38 :身体能力
身体能力に、ここまで差があるとは、正直なところ思っていなかった。
あって、当たり前だってのに。
だってさ、物語のように派手な魔法なんかない世界だぞ。
そりゃ大人と子供くらいの差だって、とんでもないさ。
でもこれは、その比ではない。
これじゃ、ミドリガメとアフリカ象くらい違う。
「俺、いらないだろ……」
身体能力の差を目の当たりにしたショックは、大きかった。
これが、高ランクの実力なのか。
感動してもいいくらいだというのに、喜ぶより空恐ろしさが胸に沸き上がる。
炎天族――カイエンは雑魚専と思っていた。
考えれば魔物だってゲームより強くなってる。キャラだって強くなっていても、おかしいことなんかない。
ゲームと違って、一度に現れる魔物の数が決まってるわけでもない。より現実に沿った力だってあるだろうさ。
これが、種族特性。ここまで、どうしようもないほど種族差があるのか。
いや、炎天族の全てが高ランクになってるわけでもない。
単純にカイエンの実力なんだろう。
ただ道を歩くように、カイエンはケムシダマの群れへと近付き、剣を振る。
到着してから、さして時間は経過してないというのに、見る間に魔物は片付いていく。
何百体が消えたのか。その手際は圧倒的だった。
言いたくないが、すごいよ。分かってるんだろうけど、それで何したいんだろうな。こうして差を見せて、心を折りたかったのか?
腕に力が入らない。幾ら踏ん張ったところで、俺の力なんか微々たるものだからだ。そう思うと、全身から力が抜けたようだった。
カイエンは相変わらず無駄話とともに、へらへらと余所見しながらケムシダマを消滅させていく。からかいたいのか、腕自慢したいのか。
その後を、ただ俺は呆然と歩いていた。
本心は、今すぐにでも走り去りたい。けれど行く手には、隙間もないほどの緑の波が厚くなっていく。逃げたくとも、カイエンが進む場所以外は、ケムシダマで埋まっている。
「なんで、俺は、ここに居なけりゃならないんだ」
思わず言わずにはいられなかった。
また剣を振りつつ、カイエンは意外そうな視線を俺に向けた。
「なんでって、人間にゃ背中に目はないだろうが」
おま、こっち見ながら蹴散らしてるじゃねえかよ。
不満が顔に出ているのは、気付いているはずだ。俺は、そういうのを隠せない。
「一人で何かあったらどうすんだ? こういう時は、誰かと組むもんだぜ」
当たり前じゃんとカイエンは答えると、またケムシダマ殲滅に励んだ。
「え、緊急時の決まりがあったのか」
「ありゃ、言ってなかったか? わるいわるい」
お前、大事なことをすっ飛ばすなよ。
何かあれば、連絡に人手がいる。納得はできるが……それは、普通の能力がある冒険者に限るだろう。
俺は、このケムシダマの海を一人で戻れと言われても、街にたどり着ける気がしないぞ。
視界が暗くなったように沈んでいた俺に、不安な声がかけられる。
「タロウ、ちょっとまずい」
ケムシダマの大群を背に、悠々と立ったまま振り返ったカイエンの表情には、気まずさが浮かんでいた。
俺に何が言えようか。
何を言うのかと、言葉を待つ。
「いやね、先輩面しようと張り切りすぎてな。配分間違った!」
片手で己の後頭部をなでながら、悪い悪いと誤魔化すように笑っている。
は?
思考が停止している間、魔物が待っていてくれるはずもない。気が付けば、列をなし頭をもたげたケムシダマが、にじり寄っていた。粘液噴射がカイエンに届く圏内に。
「なに突っ立ってんだよ、離れろ!」
叫んだと同時だった。
半円状に囲んだケムシダマから、一斉に赤く透明な粘液の雨が降りかかった。
カイエンはとっさに剣を胸元まで上げたが、そのまま全身が赤く染まっていく。
「馬鹿、野郎! なに舐めプしてんだよ!」
馬鹿は俺だ。
こんな場所で不貞腐れてる場合じゃなかった!
魔物と対峙するとき、いつも頭から追い払ってきた死んだらどうしようという不安。
それも、俺が行動した結果だしと、どうにか折り合いをつけようとしてきた。
でも、誰かが目の前で魔物に襲われて死ぬかもなんて、少しも考えたことはなかった。
しかも、冒険者が。
だって、俺より弱い奴はいないはずだろ?
いいや、できるできないは関係ない。
助けなきゃ!
すぐ近くまで寄っていたケムシ野郎の喉元を掻っ捌く。
そのそばで、赤く染まったカイエンが頽れ膝をついた。
そうだ、俺のナイフは粘液を弾くはず。
「剥ぐから、じっとしてろ!」
まずは頭だ。気道をふさがれてはまずい。
首の辺りから掬い取るようにして刃を入れる。
顔の方に張り付いた膜を引っ張るようにして剥がし、外でナイフを振るとうまいこと粘液は地面に落ちていった。
よし!
顔はこのくらいで、手の自由を取り戻してもらわないと。
大技なんか使わなくたって、適当に振り回すだけでも倒せるだろうに!
動いてもらわないと、この魔物の山から抜け出すのは難しいんだよ。
頼むから、動けてくれよ。
腕の粘液を剥げはしたが、もうすっかり囲まれている。
奴ら、もう跳びもしない。
このまま齧れると思ってるんだ。
焦るな。
少しでも、足の粘液を剥がないと。
「ぷはー助かったタロウ。もう腕は動くから、左の奴らを倒してくれ」
「えっ。ああ、分かった」
と、言っても、近すぎる。
回り込むこともできないし、飛びかかったら粘液がくる。
だが、正面なら柔らかい腹側が丸見えだ。
弱点をさらして自らやってくる、愚か者たちだ。そう思え。
こうなったら、切り付けまくるしかないだろうが!
腰を低くしたまま走り寄り、切りつけては攻撃を受けないようにと、隣へと目標を移して走る。
少し奥にいた奴が、前列に固まっていた仲間に粘液を浴びせたせいで、ケムシダマ団子ができあがる。
馬鹿だろお前らと呆れる暇もなく、とばっちりを受けないようにと動きまくるのに必死だった。
何度も切りつけ、走っては切りつけ……自分の息遣いと激しい心臓の音しか聞こえなくなる。
間断なく周囲に目を走らせ、近寄る魔物の姿を探す。
身動きできなくなったケムシ団子が幾つかできたところで、ようやくカイエンへと意識が向き、振り返った。
何事もなかったように立つカイエンの周辺からは、綺麗さっぱり、魔物は片付いていた。
剣を肩に担いで、休憩しているようだ。
幾らか粘液は体に残っているものの、衣服や剣の粘液もすっかり消えていた。
「え? 全身がからまってなかったか」
「ああ、剣が動かせりゃ問題ない」
「刃がケムシダマの粘液を弾くとか、そういった強化がある?」
「武器は大抵そうだ。マグを弾くような加工が、魔物への殺傷能力へとつながるんだし。オレは装備全般に施してっけどな」
あ、そう。
俺のナイフが特別ってわけでもなかったのか……。
「て、おい。装備、全般と言ったか」
「おうよ。中ランク以降は、色々と面倒な特殊攻撃持ちがいるからな。装備には金かけてるぞ」
「あのさ、じゃ、粘液は」
「ばっちり対策済みよ。まあ全身浴びたって、どうってことないなハハハ」
おかしいな。
俺、すげえ必死に戦ってたよね。
明らかに無理クラス相手だって、分かってるはずだよな。
「いやあタロウ心配しすぎ。すげぇマジメ君でやんの」
ゲハゲハ笑うところか。ソウナノカ。
「ぶ……ッころす」
手にはナイフ。
目の前には俺を魔物の海へと放り投げた殺人未遂犯。
「うぉ? お、おい、こっちが疲れて身動きとれないときに、汚いぞ!」
「うるせえ知ったことか!」
「わあ、小賢しい動きを!」
「大人しく、成敗されろ!」
これは正当防衛、自衛のために障害を排除するだけだ!
今、俺とカイエンの二人は、草原のど真ん中に倒れ伏していた。
「ぐはっ……タロウ、貴様のせいで無駄に消耗した」
「人のせいにすんな、バカイエン。遊び気分で、仕事してるからだ」
ゼェゼェと息をつきながら、どうにか手を付いて頭を起こす。霞む目に、周りの景色が映った。
花畑のある丘の下まで近付いていたが、そこまで続く草は、ただ風に揺れるだけだ。少なくとも、目が届く範囲にケムシダマの姿はなかった。
俺が切りかかって追う間、カイエンは逃げながらもケムシどもを切り伏せて回っていたんだ。
遊びながらでも、草原の半分は掃討を終えたんじゃないかと思える。少なくとも、街から見える範囲は確実だろう。
悔しいにもほどがある。
「ったく……どういう理屈で、あんな攻撃ができるんだよ」
本当に理屈が知りたいわけではなく、ただの愚痴だ。
呟きは、カイエンに届かなかったと思いたい。
「おっし。今日のところは十分だ。報告もある。一度戻るぞ」
「丘の向こうは」
「これだけ減らせば、街の近くまで来ることはない」
数が多すぎると、結界の効果があろうと押し出されてしまう感じか?
カイエンは立ち上がって伸びをすると、街の方へと歩き始める。俺も頭を振って立ち上がり後に続いた。
ぼんやりしている場合ではないが、カイエンの背を見ながら、あれこれと物思いに沈む。
この世界で向き不向きってのは、はっきりとしたものだ。だから、自然と役割が決まる。そういうもんだし、それでいいじゃないか。
悔しいとか、馬鹿か俺は。
種族差で決まっているから不公平だなんていうのは、見当違いの不満だ。
そもそも、今まで長いこと頑張ってきただろう奴の結果と、始めたばかりの俺の結果を比べてどうするよ。
戦わないで、街の生活に関する依頼だけを受けて暮らせばいいじゃないか。
人族の特徴を知って、そう思い始めていた。前向きに受けめるなら、そう頭を切り替えて動くものだと思うからだ。日本にいる感覚で、そう考えた。
普段はそれでもいいんだろう。
ただ、今回の魔物の繁殖期で、冒険者の存在について深く考えることになった。
魔物からの防衛――それが、大前提に課せられた職務なんだ。
ゲームでも言われていたことだが、ここでも確認したことじゃないか。
それなのに生活のことに手一杯で、すっかり目標の方向が変わっていた。
俺も、戦わないでいられるはずはない。
農地関係の仕事もあるとか知らなかったとはいえ、自ら冒険者になろうと、ごり押したんだからな。
住民が安心できる生活向上のため、日常的に魔物討伐を心がけるべきだった。
心構えが足りなかった……反省しかない。
戦闘向きじゃないと言われようとも、人族に合った戦い方はあるだろう。いや、人族といった大枠だけの話でもないな。
俺は、俺に合ったやり方で向上を目指さなきゃならない。




