37.帰宅
朝早くにキャンプを出発する。早朝の冷たい空気を胸いっぱいに吸い込む。昨日までの埃臭い空気ではなく、森林と川の正常な空気が肺に満たされる。やはり、森の氏族であるエルフ族には、この様な空気が身体に合う。おのずと体の奥底から力が湧いてくるようだ。
手に入れた黒い鎧は、体に馴染んできた。サイズが大きいなりの体の動かし方やコツが掴めた様だ。何よりも重量が通常の半分しかないというのが一番大きいだろう。この軽さを覚えてしまうと他の金属鎧を装備したくなくなる。ある意味、呪いの様な気もしないでもない。
だが、この鎧より硬い鎧にお目にかかかる事は、後百年の内に無いだろう。それに壊される心配も無いだろう。気をつけなければならないのは、この鎧に頼り過ぎて己の力が弱くなることだ。それが怖い。慢心にだけは、気を付けよう。
ウォン・カタラ・私の順に獣道を進んで行く。そして、オーク砦に到着した。見た目には、大きく変わったところは見当たらない。
丁度、昼食に良い時間だ。久しぶりの温かい食事をここで頂くことにしよう。
「ウォン、カタラ、ここで昼食を頂いていかないか」
「そうだな。ずっと保存食で飽きたし、いいな、それ」
「素通りも味気ないです。皆様にご挨拶して参りましょう」
やはり、この三人だと意思の統合が早い。思考が基本的に同じ方向に向いているからだろう。三馬鹿が関わると思考方向が、出鱈目で統一するだけで一苦労する。
やはり、冒険はこの三人が一番良いな。
オーク砦の入口には、見たことが無い。小柄なオークが二匹立っていた。
一匹のオークが、一瞬こちらに貧相な槍を向けるが、相方が耳打ちすると槍をしまった。そして、相方は全力で砦の中に走り去った。
「しばし、待つ。族長、来る」
オーク語で語りかけてくる。無視して中に入っても良いが、新人は私達の風体は聞いているが、実物を見たことが無い。そこで私達を知っている族長を呼びに行ったというところだろう。急ぐ旅でもないし、待ってやるか。
「待つ」
オーク語で一言だけ答える。細かい事を言っても下っ端には無意味だ。
「なぁ、ミューレ。何で入らないんだ」
「新人だから私達の顔を知らないから、族長に来てもらうそうだ」
「ま、そうなるか。俺が門番でもそうするな」
「はい、大人しく待ちましょう。族長さんならば、すぐに私達を入れて下さるでしょう」
と言っているしりから、大きな足音が四匹分聞こえてくる。気配から、族長・副族長・戦士長・門番だろう。
息を切らせ、オーク四匹が整列する。皆血色も良いところを見ると砦の運営は、上手くいっている様だ。
「ウォン殿、カタラ殿、ミューレ殿。よくぞ砦にお越し下さいました。歓待させて頂きます。他の方々もご一緒ですか」
族長が、人間語で真面目な表情で挨拶をしてくる。一族をほぼ全滅させた相手に敬意を向けるとは、オークにしておくには惜しい。人間ならば、傭兵軍を組織して任せたいくらいだ。
「いや、俺達三人だけだ。飯だけ食わせてくれ」
「突然、押し掛けて申し訳ありません」
「他の三人は、城に居を構えた」
族長たちが最後の私の言葉に驚きの表情を浮かべる。頭の回転が早い奴は、人間だろうと怪物だろうと好きだ。
城に居を構えることは、安全である。即ち、敵は排除した。この場合の敵は、レッドドラゴンになる。つまり、レッドドラゴンは倒したと暗に言っているのだ。
「ま、まさか、この短期間に城を攻略なされたのですか」
「済んだ。レッドドラゴンは斃した。安心していい」
族長たちが顔を突き合わせ、オーク語で驚きと感嘆を捲し立てる。
「あ、これは失礼をしました。あまりの驚きで。今、中へご案内させて頂きます」
族長が先頭に立ち、幹部の二人が私達の後ろに付き砦の中へ案内する。砦の中は、以前と比べ、活気に溢れていた。ほんの数人しか生き残らなかった砦に数十人のオークが行き交っている。どうやら、近くのオークの部族を吸収することに成功したようだ。
砦自身には、特に手を加えられた形跡はない。以前のままだ。ところどころにスケルトンが立哨をしているのはご愛嬌か。
「族長、賑やかになったな」
「ミューレ殿の策のお陰です。出発なされた後にお送りくだされたスケルトンが、強力でほとんどのオークが太刀打ちできませんでした」
ま、元はリザードマンのスケルトン。オークが勝てる要素は少ない。うまく、スケルトンを使いこなしているようだ。
そうこう、世間話をしている内に族長室に案内された。
今は、私達三人と、オークの幹部三人しか居ない。族長は、ここに来るまでにすれ違ったオークに昼食の準備を命じていた。
つまり、ここで会食を取ることになりそうだ。
質素だが、造りがしっかりした円卓につく。以前は、族長室には無かったものだ。ここの発展と共に取り入れたのだろう。
「今、昼食の準備をさせておりますのでお待ち下さいませ。鎧はお脱ぎになられますか?」
「いや、いい。食事だけ取れればいいよ」
ウォンが答える。ということは、昼食後には出発するつもりなのだろう。急ぐ旅ではなく、エンヴィーに戻るだけなのだから、本当のところは、族長の提案通り一泊しても問題はない。何かウォンには、先を急ぐ考えがあるのだろう。ウォンの考えに異を唱えることもなし。ここはウォンに任せよう。
「で、族長。羽振りがよいな」
「はい、皆様のお陰です。ご計画通りに進めました結果でございます」
「どこまで進んだんだ?」
「ほぼ、計画は完了致しました。周辺のオークの部族は、私共の配下に致しました。現在は、エンヴィーと城を繋ぐ裏街道を整備しております」
「へぇ~。そりゃ助かるな」
「部族の規模は、現状にとどめ、人間の目に触れぬように表の街道とは逆方向、つまり城方向に縄張りをもっております」
「それは、城の付近も領地に含むのか」
「いえ、まだそこまでは達しておりませんし、皆様の領域を侵すつもりもございません」
「ふ~ん、そうか。頑張っているんだな」
途中で昼食が運び込まれてくる。
私達の口に合わせたのか、牛肉のステーキと野菜スープにパンだ。相変わらず、ここの族長は人の機微に聡い。
「お~、厚切り肉だ。久しぶりだな。温かいシチューでも食べることが出来れば、いいと思っていたのだが、悪いな族長。気を使わせて」
「いえ、この程度はお出しさせて頂きませんと私の気が済みません」
「そうか、じゃ、遠慮なく頂くか」
私達三人が食事を始めると、食器を動かす音だけが族長室を占める。
食事中は、族長たちから私達に話しかけ、邪魔をする気はない様だ。よくもまぁ、仇に対してここまで敬意を払えるものだ。この族長、腸が煮えくり返ろうが表情にも出さない。
本当に、あの時、私に忠誠を誓うと言ったのだろうか。生き残るための方便ではなかったのか。
根が、疑り深い私は、ウォンやカタラの様に簡単に受け入れることができない。
食事も終わり、腹休めをしていると族長から切り出してきた。
「ミューレ殿、今後の方針でございますが、何かご教授いただけませんか」
はてさて、これは忠誠を誓っていますというアピールだろうか。それとも、振りなのだろうか。いや、どちらでも良い。たかが、オーク。歯向かえば、全てを粉砕するのみだ。
「そうだな、領地経営を盤石にし、城に誰も近付けさせない。城の付近も領地に含んでも良い。いや、城も領地に含める。但し、中には入るな。魔法使いに殺されるぞ。入る場合は、奴が作ったスケルトンを使者に立てろ。そうすれば、交渉できるだろう」
「つまり、城に他者を侵入させない状況を作り出せと仰せと判断しても良いのですか」
やはり、この族長は頭が良いな。知的な会話は好きだ。
「その通り、城を中心に領地を確立し、城を守れ。ここには、魔法使い、ピグミット、ドワーフの三人が常駐する。時々、食料を送れ。また、魔法使いが欲するものは、可能な限り用意してやれ。但し、無理な場合は、ハッキリ断れ。お前達の力以上を奴は求める。その場合は、躊躇いなく断れ。その場で奴は激高するだろうが、すぐにオークに対して要求するレベルではないと気がつく。すぐに要求は撤回されるはずだ」
「なるほど、ご気性の激しい方ですが、理論派なのですね。なるほど、そうでなければ魔法使いは務まりませんか。かしこまりました」
「あと、人間の領域には接するな。緩衝地帯を設けろ。接した場合は、冒険者共が次々と来るぞ。滅びたくなければ、人間の生活圏には近づくな」
「はい、かしこまりました」
「あと、私達に連絡を取りたい時は魔法使いに頼め。奴なら、何かしら連絡を取るか、取る方法を教えてくれるはずだ」
「皆様のお手を煩わすことなきよう、頑張ってまいります」
何とも理想的会話だ。これがオークでなく人間ならば、エンヴィーの市長にでもしてやりたい位だ。あぁ、理知的な会話って素晴らしい。高いレベルの知恵同士でないと理知的な会話は成り立たないと聞く。こちらが考えることが、理性が低いと追いつかず、なにを意図しての発言かが分からないのだ。
こちらが口に出さずとも会話の流れで分かるだろうと思っていても、相手の理性が低ければ意図を汲んでくれない。逆に向こうは全てを説明したつもりでも肝心な部分が説明されていなかったり、状況の共有がなされていない為、話が通じないことも多々ある。この場合、こちらが相手の理性レベルまで下げて会話をする必要がある。
そう、私と三馬鹿との会話がそうだ。何段階か理性レベルをこちらが落とさなければ、会話が通じない。あの三馬鹿は、知識も知恵もこの族長に劣っている。
筋肉ダルマに関しては、ここの戦士長に負けたという話を聞く。まぁ、ウォンに鍛えてもらった者は、間違いなく一段階は上のステージに上る。筋が良い戦士長であれば、ウォンの修正案を素直に聞き入れ、強さの階段を駆け上がっていてもおかしくないだろう。案外、オーガと戦っても圧勝するのではないだろうか。得物が良ければトロールにも勝てるかもしれない。
目の前にいる戦士長を値踏みする。私の視線に気づいているはずだが、知らぬ顔で涼しい顔をしている。私の値踏みの視線に知らぬふりが出来るとは、強くなったものだ。以前なら、手を震わせ脂汗をかいていただろう。
城の警備員という良いコマが手に入った。これならば、確実にブラッド・フィースト城を守ってくれるだろう。オークに無理な敵は、三馬鹿が何とかするだろう。これで城の守りに関して、気を掛ける必要はない。
「さて、行くか」
ウォンが席を立つ。話すべきことは話したと判断したのだろう。確かにこれ以上族長達に話すことはない。頃合いだろう。
「わかりました。参りましょう」
カタラも席を立つ。
「では、城の防備を頼む」
私も席を立つ。
「では、エンヴィーまで馬をご用意致します」
「助かる」
族長の提案に一言返事する。
族長に連れられ、砦の反対の出入り口に案内される。やや、小型の馬が数匹、馬小屋に繋がれている。裏街道を通るには小型の馬の品種の方が走りやすいのだろう。戦をするわけではない。敵を圧倒する様な大きい馬の品種は不要だということだ。族長の賢さを垣間見る。
私達の前に三匹の馬が引き出されてくる。
「この馬たちは、何度も砦とエンヴィーを往復しておりますので、乗って頂くだけでエンヴィーへ向かいます。また、馬を放されますとこの砦に戻ってまいります。ご休憩される時は、必ず手綱をどこかにお止め下さい」
おやおや、そこまで裏街道の整備は進んだのか。この手腕は恐ろしい。私に忠誠を誓うという言葉が本当であって欲しい。ここまで優秀な部下を持ちたい。
「じゃあ、お言葉に甘えて馬で行くか。みんな乗れるよな」
そう言えば、馬で旅をしたことが無かったことに初めて気がつく。今の口ぶりで行けば、ウォンは乗れるのは間違いなそうだ。
私も幼いときから仕込まれている。だが、カタラはどうだろう。僧侶であるカタラが馬に乗る機会があったのだろうか。
「私は、大丈夫だ。乗り慣れている」
「はい、私も基本は父に教わりました」
「よし、では行くか」
三人が馬にまたがり、馬に任せて砦を出て行く。確かに迷わず、まっすぐエンヴィーへ向かっているようだ。
ウォンは言うに及ばず、堂に入った乗り方をしている。さすが、戦士様だ。馬上戦闘も問題ない。
一方カタラは、確かに馬には乗れているが、ぎこちない。余計な力が入っている。疲れやすい乗り方だ。本当に基礎しか習っていないようだ。馬上戦闘は無理だな。一旦、馬から降りないと魔法の詠唱もできそうにない。
ちなみに私は、馬術も得意だ。集団による馬上戦闘、つまり合戦も経験している。伊達に数百年生きていない。亀の甲より年の功。あ、自分で思っても嫌だな。人間年齢に換算すれば二十歳なのに…。
馬は、獣道のような細い道を迷わず、進んで行く。族長の言うとおり、エンヴィーへの道を熟知しているのだ。途中の分岐も迷うこと無く進んで行く。
獣道に偽装された裏街道は、馬で通っても支障がないように枝打ちも巧妙にされている。刃物で枝を落とせば、そこに人為的な手が入っている証拠になるため、一本一本枝を手で折っている。これならば大型モンスターが通り抜けたように見えないこともない。
よく考えられている。多分、族長の知恵だろう。
途中で野宿をし、翌日の夕方にエンヴィーに着いた。裏街道の終点は樹海の中に巧妙に隠されており、エンヴィーからうかがい知ることはできない。
馬を放すと、踵を返しゆっくりと砦へ戻っていく。よく調教された馬だった。
あのオーク達は、近いうちに人間と諍いを起こすだろう。そんな気がする。
人間もこの近くに強大なオークの国があるとは知らない。二種族が交わった瞬間、戦争になるだろう。
オークの族長が健在ならば、うまく、対等に戦えるだろうが、族長が居なくなれば蹂躙されるのは間違いない。ま、私の感覚で近いうちだから十年か二十年先だろう。それまでにエンヴィーの市長が聡明であれば良いのだが、現在の市長は汚職に塗れている。
金になるのであれば、何でもするような男だ。自分の財産を守るために、オークの殲滅を仕掛けてもおかしくない思考の持ち主だ。
はてさて、この先どうなることやら。まぁ、最後まで見られる寿命を持っているのは、私だけか。これもまた楽しみにしておくか。
そんな事を考えつつ、懐かしのエンヴィーの大門を潜る。
相変わらず、カタラに守衛たちの眼差しが注がれる。あまりの美しさに声をかける勇気が出ないようだ。恒例となった私への仮面に対する好奇の視線も無視する。こちらにも声をかけてくる勇気は無い。
やはり、以前に勇者チームと一緒に入国したことが大きい様だ。酒場の噂にたまに上がるらしい。あの三人は勇者とはどういう関係なのだろうかと。今のところ、正解を出したものは居ない。まさか、勇者が傭兵として雇っているとは想像の外にあるらしい。
みんな、頭は柔軟にした方がいいぞ。
大門をくぐり抜け、広場を横切り、愛しの酒場兼宿屋の四季物語へと入っていく。
エンヴィーでの常宿であり自宅と言っても過言ではない。
「おや、お三方、いらっしゃい。お泊りで良かったですかい」
マスターが笑顔で迎えくれる。
「おう。夕食も頼む。すぐに飯でいいか?」
「「風呂が先」です」
私とカタラの声がハモる。相変わらず、学習しないのか、遊んでいるのか一体どちらだろうか。多分、遊んでいるのだろう。
「はい、お風呂の後に夕食ですね。部屋の鍵をどうぞ」
目の前に部屋の鍵が三つ並ぶ。迷わず二〇三の鍵を取る。
「じゃ、お先に」
話すことは道中でいくらでも話している。まずは風呂が先だ。二人を置いて部屋へ早速入る。窓を開け、空気を入れ替える。
ここは私専用の客室だ。ここならば、敵の襲撃はまず無い。先日は風呂場で襲われたが、あそこだけは蟻地獄になっている。わざと暗殺者を招き入れ、尋問する場所だ。この前も活用した。案外、今日も活用させてくれるかもしれない。
窓を閉め、カーテンも閉める。リラックスするため、鎧を解いていく。あまりの軽さのため、今までの半分の時間ですべて解け、身軽になる。久しぶりのふかふかのベッドに横になる。
あまりの気持ちよさに睡魔が忍び寄ってくるが、風呂が先だ。まともに風呂に入ったのは何時だったろう。もしかすると、この四季物語が前に入った風呂なのかもしれない。乙女としては、恥ずかしい限りだ。途中で水浴びをしているとはいえ、悪臭を放っているだろう。
睡魔を振りほどき、地下の風呂へ向かう。カタラはいつも神への祈りを済ませてから風呂に入っているようで、この宿で一緒に入ったことはない。私がたった一人になる瞬間だ。わざと作っている隙だ。今回も襲撃があるだろうか。
前回の暗殺者が帰ってきていない。入国するのを大勢が見ている。となれば、今晩襲撃があると考えたほうが妥当だろう。
さて、今回の襲撃者はどんな声で泣いてくれることやら。




