46 :親父の夢
視界はうすぼんやりとしている。
なんだか遠く、それでいてすぐそばにある光景だ。
見覚えのある人物。二人の背中が目の前にある。
彼らは日に焼けて明るい居間の畳に、肩を並べ胡坐をかいて座っている。
暑い夏の日だ。
開いた障子からは、眩い日差しが彼らの手前に四角い光の枠を作っている。
クーラーはなく、外からの風と古い扇風機がガタガタと首を回して二人の髪を揺らしていた。
親父と、小さな俺だった。
自分の背中が見えるというのも妙なことだ。
他愛のない話をしている二人をじっと眺めていると、この時のことを徐々に思い出した。
物心ついて間もないだろうか、それとも幼稚園には上がっていたかな。
親父が俺にビデオを見ようと言って、テレビの前に二人で陣取っているのだ。
親父は黒く四角いプラスチックの塊を俺に見せて、にこにこと笑顔を浮かべながら、その前時代の記録媒体であるビデオテープを再生機へと押し込んだ。スリットがテープを吸い込むように呑み込むとガチャッとはまる音がし、テレビ画面にはノイズが走る。数秒の後に映像が流れだした。
手書きのような文字で書かれたタイトルが、回転しながらズームして画面を埋め、勇ましい進軍ラッパのようなイントロがかぶさる。
俺は大きな音にビクッと肩を震わせた。
「お父さん、なにこれ。古い、映画?」
「ドラマだよ。お父さんが太郎と同じくらいの歳に憧れていたヒーローだ」
「ふぅん」
色褪せた写真のような色合いで映し出されたのは、大げさな動作を見せる特撮ヒーローだった。古ぼけた映像には、ちらちらと埃のようなものが掠め、「見過ぎてテープが伸びた」だとか親父は呟いている。
時に俺の反応を窺うように親父はこちらを見下ろしながら、「怖い怪獣だろう?」「でもヴリトラマンは負けないぞ」「ほらきた必殺技だ!」など合の手を入れる。
俺は不思議なものを見るように目を見開いたまま、なんとなく頷いていた。
全身ぴちぴちスーツの破廉恥なヒーローと、奇怪な着ぐるみ怪獣が四肢を振り回して睨み合いながら、ぐるぐると走り回っているだけにしか思えなかったんだ。そんなところばかりが気になって、肝心の話は覚えていない。
今でも解説できるのは、隣で一生懸命に語っている声を覚えているからだ。
ラスト・アルハゲ星からやってきた宇宙治安部隊員のヴリトラマンは、太陽系に配属され、地球の日本を拠点にすべく人気のない場所にテレポートした。
そこは滅多に人の通らないド田舎の細い国道だったが、景色が良く時にバイカーが訪れる。運悪く、その時ツーリング中のタロウを、なんとヴリトラマンが押しつぶしてしまった。
「いやぁ悪いね。私の命を手にしてヒーローになってよ!」
こんなところで死ぬよりはと渋々要求をのむタロウ。
しかしタロウは、なんの戦闘訓練も受けたことのない一般人。ただのサラリーマンだ。ヒーローになるような精神性に乏しいからと、印度の霊峰で修行をさせられるなど、タロウの日常は急変してしまう。
どうにかタロウが日本へ戻ると、悪い怪獣が海から現れ日本を襲っているところだった。ヴリトラマン・タロウとして変身した正義のヒーローは、派手な改造バイクで東京湾へと走る。
湾沿いに到着し怪獣との戦闘シーンというところで、なぜか砂の山を背景にした殺風景な工事現場に移動していた。
そこで二者は向かい合うと、謎のポージングで威嚇合戦を始める。動き出したかと思えば普通のパンチやキックを繰り出し距離を取り、最後はヴリトラマンの掲げた右腕が光に包まれる。必殺技『ヴリトラソード』という名のチョップが叩き込まれ、怪獣を滅殺しフィニッシュだ。
見終えた後、俺は目が点になっていた。
ぽかんと口を開けたまま静かな俺を、見惚れているとでも思ったのか、親父は腕を組んで背を反らし鼻高々に宣言した。
「どうだっ、格好いいだろう? こうやって、大変な境遇にもめげず、困難にも知恵を絞って立ち向かうタロウは、まさにヒーローの中のヒーローなんだ!」
清々しいドヤ顔だった。
残念ながら俺にはその辺の格好良さは微塵も理解できなかったが、か細く頷いていた。
「……うん」
荒唐無稽な設定で、あの時は目に映る奇妙なことしか頭に残らなかった。
含蓄のあるストーリーがあったといっても、最後は結局必殺技で一撃必殺だもんな。初めからそれ使えよ、なんて考えていたのだ。
もちろん、こんな擦れた言い方ではなく、今の言葉でいうなればだ。
だけど――。
今なら、少し理解できる気がする。
親父が呼びかけていた『タロウ』は、俺のことだったのだと思う。
何かを期待するように向けられた視線は、俺にそうあってほしいと願っていたんじゃないかと、そう思えた。
◇
懐かしい夢を見たな。
多分、初めて親父が番組を見せてくれたときだ。
その後も、度々見せようとしていたが逃げていた気がしないでもない。
だって見聞きする機会は、いくらでもあったのだ。もう洗脳だろ。間違いない。
あらすじだけでなく、映像や掛け声の記憶が鮮明な理由は分かっている。
後に親父は、LDからDVDやブルレと復刻版が発売される度に買ってやがるからな。居間から、ことあるごとに必殺技を雄叫ぶ声が漏れ出てくるのだ。
そんな時には、母さんは台所の食卓で本を読んで暇を潰していた。
「仕事で大変な時のストレス発散みたいだから、そっとしてあげてね」
後が面倒だから悪いわね~と、軽い声で念を押されたもんだった。
目を開ければ、変わらず異国の宿屋だ。いや異世界か。
怠さを振り切るように起き上がり、のろのろと服を着る。
これがホームシックというやつだろうか。なってもおかしくはない。
今まで自宅から家族と離れたことといえば、学校関係の旅行や合宿で一週間程度だったが、そのくらいじゃ帰りたいとは思わなかった。クラスのやつらと騒ぐのも楽しかったし、携帯ゲーム機もあったしな。
そう、見慣れたものに囲まれた小旅行で、家に帰れることを疑いもしなかったからだ。こんな状況なんて、初めての体験だ。
そういえば、こっち来てからゲームを遊びたいとも思えないのは不思議だ。
じっとしている時間がないからだろうか。必死だし。
それに自分の部屋と呼べる場所も、ないからかもな。長期で予約できるようになったとはいえ、宿は十日ごと。俺は稼ぐだけで精一杯。そして、必要なものはまだまだある。
知らず、ため息が出る。これが生活苦ってやつなのか。
重くなった気分を振り払って、部屋を出た。
朝飯にありつくと、今の現実へと意識を切り替えていく。
こんな仕事してりゃ頻繁に怪我くらいするだろう。だから次は装備を買おうと思っていたが高いもんだ。少しくらい、雑貨に回してもいいよな。昨日の反省を踏まえて、マグ回復の魔技石は買っておくべきだと思ったんだ。
体内マグの流失による眩暈は、立ちくらみや疲労から来るものとどう違うか言葉にするのは難しい。貧血の経験もないから、それと近いかどうかも分からないが、わずかにふらつくだけで動いていると気が付かない。そのくせ、休んで自然と回復するまで続くらしく面倒だ。まあそれは減った量によるのかもしれない。
翌朝も体が重いし、この宿屋バグってね?
本当にゲームだったら、一晩寝るだけで全快なのにな。
よし、決めた。
マグ小回復の魔技石は250マグだ。昼休憩には道具屋へ行こう。
宿を出て通りを歩いていると、気が付けば夢の内容を反芻していた。
ヒーロー……英雄か。
この世界にもいるはずだったな。
ゲームのタイトル、英雄シャソラシュバルの軌跡。今まで耳にしたことはなかったが、どこかに彼もいるんだろうか。大枝嬢に聞いてみるか?
いや、待てよ。その辺の、聞いていいことや駄目なことは何かと、来た頃にあれこれと考えたよな。
「そうだ、人族の冒険者は居なかったじゃないか」
だから俺が、そいつの真似事をしなければならないのかと考えた。それは恰好が同じなせいもあるが。けどゲームとは違い、人族の冒険者なんて歓迎されてなかったんだ。
そのくらいの齟齬は他にもあったし無視して考えるなら、そいつはこれから現れる可能性だってある。これから来るやつの名前を知ってるのは、おかしいよな。
密かに訊ねるならシャリテイルがいいだろう。
口は軽そうだが、いつも素っ頓狂なことを吹聴しているみたいだから、ちょっとくらい妙なことなら気にする奴はいないだろうといった期待がある。
もしかしたら別に珍しくもなんともない名前の可能性もあるし、それとなく名前の話に持っていけば……。
「おっすシャリテイルの名前って珍しいよな!」
「そぅお? 森林地方では、そうでもないのよ。タロウこそ珍しいわよね。レリアス王国では聞いたことないけれど日本人?」
なんて出身地方を聞かれたらまずくないか。日本人は知らんと思うけど。俺の想像力はいまいちのようだ。
まあ、いいか。急ぎでもないし。神出鬼没な奴だから、いずれ会うこともあるだろう。
伸び放題の草と、綺麗に刈り取られた場所との境目に到着すると、そこはまるで自分のテリトリーのような錯覚に陥る。
「今日も採取と草刈り作業続行。合間の魔物駆除は堅実に、安全第一で!」
自分に言い聞かせるように語調を強めた。
夢で思い出した言葉も、内心でつぶやく。
逆境にもめげず、頑張ろう――。
気だるさを吹き飛ばし、作業する足取りは軽かった。




