばかりが、夜には仕事帰りに集まってくる。連中は、汗臭いし、血生臭いし、大声だ。ここで落ち着いて食事を摂ろうと思うと、冒険者共が冒険に出ている昼間位だろう。昼は、ここの住民。夜は、冒険者。そんな棲み分けが、いつの間にかこの街のルールになっている。

酒場の扉を開けた瞬間に男共のダミ声の大音量と汗と血と体臭が、私の身体を包み込む。今日の冒険を熱く語る者、昔の大冒険を語る者、どちらが強いか揉める者、明日の計画を練る者など様々な冒険者がテーブルを囲み、騒ぎ、今ある命を噛みしめている。もしかすると、明日の冒険で命を落とす者がこの中にいるかもしれない。それは私も例外ではない。

私が入店した事により皆の視線が集まり、一瞬、静寂が酒場を支配する。

「ミューレさんか…」

「冷血か」

その一言で元の賑やかさに戻る。私に迷惑をかけない限り、私も手を出さないことをお互いに知っている。すぐに先程の喧騒が戻ってくる。大盛り上がりの冒険者共を避け、カウンターに着く。一人で来ているのだ。テーブル席を占有する様な無粋はしない。

「ベーコンとエール」

カウンターの中にいるウェイターに注文する。

「へい、すぐに」

注文を通し、手持無沙汰なので、すぐに来たエールを飲みながら、とりあえず周りの客を観察する。

冒険からすぐに帰って来たのだろう。ほとんどの者が鎧を着込み、武器を提げたままだ。そりゃ、汗や血の匂いが充満していても仕方がないだろう。逆に鎧を着ていない私の方が浮いて見える。同じ様に鎧を着ていない二人組が、奥のテーブルでコソコソ語り合っているのが目立った。どうやら、今日は絶好調で当たりの日らしい。二人組の男の頭の帽子には、蝙蝠の羽が付いている。早くも獲物を発見。不運な二人だ。せいぜい最後の晩餐を楽しんでもらおう。

店に入った時に注目を集めた為、向こうには私が居る事は、ばれている。とりあえず、素知らぬ振りをしておこう。物事は優位に進められるのであれば、それに越したことは無い。敵には、気づかれていないと思わせておく方が得策だろう。

何か機会があれば、その時に行動へ移そう。まずは、運ばれてきた厚切りベーコンのステーキを堪能しよう。鉄板の上でジュウジュウと香ばしい薫りを立てている。熱いうちに食べないともったいない。カス共を処分するのは、いつでもできる。

ベーコンを半分程食べたあたりで背後から不穏な気配を感じた。どうやら、喧嘩が始まる様だ。酔っ払い同士が呂律の回らない口調で因縁を飛ばし始める。六対六のパーティー戦になりそうだ。まぁ、丁度良い余興だ。酒の肴に楽しませてもらおうじゃないか。

伸び悩み中のベテランパーティーが、売り出し中の中堅パーティーに鬱憤をぶつけたのが始まりの様だ。口喧嘩から始まり、殴り合いに移るには数瞬だった。さらにふっとばれた男が他所のパーティーに突っ込み、間違って殴り、三つめのパーティーも喧嘩に参加だ。おおっと、さらに芋づる式に次々と喧嘩が飛び火、客の半分が喧嘩を始めた。

私の期待通りだ。わざわざ、冒険者ばかり集まる酒場に来たのもこれが楽しみだからだ。

馬鹿共が無駄な殴り合いをする姿をゲラゲラ笑いながら、喧嘩を観戦する。

「ミューレさん、そろそろ止めてもらないですか」

ウェイターが私に泣きそうな顔で嘆願してくる。おっと、喧嘩の波が広がり、カウンターに近づいてきた。カウンターを飛び越え、調理場内に避難する。当然、ベーコンとエールを持ってくることは忘れない。巻き込まれるのは、面白くない。見ているのが面白いのだ。

「止めなきゃダメ?」

ベーコンをかじり、エールで流し込む。態度で面倒だよと表してみる。

「お願いしますよ。食事代が依頼料という事で」

ウェイターは、店の備品が壊れいくのを見て涙目になっている。

「ベーコンとエールしか頼んでない」

「三回分、夕食無料で」

「五回かな」

「むむむ、分かりました。それで依頼します」

「はい、契約成立。では、早速お仕事に入りま~す」

契約すれば、即仕事が身上だ。そうすることによって依頼人の信用を得やすくなり、次の契約も引き受けやすくなる。さらに、仕事が早いと分かってもらえれば、仕事料が高くとも依頼は舞い込んでくるものだ。現に依頼料が、夕食三回無料から五回無料にあっさり上がった。日頃の仕事ぶりに対する正当な評価だ。

さて、一人一人を相手にするのは、面倒だ。ここは魔法で一気に抑え込む。

『強制睡眠』

障害物が無ければ、直径百メートルの範囲にいる動物を眠らせる魔法だ。この建物の中にいる者は、全員が効果範囲だ。そして、私の魔力に対抗できる様な実力者は、気配を伺う限りいない。

あっさりと目の前の冒険者共が崩れ落ちていく。魔法によって強制的に眠らされていくのだ。数秒後には、喧騒は寝息にとってかわった。立っている者も座っている者もいない。真横でウェイターも眠っている。この酒場に居る者は、強制的に睡眠状態になった。

効果範囲内に居る者に例外は無い。最低でも十分以上は、何があっても眠り続けるはずだ。酒が入っている為、逆に朝まで起きない奴もいるだろう。

さて、目撃者はいない。このチャンスを私が逃すわけがない。


念の為、返り血に備え、店の備品であるエプロンとミトンを装備する。蝙蝠共が居るテーブルに行き、周りを見渡し、都合の良さそうな者を見繕う。確か手配書で殺人容疑のかかっている男を偶然見つけた。これは都合が良い。何という幸運の追い風、日頃の行いの賜物だろう。お尋ね者は、ジョッキを右手に持ち眠りこけている。という事は、おそらく右利きだろう。

お尋ね者の剣を抜き、刃を確認するが、今一つ手入れが行き届いていない。が、切れ味には問題なさそうだ。

蝙蝠共は、テーブルに突っ伏した状態で眠り込んでいる。上体を起こし、椅子の背もたれにしっかりもたれさせ、固定する。痛みで蝙蝠が目を覚ますのは不味い。正面から、お尋ね者の剣で心臓を確実に一刺しし、即死させる。あくまで喧嘩の上での結果に見せるため、死体となった蝙蝠に数太刀入れ、床に転がす。念の為、蝙蝠にも剣を握らせておく。もちろん、もう一匹の蝙蝠も見逃さない。同じ処理を行う。これで、エンヴィーに居る蝙蝠は、駆除できた訳だ。後は、二つの村を殲滅するだけだ。

お尋ね者の右手に剣を握らせておく。そして、酔っぱらった果ての凶行として見せかけるため、お尋ね者の全身に近くに有った酒を万遍なくふりかける。これで仕上げは完了だ。

後は、アリバイ対策にウェイターを早く起こさねば。ウェイターの元へ戻る途中で返り血の付いたエプロンとミトンは、赤々と燃える窯の中に放り込む。すぐに火が点き、灰と化す。

「おい、ウェイター起きろ。お前まで寝てどうする」

容赦なく、ウェイターの頬を往復ビンタする。ウェイターの両頬が赤く腫れ上がるが、その様な些末な事は気にしていられない。

ウェイターが眠っていたのは、あくまで一瞬の事にするのだ。

「いたたた…」

「起きたか。お前まで眠るな。仕事したぞ。これで五回分の夕食頼むぞ」

ウェイターが目をこすりながら、周りを確認する。

「さすがは、ミューレさんだ。一瞬で静かになっちまいやがった。もちろん、契約は守りますよ。またのご来店をお待ちしてますから」

「じゃあ、私は食事も済んだし、帰る」

カウンターを軽々と飛び越える。

「ミューレさん、ありがとうございました。またのご贔屓を」

背後からウェイターの陽気な声が飛んでくる。はてさて、騒ぎになる前に逃げるに限る。

ま、後で衛兵が四季物語に事情聴取に来るだろうが、そんなものはどうとでもなる。何せ、こちらには秘密兵器がある。さて、皆が目を覚ます前に四季物語に帰りますか。


四季物語に戻り、まずは今日の埃と汗を洗い流す。正確には、返り血や臭いを念の為に落とす為だ。エプロンやミトンを着けていたとはいえ、返り血を他に浴びていないとは、完全には断言できない。油断は禁物だ。

風呂を上がり、貫頭衣に着替える。これが着替えるのに便利だ。頭からかぶって手を出すだけで着替え完了。寝間着には最適だ。サイドのスリットが大きいのが難点だが、人に見せる物でもないし、部屋着だから問題は無いだろう。

喉が渇いたので酒場に行くとウォンの出来上がり度が最大になっている。

喉の渇きを癒す為、マスターにエールを注文すると同時に、ウォンが早速絡んでくる。

「ミューレ、まあ座れ」

「座ってる」

「いいから、座れ」

「座ってる」

「うん、そうか。俺はな、もっと剣を極めたい。手伝ってくれるか」

「ああ、いいぞ」

「いや、違うんだ。剣を極めたいんだ。手伝って欲しいんだ」

「だから、いいぞ」

「そうじゃないんだ。剣を極めるために手伝って欲しいんだ」

「OKだと言ってるだろうが!」

「まあ待て。話を聞いてくれ」

「何だ?」

「剣を極めたいから、手伝ってくれ」

これだ。ウォンの唯一の弱点だ。悪酔いするとこちらがどの様な返事をしようが、自分自身の思い込みで会話を続ける。それも延々と酔いつぶれるまでだ。これさえなければ、本当に良い奴なのだが、やはり人間、何かしらの欠点はある様だ。

マスターが、苦笑いしながらエールを持って来てくれる。風呂上がりの一口目が最高に美味い。ただ、ウォンの悪酔いが台無しにしているが、こちらもウォンの対応には慣れたもんだ。適当に返事をして流す。今までに色々試してみたが、話を聞き流すのが最適解だった。

「ミューレ、聞いているのか」

「もちろん」

「修行に付き合え」

「いいよ」

「修行に付き合ってくれるよな」

「おう、行く行く」

「修行手伝うよな」

「任せろ」

やれやれ、本当は逃げたいのだが、お客さんが中々来てくれない。早く、来てくれ。

酔っ払いの相手に疲れてきた。

衛兵の登場をこれほど待ち遠しいと感じたのは、生れて初めてかもしれない。

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