98 :聖なる青
俺を訝しんだのか、じっと睨んでくる。耐えかねて口を開いた。
「聖者様、その、人が中から出てきたというのは、結界が解けそうとか……」
さらに鋭い視線が真っ直ぐに向けられる。
動揺、するな。でも冷や汗でばればれな気がする。俺は隠せない。
なら、どう言い訳するべきだろうか。どう考え立って俺に聖者の素質はないはずだ。結界の透明な壁や鎖をどうにも出来なかったんだ。
そうだ、落ち着け。深呼吸だ、って余計に怪しいだろ。
突如、聖者様は呆れた顔になった。それはギルド長もだ。
「タロウ、目が盛大に泳いでいるぞ」
ツッコミを入れられて、正気を取り戻した。
もしかして俺が変な体質だったりして解剖されちゃったりするとか、この世界にはないはずだ。拷問も嫌だが……また取り乱しそうだ。
聖者様の口から、ふぅと大きな溜息が吐き出された。
「タロウと言ったな。確かに私は数少ない聖者と呼ばれる者だが、冒険者とは別の部門とはいえ、魔物に対することは同じだ。互いに尊重すべき立場ではある。だから、ビオで良い」
そんな刺々しい声音で言われても。俺の疑問は聞かれてなかったのか。ビオでいいって……ああ名前か!
「安心するがいい。結界の効力は確かなのだ。もちろん人が中から来るなど在り得ないことだ。人と言ったのは大きさの目安だと分かろうに」
そんな比喩も理解できないのかと、見下げられた。尊重とはいったい……。
というか、もしかして今、宥めてくれたのか。結界が壊れたらと不安がってると思って。遠回しすぎだ。
聖者……お言葉に甘えてビオでいいか。ビオはまた祠を向いて、見えない壁に手を伸ばす。そして半透明の黒い鎖の上から、手のひらで触れた。
「聖なる魔素よ、姿を現せ」
ビオが見えない壁に呟く。危ない人のようだ。呪文かよ魔法じゃあるまいにと思ったが、前にデメントも魔技名を叫んでいた。やっぱり詠唱?
ビオが触れた場所は、手のひらから光がじわりと漏れ出したように青く染まる。
見知った色でも、驚いてしまう。光と呼ぶには、眩しさはないし側の壁に反射している様子もない。ビオが触れたエア壁の部分だけが反応を示している。
この色は、やっぱり中で見た巨大な黒い岩の光。
それに、俺のコントローラーのアクセスランプ――。
じっと見つめていると、ビオの手のひらから発せられる光は、薄く暗い色から濃く鮮やかな青へと変化した。それから光は歪み、煙のように崩れて消えていった。
その様子は魔物のマグにも似てる。
背後からも分かるほどビオは肩で息を吐くと、手を離した。見た目とは違い、結構なMPを消費するらしい。
「これは、触れた場所に含まれる聖質の魔素を集めて、結界に足るか測る魔技だ」
人間測定器かよ。
「便利だな」
「簡単に言えばだ。もっと複雑なものだが、詳細は省いたから知ったかぶって言いふらすなよ」
「はぁ」
一々小馬鹿にしたような言い回しは釈然としない。だからといって、細かい理屈を聞かせられても困るが。俺の困惑をよそにギルド長は話を進める。ビオの態度にも慣れているんだろう。
「ご報告いただいたように、悪い兆候ではないということですね」
つい、ギルド長の頭部を見た。
肩にかかりそうな明るい茶髪を撫でつけているから額は広く見えるが、まだふさふさだ。ストレスに強いのか。もし毛根にも種族差があったらどうしよう。
「失礼、ビオ殿。タロウ、よく話を聞いておいてくれ」
「はいすみません聞いてます!」
俺の視線に何かを察したようだ。さすがは冒険者どもを裏で操るギルド長。侮りがたし。
「では、話を戻そうか」
そうしてビオとギルド長が話すことに耳を傾けた。
「依頼内容を聞いて思い当たることがあり、城の書庫で前例を調べた。南部の祠でも、結界が変化したことがある」
「あちらも、魔脈に囲まれた場所ですな」
「そうだ。ある時、運悪く結界のそばに魔泉が開いたことがあり、大層な反応が起きたそうだ。まあ、運が悪かったのは魔物にとってだがな」
二人が話しているのは外の世界のことで、俺にとっても興味深いことだった。まるで、この街の外にも世界が続いているみたいだと思いつつ聞く。
「似た立地ですか。新たな魔泉が開く兆候がないか見回りを強化しましょう」
「結界の力なども弱まってはいないし、他の異常は確認できなかった。だが、この影響が出るのかどうかすら、判断はできまい。今後は魔物数の増減、出現場所などに規則性はないか、よくよく観測を」
「念のため、報告を受けてよりの調査結果をまとめてありますが、ご覧になりますか」
「ほう、すでに懸念していたか。無論、拝見する」
なんだかよく分からないが、話はまとまったようだ。もう少し聞きたかったが……違う。俺が連行された理由とはなんだったのか。
「あの、結局報告者の立ち合いが必要というのは?」
「ああ、そうだったな。発見時にどのような行動をとったか再現してくれ。どの時点でどのように気が付いたのか、些細なことでも良い。情報が欲しいのだ」
「それならば、タロウでも問題ないでしょう。異常を確認したのはシャリテイル・ウディエストですが、その話を自体はタロウから聞いたとのことでして」
ギルド長よ、追加情報をありがとう……!
またもや冷や汗ボーナスタイムだ。いや、これはシャリテイルと二人で確かめた時点のことで構わないよな?
だって俺が来たときは、すでにこうだったし。結界が解けかけだというなら話しもするが、結界が弱まったわけでも魔物が街の中に入り込むでもない。なら、俺が出てきたことが問題ではない気がする。
俺はシャリテイルにも伝えた理由、有名な聖なる祠を拝みたくて真っ先にやってきたのだと話した。だから、この街に来る前の状態は知らないんで、俺自身が違いを説明はできないと念を押したつもりだ。
ちょっとした憂さ晴らしに、シャリテイルがジャンプして下草を飛び越えたり、壁に張り付いたのも再現しておいてやった。
微妙な顔をしたビオを見て、してやったりとほくそ笑む。
さすが俺、やることが小さい。
「ふむ、おかしな行動はともかく……聞いた限りであれば、それから現在までに変化はないな。なら、なんらかの理由で捻じ曲げられたのか。だとしても、一度限りだ。これは南部の例とも違うようだな」
ビオは細いあごに片手を添えて、状況を思い描いているのか目を細めている。
それも短い時間で、すぐに顔を上げた。
「これによって徐々に劣化するといった兆しもない。砦側との協議がなければ、もう少し早く確認できたのだが。それは報告者も居ればだぞ? まあ、材料としては十分か」
安心したようで、つんけんしていたビオの表情が、初めて和らいだ。
「戻り次第、柵の結界石を強化する。素材を揃えられるか」
「常に確保してあります」
「足りねば用意した分を出そう」
用が済んだとばかりにビオは踵を返す。後に続こうとしたが、ふとビオは立ち止まり祠を振り返った。
「さすがは、歴史を紡いだ聖者らの腕前。これほど完璧な御業は、私が見てきた他のいかなる場所にもない。それだけは、保証しよう」
ギルド長や俺の方へ首を巡らせたから、俺たちに対して言ったんだろう。だけど、まるでビオ自身に言っているようにも聞こえた。
彼女の眼差しと口調には、過去の偉人に対する尊敬の念が表れていた。
歴史に残る聖者か。
それは数十年前に封印した奴らで、封じる手立てを見つけた者でもあるのか?
現在までもビオのような聖者が、いざという時のために魔技のような技術を磨き続けてきたんだろう。
宿に泊まっている冒険者や、この街の冒険者でも、邪竜などずっと昔の災難に過ぎないと捉えているようだった。
二度と来るかもわからないと、多くの者が考えている災厄に備え続けるというのは、大変な苦労がありそうだ。
だけどビオは、自分の仕事に誇りを持っている。それが伝わる一時だった。




