07 :拠点確保(仮)
「ほら、暗い顔しないで。ここよ」
顔を上げて見た建物に、言葉を失う。
案内してもらった宿屋はボロかった。
隣近所に並ぶ昔風な木造住宅の中でも、染みだらけで薄汚れているし、特にひび割れというか板目の隙間が激しいというか、うまいことバランスを取ってるだけといった歪みも気になるような……。
素朴な村の雰囲気がある街並みにあって、なおも疎い俺にそう思わせるのだから相当なあばら屋ではなかろうか。
軋む扉を開けたシャリテイルの後を追って、渋々と暗い入口に踏み入ると、ぎぃと扉の軋む音が暗がりに響く。
突如、狭い間口におっさんが顔を出した。
飛び出そうになる悲鳴を飲み込む。
記帳台というか狭いカウンターの背後は、乾燥した草花などで埋まっているのだが、その壁は扉だったらしい。半分ほど回転した隙間から出てきたようだ。忍者ハウスかよ。
「親父さんこんばんは。新人君を連れてきたの。急だけど泊められるかしら」
「おう久しぶりだなシャリテイル。泊められるに決まってんだろ! いつも準備だけはバッチリよ」
自虐風でもなく自信満々に不人気っぷりを口にしている、枯れたような野太い声のおっさんは、俺と同じく人族だ。通りでも結構見かけたんだから、人族自体が少ないってことはないようだな。
おっさんと目が合い会釈すると、なぜか眉根を寄せた。
な、なにか嫌われるような態度を取っただろうか。
「そっちの兄ちゃんが新人? 俺もとうとう老眼か? どうも人族に見えるんだが……ま、余計な世話だな。低ランク用、一晩15マグの格安部屋だ!」
「じ、じゃあそれで」
威勢のいい腹に響く低い声に押され、俺は反射的に頷いていた。
しかし15マグって、かなりの格安じゃないか?
ええと確かゲームでは、一番安い回復薬が10マグだ。
薬が高いのか、この宿がよっぽどなのか……。
台の上を指差すおっさんに促され、俺はぎこちなくマグタグを取り出した。
カウンターの上には、手の平サイズの銅色の分厚い板がある。ギルドで見たものより小型で古びた感じだが、同じくマグ読み取り器なんだろう。
どうすりゃいいのか分からないが、コンビニの電子マネーの支払いと同じか?
違うなら注意されるだろうと、盤面の窪みに手に持ったままでタグを載せる。すると盤面の上部に、赤い光の文字が浮かび上がった。掠れたように不明瞭な線で『15』とだけ書かれている。
支払い金額は合っているか、認証するかどうかの確認らしい。
「おっと少し強めに押してくれ。古くて反応が悪いんだ」
なるほど認証は押すようにするのか。
言われたとおり、窪みに押しつけるとマグが流れていった。
側面には、宿側の水晶が嵌めこまれているみたいだ。
「ありがとよ! 部屋は上の奥だ。そろそろ灯りも要るな、案内しよう。しかし……いやなんだ、明日も頑張れや」
気遣わしげな視線をいぶかしみながらタグを見ると、空っぽになっていた。
冷や汗が出る。
ゲームでは開始時点でタグをもらい、すぐにチュートリアル戦闘があるから、初めから幾らかまとまった金を手にすることが出来る。
俺もすっかりそんなつもりで、宿を案内してくれなんて厚かましいことを頼んだが、残額を確認もせずにいた迂闊な自分に呆れた。
一晩だけとはいえ、ケダマのお陰で宿代が足りて良かった……。
どうにか野宿は避けられたし、振り返って微妙な笑みを浮かべるシャリテイルに礼をする。軽く頭を下げただけなのに、立ちくらみがした。
「案内にしろ、色々と助かったよ」
「ようやく話ができるわねって、あなた大丈夫? ふらついてるけど……」
眩暈がするなとは思ったが、外から見てわかるほどって相当だな。
頭を振ってみたら、余計にひどくなった。
「旅疲れみたいだ……勝手で悪いんだけど、話はまたでいいかな」
「そうね、もう休んだ方がいいわ。じゃあ体調が良くなったら、ギルドに言付けてくれる?」
「そうする。今日は、本当にありがとう」
話す間にも眩暈はひどくなる。それ以上は話すのも辛く、残念ながらシャリテイルとの観光ツアーは、そこでお開きとなった。
呆れたようなおっさんの後をよろよろとついていき、軋む階段に怯えつつも早く布団へと祈りながら階上へと向かう。
おっさんは部屋に着くと、扉脇にある四角いガラスの中に火を移した。
「寝るときは消してくれ。どのみち燃料はケチってるから長くは持たないけどな」
そう言って、扉の横に立てかけてあった棒切れをよこすと去っていった。扉には取っ手の代わりに、木製のフックが取り付けてある。
ああ、これ閂か。初めて見た。
なんとも頼りない鍵だが、板を差しこむと気が抜けてベッドに倒れこんだ。
うわ、生地が硬い。ごわごわしてるし、なんか薄いな。
回る目を閉じて、長く息を吐き出した。
シャリテイルには悪いことをした。
というか俺の方こそ、まだまだ聞きたいことがあったというのに。
こんな時に体調不良なんて間が悪い……まさか、これが普通なんてことはないよな?
「……最弱か」
種族差の開きには驚かされた。
できれば他種族のことも含めて、その辺を把握できたらと思ったんだが。
シャリテイルが聞きたがっていた、聖なる祠のことも話すついでに、実際にはどんな場所なのか知る良い機会ではあった。
大枠は同じなのに、ここまでの最も大きな違いは、種族特性くらいだ。
――なぜ、人族は弱体化した?
ゲームだと、主要キャラ以外のモブなんて描かれない。
何の取り得もない一般的な人族の主人公が、冒険者として活躍する理由なんて、ゲームを遊ぶ限りでは考えたことなんかなかった。
いや用意されたメインストーリーはあるけれど、そうではなく、そこにいたるまでの主人公の境遇とか心情といったことだ。主人公っていうかプレイヤーキャラだし。
主人公が存在するのは、ゲーム内の世界でゲーム内の期間だけだ。
プレイ内容に関係のないことは、見せる必要のない情報だろうし。
でも、その世界を現実にしたようなここで、住人の比率なんかも考えたら、人族の冒険者が一人も居ない状況ってのはおかしい。
人間は感情や欲望で生きている。
幾ら人族は向いてないと言われようと、やろうとする奴は居ていいはずだ。
まるで一人にするために、無理やり理由をつけられたみたいじゃないか。
ゲームの中の特殊な状況を再現するため、なんだろうか。
人族を自他共に認める最弱とすることで、他の人族冒険者候補を排除してるように思える。
大枝嬢は、魔物の多いこの街には居ないと言っていたから、他の地域には冒険者になりたい物好きもいるってことだし。
この街にだけ居ないように、調整されたような感じさえしてくる。
だけど、こんな風に変化させてでも、大枠は変えまいとしているなら。
なんだろうな、どうしても人族の冒険者が地道に頑張って、強くなって、甦った邪竜を打ち倒すって筋書き。これを、変えたくないってことなんだろうか。
こじつけっぽい。ゲームを元に考えすぎだな。
だめだ、支離滅裂だ。
頭が働かない。
色々と起こりすぎなんだよ。
目が覚めたら、部屋で寝落ちてんのかね。
あーあ……飲み会、行きたかったな…………。
◇
チュイチュイ。
うるさい、眩しい。
チュチュイチュイ。
重い目蓋をこじ開け、音の方に頭を向けると、見たこともない鳥が窓際でさえずっている。
カーテンもなく、金属など見当たらない木枠に、歪んで曇ったガラスがはまった窓。
窓の外には、空を区切る電線も、近所のマンションなんかも見えない。
「夢、覚めなかったか……」
軋む硬いベッドから体を起こして、自分を見下ろす。
服も質素なモブ冒険者って感じのままだ。
着たまま眠ってしまっていた。
顔をこすると、昨日のあれこれが思い出された。
ええと、祠に飛んでコントローラー握って敵倒してガイドに会いギルド登録後は宿でダウン。
なにより頭が痛いのは、どうやら種族特性のせいで人族は最弱ってこと。
だから、人族の冒険者は俺だけってことだ。
その理由の心当たりは、ゲームの主人公の状況だってことなんだが。
「嘘だろ、まじかー……」
部屋でごろごろしながらコントローラーで操作してりゃいいわけではない。
実際に体を動かして戦っていかなければならないんだよな。
こんなことなら、センサー付きコントローラー用のゲームでもやりこんでれば良かった。いや、あれは剣を振るといってもあんまり意味ないか。
もう少し部屋で対策でも考えたいところだが……部屋?
「まずっ、宿代がない!」
ぼんやりしてたら今晩こそ野宿だ!
急に頭が冴え、慌てて宿を飛び出した。
走り出したものの、すぐに息切れして速度を落とす。
体に宿った最弱力が……恨めしい……!
のろのろとギルドへ向けて道を歩く間、気懸かりに頭を悩ませる。
伝言してくれと言われたしシャリテイルと話をと思ったが、いったん落ち着いてみると、自分自身がなにも把握していない状態ってのもまずい気がしてきた。
シャリテイルは俺を怪しいと言いつつも、本気で警戒していたようには見えなかった。お節介焼きなだけで裏なんかなさそうだとは思う。
どっちかというと興味本位なだけの気もする。
だけど実際的なこの世界の知識がない以上は、俺も何が良くてまずいか分からない。妙なことをして捕まるようなことになったら嫌だし。
よくシャリテイルとの会話を思い返してみる。
彼女が俺を怪しんで様子を窺っていた理由。
確か、人族が聖なる祠から出てこれるわけないと、言ってなかったか?
違うな。
聖なる鎖に触れるはずがない、だっけ。
これは大きな違いだ。
出たところは見られてないんじゃないか?
聖なる鎖とやらにすら触れないなら、俺が中から出てきたのを見られていたら大騒ぎになっている気がする。
性格がゲーム内人格と変わる程度には、疑われたってことだし。下手なことを話して俺も魔物と思われても困るよな。いや魔物なら余計に聖なる場所なんか近づけないか。
まあいい。もう一度、祠に行って現状確認だけはしておこう。
ついでに何ができて出来ないのか、自分なりに確かめておくか。話して構わないことと、駄目なことなんかの基準も少しは把握できるかもしれない。
よし、ギルドはパス。まずは祠だ。
寄り道してたら、クエストなんてこなせないかもしれないからな。
ギルドの前に来ると少し悩んだが、結局通り過ぎた。
もし戻ることになったら話す機会はなくなる。
このまま帰れるなら、その方がいい。
そうして淡い期待を胸に、聖なる祠へ訪れた俺は、祠に入ろうとして体をぶつけていた。
「入れない!?」
洞穴の入口に張り巡らされている、光の角度によって透過具合の変わって見える鎖。その外見とは違い、入口全体がひんやりとした壁のような手触りで、完全に塞がれている。さらには、出てきたときにはなかった通ろうとすると押し返すような反応がある。
黒い鎖は、掴もうとしても殴っても、見えない壁に阻まれびくともしない。
石を投げても跳ね返ってきやがる。
もう、外からはどうやっても入れなかった。
「嘘だろ……帰れるとしたら、ここだと思ったのによ……」
なんで俺は確認もせずに出てきたんだよ。
あの変な石とか何かありそうだったのに!
「はぁー分かってた」
なんというか、こういうのもお約束だよな。
まあ確認はできたんだし、良しとしよう。
戻れる希望や可能性を潰して外堀を固めていくって、虚しい気もするけど。そうでもしないと、諦めがつかず気が散ってしまう。
こんなところでぼんやりするなんて命取りだ。
「でも落ち込むもんは落ち込むんじゃい」
ふらっと来れたように、ふっと帰れるんじゃないかと、頭のどこかでは考えていたんだ。
しばらくいじけて、岩壁を背に膝を抱えて座り込んでいた。