56 :看板作り
立て看板と吊り看板を受け取り、裏手へ回った。
おっさんから道具は裏にあると言われたのは、薪置き場も兼ねている小屋だ。普段使いそうもないガラクタや外用の掃除道具などなど、なんでも放り込んである。そこから、目ぼしい道具を取り出した。
共同井戸の側が少し開けているからそこを使わせてもらう。
そういや、共同のはずだが人とかち合ったことがないな。俺が使う時間帯と、近所の人との生活時間はずれているらしい。まあ普通、日暮れに洗濯はしないよな。
特に、乾燥機どころか脱水機さえない世界のようだし。
そうそう、それも本日服を買い足そうと決めた理由の一つだ。汚れたままよりはマシと思っているが、毎朝生乾きの服を着るのは嫌なんだよ。
さすがに我慢の限界が来た。というわけではなく、ちょっと小金が入ったから、今の内ってのが正直なところだ。どうせ次々と欲しいものは増えるだろうしな。
水に浸して絞った手ぬぐいで、まずは土汚れを落とそうと試みたが、こびりついた汚れは頑固である。この渋すぎる風合い、どう考えてみも年単位で放置してあったもんだ。なんで今さら、どうにかしようなんて思ったんだろうな。
いっそ新しく作り直した方がいいんじゃないかと思える。触った感じ、身が詰まったように重く分厚いし頑丈そうで、元は良い木材だったのかもしれない。だから使い回したいとかだろうか。
表面をうまいこと削れば、見てくれは誤魔化せるだろう。もっと誤魔化すならニスでもあれば楽ちんなんだけどな。そんなもの、あるはずもないか。
「ええいしつこい奴だ。俺に奥の手を使わせるとは大した奴よ……」
借りたヤスリを使う時が来たのだ。道具袋を漁ると、似たような道具が幾つかある。その中で、お好み焼きをひっくり返せそうなサイズを手に取った。
木目に気を付けりゃいいんだっけね。俺は図工の点は普通だったし、木工の知識も持ち合わせていない。使ったことがあるのは紙ヤスリくらいだ。慎重に表面へとヤスリを当てた。
まあ、なんとかはなったが……腕が、半端なくだるいです。看板は二枚あるし、一時間は磨いてた気がする。
ちょっと休憩がてら全体を見直した限りでは、デコボコした面はなくなった。ホラーっぽい染みはどうにもなんないけどな。
最後に硬く絞った布きれで粉を払い、周囲に散った木くずも水で流す。表面はこのくらいにして、次は文字だ。
紙にメモした文面を参考にしながら鉛筆で下書きし、看板を立ててバランスを確認。問題なし!
『エヌエンの宿』
飾りっ気なし、特大の文字だ。かっこわりー。
だがシンプルで見易いだろう。これは機能美と呼ぶのだよ。
凝ると彫るのが終わらなくなるからね。仕方ないのだ。
借りた道具類を探しても、子供のときに使った彫刻刀セットのような小型の道具は見当たらない。あったのはノミだけだ。使ったことはないが、テレビなんかの記憶を頼りに槌で背を叩いてみた。
初めは勢い余ってはみ出したりしたが、慣れると力を調節しやすい分、楽かも知れない。
彫刻刀では、板に変な風に刺してしまい、抉るのも抜くのも出来ず苦労した記憶がある。不器用なんだよ。
どうにか彫り進めていると、おっさんが通りかかった。
畑から戻ってきたようだ。近いから、こうして頻繁に戻ってんだな。いつも潜んでいるように見えていたことの、どうでもよい謎が解明できた。
「仕事が早いな。随分とスッキリしたじゃないか」
ちょうど良かった。字面などを確認してもらおう。
「こんな感じだけど、どうかな」
「おう、ヘンテコな字だけどよ。これなら遠目にも分かり易いだろうな」
ヘンテコは余計だよ!
修正は今の内だと伝えたが、おっさんの表情から、感触は悪くないようだ。なら気にせず仕上げてやる。
確認が済むと、この依頼について疑問に思ったことを聞いた。
「なんでまた突然、依頼なんて思いついたんだよ?」
確かに、読めねえと文句をつけたのは俺だけど。いきなりの依頼で、何か裏がありそうな気がしたんだよな。それでちょっと疑うような口調になってしまったんだが、図星だったらしい。
おっさんは、目を泳がせながら笑い出した。
「がっはっは……実は、他の店の奴らにつっつかれちまってなぁ」
誤魔化してるが、大通り沿いの店主方から、外面くらい整えろやって怒られたわけか。情けねえな! 俺が言えた義理じゃないけどさ!
「言われても、ずっと放置してたんだろ。なんで今さら?」
「がはは、お見通しか。おぅ、みんな諦めてたはずだ。別の理由ができたんだよ」
意外なことだった。どうも近々、王都から客が訪れるらしい。
「俺んとこに泊めなきゃならんほどの大人数が来るとは思わないんだがな。外れにあるとはいえ、仮にも街の大通り沿いだろ。目に付くことはありうるからってこった」
客といっても、この口ぶりじゃ行商とか冒険者じゃないよな。
「偉い人たちか」
「まあそうだが、貴族様々かってことなら、ちょっと違うな。ギルド本部からという話だ」
「へぇ、ギルドの本部」
つうか、ギルドにも偉いとか偉くないがあるんだ。いや、それくらいあるか。指示系統がしっかりしてなけりゃ、組織が安定して運営できるはずもない。
なるほどなー冒険者街だもんな。
ギルドの偉い奴らに見咎められたくはないっていう、他の住人の気持ちも分かる気がする。活気があるごちゃっとした感じならまだいいだろうが、廃墟っぽさがあるもんなここ……。
困っていたのも頷けたと俺が密かに納得していると、予想外の言葉が続いた。
「それで人手が欲しかったのは確かだけどな。息子が余計な事したろ」
「シェファが? 俺が余計なことしたなら分かるけど……薪を買って貰ったのは、まずかったか?」
「おう、それでい。あいつ、時間を作りたいからって持ちかけたんだ。だからって雑用がなくなるわけじゃねえってのに」
「シェファの管轄だと聞いたから頼んだけど、まずければ取り消してくれよ」
「任せてるのは本当だし、それはいいんだ。甲羅は拾えたらどんどん持ち込んでくれ。助かるからな」
じゃあ、何を気にしてんだ?
どうやらシェファは、時間があれば西の畑に手伝いに行っているらしい。勤勉なやつじゃないか。と思ったのは一瞬だった。
「気になる娘っこがいるらしくてな。良いところ見せたいのか調子に乗ってんだ。それで……」
ああ、ええと、なんかそこら辺には踏み込みたくないな。
ぶつぶつと文句を言い始めたおっさんの話を半ば聞き流しながら、看板の文字を彫る作業に戻った。愚痴りつつも、そわそわしているところが地味にイラつく。
すまんシェファ。
お前の黒歴史になるかもしれないことを知ってしまったが、誰にも言いふらさないと誓おう。
あの時は交渉成立で盛り上がっていたと思ったが、企みが成功したような空気はそういうことだったのかよ。
くそう……俺だって追っかけまわしたいというのに!
「というわけでな。その詫びと思ってくれよ」
「分かった。ありがとう」
俺はありがたいよ?
でも、そんなよく分からないことで依頼なんかしていいのか。宿泊代のほとんどを宿のオーナーから賄っちゃったら、それってただの住み込みの従業員じゃね?
まあいいか。なかなか面白い仕事ではある。
おっさんはお喋り相手が欲しかっただけに違いない。嬉しそうに愚痴ると、再び畑へと出かけて行った。宿に戻ってきたんじゃなかったのかよ!
彫った文字を小さめのヤスリで滑らかにし終えたところで腹が鳴った。昼は、もちろん宿の弁当だ。ほんとに住み込みの従業員の気分になってきた……。
「フゥ……一段落ついたかな」
慣れない道具でカクカクしている不格好さは、いかにも素人が作りましたという趣だ。
だが初めてにしては上出来だろ。後は焼きを入れれば、さらに見やすくなるはずだ。
手早く食べ終えると、七輪のような石の入れ物を引っ張り出して、中に火を起こした。ストンリに指定された焼きごて用の道具の先を炙る。
半田ごてでの結線作業などは冷や汗流しながらだったが、サイズは大きくそこまでの緊張はない。微かな芳ばしさが鼻をくすぐる中を、丁寧に文字の溝をなぞっていった。
すべてを終えたときには昼も半ばだったが、やり遂げた感覚は気分がいいものだった。
道具を片付けがてら物置の整頓も多少行い、看板をカウンターの裏に置くと服屋へ走った。
予定通りにズボンを買い、そして念願の部屋着を手に入れた。
作業用の丈夫なズボン一つで500マグだ。高いと思っていたが、これも投げやり値段なんだろう。
部屋着の方は、ただのシャツとペラペラのズボンを合わせて200。500以下は100マグ単位が多く、これも投げやりな感じはする。
それでも、必要なものとはいえ、装備以外の出費は思ったよりも胸が痛んだ。
「その分、また取り戻せばいいんだよ」
そう言い聞かせて、午後は草を刈りケダマ採取に励んだが、どうにも我慢できずに森の中まで魔物探索してしまった。
さすがに昨日の今日で、奥の森までは行ってない。それに戻り際に日が暮れると大変だからな。
ここ数日無理をしたからか、やけに南の森が楽に感じていた。




