65 :泥沼の主
「どぅ、りゃあああああっ!」
気合いそのものを叩きつけるがごとくに雄叫びを上げ、剣を力任せに上段から振り抜く。
「ケャキーッ!」
身を震わす、おぞましき断末魔がキモケダマより発せられ、やがて煙となりタロウのタグへと吸い込まれていった。
そう、タグだけにだ……。
「俺、馬鹿じゃね?」
マグ獲得量なんて宿に戻ってから確認すればいいしー?
コントローラーは置いていっていいよねー?
だってよプギャー!
「倒した時になければ、吸い込まないだろうが、よっ!」
「キェャゥ……ッ!」
最後の四脚ケダマを切り捨てると、休憩のため足を止めて水筒から水を呷った。
「くっそーしくじったな」
でもどうなんだ。あれ、本物のマグとは思えないよな。実体でないなら分裂とも違うだろうし。タグとは無関係に、得た分をカウントしてるだけなのか?
マグは大体一日は体に滞留しているようだから、戻ってコントローラーに触ったら加算されるかも。駄目かも。消える前に確認だけはできるか。
どのみち、無駄になるとしても今日一日分だけだ。はぁ……。
「ったく、ケダマのせいで時間を取られたな」
当然のように草原側からショートカットして泥沼面へと入り込んできたのだが、律儀に南の森から突入するよりは楽だというだけで、距離はそれなりにある。
前回、途中で襲われなかったのは運が良かっただけだろう。
それとも、これが上位者のいない影響なんだろうか。
こんな奥の森の奥地である泥沼よりもさらに奥を、中ランク以降の冒険者たちが探索している。そいつら上位者が抜けた影響が、体感できるほどって……。遠征組の戦力がどれほどのものか考えると恐ろしいな。
余計な無茶は、なんとなく疲労の少ない午前中に済ませようと決めた。
現状を打破するためには、無謀な行動だって不可欠だ。その中での、ささやかな安全策、というか折り合いをつけるにはちょうどよい条件と思ったんだ。
聞いた情報も知って損はないし有利なことは多い。それは事実だ。
だけど俺のように不慣れで、しかも考えなしなやつが、鵜呑みにしすぎるのはよろしくない。たとえばクソ魚は地表すれすれに潜って移動するが、そんなことは、ただ沼地に潜んでいると聞いただけでは思いもしなかったことだ。
だから現場に来たなら、いったん知識など脇に置いて、目にし肌で感じたありのままの情報を体に叩き込んだほうがいい。
湿った地面が見える木の陰に潜むと、頭だけだして辺りを見渡す。
全方位に気を配らなければならないが、常にってのは無理だ。
この街で、俺は草食系ボーイかもしれないが目は側面についちゃいないぜ。
地面の方は気付き辛いが、頭上は葉を揺らす音なら聞こえる。風でそよぐのとは違うから、目で見るよりも気付きやすいだろう。
それでも、キョロキョロと伺いつつ泥沼へと近付いているが、肝心なことを忘れていた。
ズボッ――ぎゃああっ!
危うく叫ぶところだったが、どうにか叫びを飲み込む。
突如足が地面に沈んだだけです。
どのへんが沼の境目かよく分からない場所だなあと、前回は慎重になっていたというのに。警戒能力の限界を超えていたらしい。
今ので気付かれたかもしれないし、これ以上沈まないうちに戻ろう。
あーあまた洗濯が大変だよ……。
渋々と地面が安定しているところまで下がってきた。
「この何もしてないのに負けた感」
再び木陰から沼の境目辺りを凝視する。遠目であればそこそこ分かり易い。
近付くのは無理だし、また石でも投げておびき寄せるか?
そういえば、フナッチも一匹だったから助かったが、いっぺんに出て来たりしないのかな。
この場所にいるはずの魔物は、既に見たフナッチの他に二種だ。
ノマズという魔物は、ナマズとオタマジャクシを合わせたような姿で、髭はあるが口はない。絵ならともかく、実際に目にしたら想像するだけで気持ち悪そうだ。
もう一つはタヌシ。
黒い貝殻からタヌキの顔が生えたグロイやつだ。水中どころか土中でどうやって生きていられるのか不思議な造形だな。いや生き物じゃないか。ええい、中途半端に擬態しやがって。
そうだ、ゲームには存在しなかった、もう一種もいるんだったな。
結界を抜けてくるらしい魔物だが、常時発生するやつではないか。
そういや泥沼から来るとは聞いたが、どんな姿かは確認してなかったっけ。
知らない魔物なら、逆に分かり易いだろうし、出たらとんずらすりゃいいか。
ふうと一息ついて周囲を見回すのに体勢を変えると、踏みしめた足元が緩い。
「まだフナッチの行動範囲か」
もうちょい距離を取ろうか。そろそろと下がる。足音はべちゃべちゃしているがキニシナイ。
あまり離れても、今度は四脚ケダマと遭遇しそうだ。
木の陰に背を張り付けるようにして剣を握り直し、深呼吸する。
石を拾って、沼を振り向く。
ズボッ――ひいっ!
地面を抉る音は、背後の森側からだ!
「一体、なにがって……お前!」
「モゲゥ?」
地中から、湿った土で体毛をべたつかせた上半身を出しているのは、よりによって、モグー!
手にしていた石を鼻面に投げ、側面へと回り込む。
もうあの硬いヒレと正面切って戦うかよ!
意外と素早いし跳ねるからな。完全に外に出られる前に、ケリをつける!
まずはモグーの頭に目をやるが、葉っぱがない。まだ生成中か?
なら心置きなく突っ込む!
胴体の弾力で弾かれないようにと、剣を腰に構えて一直線に走る。
うねうねと震えるように地中から這いだした尻に、躊躇なく剣を突き立てた!
「ゲェグルーッ!」
「クソッ……なんだこいつ!」
剣は胴体を貫いたが、すぐには消えない。
つか、抜けねえ!
手を放して距離を取ったが、刺さった剣を抜こうとしているのか、モグーは体を捩って蠢いている。残念だがヒレのような腕は短すぎて届かない。
「ままよ!」
尻に刺さった剣の柄へ向けて、思い切り蹴りを見舞った。
より深く刺さった剣は表皮を貫いて裂き、血のようにマグが溢れ出た。
「モゲテゥ……」
飛び退いてナイフを取り出したが、モグーは消えていった。
後に残された剣を急いで拾いあげ、さっと刃を確かめたがヒビも欠けたところもない。安堵してナイフの方を鞘に戻しつつ、周囲を見渡した。
他に魔物の気配は、ない。
「心臓に悪すぎだって」
すっかり忘れていたが、モグーも奥の森面の魔物だった。
こっちから探さないと見つからないのかと思い始めていたってのに、余計なときに出てきやがって。
頻度は少なくとも会わないことはないとなると……戻った方がいいか?
出鼻をくじかれて、どっと疲れた。
そんな風に、魔物の生息地で逡巡してる暇があるなら動けって。
そう、改めて胸に刻むことになった。
戻ろうと踵を返したとき、振動があった。
出所を振り返れば、地面が波打っている。
「しまっ……」
地面が弾ける地点を視線は捉えたが、鈍い体がとっさに動けるはずもない。
傍の木陰に入るように動いて、真正面からの突撃は躱せた。
が、片足への衝撃のあと吹っ飛ばされていた。掠めただけだってのに!
黒くぬめった物体が着地し泥をまき散らした。片目に入り、痛みにもがきながらも必死に視界を確保する。水筒を取り出す暇なんかない!
細い体の先についた丸く巨大な頭が、こちらを向いた。
口のない平べったい顔には、小さく赤い目が暗く輝いている。
レベル14の魔物、ノマズだ。
モグーより体は細身だが、頭部は俺の胴より大きい。着地の感じから重量もかなりありそうだ。どうやら、こいつのパワーはモグーの比じゃない。単純に体力だけでなく、生命力もフナッチより高いだろう。
ノマズは細く平たい体を左右に揺らしながら進んでくる。
なんで、手足もないのに素早いんだよ!
よく見れば、でかい頭の影に隠れたヒレが見えた。
やっかいな!
まだ痺れたように痛む足を引き摺り、木を回り込みながら接近するノマズの顔を剣で突く。口がないから咥えて持っていかれることはないだろう。
牽制のつもりだったが、あまり効いてるとは思えない。片手でうまく固定できないせいか重量差のせいか、ほとんどが滑ってしまう。
突く度に距離を詰められているようで焦りは募った。
「このヌメヌメ野郎……脂ぎった顔近付けんな!」
こいつの特殊攻撃はなんだ。思い出せ。思い出せって!
剣で突くより押しのける距離になり、ノマズはわずかに動きを止めた。
思い出したと思ったのは、ノマズの髭がしなったのを見たからか。
指ほどの太さがある二本の髭の一本が俺の足を絡めとるのが、やけにゆっくりと見えていた。だというのに、もう一本の動きは捉えられなかった。
はっきりと見えたのは、腿を貫通した後だ。
髭はゴム管か何かのように小さな瘤ができては移動していく。先まで貫通してるのだから管というわけではなく、波打ってるだけのようだ。
なんで、お前のような気持ちの悪い奴が出来上がるんだろうな!
その気味の悪い動きにも意味があった。
波打つ度に貫通した傷を開くようで、流れ落ちていく血の量が増えているようだった。
やけに視界がはっきりしたようでも冷静ではなく、恐慌状態には陥っていた。
どこか遠くに聞こえるようではあったが、自分が叫んでいるのは感じていたし、剣を振り回してもいた。
ただ、殻の剣を振り回しても、大して効いていない。重量もないから大した打撃にもなってないだろう。気が付けば座り込んでいた俺に、行動を阻害しようとのしかかってくるノマズを、剣と絡めとられていない方の足で押して距離を取りつつ、どうにかナイフを手に取っていた。
こっちの切れ味でも駄目なら、どうしようもない。
自分の足まで切りそうだったが構ってられない。髭を断つようにナイフを振り下ろす。弾力によるわずかな抵抗は感じたが、ぶつんと切り離されていた。
切れた先の髭は、マグとなって溶け落ちていく。
ノマズには痛覚のようなものは薄いのか、髭がなくなったことに驚いたようではあるが暴れないし、口がないからか叫びもしないな。
動きが鈍っているのはチャンスだ。
殻の剣を手放し頭にまたがる。逆手に持ったナイフに力を込め、首の根元に突き立てた。
暴れるノマズから振り落とされないように、刺さったナイフの柄を両手でしっかりと掴み、体重を乗せて抉る。
どれほどそうしていたのか分からない。
気が付いたら、地面に倒れていた。
ノマズの姿はない。
体のあちこちが痛む。木にぶつけたか、ノマズの尻尾に殴られた痕か。
どうにか這いずって、乾いた地面の位置まで移動した。
ここのところ、レベルは上がっていない。
それなりの数を片付けてきたし、二桁レベルの敵を倒したなら、そろそろ上がってもいいはずだ。
なのに、妙な活力が湧く気配はない。
引き摺った体を起こし木に背をあずける。血が止まっていなかった。
応急処置しないと。布を取り出そうとして、頭に巻いてるのを思い出した。
傷口の上に布をあて、予備の紐を取り出して縛った。
まずは、草原まで抜けようか。
ふらつくが歩ける。
ああ、そうだった。マグ回復。
こんな時のために、魔技石を買ったんじゃねえか。
震える手でポーチを開け、取り出す気力もなくそのまま握りつぶす。
効いてるのかは、さっぱり分からない。
「ぅ、ぐ……」
さっきまでは不思議なほど大きな痛みがなかったのに、じくじくと疼くような痛みが戻ってきた。
「森を、ぬけない、と……」
軽くなっていいはずの眩暈は、ひどくなっていく気がする。
回る視界をなだめるように、木々を伝いながら歩いた。




