42 :拠点を決める
少しは満足して、早めにギルドへ戻った。
今日も忙しいかもしれないが、まだまだ知りたいことは多い。
その日を無事に乗り越えたと思えば、新たな疑問が湧いたりとキリがないというのもある。
忙しそうなら引き上げようと決めて覗くと、そもそも大枝嬢の姿がない。
精算をすべく別の職員を探して近付くと、窓口の向こうに、採取物を保管するためか所狭しと木箱が積んである。
いきなり大量に持ち込まれたのだろうか、職員の一人が幾つかの箱の山の間に顔を突っ込んで確認作業をしているようだ。
改めてギルド職員の服装に感じ入るものがあった。
淡いモスグリーン色の布を筒状にしただけのようなローブを、男女ともにまとっている。真っ直ぐストンと落ちる衣装からは、体格も分かりづらい。
体の形状からして様々な人種のいる世界だ。
画一的な印象を与えるところは、制服として優秀なのだろう。
しかし。
しかしだ。
制服のストイックさというものは、時に人の妄想を激しく掻き立てるものではないかね紳士諸君。
目の前に、しゃがみ込んで背を向けている職員。箱の合間に隠れてその顔は分からないが、筒状のローブは柔らかく体にフィットし、腰のくびれを強調していた。
そのくびれから下に向かって、大きくなだらかに膨らむ形は女性のもの以外にあろうか。
惜しい。
もう少し、中腰になって。
そうそう、こっちに尻を上げてくれないか。
え、立っちゃうの。
ああっ、もう仕事終えちゃうの?
「あら? タロウさん、お疲れさまでス。お待たせしてしまったようですネ」
恥ずかしそうに頬を赤らめている、ような気がする大枝嬢が、そこにいた。
ハッ……俺は今なにか不届きな妄想をしていなかったか?
気のせいだ。
目の前にいるのは大枝嬢だ。木の皮だぞ。
なぜだろう。
心のどこかがダメージを負っている。
俺はちょっとばかり情緒不安定になっているようだ。
今晩は早く休んだほうがいい。
「タロウさん、大丈夫ですか? 繁殖期ですから、苦労されているようですネ」
繁殖……うっ、頭が。
気をしっかり持つんだタロウ。お前も今やいっぱしの冒険者。このくらいの危機を乗り越えられずどうする。
「いえ魔物退治にも慣れてきて、調子に乗りすぎたみたいです。明日からは無理なく活動しますよ。人族らしく地道にねハハハ……」
「そうしていただければ、私も安心できまス。では精算しましょウ」
俺が呆然としていたせいで、大枝嬢の業務を妨げていたようだ。
慌ててタグと、採取したケダマ草を詰めた袋を渡す。
「多めの採取で助かりまス。まだ数日は人手が足りないですから、低ランクの方には生活に必要な依頼を、積極的に受けていただくようお願いしているんですヨ」
俺にはそんな通達はなかったが、そもそもそんな依頼しかこなせないもんな。
「そういや職員も少なめですね。討伐に参加ですか? なにやら荷物も多くて確認も大変そうだし。びっくりして思わず見入ってしまいましたよ」
俺は誰に言い訳しているのだろうか。
「ああ、この荷物は依頼とは関係ないのですけどネ。定期的に国からの物資援助があるのでス。確かに繁殖期と重なってしまって、なかなか確認が終わりませんネ」
大枝嬢は困ったような笑顔を浮かべて話しながらも、ケダマ草の確認を終えた。
次にタグのチェックだが、まずは俺の体に滞留していたマグをタグへと移す。
そしてマグ読み取り器の台座側面にある、スリットに差し込んだギルド側の水晶から、依頼額分のマグがタグへと送られていく。
そのギルド側のマグは、経費になるのだろうか。誰がどうやって稼いでいるのか気になった。
ああ、依頼者の支払いから、ギルドが仲介手数料を徴収しているらしいことを聞いたな。中ランク以降からも一部を納めるとか。ただ、その手数料から、ギルド運営の全てを賄ってるのかと気になった。さすがに、無茶だよな? 他の定番だと、素材の売買だろうか。でも、国からの援助があるなら、意外とそれで回っているのかもしれない。
なんにしろ低ランク冒険者は、こういった部分でも先人の恩恵を受けているんだよな。
とはいえ特に卑屈になる必要はないと、今ではなんとなく分かる。
依頼者だって、材料に大した支払いはできないだろう。その後の加工や製造もある。
だけど安く地味で不人気なケダマ草採取だって、必要なものだ。
パンツはみんな欲しいだろ? 別の意味は含んでないぞ。
だけどさ、できれば成長して地道にランクを上げて、後から入ってきた者に場所を譲りたいよね。
本日も、ついそんな殊勝なことを考えてしまうほどの収入でした。
収入1663――おお。
一日の収入100を目指せるかもと調子に乗っていたのが、いきなり四桁続きっすよ。ふぅ危うく腰を抜かすところだったぜ。
これは繁殖期のおこぼれだ。気を引き締めないと、また浮かれてしまう。
おっと危うく質問を忘れるところだった。
収入を見て、ランクのことで気になっていたことがあったんだ。
「聞いていいことなのか分からないんですが、ランクのことで気になりまして」
「はい、なんでしょウ」
「ええと現在、低ランク向けとお勧めされたエヌエンの宿にいます。もしかしてギルドと提携なのかなと」
どう考えても儲けのない宿屋だ。ギルドからの助成があるとして無期限なんてはずはない。
俺はいつまで滞在できるのか。それが心配だった。
「あらまあ、シャリテイルさんからのご説明はありませんでしたか? いえ忘れていても不思議では……こほん」
シャリテイルめ。親切なんだが、どこか抜けてるな。人のことは言えないが。
あ、案内された日は、俺が体調崩して引き上げたな。
その後に会ったのも数日後だった……俺のせいな気がする。
それは置いておくとして、大枝嬢の話によると、やはり期限というか条件はあるみたいだ。
それはほぼ、俺の考えた通りのことだった。
エヌエンの宿代が激安の秘密は、予想した通りだった。
「はい、新しい低ランク冒険者の登録があれば、お譲りいただくことになりまス」
それを大枝嬢も事務的に解説してくれるため、どこの街でも取られている措置なのだろう。
痛む胸を宥めつつ、他の選択肢を探る。
「そういった宿は、他にもあるんでしょうか? 中ランク以降向けとか」
「いえ、大抵は新たな街で不慣れな方への一時的な斡旋でス。すぐに指定の宿舎や、冒険者向けの区画にある集合住宅へと移られますヨ」
えっ、みんな宿暮らしじゃないのかよ!
いや当たり前、なのか?
なぜか冒険者は宿屋暮らしというイメージがあった。
「その部屋を借りるのは、どのくらいかかるんでしょうか」
そこで、はたと大枝嬢は気遣うような表情を浮かべ、説明は歯切れの悪いものへと変わった。
「そうですネ……最も狭く安い部屋で日に八百マグですが、前払いとなりますし、初回には三巡り分の保証金も必要でス。保証金がなくとも入居はできますが、代わりに家賃へと日割り分の二百マグが上乗せされてしまいまス。ですが、その部屋も現在は埋まっておりまして……」
日に800マグときたか。しかも、安くて。
しかも前払いで一月分ということなのか、まとまった金がいる。それに保証金か……普通といえば普通のことだが、あいたたた、胃が……。
しかし分からない表現もあるな。
「あの、三巡り分……?」
「ええ、十日で一巡りの契約が一般的ですから不安に思われるでしょうが、この街は辺境ですから……言いづらいのですが、早々に怪我などされてしまったときのためには、貸し手と借り手のどちらにとっても必要な猶予となるでしょウ」
ほ、ほほぅ、ここは十日が一区切りなのか。何気なく一週間なんて言ってたような気もするが、もしかしたらその一巡りのことと思われてそうだ。
で、それが三巡りだと約一月と。あんまり元の世界との違いはなさそうだ。
しかし保証金の理由が重い……。
確かにその心配はあって当然か。
保証金の詳細を尋ねると、一定の稼ぎを得られる中ランクになれば、その使い途を選べるそうだ。
例えば、そのまま暮らすなら修繕や改装に使うとか、広めの部屋に移るなら、そちらの保証金へと回すとか、もちろんそのまま返還を望んでも構わないらしい。
なるほど。
大枝嬢が何も言い出さなかったのは、俺の収支を目にしているのだから当然だ。
普通はどれだけ稼ぐものなのかが、垣間見えた気がして胸がさらに痛む。
ま、負けんぞ。
「気落ちしないでください。そう、そうでしタ! もし他の方がいらっしゃったとしてもですネ、ギルドがエヌエンさんと提携しているのは一部屋だけなのですヨ」
暗い気持ちに項垂れてしまっていたらしい俺に、慰めの言葉がかけられる。
背筋を伸ばし直して、大枝嬢の言った意味を考えるがよく分からない。
他の部屋は割高と聞いてはいたが、その理由が部屋毎の契約だったからと知れて、納得できたくらいだ。
「ですから、他の部屋にお泊りいただくと良いと思いますヨ。通常の宿泊価格になりますが、保証金はもとより、まとめ払いも必要ありませんし、もともとエヌエンさんの宿はお安いのでス」
そうか、先立つものがないのだから、保証金を払わずに済むだけマシなんだ。
それに他の宿より安いときたら、選択肢はないな。
あのボロさと狭さでアルティメットレアロイヤルスイートルームがありますなんて言われても困る。何かゲームと混ざったが、そんな宿泊プランがあったとしても、せいぜい屋根裏部屋に干し草ベッドのスペースしか確保できないだろう。どこのハイジだ。
すっきり気持ちが軽くなり、大枝嬢に礼をするとギルドを出た。暗い道をランタンを手に歩く。これから戻る宿には、いつまで居られるのやら。
いずれは部屋を借りることも気にしなければならないだろうが、他の空き部屋を当てにするなら、当分は考えずに済むだろう。
「宿屋の相場を聞き損ねたな」
聞いた家賃は最安値で一日800か。
俺には高いが……幾つかの物価と比べる限りでは、これも格安だろう。
そうなると、宿代はもっと高くなるよな?
出費といえば、明日は装備屋に行く前に日用品店によってロウソクを買い置きしておかないとな。使うなら金が入った今しかない。鞄の荷物は増えるばかりだ。
賃貸の狭さ具合は聞いてないが、三畳部屋だったとしても、自分の荷物を置いておけるってのは気が楽だろうな。
宿の看板の影が見えてきたところで、もう一つ忘れていたことに気が付いた。
クエストボード見るの忘れてたあああっ!
冒険者らしい行動を、いつになればできるのだろう。
ため息をつきながら、宿へ踏み入れる。
「おかえりタロウ。ランタン手に入れて、目いっぱい働いてるようだな」
少しくらい戻る時間が遅くなれど、おっさんは変わらず壁から湧き出る。
家族サービスしてやれよ。
タグを手にして、おっさんが置いたマグ読み取り器の上で手を止めた。
まとまった金が入ったら、予約したいと思っていたんだった。
だけどギルドとの取り決めを聞いて、予約したくても無理な話だったんだと気付いた。
今後、こんな稼ぎが滅多にあるとも思えない。
「おう、どうした? 残額はあるように見えるが」
「階段登ってすぐの部屋、幾らだ?」
俺の言葉が意外すぎたのか、おっさんは目と口をまん丸に開いた。
「ヒョットコみたいな顔はやめてくれ」
「な、なんでいそりゃ。魔物か? いや、他の部屋は、通常価格だぞ?」
「ギルドで提携の話を聞いてきたんだよ。で、そろそろまとめて借りたいと思っていたからさ」
「んぐぬぅ……」
おっさんは、困ったように顔を掻いて、変な唸り声を上げる。
いつもタグをすっからかんにしていたから、信用がないのは分かるけど。
「魔物の繁殖期ってのが来たのは知ってるだろ。あれで稼げたんだ。まとめて払うなら今しかない。儲け話だろ?」
今度は面目なさそうな顔を向けられる。
「いやぁ、ちょ、ちょっとだけ待ってもらってもいいか。物置にしててよ」
なんてこった……そんなに客が来ないのかよ。
「その前に。相場より安い自信はあるが高くなるぞ? 一泊500マグだ!」
「そういや相場っていくら?」
「この街に人の行き来なんざ滅多にないから、大抵は千マグだな。だが、うちと違ってどこも小洒落てるぞ」
さらっと自虐的なこと言うなよ。
普通は千マグなら、やはり家賃は毎月固定だから安めってことだろうか。いや、最安値の部屋基準で考えてどうする。街自体に来客がないなら、他の宿も別の仕事の片手間であり安いと考えるべきだろうな。
なのに、それ以下の500マグとは、また想像以上の安さだ。
「どうだ、十日払いにしてくれるなら、一泊400に割引しようじゃないか」
さらに下げるのかよ。あ、俺が考え込んだから、渋ってると思われた?
だけどさ、例えギルドの提携がなくとも、やっぱ趣味なのか?
もう相場の半値以下じゃないか。幾ら客がいないからって、それでいいんだろうか。そりゃ物置にしてるよりはいいだろうけど。くっ……悪いが心惹かれたよ。
俺は声に決意を込めた。
「交渉成立!」
「いつも即決だな。ありがとさん」
早速、十日分の宿代、4000マグを支払った。
なんで、おっさんは俺を「この子ったら成長したわねぇ」ってな目で見て頷いてるんだ。こんなゴツイ母親はいらねえよ!
そんな様子のまま、おっさんは背後の壁に声をかけた。
「おうい仕事だ!」
「はいよー」
「おーっす」
壁からガタイのいい女性と、おっさんによく似た青年が出てきた。
おっさんに続いてバタバタと階段を上っていく。
「うおお、レアなもん見ちまった……あれが噂の嫁と息子か。なんか三人ともそっくりだな」
奥さんは茶色がかった金髪のようだが、俺と同年代に見える息子の方は、おっさんと同じく、ほとんど黒い焦げ茶色の髪だ。
今まで見かけた人族と特に違いはないが、俺も種族の特徴だけでなくエヌエン家の特徴が見分けられるまでになったか。
すぐにガタゴトとした激しい物音が聞こえ始めて不安になる。
俺も手伝いにいこう。
今更だが、これまでの15マグの宿泊費はなんのためだったんだ?
手持ちゼロでやってくるやつなんて俺くらいだろう。
大枝嬢は臨時と言ってたから、一日目で収入がないやつのためだろうか。人族でなければ、低ランクだろうと一日でそれなりに稼げるはずだし。
無料で提供すると増長する奴がいて、少額でも支払いが発生するようにしてるとか。他に考えられるとすれば、なんであれ無償の取引は駄目、といった決まりでもあるのかもな。
十日分。俺にとっては少なくない金額だった。
剣を買うだ?
道は遠のいた気がしないでもない。
でもな、住む場所が不安定なのってストレスだ。仕事にも悪影響になる。
ここは安心して働けるように、気持ちが落ち着けるほうがいい。もうしばらくは同じ環境で過ごしたいし。
背伸びした自覚はある。でも、お陰で明日も気合い入れようって思えるのさ。
泣いてなんてない!