69 :受付嬢とお茶
俺に、女性になじられて悦ぶ趣味は微塵もない。多分。
だが、この扉をくぐれば、大枝嬢からやんわりと窘められるのは間違いない。
そもそも強く叱るような人ではないが……最初から世話になりっぱなしなのにと思うと情けない気持ちになる。少しも恩を返すようなことができてない。
覚悟を決めてギルドへ飛び込んだが、いつも窓口の向こう側に異様な存在感を放っている、木がない。
代わりに、人族の男性職員が座っていた。
「……まさか、切り倒されたのか!?」
そんなはずはないな。いい加減に、そんな偏見は捨てないと。
「すいません、確認をお願いします」
「お疲れさん!」
自分から他の受付に声をかけるのは初めてだ。なぜか緊張するけど、手続きに変化はないはずだ。
タグを渡してから気が付いた。
こんな時こそ、他のお姉さんに話しかけるチャンスだったじゃないか!
悔しさを噛みしめていると、人の好さそうな職員が現実へと引き戻した。
「珍しいな。草刈りは休みかい?」
「あ、はい」
タグの内訳を確認し終えるのが早い。昨日の昼頃だっけ、強制終了だし当たり前か。
あれ?
「報告前に買い物してしまったけど、分かるんですね」
「水晶側に残留するからね。ああでも気を付けて。これも体に滞留するのと同じで、期限は一日ほどなんだ」
危ねえ!
どうせなら一番の大物を倒した記録が残らないのは悲しいからな。
二度目はないかもしれないし……。
俺が倒せるレベルの魔物なんて、見かけたら討伐してねというものだ。わざわざクエストボードで個別に依頼が貼られることなどない。
そんなでも、報告をすれば実績として数えられるとのことだ。能力的に認められる内容でもないから、積極的に魔物を討伐していますよという素行の良し悪しを判断するためだろう。
成績は足りないけど、出席率は高い真面目な生徒さんですよ!
むなしい……。
ひがむのはやめるんだ。信頼度が上がるのだって良いことだ。
そう考えれば、憎たらしいカピボーですら俺の実績を上げ底してくれる可愛い奴に見えてくるような気がしないでもない。錯乱している場合じゃなかった。
「はいタグ。今後もこの調子でよろしく」
内心、何かツッコミが入るかと身構えていたんだが、この人も人族とはいえ、普段は普通の冒険者相手だ。感覚は一般的な冒険者向けにカスタマイズされてしまっているんだろう。
何も言われることなく、ほっとしてタグを受け取り首にかけていると、不意打ちを食らった。
「しかし人族が、ここまで頑張ってくれてるとは思わなかったな。俺の手柄じゃないが、鼻が高いよ」
う……。
にこにこ顔で言われると胸が痛む。昨日の俺の駄目っぷりを、この人が知っているはずもない。
「大したことは出来ないですが、これからも頑張ります。はは……」
俺は逃げるようにギルドを出た。
「やべ。小走りもまずいかな」
痛みがないから、つい走ってしまった。傷は塞がったといえど、気分が悪くなってもおかしくはない。念のためゆっくり歩こう。
歩きだしたが、ギルド脇にある右手に見えた道へと視線は止まった。大通りほどではないが、そこそこ広めの道だ。雰囲気は表とそう変わらない。長屋の合間に食堂や総菜屋が目に付く。
宿方面へ抜ける道もあるかな。ちょっと見てみるか。
へえ、こんな田舎町にオープンカフェなんて洒落た場所があるんだな。
道を曲がってほどなく、長屋の狭間に忽然と空間があり、ログハウスのような店が建っていた。その手前にはウッドデッキと呼べそうな板張りの床があり、囲む柵もある。埃っぽくくすんで、ささくれ立ってるような木製のテーブルや、背もたれのない四角い椅子といったみすぼらしさを洒落たと言っていいか分からないが。
この光景、どこかで見たぞ。
「デジャヴってやつか」
ちょうど記憶の光景と同じく、角の席には巨木が座り本を読んでいる。
ゲームの説明書にあった挿絵と同じだ。
「大枝嬢!?」
いつもと違い、ギルド職員の証であるモスグリーン色の制服を着ていない。とはいえ、色は淡いブルーだが似たようなローブ姿だ。体の作りに合わせると、同じような格好になるのかもしれない。
俺の叫びに木人間が、ギギギと首を上げた。
「あら、タロウさん?」
まず。うっかり心での呼び名が出てしまった。
「あ、こ、こんにちは。ええと今日はお休みですか」
「ええ、そうでス。タロウさんは早めの食事ですか? この店はすぐに席が埋まってしまいますヨ」
え、ここって飯屋なの?
広い入り口にある庇の上には、巨木をそのままスライスしたのか波打った横長の看板が掲げられている。カフェでも食事処でもなく、飲み屋と書かれてあるんだが……まあ、そんなところもあるか。
「あら、すでに埋まってるようですネ。こちらの向かいをどうぞ」
確かに、どの席も埋まっていた。俺の視線を追って大枝嬢も振り返っていたが、勘違いされたらしい。ものはついでだ。他の食堂にも興味はあったし、ありがたく相席させていただいた。
「この店には初めていらしたのですカ」
「はい、街のことも把握したいなと歩いていたら、目に留まったもんで」
なぜか俺は、大枝嬢と茶をしばいている。
金を使うのは今日だけだから。ついでにしては、高い出費だったが。
こっちの紅茶らしい飲み物と、軽食らしいラザニアもどきのセットで500マグだってよ。以前食った定食が安かったのは事実だったというか、ここも安いんだろう。日本にも百円モーニングとかワンコインランチとかあったもんな。
おっさんとこが安すぎるのが、良いけど良くない。
もぐもぐとラザニアもどきを口に押し込み、本を読んでいる大枝嬢の様子をちらと窺う。本と言っても、粗い紙束の真ん中に折り目をつけて紐でくくっただけといった体裁のものだ。
こっちにも娯楽向けの本なんて存在するんだろうか。
ハッ! もしや、腐った本を読んでいたりしないだろうな。
いやいやこう見えて美少女書院とか聖女の友とかそっち系の趣味かもしれない!
「タロウさん、お口に合いましたか?」
「ハイなんでもありません! おいしいです!」
相席してるだけで、無理に会話する必要はないんだし邪魔をしちゃ悪いよな。
と思ったけど、興味を引いてしまったらしい。
「もしかして何か、ご質問がありましたか?」
「ええ、いや、何を読んでるのかなと、余計なことをすみません」
大枝嬢は少し恥ずかしそうに頬に手を添えた。
「これですか。実はギルドの報告書なんでス。外でまで仕事なんてと、シャリテイルさんにも止められるのですけれど、つい気になりまして」
「仕事でしたか……」
「最近は繁殖期や遠征がありましたからネ。魔物数の変動や、討伐率などの調査結果を確認していたのでス」
「ですよねー」
大枝嬢から視線を逸らす。
妙な内容など微塵もなかった。反省しなさいタロウ。
「申し訳ありません」
「ええっ? どうされたのですか」
俯いたまま、白状した。
「俺、また沼地に行って怪我しました。コエダさんの忠告を、無視するようなことになってしまって」
顔を上げると、いつもの困ったような顔があった。
「タロウさん、冷める前にお茶を飲みましょう」
大枝嬢は木製のジョッキを手に取り、俺に向けて掲げた。
この店の紅茶は、ジョッキで出てきたんだ。麦酒が一押しらしく、夜には飲みに来てねという宣伝なんだろう。
俺もそのジョッキを手に取り掲げた。
大枝嬢は微笑んで、茶を飲んだ。同じように、紅茶よりやや苦みのある生温い液体を口に含む。
よく分からないが、気にしなくていいということらしい。
「怪我をしても、これだけ何度も無事に戻っていらっしゃるのでス。きっと私の判断が外れていたのでしょう。タロウさんがご自身で判断して行動した結果ですから、それがタロウさんに合った難度なのだと思いますヨ」
……やっぱり、大枝嬢は親切な人だ。
俺は何も言えず、また俯いて茶をすするしかできなかった。




