81 :パーティ戦の後ろで
ここはナガラー川。街より西の森にある川だ。
東海地方に流れてそうな名前の川だが異世界だ。多分。
俺たちは狭い川岸沿いの森の中、ちょっとした開けた場所で川面を眺めつつ休憩していた。
ここまで来ても、なんの問題もないかのようにガハガハと笑っている野郎どものそばで、一人藪の暗がりに目を走らせる。
「どうしたキョロキョロして。この辺の魔物は、川に落ちでもしない限り大したやつらじゃねえぞ?」
話しかけてきたのは、大中小と三人いる岩腕族のうち中サイズだ。四人の中では最も気が利く男らしい。そのただの岩男は今、少し間の抜けた発言の多い小岩男と馬鹿話をしながら、暴れている二人を見ていた。でか岩男と森男だ。
もう喧嘩というよりは、ただはしゃいでいるだけだが、それで休憩になるのかと呆れて見ている。あれは放っておくとして。
岩男は、この辺ならと限定しつつも大した魔物はいないと言ったが信じないぞ。
お前ら基準で話すな。俺は落ち着かなくてしょうがない。好奇心が不安を上回ったのはわずかな時間だけだった。
「マグ感知なんてないから、見回してないと気になるんだ。ケロンだとか出ないよな?」
「ケロンなんてのはもう少し先だが、そんなもん、出たら出たときに考えりゃいいじゃないか。そのために人数を揃えてんだろ」
「おう、ちぃっとばかり奥の魔物が来たって、骨を齧られ肉を切るって感じだチョロイぜ!」
それおかしくないかな!
「そりゃ煙みたいなもんだし全部が肉みたいなもんだろうが、おめぇ骨って。相打ち覚悟か?」
「ええぃ冗談だよ。頭賢いやつだな」
案の定、小岩男は岩男にツッコミを入れられている。それが普通のことわざかと思い込むところだったじゃないか。こいつらの雑談に耳を貸していたらズレたことばかり覚えそうだな。これ以上ズレまくって、果てしない斜め上に打ちあがりたくない。
気が付けば二人の会話は訳の分からない無駄話に流れていた。
聞いている分には面白いが、俺くらいは警戒していよう。
警戒するといっても、見回すくらいしかできないが。
今の俺なら、川の中の魔物に引きずり込まれたら即お陀仏だという絶対的な自信がある。いや、引きずり込まれる過程で逝く。これもノマズとの戦闘で得られた勘だろうか。
よく映画とかで、余計な行動取ってさらわれたりして迷惑かけるやついるよな。
この中だとどう見たって俺がそのポジションです。
だから他の冒険者がいるからと迂闊に川まで近付くようなことはしない。俺だって、たまには学習するのだ。
半ば連行されたように来たが、それ以上に役立つことを教えてもらった。報酬なしに仕事請けるなとかさ。当たり前の心構えかもしれないが、俺にはまだまだ自覚が足りないんだろう。
他にも、たった少しの会話だというのに、様々なことを知れたと思う。一つ一つは小さなことかもしれないが、こういうのは後々に生きたりするよな。
自然と、こいつらに迷惑はかけたくないと考えている。
また迂闊プレイして迷惑かけるようなフラグを立てた気がしたから、そんなことはないと自分自身に言い聞かせているんだ。
そうだ、情けない気分は我慢して、移動中は大人しく陰に隠れていればいい。
他にできることといえば見回すくらいだ。つい川に目が行くが、魔物は森からも来る。
そういえば、以前シャリテイルに揶揄されたアラグマはどのあたりの難度になるんだろうな。あいつは、ええと、レベル16か。15のケロンよりも上なら、この辺りには出ないだろう。
そんなことを考えつつ森の方面を見ていたら、揺れる藪が目に付いた。
立ち上がって行く手を見る。
長い胴をにょろっと伸ばして藪の中から這い出てきたそいつは、アライグマ模様のラッコもどき。
思ったそばから現れやがった!
「あれアラグマだよな?」
思わず気持ちが弾み、小岩男の肩を叩いて知らせていた。
「はっ? アラグマだぁ!?」
「警戒態勢!」
即座に武器を手にしつつ立ち上がる岩男の大声に俺は飛び上がった。
和んだ空気は一変し、岩男が声をかけるや戯れていた二人も飛んできて、小岩男と共に並ぶ。
俺の前方に三人。そして俺の背後には、岩男が下がって逆を向いていた。
どういうことだよ。
出たら出たときとか言ってたじゃねえか。
全員が息を殺すようにして、アラグマの様子を伺っている。
改めてアラグマを見ると、むかつくほどの間抜け面だ。丸めの両頬が垂れ下がり気味で、横に潰れた大福のような面だ。黒い目がついてるから豆大福だな。
こちらの数が多いからか、それともそこそこ距離があるからか。アラグマは掛け声を聞いた瞬間に立ち止まっていた。
警戒するように鼻をひくひくと蠢かせ、その度に髭も揺れている。
地面についていた前足を上げて後ろ足で立つと、前足で顔を撫でるのは、こちらを侮る動作だろうか。かと思えば、再び地面に足をついたりともじもじし、たまに小首を傾げて「キュウ?」などと謎の呪文を唱えるなど、何がしたいか分からず空恐ろしい。
随分と、雲行きが怪しくなってきたが……声かけて大丈夫だろうか。
「そんなに危険なのか? 川の周辺では弱い方じゃないのか」
なにより、見たところ一匹なのに、この変わり具合に驚いていた。
「アラグマが、危険かどうかだと? どこでそんな戯言を聞いた」
俺の右前に立っていたでか岩男は、シンプルな鉄の塊といった片手剣を構えたまま振り向きもせず、やたら腹に響く声で言った。さっきまで騒いでいたやつが、声を抑えてだ。
もしかして、怒られてる?
「いや、シャリテイルが……」
俺のことをアラグマのような奴だと言っていたから、なんとなく弱そうだと思ったんだと言おうかどうしようかと悩んで口をつぐんだ。これじゃ言い訳してるみたいで余計に情けない。
そんな逡巡も空しく、シャリテイルの名前を出した途端に前衛の肩がガクッと落ちた。
「かーっ! あの姉ちゃんはもう、ほんと……仕方ねぇな」
「また妙なことばっか言ってんだろ。話半分に聞いといた方がいいぞ?」
どんだけシャリテイルの評価はおかしなことになってるんだよ。
「移動するぜ!」
前列の左端から小岩男が声をあげ、細身の剣を構えなおした。
どうやらアラグマは謎の仕草で誤魔化しつつ、徐々に移動していたらしい。その移動が大胆になり、隙を見てはズルっと地面を滑るように動いている。向かっているのは川のようだ。
「まずは俺が行く。そっち側は頼んだぞ」
小岩男の宣言に応え、でか岩男は右手にある川へと徐々に移動を始めた。
「準備はできてっぜ」
前衛の真ん中にいた森男がそう返し、傘ほどの長さがある杖をかざした。
シャリテイルのものと比べたら縦横と半分もなく、随分と小型だ。
「おっと、タロウは俺らの背後に居ろよ」
「分かった」
小岩男は、ちらと俺を振り返って行動を指示した。
俺もしっかりと頷き、ナイフをしまって殻の剣を取り出す。他のやつらの剣は、どう見ても金属製の普通の剣。
はたして、強化版とはいえ俺の殻の剣が通るのかは未知数だが、ここは使うしかないだろう。
こんだけ人がいるなら機会はないかもしれないが、自分の身を守るふりくらい見せないとな。
ふりっつっても、もしこっちまで来たら戦うしかないし、こいつらの様子も気になる。気は抜くまい。
と、いうか待てよ。前衛がいて、俺がいて、後衛がいる。この、状況って……まるで、ゲームみたいじゃん。これぞパーティー戦!
しかも中衛とかすごく重要な役割を担ってるっぽい。
……守られているだけだと分かってる。少しくらいは夢を見させてほしい。
俺の密かな興奮とは裏腹に、周囲の気温は下がっていくようだ。全員が気を張り詰め、静けさが訪れた一瞬。アラグマが横っとびに、跳ねた。
同時にでか岩男も飛び出し、森男と続く。俺も慌てて背後についていく。
「川へ行かせるな!」
でか岩男は出来うる限りの全力で走ったはずだ。だけど以前カイエンの動きを見ていたからか、そう速くは見えない。
無論、俺よりは速いから必死に追いかける。
それで追いつけるのかと気になったんだが、遠目にはアラグマの跳躍力はケムシダマほどもなかった。そもそもケムシダマたちの跳躍は、体当たりや突撃といった特殊攻撃を利用した移動方法だろう。アラグマにそれはなかったはずだ。
アラグマは、にょろっと伸びるように跳ぶと、胴体の分だけ移動する。そうして小刻みに跳ねてるが、滑った方が速いんじゃないか……?
まあそのお陰で俺たちも追いつけたようだ。
でか岩男は川岸で、飛びかかれば剣の切っ先が掠るくらいには近付いたように見えた。アラグマも危機を察知したのか、動きを止めてでか岩男と相対する。
「止まれ!」
森男が制止の声をあげて立ち止まり、顔の前に杖を掲げた。途端に杖の膨らんだ先端に埋められていた水晶が赤身を帯びる。小さくて、光るまで水晶の存在には気が付けなかった。
「風の矢!」
森男の短い叫びと同時に見えたのは、水晶の周囲に、小さいながら空気が歪むようなエフェクト。
そして風切り音――。
「ゥヤアアアァーッ!」
アラグマの甲高い叫び。空気が破裂する音と同時に、アラグマの胴体の一部が弾けたように見えた。毛並みが舞い散る。
お、おお、おおお……これが噂の風の魔技か!
魔法というよりは米映画の銃撃戦とか、そんな感じに見えた。
「チッ掠っただけだ!」
残念ながら大きなダメージは与えられなかったらしい。だがその隙を、でか岩男は逃さず踏み込んでいた。
「ぬんっ!」
魔技で弾け飛んでいた毛がふわふわと落ちながらマグの煙となり掻き消えていく中、でか岩男の剣先がアラグマに叩きつけられた。
「キュウゥ!?」
やったな、そう思った絶妙のタイミングで、つるんとアラグマは後ろに転げた。
まさかの空振りいいいぃ!
「ぅおおおいっ! なに外してんだてめえ!」
「ぎゃー! あんな避け方されると思うかよ!」
森男の文句に癖で返すでか岩男に、小岩男と岩男が叫ぶのは同時だった。
「まずい、下がれ!」
そして、アラグマがつるんと尻で滑ったまま川へと転げ落ちるのも。
「ぜっ全員退避! 木の陰まで逃げっぜうおー!」
森男は叫んで走りながらも、魔技石を取り出すと杖に叩きつけた。石から零れ出た鮮やかな赤色のマグは、杖の水晶へと吸い込まれていく。
人体のマグ使用を軽減するって、チャージするって意味なのかよ!?
「何してんだひぃ早く走れひぃ!」
でか岩男は息を切らせながらも追いつき、俺の背中を叩いて叫ぶ。
杖の謎なんて考えている場合じゃなかった。
走りながら必死に思い出そうとする。
なんだっけ、アラグマの特殊攻撃。洗う攻撃だ。正確には?
こんな時のためにメモしてたんじゃないか。
くそっ! 必要な時に思い出せなけりゃ知識なんか幾らあっても役に立たねえだろ!
「木の陰に待機! タロウは、ほらそこに隠れてろ」
返事をする間も惜しんで木陰に移動し、幹を背にして屈む。下の方から顔を出して覗くと、アラグマは寝そべるようにして川面に浮いていた。前足で腹に何かを抱え込むような恰好をし、頭をもたげる。
思い出した。あいつの特殊攻撃は、撹拌。
鼓動が早く大きくなっていく。危険な状況らしいというのに、それが危機への緊張からか、ワクワク感からなのか判断がつかなかった。




