50 :冒険者としてやっていかなきゃ
シャリテイルとストンリのひどい会話を聞き終えてベドロク装備店を出る頃には、すっかりテンションは下がっていた。
「なにをむくれてるのよ? あっ話してる内容が高度過ぎたのかしら。ストンリったら細かいのよね」
「べつに」
俺の心に対する高度な消耗戦か?
まあ、いいんだよ。在庫処理だろうが役には立ってるんだ。役に立つのは俺だからだろうが、道具はレベルに合ったものがいいし。そうに決まっている。
俺は徐々に高みに上る楽しみを、取り置きしてるだけなのさ。
日は暮れかけていたが、まだランタンは必要ない。頓珍漢なシャリテイルのお喋りを聞きながら裏路地を抜ける。表通りに戻ると、シャリテイルは通りの南へと体を向けた。
街の南西には、農地従事者向けらしい住宅地がある。道具屋のある通りを西に行ったところだ。
街の南東にも同じように住宅地があるらしいが、そっちは冒険者の区域だ。以前大枝嬢にアパートの賃貸について話したときに、ちらと聞いた。多分シャリテイルは、そこに住んでるんだろう。
じゃあ、と挨拶しかけるシャリテイルを呼び止めた。
「紙とペンが欲しいんだけどさ、日用品店にあるよな?」
「あるけど閉まりそうね。雑貨屋のが近いわ、急ぎましょ」
わずかに歩いたところにある店の前には、表に置かれたベンチサイズの台の上にまで商品があふれている。
竹ぼうきのようなものとか、竹籠のようなものとか、竹編みバッグのような……ようなものばかりなのは、竹林なんか見覚えがないからだ。ゲームにもそんな場所はない。それらを店員が店内にしまっているところだった。
これは選んでいる時間はないと、慌てて安いメモ紙と筆記具はないか尋ねる。
三束組みだと言って渡されたのは、豆腐なみのブロックだ。葉書大で、目が粗く分厚い束の上部に二つ穴を開け、紙紐で括っただけのもの。フラフィエから渡された依頼書とも同じに見えるが、一度だけ行った食堂の店員が注文に使ってたやつでもある。
基本はみんなこれを使ってるんだろう。商利用向けだから分量があるのか、たんに単価が安いから多いのか。なんにしろ俺の用途も量がいるしありがたい。
問題はペンだ。
ギルドで見た羽ペンとインク壺が思い浮かんで、扱いが面倒だと考えていた心配は杞憂だった。なんと鉛筆があった!
実際は鉛筆ではなさそうだが、見た目は似ている。芯には木炭を使用し、それを木の板で挟んでいるらしい。先が減った分は鉛筆のようにナイフで削ればいいようだ。
鉛筆以上に割れやすそうだけど、慣れないつけペンなんてものよりいい。ただし一本500マグもする。紙と合わせて800マグ……。
思い切って購入した。
店を出るとシャリテイルが興味津々に見ている。
「不思議なものを欲しがるのね」
新人冒険者がまず買うものではないだろうな。
帰ろうかと思ったが、ついでだし聞こうと思っていたことを尋ねることにした。未だ見ぬ英雄の名前についてだ。どう絡めようか。
「そうだシャリテイル、ええと、シャソラシュバルさんって知ってる?」
超直球!
恐る恐るシャリテイルの様子を伺うと、呆けて固まっている。
緊張してきた。
なにか、地雷でも踏んだか?
直後、シャリテイルは地面にしゃがみ込んだ。膝を抱えて震えている。
俯いた頭から、空気を引き裂く音が漏れ出た。
「プ、フヒーッ!」
俺はシャリテイルが魔物化する呪文を唱えてしまったのだろうか。
「しゃ、そらしゅ、ばる、さんだっヒー!」
「な、なんだよ。そんなに可笑しいかよ……」
ぶひゃぶひゃ笑うのやめてくれ。通りすがる人目が痛い。
いつ笑いが治まるのかと待っていたら日が暮れ、渋々とランタンに火を点したところで、むっくりと立ち上がる影。立ち直ったシャリテイルは、真顔を作ろうとして失敗しながら言った。
「あのねタリュ。シャソラシュバル、さんっていうのは、称号よぴひっ」
「称号……あ、そうなんだ」
どうやら騎兵の一部で、特筆する働きをした者がそう呼ばれるとのことだ。
「随時面白質問をお待ちしてるわよー!」
シャリテイルは笑いながら、なんの罪もない通りすがる人を脅かしつつ走り去っていった。すっかり夜道だ。顔真っ赤だとしてもばれなかっただろう。
なんてこった、称号、ね。クソッ、そう来たか!
ゲームの名前入力時にデフォルトで入ってたんだぞ。それでシャソラシュバルという英雄の跡を辿る話って書いてたら、名前だって思うだろ!
熱い顔を叩きつつ、宿への道を急いだ。
宿に戻って雑事を済ませると、狭いサイドテーブルの前に椅子を移動する。初めて椅子を使ったな。普段は壁沿いに置いて、荷物置きにしか使っていない。
「まったく、称号とはなぁ……。ええい、謎は解けたんだ。デスクワークに励もうぜ」
初めはゲームと似た点ばかりを気にしていたが、最近では基本は何も知らないこととして頭を切り替えるよう努力はしている。そうして知ったことから、ゲームとの差異を吟味するといった感じだ。
それらの、今まで気になったことを書き出そうと思うんだけど、ゲームの知識は書かなくてもいいか。
こっちの魔物と素材、それに強化の情報は書き留めておこうか。今後も続々と増えていく予定だし。増えるはずだ。増やすんだよ。
「一応、カピボーから書いておくか」
そうしてしばらく鉛筆もどきを紙面に走らせていた。芯が太くて柔らかく、細かくは書けないが、インクを零しそうな緊張感がないのはいい。それにサラサラとした軽妙な摩擦音が耳に心地よかった。
「ええと、次は……」
書いたばかりのメモの横に、ゲームの画面や説明書などを並べる気持ちで思い浮かべる。
ふと、目にしているものが、揺らいだ。
「え……」
揺らいだのは、錯覚だ。
だが、その正体に気が付くと、手が止まった。
静寂に包まれ、急に外から聞こえる虫の音が大きくなったようだった。
もはや心地よさなど微塵もない。
鉛筆を投げ捨て、立ち上がる。
今にも叫び出しそうな口を押えて、部屋のなかを歩いた。
ぐるぐると意味もなく歩き、辺りに視線を彷徨わせる。
ここは、どこだ。ここは、別の世界だと再確認するように。
部屋を飛び出していた。
階段を駆け下り、井戸へと走る。
誰かが灯した明かりは、まだ残っている。
洗面器大の桶に水を汲み、灯りに近い棚の上に置く。息を殺して、波紋が鎮まるのを祈るような気持ちで待った。
薄っすらとしか分からないことに苛立つが、映っているのは確かに、自分の知っている俺自身の顔だ。
もう少しはっきり見えないかと、水面が波立たないように、そっと覗き込む。
意を決して、口を開いた。
「俺は、間違いなく、スミノタロウだ。そう……」
そうだろと、最後まで言い切れなかった。
息が止まり、自分の鼓動だけが響いてくる。
震える手で桶を戻し、部屋へ引き返した。
逃げたくても帰りたくても、他に行き場所はない。
落ち着け、落ち着け、落ち着けって……!
ベッドに潜り込み、重い上掛けを頭までかぶる。
今しがた目にしたことに耐えるように、奥歯を噛みしめる。
あまり字が綺麗な方だとは思わない。書かれた文字は、いつもの四角張った楷書だ。
ただ、その形状は、いつもの日本語ではなかった。
依頼書などで見る、この国の文字と、印象は変わらない。
揺らいで見えたのは、これまで当たり前に日本語として考え、書いていたものが、知らないものだったからだ。
説明書などの字とは明らかに違うのに、まるで生まれたときから、この世界に居たように、俺はそれを自然に使いこなしている。
翻訳機能でもついたのかと思っていた。
違ったんだ。
それを確実にしたのは、喋った時の口の動きだ。
日本語の動きとは、到底呼べないものだった。だというのに、意識して見なければ、違うということすら認識できないでいた。
なんでだ。なんでなんだよ!
考えようとして、考えたくなくて、ベッドの中で目を閉じたり開いたりする。
怖かった。
魔物と向かい合った時よりもずっと怖かった。
これまでは、漠然と帰れないんだろうと思っていただけだ。
それも今はというだけで、どこか、いつか、方法は見つかるかもしれないと希望を抱く余地はあった。
体が作り替えられたなら。
それは、確実に戻れないという証拠を突き付けられたようなものなんだ。
俺は本当に――死んでしまった。
そういうことなんだろ?
本当の逆境っていうのは、こういうことを言うんじゃないだろうか。
急変した環境に日々の苦労。それらは、日本でもごく当たり前に起こる日常の一部だ。バイトに明け暮れたくらいで、世の中を少しは知った気になっていた。社会に出てみないことには理解しきれないものなんだろうと思う。
お前は死んだと言われ、ヴリトラマンから新たな命を吹き込まれた、タロウの人生に重なる。
変えられた未来と、押し付けられた誰かの望みを自身の道へと重ねなくてはならなくなった。逆境にもめげず、修行を余儀なくされ、立ち向かうべく知恵を絞る。
それでも、腐ることなく正義のために戦う。正義のためというヴリトラマンの意思だけではないんだろう。
ただタロウは、必死に生き延びようとしたんじゃないか。
それと比べるまでもなく、俺は弱い。
戦う力とか関係なく、心が弱すぎる。
親父……本当にタロウはヒーローだったんだと、ようやく分かったよ。
◆◆◆
逃避に眠りたいと思いながらも寝付くのに苦労した割に、いつも通り目が覚めてしまった。そして、いつも通りに着替えた。ここに来てからの、いつも通りだ。
シャツを取る自分の手が、これまで両親と俺が育てて来た体ではないのだと思うと、目に映る全てが空々しく感じた。
目が覚めたら、何もなかったようにすっきりできると思っていた。俺の長所は、ひと眠りしたら全部忘れて、切り替えられることだと思っていたんだけどな。
記憶なんかない方が、よっぽどいい。
飯を食う気も起きないなんて初めてだ。
階下に降りるとそのまま出口へ向かったが、背中にでかい声がかけられる。
「タロウ、お早うさん!」
振り返って目が合うと、おっさんの目が鋭く細められた。
昨晩は騒々しかっただろう。注意を受けることになるかと近付いた。
「おはようございます。夜に廊下を走ってすみません」
「おう、ボロ屋だからな。音がでかいのは仕方ないってことよ。それより飯を作りすぎたから食ってくれ」
「いや、あんま腹減ってなくて」
出かけると言いかけたが、強く遮られる。
「いいから、飯は食っていけ」
「……分かった」
仕方なく、いつも座る食堂の奥の席へと腰かけた。
普段より時間がかかってる気がする。それとも、早く逃げ出したいと思っているからだろうか。
トレイを持って姿を見せたおっさんだが、置いても腕を組んで動かない。
いつもはさっさと引っ込むのに。食うまで見届ける気だろうか。
仕方なくスプーンを手にしてみたが、それで動く気配はない。
「元気に働くのに、飯は不可欠だ。食事をおろそかにするんじゃないぞ」
無言でいると、おっさんは珍しく話し始めた。
「お前さんも冒険者だろう。それも人族で頑張ってる。しっかり力をつけんとな」
「人族だから、俺はなんの貢献も……」
「貢献だ? 何を言ってるんだ。お前さんが、この食材を育てるんだよ。お前さん自身が食うもんを、自分のためにだ」
育てる、俺が?
「いいかタロウ。この町は何をやるにしろ、冒険者がいないとままならん。畑だって農夫だけでなく、冒険者と協力して守ってる。冒険者だって、一緒に育ててるようなもんだ」
普通の冒険者なら、そうだろうな。そうやって、互いに頼って頼られている。
だけど、俺に何ができたよ。
「農地じゃタロウの評判は上々だぞ。見事な草刈り技術だってな。視界を確保するのに、人手を割かずに済んでいる。その分、住民は時間を作れているんだ。それで、おまけの野菜を一つ増やせる。これを役に立っていると言わずして、なんとするかってんだ」
おっさんは、言うだけ言って出て行った。
草刈り技術ってなんだよ……。
湯気が鼻先をかすめ、食事を見下ろす。
いつものビーフジャーキーの欠片みたいな肉ではなく、大きめの塊が添えてあった。燻製肉かな、齧ると風味が木屑っぽい。
視界が霞むのは二度目か。
この世界でのお袋の味が、おっさん特製ってのも笑えない。
笑えねえよ。
歩いている内に、体の芯が温まるのを感じる。
おっさんが言ったように、飯は、ただ働くのに不可欠なのではない。
元気に、働くために不可欠なんだ。
そう、飯は力。
飯こそ、パワー!
「ああ働いてやるさ。新しい体ってことは、新生タロウ爆誕ってことだ!」
拳を固めて気合いを入れる。
走れ、奥の森に。
人族の限界など糞食らえだ。
慎重さなど知ったことか!
怒れ、この理不尽に。
悲しみを叩きつけろ、生活を脅かす魔物という存在に!
「でもヤブリンに食いつかれるのは御免だからな。藪刺し確認はしておこう」
「ャブリィーッ!」
藪を丁寧につつきながら、俺は奥の森をさらに奥へと突き進んだ。




