82 :水際の作戦
幹を背にして屈み下の方から顔を出した。
川に浮くアラグマの様子を確認しようとしたのだが、何が起こるか見ることはできない。
「頭を引っ込めろ!」
「ひっ!」
誰かの叫びに身を隠す、と同時に頭の後ろ。木から音が響いた。
ガッガガガガガッ――そんな、硬質なものが連続して幹に当たっている音だ。
木を逸れたものが足元の地面に刺さっていくのを、息を殺して見ていた。
矢じりに見える半透明の物体。それは刺さった瞬間に、元の姿を取り戻す。
「水……?」
マシンガンのように放たれた矢じりは、地面に刺さると黒い染みを残して吸い込まれていく。
こりゃ、スプリンクラー要らずだな。地面を穴だらけにする威力が使い物になるならだが。
「俺が散布で気を引く」
「分かった。俺たちがこっち側から仕留める」
散布ってなんだよ。
森男が杖を軽く掲げると、でか岩男が答え、他の二人も頷いていた。
「攻撃が止んだら出るぞ」
あのう、でか岩男先生。俺はぼっちなんですが、誰と組めばいいですか?
しかし特に指示は出なかった。すでに忘れられているのかもしれない。おとなしく隠れておくべきなのか。
それとも、何か邪魔にならないようにできることはあるだろうか。
音が止んだ――今だ!
森男が左手から飛び出し、大回りで目標へと近付く。
アラグマの体勢が森男へ向くと、右手から岩男たちが走り出た。
アラグマは川の中ほどで、こちらを伺っていた。他の魔物と同じく、水の撹拌攻撃のような技は連続して使えないんだろう。
「キュル、キュルゥ!?」
左右を見てアラグマが戸惑ったのはわずかな時間で、すぐに人数の多い岩男たちへと視点を定めた。
「てめぇの相手はこっちだ! 散布!」
森男が声をあげて気を引き、立ち止まると同時に魔技を放っていた。
空を切る音がここまで届く。手のひらほどもない空気の渦だ。
そこから複数の、さっき見た風の矢とやらが、広範囲にばらまかれていった。
なるほど、散布だ。……え、それが呪文だか技名なの?
もうちょっとカッコイイ言い方があると思うんだが、今は俺の厨二力を試している場合ではない。
「……キュルッ!」
アラグマの周囲から水しぶきがあがる。当てるのではなく攪乱が目的だ。うまいこと驚いたのか、アラグマは目をバッテンにして閉じている。
飛び出した岩男たちも、アラグマに到達しようとしていた。
どうやって戦うつもりなんだよ。まさか川に飛び込むんじゃないだろうな。
顔をしかめていたアラグマは怯んでいるのかと思ったが、ぷるぷる震えると長細い胴体を高速回転させて、水際まで移動してきたのは一瞬だった。
そうか岸に近付くのを分かっていたのか。これなら剣でも対処できる!
「うぉらああああっ!」
でか岩男が突きを見舞った。
突くと飛び退き、他の二人が交互に同じ攻撃を加える。
アラグマの体から次々と赤いしぶきが上がるのが見えたが、不安定な場所のせいか威力は見かけほどはないようだ。
水の中に落ちたらと思って踏み込めないのか?
しかし、こんな時に他の魔物にまで襲われたら大変だ。
どうしよう、俺の方が心配になってきた。見ているだけというのも歯痒い
一旦、岩男たちが飛び退くと、森男が引き継ぐ。
森男は二度目の散布攻撃で気を引き幾つかは当たったようだが、アラグマの体力は相当に高いらしい。だが見るからに弱っている。もう一度の連携で倒せそうじゃないか?
そう安心しかけた気持ちは吹っ飛んだ。
「魔力切れだ!」
森男は杖を放り投げて剣を抜き、岸まで駆けた。
自分の魔力って、極力使わないもんなんだろうか。そうか当たり前だ……マグ低下状態になったら逃げることもできない。
当たるかどうか分からない魔技を使って、意識を失ったらおしまいだ。
仲間が庇おうとして不利になるなら、体力の限り戦う方がマシなのか。
マグ回復は大事だと言われたけど……こういったことにも、関係してるのかもしれない。
「チッ! 防御を解くのを待て!」
アラグマは水面で激しく回転する防御姿勢をとっていた。水流に阻まれ攻撃しづらそうだ。そして間もなく、激しい水音を立てて上半身を起こしたアラグマの前足は、何かを抱え込むような仕草。
さっきの攻撃が、もうできるのかよ!
前足をこすり合わせるような動作と共に、水しぶきが辺りに飛び散りだす。
よく見ると、両足の先を揉み手するように組んでいる?
これ、水鉄砲だよ!
「もう一度!」
でか岩男らが連携して攻撃すると、揉み手の動作も止まりはする。時に回転防御を組み込んでくるからか、剣の威力も削られているのか?
いや、腰が引けているんだ。
体が穴だらけになるのを想像したら、誰だって怖いに決まってる。
「なにか、ないのか」
俺は、アラグマとの直線距離が最も短くなる場所へと移動した。左右から森男と岩男らがタイミングを見て交互に攻撃を加えている、その中心だ。
川岸は狭く、やや高い段差があるだけで距離としては遠くない。すぐそこにアラグマが浮いている。足が遅くとも、ここからジャンプすりゃ半ばまで届くか?
こけると困るから飛び降りるだけにしても、十分に近付ける。
藻だか水草やらに覆われているが、その下には手ごろな石がごろごろしている。
飛び降りると滑ることなく着地できた。すぐに両手に石を掴んで振りかぶる。
左右どちらも攻撃したタイミングで――。
「石ぃ投げるぞ!」
驚愕の顔が見えたが、全員が動きを止めた瞬間を逃すもんか!
「キュゥエッ!」
ありがとうゲーセンのピッチングマシン!
「これで気を引くから!」
「ああ、止めは刺す!」
心なしか、全員の動きが軽くなったような気がした。少なくとも余計なことにはならなかったらしい。
くくく――あの森男の空気砲が風属性魔技ってんなら、これは土属性だよな。
土属性魔法、石礫散布!
俺がいまいちこじらせ切れない厨二センスについて思いを馳せつつも投石に集中してほどなく、アラグマの断末魔が戦闘の終わりを告げていた。
「ぃやあ、今日はちぃっとばかし冷や冷やしたなあ」
「見栄を張んなよ」
「結構やばかったろ。玉ぁ縮んだぜ」
「お前はビビりすぎんだよ。だからいっつも一歩出遅れるだろうが」
森の中へ戻ると、全員が気が抜けたようにぐったりと地面に座り込んだ。
休憩がてら反省会だとかなんとか言いつつ、これまでの雑談とさして違いはない会話が始まる。ひとしきりぼやいた後で、全員が俺を見た。
「タロウ、手助けしてくれてありがとうよ」
「俺の仕事をさせちまったな。あいつの気を引いてくれたおかげで無事に倒せた」
「まったくだ。タロウの機転がなかったら怪我ぁしてたろうな」
「助かったぜ!」
気が付けば、俺も自然と輪を作るように座り込んでいた。それまでは守れるような配置を心がけてくれてたんだなと改めて思う。細かいことだが、認められたみたいで嬉しい。気のせいだとか考えてはいけない。
「悪かったな。いつも先に入った奴らが、強い魔物から片づけていくからよ。まさか出るとは思わなかったんだ」
「一応は気にしてたんだけどな」
「すまねぇ。俺もマグの気配を追うどころじゃなかったし」
謝られると、こっちが申し訳なくなってくる。聞きかじりとはいえ、俺にとっては難易度が高い場所と知っていて来たんだし。
「大丈夫だからつって連れてきておいて、ざまぁねえやな。言い訳だが、俺らは草ぁ刈り続けなんてしねぇからよぅ。腰にきちまっててな」
「そんな時でも前もって態勢を整えられるように俺が警戒してるってのに、お前がつっかかってくるからだぞ」
「んだと。てめえの捻じれた口をまずは正せや」
でか岩男と森男は、また言い争い始めたよ。深刻さはないんだけど、もう少し落ち着いてくれ。
「まあ無事だったし、いい経験になったから」
二人は小突き合いをやめた。声にも力はないし、疲れて腕が上がらないとぶつぶつぼやいている。
「人族の俺からしたら勉強なったから。やっぱ冒険者ってのはこういうのを言うんだろうなって、感動したよ」
なんとなく全員が気まずそうな雰囲気なのは、俺が人族だからってだけでなく、評価のせいもあるだろうと思う。
魔物討伐で成果を出したことなんかない俺に言われても困るだろう。でも俺なりに気を使ったというのもあるが、半ば本心だ。
あれ、余計に動揺しだしたな。
全員が同じように半笑いの微妙な顔つきなのは、ちょっと気味が悪いです。
「そのぅ、な? 俺たちを当たり前と思われちゃあ、困るかなあっと……」
「忘れるなよ……俺たちが低ランク冒険者ってことをな」
「中ランクなって、やっとこ一人前なんだぜ?」
「まだ経験も浅いから、こんな風におっかなびっくりの戦いぶりなんだろうが。言わせんな照れるだろ!」
ええぇ……?
すげぇ普通に戦ってたように見えたんだが。そりゃカイエンなんてイレギュラーは見たが、さすがに比べるなんてことはしない。
これで冒険者なりたてレベル……。
本当のなりたてって意味ではないのは分かるが。
あんな動き俺にはできないし、長く続ければできるようになるかも分からん。
「な、なんでぃ。憐れむような目つきはやめろよぉ!」
「ちがっそんなつもりはないって!」
やっぱランク的には、中ランクが主流なのか。まずはそこを目指すもんなんだろうな。
普通の冒険者的視点を、俺が感覚的に掴める日は、まだまだ先のようだ。




